序2
序2
数日後。巫女が宇曽利から館へ戻ると、母は小さな骨壺に納められていた。
「無事、輩を見つけなさったのでございますな。お館様は笑んで逝かれましたぞ」
甲斐甲斐しく跪き、言葉をかけてくる下男らの魂胆を巫女は訝しんだ。
なぜなら彼らは性悪だからだ。母に取り憑いて優雅に暮らしてきたよう、同じように世話をする振りをして支配しようと目論んでいる。言ってみれば、痩せた土地に寄生する人間の卑しい処世術だ。
酒を煽り、女を喰らい、献上された金品をかすめ取る。母親が未婚であるため、巫女の血筋も、きっとこの下男のうちの一人ではあるまいかと思ったりもする。
そうであるなら虫唾が走る。
「今から供養をします。しばし一人にして頂けぬか」
巫女の素気ない態度に下男が反論しようとしたとき、懐の半妖が唸り声を上げた。小さいながら低く迸らせた。
――勘の鋭いものよ。
巫女は思った。瞬時に、下男らの心の内に潜むどす黒い臭いをかぎ取ったのだろうと。
*
巫女にシロと名付けられた私の遊び相手は、死者たちだった。日中は存在を消しているが、夜になるとゆらゆら薄気味悪い人の姿になって出現する。
「小さき者よ。そなたはいずれ変化するでしょう。ですが案ずることはありませんよ。滅するまで、輩として必ず傍にいますから」
頭上から静謐な声が響く。同時に思いやりも。匂いから、この死者が亡くなった巫女の母だと確信した。なぜ巫女の守護者にならないのかと疑問を感じたが、私は心を許した。
その後、毎夜、共に野を駆けまわった。
ある日、赤い花の群生する場所で輩が私を呼びとめる。
「これは芥子ですよ。食せば幻覚が生じます」
輩は、どの草花を煎じれば薬草になるのか、どの花から成分を抽出すれば毒になるのか丁寧に教示してくれた。また小さな獣としか思わなかった私に、幻術の才覚があると教えてくれたのもこの輩だった。
月のない晩、土手の上で獰猛な狼に出くわしたときだ。向かい合った途端、狼は今にも飛びかからんばかりに唸り牙を剥いてきた。
ー―どうします。
輩が訊いてきた。
警戒心のない館の犬や猫と違い、私は躊躇う。何しろ初めて遭遇する強敵だ。
―ーでは、見てなさい。
輩が前に押し出た。哀し気に吠えた。すると、きーんと耳鳴りがして皮膚に震動が走った。狼を見ると、なぜか地に這いつくばっていた。尾を巻き怯えて鳴いている。
狼はしばらく怯え、耳鳴りが収まると一目散に逃げ去った。
何をしたの?
ー―幻術ですよ。狼の頭を操り、地を揺らす絵を見せました。この程度なら、あなたのほうが上手かもしれません。
私は輩の言葉に酔いしれた。
また別の夜。輩は癒しの業を披露した。
川縁で遊んでいるとき、上流から何やら流れてくるのが見えたのだ。凝視すると、人の足ほどしかない乳児だった。
助けなくてはー―そう思い立つと、考える間もなく私は川に飛び込んだ。衣服を口で咥えて河岸へ運んだ。
心の臓から音がしなかった。
死者たちの話によると、どうやら間引きらしい。百姓はどの家も子だくさんであるのに、暮らしは天候に左右されることが多いという。ひとたび飢饉になると粟や稗、木の皮を食べて凌ぎ、それすらにも困窮すると乳児を川に投げ込む。
悲惨な現実だ。
ー―生き返らせますか。
そんなことができるの?
と輩の目を見つめていると、突然目の前に無数の手が現われた。手は乳児の腹をまさぐり、逆さにして水を吐きだせた。さらに仰向けに身体を返して胸の中に手を入れた。見る見る生気のない顔に赤みが差した。
乳児を背に乗せ屋敷に連れて帰ると、ぼそっと巫女が呟いた。
「善き心がけですが、あなたは人間ではありません。慈悲の魂を持つ輩に守られた稀有な輩なのです。努々《ゆめゆめ》それを忘れずに」
巫女は、ときおり訪ねてくる客の手助けをして生計を立てている。
客たちは一様に御供を連れ、馬で訪れた。煌びやかな装束を纏う巫女と、特別に用意された奥の間で謁見した。それにより客の大概は出世し、巫女に莫大な褒美をもたらした。
巫女は客の行く末を、より良き方向へ導いていた。
しかし邪な人は内にも外にもいる。
何年か過ぎた頃。成長して四歳になった少年を連れて、巫女はいきなり夜中に屋敷を出た。着の身着のままで山へ逃げ込み、私が振り返ったときには屋敷が燃えていた。
その後、各地を流離い、ある山間の村に住みついた。そこは村の有力者の旧家で、間引かれる子供を預かるというのが条件だった。
年貢の取り立てが厳しい村事情。一人引き取ると次々に子供たちが集まった。
母が言った。
「妖であることを封印し、人間の姿になりなさい。この子らを守るのです」
その日から五歳の少年になった。けれど人間の姿になると、日を追うごとに半妖の記憶が薄れていく。輩だった死者の声も聞こえず、姿も見えなくなった。