4章 戦火は会津へ 1
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四郎らが二本松で奮闘する中、佐治は長州兵として秘密裏に会津攪乱の任を受けていた。土佐から長州、この変わり身の早さを顔なじみの土佐兵は蝙蝠と蔑むが佐治は気にもかけなかった。
元をただせば正式の土佐兵ではなく、単なる雇われ密偵だったのだ。確実に任務を済ませ報酬をもらう。そんな関係でしかなかったため、声がかかればどこで任務をしようが自由の身。別段とやかく言われる筋合いはないのだった。
そもそも佐治は土佐迅衝隊が性に合わなかった。格好つけた規律に縛りつけられ、勝利に導かせたというのに憂さも晴らせてもらえなかった。その点長州軍は大らかだ。そこに金があれば奪い取り、女がいれば犯せた。殺戮も気の向くままだった。
さらに、この地と長州には深い遺恨が横たわっている。そんな長州人の会津に対する憎しみが自らの生い立ちと重なり、佐治は共感すら覚えていた。しかも身分は雇われ密偵ではなく、部下五名を率いる隊長である。一つには前総督、世良修蔵に従者として仕えていたせいもあると思っていた。
が佐治は固辞した。人と共に行動するのは山谷で懲りていた。調略金だけを受け取り一人会津へ向かった。
歩きながら佐治は昨晩見た夢を思いだしていた。兄姉に対する強い憎悪に混じって、共に過ごした犬たちの献身的な夢だ。
妙に心地よい夢だった。かれらはことあるごとに舌で愛おしく佐治を舐め、傷ついた佐治の心を癒していた。覚えている限り、唯一といっていい安らぎの瞬間だろう。
だが、ふっと鼻でせせら笑った。
もうそんなものは必要ないのだ。胸を覆う黒い靄は、もはや癒しを必要としていない。頭を振り、戦火の二本松を横目に会津へ急いだ。
二本松が陥落すれば、味方は母成峠を越えて会津へ攻め込む。そのためには食料の調達はもちろん兵の拠点が必要となる。だからこそ重税に苦しみ、会津でありながら会津を快く思っていない村々を手なずけねばならない。また敵陣が張られるであろう場所を定め、その背後を突くために、地元の猟師を別動隊の道案内として引き入れねばならなかった。
石筵に着いた。ここは会津軍が官軍の拠点になることを恐れ、焼き討ちにした村だ。そればかりか村の男と馬を連れ去ったので人気もなく、どこから見ても廃村状態になっている。
佐治は手で鼻を覆った。煤けて横倒しになった柱からまだ火がくすぶっていたからだ。肉食獣は腹を満たすためだけに狩りをするが、人間にはその観念がない。残虐というより、憐れな生きものだと佐治は思った。
手を鼻から額へ翳し、残っている村人がいないか周囲を見渡したときだった。草むらに小さな息づかいを感じた。
近づくと、息の絶え絶えになった犬が一匹うずくまっていた。
傷だらけだった。それも肉食獣に襲われた爪痕ではなく刀傷。おそらく村に火を放ち主人を連れ去った会津兵に飛びかかったのだろう。肉はおろか骨までも無残に斬り裂かれていた。
勇敢な犬だ。感服して見つめていると、佐治の脳裏に見たこともない異国の風景が現われた。砂だらけの地で背に瘤のある首の長い動物と、頭に布を巻いた人間が仲睦まじく野営していた。
人間は動物に水と豆をやり、動物は口を左右に動かしながらその人間を見つめている。きっとこの動物が犬の前世なのであろう。
佐治はイイズナだった頃、熊に襲われたことを思いだした。あのとき猟犬らは死を顧みず熊に飛びかかっていた。佐治も小さいながら立ち向かった。今思えば前世にどのような生き方をしようとも、巡り合った主人がどんなに悪辣であろうとも、そうするのが本能だったからだ。
そうしてあえなく返り討ちにされ死を覚悟したとき、懸命に傷口を舐めて生を取り戻してくれたのは、自らも深傷を負う仲間の猟犬たちだった。
そのとき佐治は感じた。猟犬らは主人を守るために戦ったのでも、獣の本能で飛びかかったのでもなく、すべては佐治を守るためにだと。
佐治は息をふき返し人間になることを望んだ。人間にならなければ、この健気な犬たちを守れないからだ。
その後は浮かんだ異国の絵のように仲睦まじく過ごし、最後の一匹が死ぬまで犬たちを守り通した。佐治が憎しみを忘れ、至福を感じていたいっときでもあった。
「苦しいなら絶命させてやるぞ」
見るに忍びなかった佐治は、片膝を突き犬の頭を撫でた。精一杯の情けのつもりだった。しかし思いと裏腹に、血塗られた犬の身体から脈動が起こり見る間に傷がふさがっていく。
「何だ、これは?」
佐治は戸惑い、犬の頭から手を離した。
「まさか俺に、まだこんな感情が残っていたのか……」
とうてい受け入れられない感情であり、業だった。
「頼むから、それ以上回復しないでくれ」
佐治は自分に言い聞かせ、泣きながら黒い靄を集めた。
その心情を犬も感じたのかもしれない。くぅんと鳴くと腹這いになって首を突き出した。
「それは……まさか俺に首を切断しろと」
犬は目を閉じて頷いた。佐治は胸を熱くさせ一文字に腕を振り抜いた。
四郎は夜明け前に起きた。町も山も闇の底に沈み、昨夜と変わらぬ風景が広がっていた。常であれば夜明けとは生の始まりであるのに、今、まさに滅びのときが訪れようとしている。
「空が茜に染まりだしましたな」
いつのまにか、伝八と永倉が横に立っていた。
「官軍も、今時分本宮を発ったでしょうな」
「ならば猶予は一刻もない。四郎殿。拙者にできることは何かありませぬか」
裏を突かれ、三春、本宮を制圧された伝八が、居ても溜まらず訴えてきた。
なくはない。しかし戦いに気をとられてしまえば肝心の幼児が救えなくなる。
四郎が答えあぐねていると、襟の中からイズミが指示を出した。
「では、城へ行って火矢を都合してもらえますか」
「銃ではなくて、火矢でござるか」
伝八が小首を傾げた。永倉も怪訝な表情を見せた。鉄砲と大砲が使われるようになってからというもの、弓は戦いの場から消えている。
「銃は当たっても殺傷は一人、外れたら何の益もありません。だが火矢は火の手を上げるのが狙いなので、外れはないのです。まして草は枯れはじめ燃えやすくなっています」
アームストロング砲を備えるのは、低地であれ高地であれ平坦な場所が多い。不安定な場所だと狙いが狂うし、見晴らしがよくなければ標準を定められないからだ。二本松は山城。進軍を妨げる道沿いや林の中に備えるわけにはいかないので、必然草地になる。
四郎は同意した。伝八も得心したようだ。急ぎ足で城へ向かった。
再び伝八の足音が聞こえたとき、城下へ連なる街道に動きが見えた。東の空は、すでに白々と夜が明け始めていた。凝視すると、色のつきはじめた影が延々と続いていた。その数は五千ではきかない。
官軍がまず手を付けるのは、西の入口の大壇口と東の入口である根崎。ここが崩されると城への砲撃が始まる。
案の定、西の小高い丘に大砲が運ばれていく。東の草原にも荷車が押されていった。まだ準備を整えている段階だが、緊迫した空気が四郎の心を逸らせる。
「某は西へ向かいます。伝八殿と永倉殿は東を頼みますぞ」
伝八は三人分の弓と火薬を持ってきた。むろん火種も忘れていなかった。
「逆に狙い撃ちをされる危険性もあるので、射ったら、すぐに武家屋敷で落ち合いましょう」
イズミの言葉と同時に、伝八と永倉が根崎を見下ろせる場所へ向かった。四郎も林を抜けて大壇口へ急いだ。
坂を駆け上ると若宮口が見えた。そこに詰めるすべての兵士が、すでに臨戦態勢を取っていた。しかし東と西の入口が落とされればアームストロング砲の格好の餌食になる。一発で土嚢も人も吹き飛ばされる。
大壇口の方向から銃声が聞こえた。ばちばちと雹が屋根に打ちつけるような音が間断なく響いてきた。
「早すぎる」
歯噛みしながら走り、大壇口を臨める丘へ辿り着いた。木陰から覗くと、昨夜到着したばかりの会津兵と二本松勢が果敢に応戦していた。多勢に無勢は否めないが懸命に戦っていた。
後方にアームストロング砲が見えた。備えの準備を耽々と窺っている。
一刻も早く城へ向けて砲撃させたいのか、スペンサー銃の勢いが増した。数に物を言わせて一斉射撃が敢行された。会津兵と二本松兵がばたばた倒れ、じりじり後退しだした。
アームストロング砲が固定され城に砲身が向けられた。四郎との距離は一町半。すぐにも火矢を放ちたいが、この距離では矢がとどかない。
四郎はするする近づいた。一町になった所で矢を取りだし、矢先に巻かれる油の滲みた布に火をつけた。限界まで弦を張り弾いた。
清々しい早朝の空に火の玉が飛ぶ。高々と舞い上がると弧を描くように空を切り裂き、大砲の横に落ちた。枯れ草が燃えた。慌てて兵士が消しにかかるが足で踏みつけることしかできない。そのうち火薬が弾け思いのほか火の手が強まった。
続いて二の矢を放とうと思ったが、敵のスペンサー銃に狙い撃ちをされた。いくつもの弾丸が風切り音を立て、真横を通過する。
迷いつつも逃げた。逃げながら東方向を見ると炸裂音が轟き、燃えさかる火の玉が飛翔した。
「しまった――」
思う間もなく落下し、城下から火の手が上がった。
わかっていたこととはいえ狼狽は隠せない。とにもかくにも武家屋敷へ行かねばと、林を抜けて若宮口へ向かった。
伝八と永倉が坂の下から走ってくるのが見えた。二人とも顔が埃まみれだった。火の手の上がる城下を抜けてきたので当然といえば当然だった。
「怪我はありませぬか」
「心配には及びません。それよりも火矢が大砲まで届かず、揃って矢はスペンサー銃を撃ち込む歩兵に当たってしまいました」
二人は眉間に皺を寄せ失敗を悔いていた。それでも敵兵の姿が見えないということは、わずかでも進撃を喰いとめたに他ならない。
しかし東方向からの砲弾は、二発、三発と徐々に城へ近づいている。さらに西の大壇口が崩れてしまえば、そこから一気に城へアームストロング砲が打ち込まれる。
「急ぎましょう」




