四話警察の仮面
毘沙門天の子守唄第四話です
一ノ瀬里緒、彼女もまた康太同様幼少期を西新宿の路地裏で過ごしていたのだった。ドラッグ、追い剥ぎドラッグを買うための金欲しさからの殺人。人道を大きく外れていたとしても、今の彼女にはそれ以外生きて行く術が無かったのだった。そんな頃に彼女と栗浜悠介は出会ってしまったのだった。当時彼はまだ國龍会系飛炎会の末席にすら加われない末端の組員に過ぎなかったのだが前職の営業マン時代に培った巧みな話術と加えて闇の交渉人としての独自に伸ばし繋げたいくつかのパイプラインを駆使して会内で頭角を現し始めていた悠介にとって、人生をドン底まで沈んだ里緒を堕とすのにさして時間はかからなかったのである。
しかし、彼女にとっては更なる地獄の始まりだった。最初優しく接してくれた彼も、自身の裏ビジネスが警察当局に睨みを聞かされうまく進まなくなると改正前の少年法の網の目をくぐり抜け違法薬物売買の交渉の場に当時十七歳だった未成年の彼女を立ち会わせ事が成就すればその相手を顧客として逃さないために、当時まだ十七歳の未成年だった里緒の躰を与え自身も彼女の足腰が立たなくなるほどに彼女を蔑み弄んだのである。
そんな生き地獄ともとれる生活が続いた四年余りの夏の夜。当時西新宿の夜の裏街で勢力を拡大していた男女混合の愚連隊デッドエンジェルズがドラッグギャングを狩り始めた頃、十八歳で愚連隊の頭目に上り詰めた皆上康太とドラッグギャングに堕ちた二一歳の一ノ瀬里緒。西新宿の裏街で勢力を二分するくらいの愚連隊とドラッグギャングの抗争の最中二人は出会ったのだった。
しかし、二人ので会いとはうらはらにギャングと愚連隊の抗争は激化の一途をたどり果ては暴力団の絡む内部抗争へと変貌を遂げるのだった。
「里緒、さっきの彼女の話しで思い出したんだけどよぉ、今話題になってる深雪と恵梨香の二人なんだが、あの二人、愚連隊時代からやばい噂のたえねぇ二人だったぜ。俺達デッドエンジェルズが解散に追い込まれたのも、確か、どちらかが警察に俺達の居場所をリークしたっていう話しだったぜ。」
康太が何気なくそう言ったのは、瑞樹が自分の連絡先を残し店を出ていった後、急に黙り込みもの憂げな様相になり昔の生き地獄だった頃に想いをフラッシュバックさせたかのようにその幾分は年齢相応の女性らしさを取り戻したそれでもやや華奢なその躰を小刻みに震わせ始めた事を気遣うようにタバコを燻らせもの憂げな様相の彼女の前にそっと一杯のホットコーヒーを差し出した。
「ありがとう、康太。あたし今……頭が混乱しちゃってるんだよね。あの二人はあたしがあんたの愚連隊に助けられて初めてだった……あたしの過去の事親身になって話しだって聞いてくれて、これが本当の親友だと思ってた。深雪に関してはだんだんだん親友としては少しずつだけどあの頃から違和感は感じてた。けどね恵梨香だけは……彼女だけは……違うと信じてた。それは今も変わらないなのに、何で?」
湯気の立つコーヒーカップを握りしめそう語る彼女の言葉はそこで途切れ変わりにガラス張りのカウンターテーブルを彼女の涙がぽたぽたと流れ落ちていた。
「……里緒……そんなに自分を責めんなよ。俺もあの一件には恵梨香は絶対関与してねぇって今も信じてるよ。それとだ、おまえがあいつを親友として親の友として思うならよ……最後まで信じてやろうや。恵梨香の無実をよ」
完全に涙に視界を遮られ泣き崩れる里緒に康太は優しくそれでもややぶっきらぼうにそういうとカウンターテーブルに伏せる彼女の華奢な背中を後ろから優しく包み込むようにして抱きしめるのだった。
「……うん、そうだね。あたしがそう信じなきゃ彼女の親友として失礼だよね……」
彼女はそういうと伏せっていたカウンターテーブル躰を起こすと目の縁に着いた涙を拭い康太を正面から見てニッコリと笑うのだった。
それから程なくした、時刻は夜の八時を少し回ろ頃二人は今宵もショットバーエンジェルヒルをオープンさせるのだった。その夜も開店当初程ではないがそれなりにある程度の客足が過ぎた夜中時刻は間もなく今日から明日へと変わろう頃客足の落ち着いた店の出入り口に淡いピンク色のパンツスーツ姿の一人の女性が立っていた。
「み…美奈子ちゃん?」
出入り口に立つ女性を見て開口一番素っ頓狂な声を上げたのはカウンターの中で洗い物をしていた里緒だった。
「そんなに驚かなくたっていいじゃないですか里緒さん。あぁ、真面目なあたしが飲み屋に来るって思わなかったからびっくりしたんですねぇ。今日ここに来たのは昼間のあたしの後輩瑞樹の発言をどうしてもあなたの顔を見て直接謝りたかったの七年前の暴力団まで絡んでの大抗争事案にまで発展したあの一件信楽深雪警部補にそそのかされた事とはいえ結果的に姉があなた達二人に辛く嫌な思いをさせてしまった事、それにわをかけるように未だに姉を親友として信じてくれてた里緒さんを混乱させてしまった事合わせて本当に申し訳ありませんでした。」
店のカウンター席の前直立不動の状態で彼女葛城美奈子は深々と二人に向かって頭を下げるのだった。
「おいおい……もう七年も前の事だろ?俺や里緒にしてみりゃもうずいぶんと前の話しだぜ、そんな昔のこたぁとっくに時効だしよ。俺も里緒もあんたの姉さん恨んじゃいねぇよ。ま、とにかくよそうやって下げたくもねぇ頭ぁ下げに来てくれてただけでも俺等みたく地の底はいつくばって来た人間にゃあよめちゃくちゃうれしいもんだぜ」
彼は笑顔でそういうと頭を下げつづける美奈子を席に座らせその前に一杯のショットグラスを置き自分と里緒も同じようにショットグラスを持つと彼はこう続けた。
「とりあえずわよぉこれからもよろしくなって事でいいんじゃねぇか?」
そういった彼に里緒も美奈子も何故に疑問形とツッコミたくおもっただろうが二人には彼の真意がすぐにわかった。彼は昔からこういう湿っぽい空気が一番苦手だということを。
その何とも間の抜けた乾杯の音頭ではあったが、場の空気を和ませるには充分だったようで、終始笑顔で時は過ぎ時刻は夜中の二時を回ろうとしていたのだった。
「美奈子ちゃん、ちょっと飲み過ぎだよぉ大丈夫?帰れる?」
真面目過ぎる性格からなのかそれとも彼女が単に下戸に近いくらいに酒が弱いのか、彼女葛城美奈子は半分意識を手放したようにカウンター席に突っ伏してムニャムニャと寝言でも二人に詫びているようだった。
「もう…困ったなぁねぇ康太ぁ彼女どうする?」
酔いつぶれて完全に寝入ってしまった美奈子の処置に完全お手上げ状態で里緒が康太に助けを求めた。
「まあ…なんだな、朝方近くのここいら一帯ってなぁめっきり治安が悪くなりやがるからなぁ…まあ、俺等も今日は店のソファで寝るか?彼女は明朝二人で送って行こうや」
彼は言うが早いか彼女の言葉も待たず意識を手放し眠りの淵へと落ちていくのだった。
しかし明朝周囲の状況は一変するのだった。昨日の恵梨香と里緒の密約によって強制配置転換されていたはずの四課の捜査員達がまたもや二人の店周囲に配置されていたのである。
「やっぱりね、こういう事だったんだ。美奈子ちゃん……あなたあたし達をおびき出すエサとしてあの女に泳がされてたみたいね。あなたがエスとして信じて使ってた浅香瑞樹にね。あの女完全に信楽警部補の回し者だったのよ。いいえ、言い方を変えればあなたの依頼で彼女は信楽警部補の暴力団関係者との癒着関係を探っていた。けど彼女はそこで気づいたんでしょうね。暴力団関係者との癒着関係を曝かれてまずい人間が誰なのかを。確かに彼女は信楽警部補はあたし達とはガキの頃から既に犬猿の仲だった。でもね、彼女の持つ独特な正義感は真っ直ぐに強固で尚かつ堅実なモノそれが故に彼女には一つだけ欠点があるのそれはね、あなたのように真面目な仮面をかぶりその裏では暴力団関係者との癒着関係をつづけるような、長い者には巻かれろ的な器用にたち振る舞えないこと。それとも
う一つはあなたや瑞樹に無益な罪を犯させたくなかったんでしょうね。元浅香一家女若頭はぐれ天女の美奈コト矢吹美奈子さん?」
自分達の状況が悪くなる一方の彼女一ノ瀬里緒の口から悠然と語られる瑞樹と二人捨て去った過去、悲運が重なり自分が養女として潜り込んだ親子が二人の属した浅香一家を壊滅させた恨んでも恨みたりない殺してやりたいくらいの存在だった事。真実の全てをさらけ出され彼女葛城美奈子コト矢吹美奈子は何時しか知らぬ間にかぶり隠していた善人の仮面が外れ修羅さながらの様相を呈していたのだろう、何時しか先ほどまで無関心だったはずの康太が里緒の前に出て彼女を庇うように着ているジャケットの内ポケットに忍ばせた匕首の柄に手を添え身構えていた。
「ふ……ふふふ。よくもまぁ人の捨てた過去を抜けしゃあしゃあと語れたもんだねぇ。怖い女だよあんたわねぇ!」
彼女矢吹美奈子は最後の語気を荒げると常時携帯が許されている三八口径のリボルバーではなく四課の警察官のみが所持を許されるアメリカ製の四十五口径の大型拳銃に消音器を着けた物出し引き金を弾こうとした刹那血の滲む右手を押さえ拳銃を手放したのは美奈子の方で彼女の手には里緒が至近距離から投げたスローイングナイフが一本彼女の右手の甲を突き抜くように刺さっていたのである。
「あんた、今のあたしにこんな物投げてただで済むと思ってる訳ぇ?」
劣勢なのにも関わらず外に居る捜査員達が自分の生還を待ってこの店に突入してこないのだと勝手に解釈して、尚も強気にでるのだったが、今の里緒と康太には彼女のその強がりが可笑しくて仕方ないといった感じで二人ともに笑いをかみ殺すのに必死であった。
「何がそんなに可笑しいのよ。」
強気を崩さず尚も二人に突っかかろう彼女に康太のとどめの一言が飛ぶのだった。
「さっきからよ……笑って済ましてやろうって思ってんのによぉ。それ以上ペラペラ減らず口たたくんならよ二度と喋れなくしてやろうか?あんたみてぇな口先三寸なのが組のカシラじぁよさぞかし二代目継いだ瑞樹のお嬢も組の運営に苦労しただろうなぁ。ま、いいや外に待機してる四課のお巡りさん方がよ、あんた助けるために来たと思うならさっさと出てってくんねぇかな?煩わしくて仕方ねぇや」
彼は煩わしい感情を隠しもせずそういうと店の出入り口から美奈子を外へと叩き出すのだった。
そして、店外に叩き出された彼女の元に集まる捜査員達、だが、
その捜査員達からの第一声は彼女の予想を脆くも裏切るものだったのである。