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 戻ると優がいた。紺色の着物に白いたすきをかけ頭に手拭いを巻いていた。額に汗が滲み出ているのは埃だらけの家を掃除していたのだろう。

「あら、お客様ですか」

 優は屈託なく声を弾ませる。

「この方は、一瀬伝八殿です。飯盛山で意気投合し、明日から会津のために、共に戦う所存です」

「伝八です。今後とも、お見知りおきを」

「こちらこそ。すぐにお茶を煎れますね」

 窮屈そうに挨拶を交わしていた伝八が、優がいなくなると途端ににやにやする。優の甲斐甲斐しさに、おそらく思い違いをしているのだろう。

 だが、じきにそれが間違いだと気づくはず。お優はかけがえのない同志なのだ。四郎は捨て置いた。

「伝八殿。その、よれよれの羽織と袴を洗われてはどうか。修験服でよかったら着古しですがありますぞ」

 四郎は卓の前に伝八を案内すると、小声で言った。おそらく一着しかなく洗っていないのだと思う。袴は擦りきれ糸がほつれていた。

「かたじけない。何せ一張羅いっちょうらなもんで。臭いもきついので願ったり叶ったりです。ぜひ着させてほしい」

 四郎は小一郎の着ていた修験服を肩箱から取りだした。伝八はさっそく着替えた。

「せっかくなので刀も手放そうと思うが、戦いに支障はありますかな」

「杖は七尺。刃はついておりませんが絶命させることも可能です」

「なるほど、格好の武器かもしれませんな」

「まぁ、物騒な会話ですこと。いったい何の話をしてらっしゃれるのですか」

 優がお茶を持ってきた。湯呑は三つある。しかも一つはお猪口だ。

 伝八が、四郎と優に不可思議な目を向けた。

「このお猪口は、どなたのでござるか」

 優が、口に手を当て笑った。

「待ってくだされ。私は何かおかしなことを申しましたか」

「いえ、そんなことはございません。もしやイズミ様のことを、水間様からお聞きになられていないのですか」

「イズミ殿、でござるか? 紹介したい者がいるとは聞いておりますが、名前までは」

「そうですか。奥ゆかしい方なので、遠慮されているのかもしれませんわ」

 優が茶を注ぎ終えた。伝八は首を傾げながら茶をすする。一口啜ると驚きのまなこを上げた。

「奥ゆかしい? もしや、その方は女人であられるのか」

「その通りですよ。ただし小さいですが――」

 イズミが四郎の襟から飛び出した。伝八に「お見知りおきを」と伝え、悠然と茶を啜りはじめた。

「四郎殿。まさか百人力と申すのは、この奇異な方のことでござるか」

 伝八が、信じられないものを見たという顔をしている。

「私も最初は信じられませんでしたが、イズミ様は、まぎれもなく百人力ですよ」

 優が噛んで含めるように言っても、伝八はまだ現実を受けとめられずにいる。

  

 伝八がそんな状態のとき、小一郎が竹を伴い帰ってきた。戸の向こうの空は、西だけをわずかに赤く残し藍色に塗り込められていた。

「寧太郎殿に、お願いしてきましたよ。幼年隊については、前々から何とかせねばと思っていたそうです」

 報せに気が急いているのだろう。小一郎は土間で声を発し早足でやってきた。目の前に来て、ようやく山伏姿の伝八に気づく。

「御客人でしたか。失礼しました。私は林小一郎と申します」

「中野竹です」

 小一郎に続いて竹が挨拶をした。伝八も慇懃に挨拶を返す。その後、竹は優と何やら話し合い台所へ向かった。

「小一郎よ、問題は寧太郎殿が行動に移すかどうかだ。思うだけでは心許ない気がする」

「その件につきましては、御家老に相談すると仰っていましたので、心配無用かと」

 寧太郎がどの家老に相談するかわからないが、孤立する西郷頼母ではないだろう。なら梶原平馬か茅野権兵衛か。どちらにしろ切羽詰まらなければ決まらないはずだ。

「で、当面の役目は決まったのかな」

「市中二番隊に加わりました」

「白虎隊であられるな」

「城中の警護が目的なので、師範との約束通り、婦女子を守れると思い承諾しました。それと話は変わりますが、新選組の土方様が兵の訓練をなされていましたぞ。しばらく眺めていましたが、やはり素晴らしい方です」

「思い違いなされないように。かれは死に方を教えているだけです」

 小一郎を揚げ諂うかにイズミが言った。

「イズミ様、それはどういう意味ですか」

 小一郎が口を尖らせる。

「それは私が答えるよりも、伝八殿に解説してもらいましょうか」

  

 突然振られ伝八は慌てる素振りを見せたが、奥底に土方との歯痒い思いがあるのだろう。とつとつと話しだした。

「確かに土方さんは強く、直感も鋭い。まさに英雄ですな。けれど戦法は部下も勇敢でなくては成功せぬ。平たく言えば、駆け引きと斬り合いが主なので、強力な武器の前では通用せぬのだ。勝沼でも宇都宮でもそうだった。味方の屍、敵の屍を乗り越えて勇猛に戦うだけ。同じ方法で戦えば、ことごとく会津の兵は殺されるであろうな。会津兵は土方さんほど直感が鋭くもなく、死地にも接しておらぬ」

「しかし、武器装備に劣る我らが戦うには、土方様の方法が間違っているとは思いませんが」

「何も勇猛に戦うだけが英雄とは限りませんぞ。結局勝沼のように逃げるなら、早めに負けを認めて無益な犠牲を出さぬよう策を講じるべきだ。民と部下の命を救う者こそ真の英雄ですぞ」

「伝八様の考えは、何だか水鷗流の極意のようにも思えます」

 小一郎が首をひねると、四郎はすぐさま話しだした。

「そなたには、ちと耳が痛いかもしれぬが、此度の戦いは武士の体面を守るだけでしかない。もし会津が勝てばどうなる。武士は喜んでも民は何の恩恵も受けず、醒めるはずだ。その武士もますます格差が広がる」

「仰る意味がわかりませぬ」

 小一郎が苛立ち気に足を組み替える。

「ならわかりやすく言おう。武士の社会は身分の秩序で成り立ってきた。それゆえ会津は上士、中士、下士と別れ、下士の者はたとえ白虎隊であろうと士中二番隊には入れぬであろう。下士が全軍の指揮をとるなど夢のまた夢だ。しかし官軍の参謀である板垣殿は下士である。他の隊も然り、官軍の中枢は皆下士でしかない。これが会津に当てはめられるだろうか」

「無理だと思います」

「話を戻そう。土方殿は武士に憧れて町人から武士になった男だ。追いつめられ、武士としての死に場所を捜しているにすぎない。そのうえ民であったことを忘れ、民を蔑ろにするきらいがある。しかも会津人の気質をわかっていない。特に婦女子のな」

 四郎は、会津婦人の典型である小一郎の母親を引き合いに出そうとしたがやめた。さすがに心苦しかった。目だけを哀切に見つめた。

 そこへ優と竹が膳を運んできた。置くと跪き、二人は悲壮な眼差しで皆と向き合った。

「ここに我ら姉妹がいることを忘れないで頂きたい。会津の民を守るためなら、我ら姉妹も一緒に戦いますぞ」

「何と健気な――」

 竹と優の決意に感極まったのかもしれない。突如、伝八が唇を震わせ声を絞り出す。

 しかしこれこそが四郎の危惧する会津気質である。また本心をさらけ出さないはずの伝八が、感情をむき出しにしたのは、自身も土方同様死に場所を探しているのかもしれない。

「一人で戦うつもりでおりましたが、皆と知り合え存外の喜び。一瀬伝八、この身を惜しむことなく民を守り抜きますぞ」

 涙のとまらぬ伝八の手を、竹が取る。

「よくぞ会津のために。ぜひともご一緒に」

 ――どうやら我らも死を覚悟しなければいけませんね。

 イズミの声が、やけに切なく頭に響いた。


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