君のいない家
「おはよう。朔也」
いつも通り訪れる朝。
いつも通り想い人に朝の挨拶をする私。
いつも通り、布団から起き上がって、身支度を始める。
「う~。今日はいい天気だし、出かけようかなぁ。」
窓から差し込む朝日が私を照らす。
こんないい天気の日には外出しないともったいない。
とは言ったものの、外に出なくてはいけないというのは既に決まっていたことで、
気分を高めるための理由付け。
「それじゃあ、行ってくるね。」
身支度も終え、朝食も食べ終わった私は玄関で靴を履きながら、
家の中へ向かって声をかける。
シーン
返ってくるのは何の音もない静寂だけだった。
私の瞳には知らず知らずのうちに涙が溜まっていたようで、頬を伝っていく。
「あ、せっかくメイクしたのに台無しだ。」
泣き顔を晒しながら外に出る勇気のない私は、一旦履き終わった靴を脱いで、
家の中へと戻る。
(もうそろそろ朔也の事から立ち直らないといけないのに・・・。)
部屋に戻った私、先ほど流れ始めた涙が導火線になったかのように、
後から後からどんどん涙が頬を流れ落ちて行く。
メイクはどんどんと剥がれていった。
朝起きた瞬間は、大丈夫だと思った。
だから油断して、朔也がまだいた頃のいつも通りを演じてしまった。
もう、彼はここにはいないのに・・・。
あの誰もいないことを演出する静寂を味わった瞬間に、現実に引き戻された。
言わなきゃよかったのに。
そんな後悔にも似た想いが私の心をざわめかせる。
(悲しいし、寂しいよ・・・。朔也・・・。)
心の中にはまだ朔也がいる。
目を閉じれば、夢の中には、笑顔で私のことを待っていてくれる朔也がいる。
それと共に彼と紡いできた楽しかった思い出が走馬灯のように過る。
(もう一度、あの頃に戻りたいなぁ・・・。)
ピンポーン
感傷に浸っている私の元に届いたのは、
久しぶりに聞く来客のインターホンの音だった。
もう何年ぶりだろう。
それすらも私にはもう思い出せない。
このまま無視しようかとも思った。
だけど、なぜだかこのインターホンだけは
無視してはいけないという妙な衝動にも駆られた。
私はまだ泣き顔のままだったが、立ち上がった。
ガチャ
ドアを開ける。
来客者を確認しようと、ドアから顔を覗かせる。
私の顔に太陽の光が降り注ぐ。
「ま、まぶしい。」
つい発してしまったその言葉。
「ふふふ、やはり君は変わっていないんだね。あの頃のままだ」
私のそんな反応を見てなのか、来客者のその人は穏やかな笑みを浮かべている。
その人は60歳を超えていると思われるおじいさんだった。
私にこんな知り合いはいない。人違いだと思った。
だけど、なぜかは分からないが、彼からはどこか懐かしい雰囲気を感じてしまう。
(おかしいな。知らないはずなのに、なんでか私はこの人の事を知ってる気がする。)
ついつい不躾に目の前にいるおじいさんの顔を見てしまう。
おじいさんはそんな私のことをにこにこしながら見ている。
その反応はどこか朔也を彷彿とさせるものがあった。
だけど、彼にこんな親戚はいない。
「ふぅ、そろそろ分かってもいい頃合いだと思うんだけど、
やっぱり分かんないかな?」
おじいさんはますます笑みを深めながら、そう問いかけてくる。
私は首を横に振った。
「そっか。まあ無理もないよな。あれから30年も経ってしまって
俺はこんなにも年老いてしまったしな。」
おじいさんはやれやれとでも言いたげな反応を浮かべながら、言葉を発する。
私には意味が分からなかった
(このおじいさんは何を言っているの?30年って・・・。
私、まだ25だから知っているわけないじゃない。それに年老いたって・・・。)
もしかしたら、このおじいさんは認知症なのかもしれない。
そんな風に思ってしまう。
「おじいさん、私貴方の知っている人じゃないと思います。
私まだ25だし・・・。」
私はおじいさんの間違いを正そうと思った。
「ははは、わかったよ。本当は気づいてほしかったんだけど仕方ないな。
目を一瞬だけ閉じてくれ。」
おじいさんは何かを観念したかのような態度を取ると、私に目を閉じるように言った。
私は謎だったが、これで納得してくれるならばと目を律儀に閉じることにした。
「もういいよ」
その声が聞こえた瞬間、私の意識は一気に覚醒した。
(こ、この声は・・・。)
それと共に、勢いよく目も開き、眼前にいる人の姿を映す。
その姿を理解した瞬間、止まっていたはずの涙がまた零れ始める。
「う、嘘・・・。さ、朔也・・・。ど、どうして?」
目の前にいたのは、私が愛した唯一の存在、朔也だったのだ。
先ほどのおじいさんの姿はどこにも見当たらない。
いってもたってもいられず、私は昨夜を抱きしめる。
それに対して、朔也も優しく抱きしめ返してくれた。
「やっと君の所に帰ってこれた。ただいま。」
「お、おかえり、朔也。うっうっ」
後から後から流れ落ちていくこの涙は悲しみの涙ではなく、幸せの涙だった。
同時刻
「高宮朔也さん、16時23分ご臨終です。」
布を被せられる、その瞬間の朔也の顔は幸せそのものだった。