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HIGH FIVE  作者: 栄津鞆音
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「おい、お前、ちょっと待て!」

 晴貴は潟平駅の改札前で数人の少女に呼びとめられた。

「お前か、姐さんを泣かせたのは!」

「姐さんって?」

「亜弥べぇ姐さんだ」


 少し遅れて亜弥の母が様子を見にやってきた。

「アッ、お袋さん、チワッス!」

『チワッス!』

「こんばんは。やっぱりあなた達だったのね」

「亜弥べぇ姐さんが泣いたって本当ですか?」

「ええ、久しぶりにワンワン泣いたんだって」

『マジっすかー』

 少女たちは歓喜の雄叫びをあげる。


「で、みんなで何をしているの?」

「そりゃあ決まっているじゃないですか」

「亜弥べぇ姐さんを泣かした奴に、

 ヤキを入れてやるんです……」

 リーダー格が晴貴にガンを飛ばす。

「おい、手前ぇ!」

 しかし次の怒りのセリフは横から掻っ攫われた。

「亜弥べぇ姐さんを泣かしてくれてありがとう」

『ありがとうございま~す!』

 リーダー格が慌てて繕う。

「……今度亜弥べぇ姐さんを泣かした時は、

 タダじゃ済まさねえからな」

『済まさねえからな~』

 乱暴な言葉とは裏腹に、

 少女たちは手を振りながら晴貴を見送った。


「ねぇねぇ、お袋さん。

 今から亜弥べぇ姐さんの所へ行って良いですか」

 少女たちは目をキラキラさせて、尋ねる。

「亜弥は泣き疲れて寝ちゃったわ」

「それって、チョー乙女じゃないっすか!」

「あたしね、姐さんが好きそうな動画集めていたの」

「私も! カワイイ動画集めたわ」

「ネコ動画! 見せて、見せて!」

 少女たちはスマホで、

 それぞれ一押しのネコ動画を見せあった。


 かつて亜弥を中心に、

 ネコ動画の可愛さに、

 涙を流しながら大騒ぎした日々が……。

 もうすぐそんな日々が帰ってくる。

 あれからまだ5年。

 あれからもう5年。

 少しずつ止まった刻が動き出した。


 11月14日、月曜日。

 2年5組の教室。

 亜弥と晴貴の机が中央に強制移動されていた。

「隅に置けない」ということらしい。



 J2伊立ゾンネンプリンツの老将、

 アイゼン・シュルツェン監督は、

 今年70歳の誕生日を迎えた。

 1990年代の名監督としてのキャリアは輝かしいが、

 最近は10年ほどのブランクがある。

 その間は、FIFA公認の代理人として、

 若手の発掘のため各地を飛び回っていた。


 久々の日本からの監督オファーに、

 現役最後のチャレンジを決めた。

 真面目でお行儀がよく、

 規律正しい日本人には興味をそそられる。

 自らのサッカー理念と、

 日本人の気質は相性が良いと思われた。

 とは言うものの、高齢であることは否定できない。

 2016シーズンの途中に息子をチームに招き寄せた。

 ドイツでコーチライセンスは取得しているので、

 いずれ監督の座を譲るつもりだ。


 今シーズンも中位に甘んじたが、

 徐々に規律重視のシュルツェン流は機能し始めた。

 チーム全体の意識統一を図るため、

 ユースチームは言うに及ばず、

 可能な限り、ジュニアユース、

 キッズ年代の試合にも足を運ぶ。

 チームを預かった以上、手抜きはしない。



 ジュニアユースの試合。

 神島ヒルシェゲバイ対氷戸ローゼンシュトック。

 バラキ県内のライバルチーム同士の熱い戦い。

 晴貴は第4の審判員として参加していた。

 次の試合に伊立ゾンネンプリンツが出場するので、

 アイゼン・シュルツェン監督も観戦。

 息子であり実質的にチームの指揮を執るヘッドコーチ、

 ユンガー・シュルツェンを従えている。


 前半残り10分、アクシデントが発生した。

「パチン!」

 主審は後ろから蹴られたような気がした、

 振り向くが誰もいない。

「しまった……」

 典型的な経験者の体験談を思い出す。

 ボールは中盤で神島がキープしている。

 インプレー中だが主審は即座に試合を止めた。

 アキレス腱断裂。

 これ以上は審判続行不能。

 試合前の打ち合わせでは、

 冗談交じりに晴貴が交替要員に指名されていた。

 第4の審判員を協会役員に任せて晴貴は急遽ピッチへ。

 主審の判定基準はしっかり把握しているつもりだ、

 観客席からの心ないヤジは気にしない。


 試合再開前に、両チームのキャプテンに声を掛ける、

 それぞれと握手を交わすと、ドロップボール。

 両選手ともすぐには動かない、

 氷戸の選手がボールをタッチラインに蹴り出した。

 晴貴はすかさず両選手と軽くハイタッチ。

 神島のスローインから改めて再開。

 急遽登場した主審は、安易に競ることはさせない。

 印象づけるシーンだった。


 直前に充分なウオーミングアップはできなかったが、

 晴貴は割り切って、前半の残り時間をそれに充てた。

 最初からトップギアで駆けまわった。

 常に先読みをしてボールの近くに侍る。


 氷戸GKのキックから中盤の競り合い。

 神島ディフェンダーの手が、相手選手の背中に触れる。

 距離を計っている程度で、押している訳ではないが、

 晴貴は強く笛を吹いて、プッシングの反則を取った。

 ボールが空中にある間に、落下点付近へ移動している。

 至近距離で真横から見ているので、

 反論のしようがない。

 時間を置かずに同じ事が再び起きる。

 晴貴は再び笛、反則を取った。


「競り合いで手を掛けるな!」

 神島の監督がチームに注意喚起。

 晴貴の現役時代のプレーは覚えている。

 たしか高校チームに移籍したはずだが、

 こんな形で再会するとは思ってもいなかった。

 この若い主審には見えているぞ、気をつけろ。


 氷戸が中盤左から、大きくサイドチェンジ。

 ジャンプして身体全体で阻もうとする神島選手の袖を、

 音を立ててボールが掠めた。

「ノーーーーーッ」

 ボールを追いながら主審が叫ぶ。

 ハンドをアピールする隙を与えない。

 故意に手でボールを扱ったわけではないし、

 試合の流れを大きく変えたわけでもない。

 反則でないのなら、プレーオンとは言わない。

 試合は続行。


 前半残り僅か。

 氷戸のフルバックがフリーで、浮いたボールを扱うが、

 剥がれた芝の跡でボールがイレギュラーして、

 バランスを取って広げた手に触れたように見えた。

「ノーーーーーッ」

 故意に手でボールを扱ったわけではない。

 ゴール前で相手にフリーキックを与えるのは、

 果たして公正といえるのか。

 否。

 一度走り寄りながら、次の展開を読んで方向転換。

『試合を続けなさい』

 それが主審のメッセージだ。

 試合は何事もなく前半終了。


 ハーフタイム。

 神島の監督は選手に告げる。

「笛が鳴るまでプレーを止めないように。

 つまらない反則はしないこと」

 氷戸の監督が選手に告げる。

「自分で判定する必要はない。

 ゲームに集中しなさい」

 審判インストラクターは主審に告げる。

「急な登場にもかかわらず良く動けている。

 自分で示した判定の基準はブレないように」



 後半戦、主審の存在が消えた。

 両チームの選手はプレーに集中している。

 晴貴は必要なときにのみ現われて試合を邪魔しない。

 1点ずつ取り合って引き分け。延長戦・PKはない。



 試合終了後、

 晴貴は両チームの数人の選手から、再会の挨拶を受ける。

 神島の監督が主審にスッと近付いてきた。

「ナイスゲーム」

 それだけ晴貴に伝えると、自チームの選手を迎える。

 こちらも顔見知り、氷戸の監督からは握手を求められた。

「相賀君、氷戸に来る気はないのかな……」

「ありがとうございます」

 晴貴は苦笑して一礼。


 観客席の最前列には、

 アイゼン・シュルツェン監督が降りてきていた。

「ギープミーアフュンフ」

 身を乗り出して右手を出し出した。

 晴貴はハイタッチで応える。

「アイングーテスシュピール」

 良い試合だったと告げて身を翻す。

 付き従う息子のユンガー・シュルツェンに命じた。

「ハルキの動静にアンテナを張っておけ、奴は化けるぞ」

 長い間、新人の発掘に携わっていた。

 その嗅覚には自信がある。

「父さん、チームから手放すのが早過ぎたのでは?」

「それは違うな。

 あのまま在籍していてもチームの毒にしかならない。

 本人のためにもならない。

 ハルキは自分で運命を変えつつあるようだ……」



 アイゼン・シュルツェンは席に戻ると、

 通訳を介してチームマネージャーに連絡を取る。

「サッカー協会のユース審判員育成の件はどうなっている?」

「思うように人材が集まらないようです。

 締め切りが二度延期されましたが、

 それもとうに過ぎています」

「企画自体が無くなってしまったのか?」

「規模を縮小して、西日本をメインに行われる予定です」

「締め切りなど関係ない、是非推薦したい逸材がいる。

 推薦文は私が書くので、応募の用意をしてくれ……」


『ユース限定2級審判員の育成』

 ユース世代の若い審判員を対象に、

 ユース年代以下のカテゴリーでのみ通用する、

 2級審判員を育成する、サッカー協会のプロジェクトだが、

 そもそも対象となる高校生の3級審判員が多くない。

 いずれ『ユース限定1級審判員』も視野にあったが、

 当初の目論見を若干変更して、

 十代の3級審判員の育成と技術向上を主眼に置いた。



 J2伊立ゾンネンプリンツの監督から、

 日本サッカー協会審判部に推薦文が届いた。

 バラキ県に活きの良い高校生審判員がいる。

 その事実は把握していた。

 熱い推薦文に審判部は動いた。

 伊立第一高等学校サッカー部の3級審判員、

 2年生の相賀晴貴に研修会参加の要請が来た。


 冬季休業期間中に摂津県かうべ市において、

 ユース限定2級審判員の育成を目標とする、

 3級審判員を対象にした研修会が開かれます。

 是非ともご参加ください。

 期間中に開催される第25回全日本高校女子選手権大会と、

 その大会に備えた練習試合で実技研修を行います。

 参加予定者は、関東・中部・九州から各1名、関西から3名、

 その他に、関西中心に4級審判員が若干名。

 なお、遠方からの参加者には、

 宿舎の手配をしますのでご連絡ください。



 晴貴は、高鈴剣次に電話して居候をお願いする。

 12月23日から、1月9日まで。

 冬季休業明けの1月10、11日には、

 一高恒例の第3回実力考査がある。

 学業を疎かにしないためにも、

 寝食付きの安定した環境が望ましい。

 もちろん高鈴剣次は快諾。

 それを知った娘のめぐみは大喜び。

 研修会に参加する若干名の4級審判員には、

 吉備師恩学園の女子マネージャー、

 大津優季と松平知も含まれていた。


 高鈴めぐみの自主練習は熱を帯びていた。

「ポーン、サッ!」

「ブ~ン、トン、トン」

「ポーン、サッ!」

「ブ~ン、トン、トン」


 曲に合わせたリフティングもだいぶ上達したが、

 まだしっくりする曲が見つからない。

 伊立遠征ではBKBのヒット曲を使って、

 晴貴が実演して見せてくれたが、

 めぐみにはテンポが速すぎた。

 晴貴と最初に出会ったあの時の、

 ミディアムテンポの曲が気になる。


 もうすぐ晴貴兄ちゃんがお家に来る。

 こんなクリスマスは初めてだ。

 こんな年末は初めてだ。

 こんなお正月は初めてだ。

 こんな冬休みは初めてだ。

 こんなにドキドキするのは、初めてだ。

 早く12月23日にならないかな。

 早く晴貴兄ちゃんこないかな。

「上手くなったな」って、褒めてもらうんだ!



 12月16日。

 伊立市民会館で、

 スーパーサイエンススクールの中間報告会が開かれた。

 注目はバラキ高文連自然科学部研究発表会で、

 審査員特別賞を獲得し、

 29年度の総文祭への出品が決まった気象部。


 新部長の遥香が登壇すると、下級生から黄色い歓声。

 武道の達人で、

 Vプレミアリーグ伊立シェーンハイトの練習生。

 気象予報士を目指す理系の才女。

 離別する彼氏(?)の高速バスを、

 自転車で追いかけた悲劇のヒロイン(笑)。

 文武両道を地で行く姿が、

 虚実含めて過大評価されている。


 遥香は先輩女子が作った原稿を頼りに、

『伊立地方の逆転層 ~伊立森林火災と原発事故~』を解説。

 新たに放射能事故のパートが加えられている。

 遥香に心酔する一年生5人が頑張っている。

 2月の成果発表会までには、

 臨界事故のパートも加わる予定。

 何て優秀な後輩たちなのかしら。

 同級生の森山博美と共に、

 気象予報士試験対策にも余念がない。

 でも試験って修学旅行から帰ってすぐよね。

 これは言い訳に使えるかも。



 伊立駅の動く歩道上。

「ハル姉ェ、凄ェじゃん。

 杜の都総文祭って、文化部の甲子園」

 晴貴はただただ驚嘆するのみ。

「アンタこそ、一体何がしたいのよ?

 わざわざ、かうべ市までレフェリー遠征なんて」

 遥香は驚きを超えて呆れている。

「そっちだって、理系がそんなに得意だなんて知らなかった」

「うっさいわね、晴貴だって分かるでしょう、

 どうにもならない流れがあるのよ、世の中には……。

 よもぎちょうだい」

 晴貴の買った「福ろうドーナツ」のアラカルトから、

 お気に入りをつまみ食い。

「それはダメだ、じゃあシナモン返せ!」

「アンタはアップルだけ食べていなさい!」

「ハル姉ェこそ、レーズン好きなくせに!」

 遥香の指ごと、食べかけのシナモンドーナツにかぶりつく。

「うわっ! 汚なっ!」

 反対の手の、残ったよもぎドーナツまで晴貴の口にねじ込み、

 舐められた指を晴貴のブレザーに擦りつける。


「ねぇ、冬海ぃ……あたし達って、お邪魔虫なのかな?」

「そんなことないと思うよ、亜弥ぁ……」

 画材を買いに氷戸へ行く多賀冬海と、

 それに同行する小木津亜弥。

 ついでにいつもの映画鑑賞。

 バレーボールの練習のために、

 いたちかな市に行く二人と道連れになった。

 亜弥と晴貴はつき合っている……、

 ことになっている、はずなのだが。


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