high-five16
11月3日、木曜日、文化の日。
バラキ高文連自然科学部研究発表会。
気象部は副部長の遥香を軸に、一年生5名が加入、
幽霊部長を除いた、8名で活動。
頻繁にサイエンス倶楽部の助言指導を受けた。
物理部や地学部の力も借りながらまとめた研究は、
『伊立地方の逆転層と伊立森林火災』
放射能事故への含みを残し、
審査員特別賞を獲得してしまった。
最優秀賞を受賞した物理部とともに、
高文連特別推薦で29年度の総文祭への出品が決まった。
感激する部員を目の当たりにして、
さすがに「辞退したい」とは言えない。
遥香は苦虫を噛み潰したような顔をしていると、
真の功労者、生徒会書記の先輩女子が肩を叩く。
「最優秀じゃなくて残念だったけれど、
来年の夏までに、もっとブラッシュアップできるわよ。
私は卒業してしまうけれど、
必ず杜の都総文祭は見に行くわ」
「遥香、良かったね!
次は気象予報士試験だよ。
前回みたいに受付期間逃さないように、
一緒に手続きしようよ。
今度は一年生も受験するから、私達がリードしなきゃね!」
同級生の森山博美は心から嬉しそう。
平成28年度第2回(通算第47回)試験は、
1月29日(日)実施、もうすぐ受付が始まる。
今回は逃げられない、何て充実した高校生活なのかしら。
後輩一年生の5人は涙目でハイッタッチを求めて来た。
11月12日、土曜日。
晴貴は北バラキ市サッカー・ラグビー場を後にする。
JR原磯駅まで歩く途中のラーメン店で遅い昼食を済ませた。
駅で電車の時刻表を確認して、東口から海を目指した。
道に迷いうろうろしていると、
市立図書館の前で小木津亜弥とばったり出会った。
「ここで何しているの?」
「ああ、七浦六辺堂ってこっちでいいのか?」
「ハァ? バカじゃないの。
七浦まで歩いて行くつもりなの。
降りるなら隣の潟平駅よ」
「そうか失敗したな。
ところでお前はこんなところで何をしている?」
「私の地元がこんなところで悪かったわね。
図書館から出てきたのだから分かりそうなものじゃない」
「おまえが勉強なんて、らしくないね」
「失礼ね……。ついてきなさい」
亜弥は原磯駅に向かう。
「案内してくれるのか」
「あまり近寄らないでよね、
誰かに見られたら誤解されるから……」
電車の中ではいつもの快活な亜弥ではなかった。
ポツリポツリと断片的に話をした。
「俺はサッカー審判の割当でここに来た。
津波から再建された七浦六辺堂を一度見てみたかった。
県北芸術祭の会場にもなっていただろう」
「私は朗読ボランティアで時々図書館に行く。
六辺堂は崖下の何もない小さなお堂よ、入館料も必要」
七浦に向かうタクシーにも亜弥は同乗した。
崖下の六辺堂に着いても亜弥はずっと海を見ていた。
「あの日、何をしていたの?」
亜弥が晴貴に尋ねる、どの日かは言うまでもない。
「もちろん、小学校にいたよ、授業中だったから」
「遥香も?」
「ああ、クラスは違ったけれど」
「他の家族とは?」
「それが、たまたまその日は伊立北部シュトゥルムの試合があって、
アパートの大人たちはみんな応援に出かけて留守だった。
俺とハル姉ェが最年長だったから、
弟や近所の子供たちをまとめて帰った。
妹は幼稚園児だったから、
大人たちと一緒に応援に行っていた」
「じゃあ大人は誰もいなかったの?」
「留守番のお婆さんが一人だけ。
担任の先生が付き添ってきてくれたけど、
アパートまででお役御免」
「酷いじゃない」
「そう言うなよ、非常事態だったじゃないか……。
どの家も部屋はぐちゃぐちゃだったから、
みんなで独身寮の食堂に集まって、
寮の隣の体育館は天井が落ちて危険だった。
低学年の子供たちは泣きっぱなしだったから、
お婆さん一人だけでも心強かった。
暗くなる前に寮の賄いのご夫婦が来てくれて、
明るいうちに各家庭から必要なものを持ち出して、
プロパンガスが使えたから、
ご近所に炊き出しをして、
子供たちも何かしら役割を担わせて……、
遥香がドンと構えた総大将だった。
一斗缶で焚火をしながら親たちの帰りを待った。
遥香を中心にひと塊になって休んだ。
あの日はどこも大渋滞で、
戻ってきたのは日付が変わった頃だったかな……」
亜弥は水平線をじっと見たまま。
「私も似たようなものよ。
お母さんが小学校に迎えに来てくれて、
その時は泣いちゃったけど……。
覚えているのは次の日にね、
郵便屋さんが避難所を巡って小包を届けてくれたこと。
受け取った肥後県のデコポンを避難所のみんなで分けて、
美味しかった。
後で聞いたの、どうしてあんな時に荷物が届いたのかって。
そしたらね、地震発生直前に郵便局に到着していた、
ゆうパックだったんだって。
……JRも一カ月くらいで復旧したし、
いざとなると日本人って凄いよね」
「潟平は津波にやられたところは、根こそぎだったんだよな」
一つの自治体が丸々壊滅的な被害を受けた、
東北と規模は比べ物にならないが、
津波の傷跡は、
ニュース映像で良く見る光景と何ら変わりなかった。
亜弥は晴貴の問い掛けには応えなかった。
「私ね、声優になりたいんだ……」
唐突に話題を変えた。
「声優? アイドルじゃなくて」
「フンッ!
アイドルなんて簡単になれるじゃない。
女の子は生まれながらにアイドルの卵なの。
私はアイドルって宣言したら、
その子はもうアイドルなのよ。
言った者勝ち。
声優っていうのはね、
声のお仕事をしていないと名乗れないの。
アナウンサーやナレーターとも違って、
まずアニメのお仕事をしなければ話にならない。
生存競争も過酷よ!」
「それで朗読ボランティア?」
「良いじゃない、卒業したら専門学校に行くわ、
両親はまだ納得していないけど」
「じゃあ、多賀冬海と仲良くしているのも、
将来あいつが……」
「うるさい……」
言葉に勢いがなかった。
晴貴は口を閉ざした。
「おじいちゃんはね、漁師なの……」
また話題が変わったようだ。
「私の事をそれはもう可愛がってくれて。
ずっと一緒に住んでいるから、
漁で朝早いくせに毎晩、
幼い私におとぎ話をきかせてくれたわ……」
潮風が心地よかった。
「……ある時、カチカチ山のお話だったかな。
ドロ船に乗る狸に『亜弥べぇダヌキ』って名付けて、
私が大喜びするものだから、
それ以来どんな話でも『亜弥べぇダヌキ』が大活躍。
桃太郎でも一寸法師でも、
シンデレラでも白雪姫でも、
私はすぐに飽きちゃって、
仕方なく笑っていたけれど……」
無意識に亜弥が晴貴の左前腕に手を掛けた。
「でも、おじいちゃんのおとぎ話は大好きだった。
器用に声色を変えながら、物語を膨らませながら、
眠るのが勿体ないって思うくらい。
幸せだったのね、きっと……」
しばらく沈黙が続いたが、
いきなりテンションを上げた。
「私がお嫁に行くのをね、
すっごく楽しみにしていて!
花嫁衣装はあれがいい、これがいいって、
もうバカみたい……」
晴貴の左前腕を握る両手に力がこもる。
「早く帰ってこないと、
私はお嫁に行っちゃうよ!
う、浦島太郎じゃないんだから、
早く竜宮城から帰ってきてよ!」
亜弥は晴貴にしがみついたまま、
ポロポロと涙をこぼした。
「……おじいちゃん、あれから、帰ってこないんだ……。
……早く帰ってきてくれないかな、おじいちゃん……」
晴貴は亜弥の話がすべてつながっていた事を理解した。
大泣きする亜弥をどう扱えばいいのか分からない。
左前腕を掴まれているので動きが取れない。
左肩に押し付けられた亜弥の頭を、
不器用に撫でるしか出来なかった。
泣き止むまでの間、
こうしているしかないなと腹をくくった。
帰りもタクシーに同乗させられた。
亜弥が母親と連絡を取っている。
正直に、泣いたことを報告している。
報告するようなことなのかな?
「どぶ汁を用意しておいて、
友達を連れて行くから」
友達って、俺の事?
運転手が声を掛ける。
「亜弥べぇちゃん。
鮟鱇は魚洗に回しているから、
手に入らないかも知れないよ」
「明日の魚洗アンコウまつり?」
「そう、年々予約が殺到していて、
あちこちに協力を求めているらしい」
「でも、全く無いなんてことは……」
「う~ん、今は直接、魚洗に水揚げしているからね……」
「嘘でしょう」
「お前『亜弥べぇちゃん』って呼ばれているのか」
「うっさいわね!」
亜弥の家でタクシーを降りた。
「お母さん、ただいまー、お腹空いた!
見て、見て、目真っ赤でしょう。
瞼も腫れちゃった。
そりゃあワンワン泣いたんだから、
ビービー泣いたんだから、
ポロポロ泣いたんだから。
もう、ス~ッキリ!」
亜弥の母が棒立ちの晴貴に気付く。
「あら、いらっしゃい」
余計なことを言われる前に亜弥がまくしたてる。
「ねぇねぇ、どぶ汁作ってよ。
鮟鱇あるでしょう?」
「ああ、それがね、
お父さんが捜しに行っているわ……」
「エ~ッ、やっぱりないの」
「切り身ならいくらでもスーパーで売っているけどね……」
「そんなの偽物。どぶ汁じゃない!」
小木津家の主人が帰宅した。
小柄だが色黒で漁師然とした風貌をしている。
「ただいま、鮟鱇はなかった、代わりに鯛を貰ってきた」
発泡スチロールの箱を妻に渡すと、
娘の頭をぽんぽん叩く。
「ちょっと止めてよ、お魚臭くなるでしょう」
そして晴貴をじろりと睨む。
「お前か、亜弥を泣かせたのは。
……で、漁師になる気はあるのか」
「バカ言わないでよ。
相賀君は、お話を聞いてくれただけなんだから……」
「それで連れてきたのか。
……鯛を喰わせて追い返せ」
「お父さんは、ビールでも飲んでなさい」
亜弥は父親を居間に押し込み、ビールの用意をする。
ついでに喉が渇いたのか、
コップ一杯の水を飲み干すとキャハハと笑い出した。
「お母さん見て、涙、噴水みたい」
目頭の涙腺から涙が噴き出している。
面白がってもう一杯水を飲み干す。
「お父さん見て、見て、水芸、水芸!」
「器用なものだな」
玄関に立ちっぱなしの晴貴にも見せつける。
「涙腺が崩壊しているぞ」
「涙腺だから決壊よ」
「涙だぞ!」
「うん」
「おい涙だぞ!」
「そうよ?」
「だって涙だぞ!」
「あなた何を言っているの?」
ガハハと父親が笑い出す。
小木津家の電話のベルが鳴った。
母親が出る。
相手は近くのホテルの支配人らしい。
恐縮しながら何度も頭を下げ電話を切った。
「どうした、誰からだ」
「七浦ホテルの支配人さん。
鮟鱇を届けて下さるって」
「そりゃ済まないな。
あとで礼を言わなければ」
「凄いでしょう。これだから田舎は便利よね」
亜弥が自慢げに胸を張る。
「それとね……」
「それと、なんだ」
「お赤飯炊くって言っているのだけれど、
さすがにそこまではねえ」
「やめてよ、何それ、信じられない」
「街中の噂になっているらしいわよ。
亜弥が彼氏を連れて六辺堂で大泣きしていたって」
亜弥が真っ赤になる。
「嘘でしょう。これだから田舎は嫌なのよ」
程なく鮟鱇が届いた。
先ほどのタクシーの運転手が、
自家用車に乗り換えていた。
既に七つ道具に解体済みだ。
「よし、俺がやる」
父親が土鍋でアン肝を煎りだした。
どぶ汁が完成し、晴貴もご相伴にあずかった。
「どうだ美味いだろう」
父親は鯛の刺身で日本酒をちびちび呑んでいる。
「美味いっす。
今まで食べた中で一番美味い」
「そうだろう。
これが観光用じゃない本物のどぶ汁だ」
「はい。アンコウ鍋は魚洗いで有名になりましたけど、
どぶ汁はやっぱり潟平ですね」
「お世辞はいい!」
父親は難しい顔をした。
「……正直、魚洗が羨ましいと思ったことはある。
平日の田舎の商店街に観光客が歩いているなんて、
今の日本じゃどこを探してもあり得ない光景だ……」
「それは魚洗の人たちが工夫して仕掛けているからよ。
明日のアンコウまつりなんか凄いんだから!」
亜弥が話に口を挟むが父親は構わず続ける。
「……でも海は一つだ。
漁場ではライバルだが、困った時はお互いさま。
魚洗でアンコウ鍋が沢山出るのなら、
協力するのは当たり前だ。
それに……」
杯をクッと呷った。
「あいつらも震災で大きな被害を受けた。
俺たちと一緒で、必死になってもがいている。
何も戦車や漫画だけでこうなったとは、
だれも思っちゃいない」
「でもアニメの力も大きかったんだよ」
亜弥が必死でアピールする。
「またその話か。
そんなことより、
こいつを婿にするなら、
明日から漁に連れて行くぞ。
いいか坊主!」
「何よ、もう酔っぱらっちゃったの」
亜弥がプリプリしながら父親を引き立たせる。
寝所に連れていくためだが、
意外にも素直に連れられてゆく。
「おい、トイレに寄ってくれ、
パンツをおろしてくれ」
「バカじゃないの、
嫁入り前の娘に何をさせるのよ」
「仲が良いんですね」
「ウフフ、お恥ずかしい。
でもお父さんが漁業に専念してから、
あんなに嬉しそうだったのは初めてよ」
「そうなんですか」
「みんな反対したのよ、
この大変な時期に勤めを辞めちゃって」
「何をしていたんですか?」
「郵便屋さん。
休みの日だけおじいちゃんの手伝いをしていたの。
……それよりどうやってあの娘から涙を引き出したのかしら?
亜弥が人前で泣くなんて本当にあれ以来なのよ」
「それが、ただ話を聞いていただけなのですが……」
「きっとあなたは女の子の扱いが上手なのよ。
モテるでしょう?」
「そんなことはありません。
というよりも母親世代に囲まれて、
ずっとイジられ続けてきましたから。
近所に妹分も数人、
対応方法は身についているかも」
「女の子から、元女の子の年増まで?」
「年増なんてとんでもない。
お若くてお綺麗ですよ」
「何話しているの。
私のお母さんを口説かないでよね」
亜弥が戻ってきた。手には蒸しタオル。
「……お母さん、私疲れちゃった」
そう言いながら両目に蒸しタオルを当てて横になった。
やがて静かに寝息を立て始める。
母親が有名ネコキャラのブランケットを掛ける。
「そろそろ帰ります」
「伊立のお家まで送って行くわよ」
「大丈夫です」
「それならせめて駅まで、
いまなら丁度いい時間だわ。
それにちょっと気になる事がね……」
結局、潟平駅まで車で送ってもらうことになった。