high-five13
日本サッカー協会認定の4級審判員になった晴貴は、
精力的に審判活動を行っていた。
土曜日は、主に中高生の練習試合の主審。
日曜日はサッカー協会審判部から割り当てを受け、
県リーグや市民リーグの副審。
副審を一日に2~3試合行う事もあった。
6月下旬の市内中学総体では、
正式な派遣依頼が学校長あてに届き、
公休扱いで参加した。
大会の運営は顧問の教師が主体だが、
全員が上手な審判員という訳ではない。
サッカー協会審判部から審判員が派遣されるが、
平日の大会なので、参加者は限られる。
いつも大会を手伝っているのは、
高校教員、市役所職員、郵便局員、
そしてスポーツ店主などの自営業者、
予め休みを合わせて参加してくれるボランティアだった。
晴貴は初日、一試合おきに副審を3試合、
全て派遣の2級審判員主審と組まされた。
2日目は第一試合の主審を任せられた、
その結果を見た上で、準決勝のひとつに抜擢、
決勝戦では伊立一高サッカー部の先輩でもある、
現役の1級審判員と組んで副審。
上級の審判員と組むのは勉強になった。
ウオーミングアップの方法も、
一緒に身体を動かしながら覚えた。
打ち合わせも入念に行う。
こういった大会では、自チームが試合中の監督が、
次の試合の審判員という事も多い。
派遣審判員からは色々な事を教えられた。
時計や笛を2セット持つ事の意味。
主審にアクシデントが生じた時に、
誰が代わって主審を務めるかも予め指名される。
決勝戦のハーフタイム、Jリーグでも笛を吹く主審から、
「もっと目を合わせましょう」
と、要請された。
後半、意識していると、
主審は頻繁にこちらを見ている。
「そういうことか」
審判員チームのアイコンタクト。
晴貴は即座に理解した。
主審は副審だけではなく、
両チームのベンチや、大会本部席にも目を配っている。
シークレットサインも教わった。
決まったサインがある訳ではなく、
試合前の打ち合わせで決められる。
キックオフ前に副審が確認する事項を、
必ず伝えた上でなければ試合は開始されない。
アクシデントを認めた時のサイン。
主審が背を向けている時の交替要請の有無。
PKかどうか微妙な位置で起きた反則の伝達方法。
得点を認めた時の動き方。
得点を認められない時の動き方。
判定に自信がない時の旗の上げ方。
経過時間の注意喚起。
アディショナルタイムの伝達方法。
試合中にこんな事が行われていたのかと、
晴貴は目の覚める思いだ。
晴貴の審判員としての評価は高かった。
ジュニアユースレベルでは充分な働きだった。
6月末の県北中学総体にも呼ばれた。
ここでは全て主審を任された。
場合によっては上級審判員が副審を務める。
その際は試合前に、必ずひとつ課題を与えられた。
打ち合わせは主審の主導で行う。
大会規定や試合時間。
交替人数や飲水タイムの有無。
同点で試合が終わった時に、
延長かPK戦か引き分けか。
PK戦がある時は役割分担。
試合球や対戦チームのユニフォーム確認、
キックオフチームの選定、選定方法。
累積警告者の有無。
主審から特に依頼したい事があれば要請しておく。
対戦チームの特徴を情報交換する事もある。
公式戦の審判員を務めると、
試合終了後に『審判報告書』の提出が義務づけられている。
試合中にイエロー・レッドカードを出した時は、
警告・退場についての詳細な報告もしなければならない。
先輩審判員たちが必ず感想を述べてくれた。
概ね2試合おきに割り当てされたが、
ジュニアユースの試合では、
体力的な問題は感じない。
ルールブックをきちんと読んだのは、
この機会が初めてだった。
最初は借り物のレフリーシャツだったが、
自前で黒のシャツ、パンツ、ストッキングを買い揃えた。
公式戦を担当すると僅かながら審判手当が支給される、
費用弁償という扱いだ。
審判用具としては、
レフリーシャツ、パンツ、ストッキング、
審判員のエンブレム、シューズ、スパイク、
ホイッスル×2、時計×2、鉛筆×2、ハンカチ、
記録用紙、警告・退場カード、カードケース、トス用コイン、
フラッグ、ボールプレッシャーゲージ、空気ポンプ。
はんこ、審判手帳も欠かせない。
最初は決して乗り気ではなかった晴貴だが、
徐々に審判活動の面白さに目覚めた。
同じピッチに立つ以上、
審判団とは第3のチームだ。
勝ち負けはないが、上手く出来て当たり前。
毎回シビアな結果が待ち受ける。
晴貴が目標に掲げたのは、
「少なくともユース世代には走り負けない」事。
相手が大学生だろうが社会人だろうが、
舐められないようにスピードも磨いた。
バラキ県内のサッカー界では、
すぐに晴貴の存在は知られるようになった。
伊立市内の高等学校対抗で、
冬に駅伝大会が開かれる事になった。
一高の関校長が主導して、
男女の第一回大会が開かれる。
陸上部から各運動部へ、
駅伝選手派遣の依頼があった。
サッカー部主将・代鱈は即決した。
「相賀、手伝ってこい」
陸上部主将はここぞとばかりに大張り切り。
参加選手別に毎日のトレーニングメニューを作成し、
週一回の合同練習日には懇切丁寧にフォーム指導。
ちゃっかり女子チームには遥香も参加。
だってシェーンハイトの練習をサボれるじゃない。
7月17日、日曜日。
川原子北海岸の花火大会。
川原子サンドアートのイベントに連動している。
20時30分から始まる花火を、
林檎のマンションで一緒に見た。
遥香と晴貴に加え、媛貴もお呼ばれ。
会場は南南西に5キロ先、
近くの事業所ビルに下半分は隠れるが、十分堪能できた。
7月31日、日曜日。
伊立港まつり花火大会。
19時30分開始。
12キロ先のバラキ港伊立港区は、
方向的には川原子海岸とほぼ一緒。
林檎のマンションから見えるのは上空の分だけ。
林檎の古い浴衣を着せてもらった媛貴がはしゃいでいる。
8月 6日、土曜日。
いたち川原子海上花火大会。
19時30分開始。
川原子港で古くから行われている伝統の花火大会。
この日、三級審判員の認定講習会を受けた晴貴は、
見事合格していた。
照れながら三級審判員のワッペンを披露する。
葡萄と林檎からレフリーシャツをプレゼントされた。
今日も媛貴は絶好調で所狭しと、はしゃいでいる。
花火が佳境に差し掛かった頃、
林檎が呟く。
「あの先に、海東第二原発があるんだよね」
「怖いか?」
葡萄の問いに林檎は頭を振った。
「怖がるのはもうたくさん」
「ああ、ちゃんと現実を受け止めなければな……」
避けるべき話題ではないかと思ったが、
林檎から言い出したので晴貴は乗った。
「あそこはギリギリで津波対策が間に合ったらしいよ」
「下手したら首都壊滅もあり得たのか……」
苦い顔の葡萄。
「つくばね研究学園都市がなぜできたか知っている?」
「分からない」
唐突な遥香の問いに、首をかしげる林檎。
「海東村とつくばね市を、直線で結んだその先に何があるか、
あとで地図を調べてみて」
「それは都市伝説だよ」
苦笑しながら晴貴が曖昧な噂話を訂正。
「原発の少し先にあるのが火力発電所……」
遥香は構わず話を続ける。
「初めは原発と一緒だと思っていたけれど、
会社は全然違うんだよね、
だけど、あの方向の花火を見るたびに思い出す……」
林檎と葡萄は何事かと耳を傾ける。
「震災の時に、4人の作業員が亡くなっているのよ……」
「ああ、安芸県から来ていた人たちだよな……」
晴貴が引き受けた。
「煙突で高所作業中の9人が揺れに襲われて、
……怖かっただろうな」
「そんな事があったの……」
林檎は目を伏せる。
「安芸県のご遺族の事を思うとやり切れないよね、
家族が遠い関東に出張している時に、
現地で大きな地震が起きたらしいって……。
どんな思いで悲報を聞いたのか、
どんな思いで亡骸を迎えたのか……」
「辛いよな、亡くなった人も、
助かった人も、残された家族も……」
「だから、私たちは忘れちゃいけないんだ。
震災で犠牲になった人たちのことを」
「私も、忘れないよ」
林檎は目を閉じ両手の指を組み合わせた。
「俺も忘れない」
晴貴に続き葡萄が締める。
「俺たちは忘れない。
そして今、こうして生きている事を大切にしよう」
遥香は自分に確認するように小声で呟いた。
「花火を見るたびに、思い出すんだ……」
4人は鎮魂の花火を見上げる。
晴貴は別の花火を思い出していた。
幼かった頃、怖くて線香花火をすぐに落としてしまった、
そんな晴貴に母親が、笑いながら手を添えてくれた。
亡くなった母・貴美のひんやりとした、
でも温かい手の感触を思い出した。
そうだ、媛貴たちと一緒に花火をしよう。
声が聞こえないと思ったら、
妹はリビングのソファーで眠ってしまっている。
8月 9日、火曜日。
明日から伊立製作所伊立事業所を始め、
市内の伊立グループは一斉に夏休みになる。
毎年必ず、J2ゾンネンプリンツの本拠地、
ゾンネンシュターディオン逢瀬を中心に「逢瀬祭り」が開催される。
花火大会は20時15分から30分まで。
日本を代表する大企業の発祥の地、
15分間の花火は豪華を極める。
林檎のマンションからは、伊立事業所を挟んで西南西に1キロ強。
低い仕掛け花火は工場群に阻まれて見えないが、
3秒ほど遅れて届く音で迫力満点。
次の花火は14日の「あうせ夏まつり花火大会」で、最も近い、
小木津亜弥、多賀冬海、五人娘も呼ぶ予定だ。
林檎と葡萄は、
遥香と、媛貴を背負った晴貴をエントランスまで見送った。
「ここで良いよ」と言われ、
手を振ってお別れをした。
葡萄が上階のエレベーターを鍵カードとボタンで呼ぶ。
林檎は何気なく自室の郵便受けを開けた。
二つ折りにされたコピー紙が一枚。
開いて見るなり、林檎は崩れ落ちた。
寝苦しい夜だった。
林檎はちゃんと眠っただろうか。
真夜中に目が覚めた葡萄は、
水を飲むためにキッチンに向かったが、
リビング西側のカーテンが揺れているのに気付いた。
数時間前に遥香や晴貴・媛貴とともに花火を堪能した場所に、
白い人影が見えた気がした。
「!」
パジャマ姿で裸足の林檎が、
ベランダの手すりの上に立っている。
喉が干上がった。
「何を、している……」
ねっとりとした空気がまとわりついた。
動くに動けない。
声をあげて両親を呼ぼうか、
ふすま一枚、いや、間に合うまい。
うつろな目の林檎がこちらを向いた。
「お兄様……たすけて……」
手すりの上にしゃがみこんだ。
微妙なバランスで落ちずにいる。
ここは7階。
「林檎!」
叫ぶのと同時に、林檎の身体が揺れる。
家具を蹴散らして、
葡萄がベランダに飛びだす、
林檎の身体は手すりの向こうへ、
両親がただならぬ叫び声に飛び起き、
ふすまを開ける、
ベランダには葡萄の下半身、
じりじりとずり落ちる、
母・蜜柑の悲鳴、
父・寿應がかろうじて葡萄の足を捉える、
二人で必死になって引き上げた、
葡萄は林檎を離さなかった。
気を失って元看護師の母親に介抱される娘。
伊師一家は決断した。
このままでは林檎が壊れてしまう。
我が家の天使を守ろう、
どんなことをしてでも。
伊師寿應の動きは迅速だった。
長男の学業だけが心配だったが、
葡萄の決心も固い、
「家族が揃っていてこそ。
勉強はどこでもできる。
自分が林檎の手本になる」
その日のうちに、関校長に緊急に面会を求めた。
関校長は全面協力を約束した。
蜜柑の母、林檎の祖母にあたる伊師木苺。
その生まれ故郷、油縄子島に行く事にした。
祖母の実家と養子縁組をして姓も変える。
小学校の分校しかないような島だが、
最愛の娘のために一家で逃げる。
この際、家族のために伊師寿應は躊躇しなかった。
夜明け前に、遥香は自転車でアパートを出た。
晴貴はジョギング、いつもコースは決めていない。
アパートから賀多駅方面に向かい左折、
常磐線の下をくぐり、国道245号へ出る。
伊立電鉄線桜河駅のT字路で、晴貴は右折する。
「そっちじゃないぞ、晴貴!」
「……」
「どうした晴貴、お別れを言わないのか!」
「……」
晴貴は構わずスピードアップする。
「バカ晴貴!」
このままでは自分も間に合わなくなる。
遥香は諦めて左折し、伊立駅へ向かった。
一高バレーボール部は、男女とも夏合宿の最中だった。
早朝の黒檀会館を伊師葡萄と林檎が後にする。
昨夜、チームメートには夏休み中の退部を打ち明けたが、
詳細は最後まで語らなかった。
チームメートを騙すようで心苦しかったが、
やるからには徹底する。
夜逃げと思われても構わなかった。
伊立駅前ターミナルの5番乗り場に、
伊立電鉄バスの高速バスが到着する。
独り遥香が見送りに来ていた。
「元気でね」
「ありがとう」
短い会話だった。
伊師兄妹はバスに乗り込み、最後列に着く。
出発時間になり、左窓側席の林檎が手を振る。
高速バスはゆっくりとロータリーを周回する。
伊立駅入口から、
五人娘の長島依子と沼尾柚亜が飛び出して来た、
涙ながらに林檎に向かって手を振る。
それだけではなかった、
伊師兄妹の離別情報が未明にメールで出回っていた。
時間に間に合った近所に住む生徒達がロータリーを駆けた。
起床時間前のバレーボール部員は、
平和町交差点の角に整列している。
二人の不在に気付き慌てて見送りに駆けつけた。
今朝の出発は校長他の、数人しか知らないはずだった。
葡萄が車中で尋ねる。
「アイツと、会わなくていいのか?」
「いい」
目を伏せた林檎の答えは簡潔だった。
「会ったら、私、行けなくなっちゃうと思う……」
葡萄が優しい目で妹を見つめる。
「……それに、晴貴くんは私の為に一度、
すべてを捨てようとしてくれた。
晴貴くんは絶対、世界でも通用するアスリートになる。
だから私は、それを邪魔することはできないの……」
葡萄は心の中で否定した。
「違うぞ林檎。
晴貴は捨てようとしたのではない。
未熟で不器用ながらあの時、
アイツはお前と生きる道を『選んだ』のだ。
……今の俺たち家族のように。
いつかお前にもきっと、
その意味を理解する日が来るはずだ。
晴貴の本当の優しさも」
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イタチエキ 5:00
ナンジョウ 5:05
サワナリ 5:08
ハラオモテ 5:11
ガタエキ 5:15
ヤマハナ 5:19
ハタカネ 5:26
ナイシザカ 5:31
ナカタウチ 5:35
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