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HIGH FIVE  作者: 栄津鞆音
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 日本サッカー協会認定の4級審判員になった晴貴は、

 精力的に審判活動を行っていた。

 土曜日は、主に中高生の練習試合の主審。

 日曜日はサッカー協会審判部から割り当てを受け、

 県リーグや市民リーグの副審。

 副審を一日に2~3試合行う事もあった。

 6月下旬の市内中学総体では、

 正式な派遣依頼が学校長あてに届き、

 公休扱いで参加した。


 大会の運営は顧問の教師が主体だが、

 全員が上手な審判員という訳ではない。

 サッカー協会審判部から審判員が派遣されるが、

 平日の大会なので、参加者は限られる。

 いつも大会を手伝っているのは、

 高校教員、市役所職員、郵便局員、

 そしてスポーツ店主などの自営業者、

 予め休みを合わせて参加してくれるボランティアだった。


 晴貴は初日、一試合おきに副審を3試合、

 全て派遣の2級審判員主審と組まされた。

 2日目は第一試合の主審を任せられた、

 その結果を見た上で、準決勝のひとつに抜擢、

 決勝戦では伊立一高サッカー部の先輩でもある、

 現役の1級審判員と組んで副審。


 上級の審判員と組むのは勉強になった。

 ウオーミングアップの方法も、

 一緒に身体を動かしながら覚えた。

 打ち合わせも入念に行う。

 こういった大会では、自チームが試合中の監督が、

 次の試合の審判員という事も多い。

 派遣審判員からは色々な事を教えられた。

 時計や笛を2セット持つ事の意味。

 主審にアクシデントが生じた時に、

 誰が代わって主審を務めるかも予め指名される。


 決勝戦のハーフタイム、Jリーグでも笛を吹く主審から、

「もっと目を合わせましょう」

 と、要請された。

 後半、意識していると、

 主審は頻繁にこちらを見ている。

「そういうことか」

 審判員チームのアイコンタクト。

 晴貴は即座に理解した。

 主審は副審だけではなく、

 両チームのベンチや、大会本部席にも目を配っている。


 シークレットサインも教わった。

 決まったサインがある訳ではなく、

 試合前の打ち合わせで決められる。

 キックオフ前に副審が確認する事項を、

 必ず伝えた上でなければ試合は開始されない。

 アクシデントを認めた時のサイン。

 主審が背を向けている時の交替要請の有無。

 PKかどうか微妙な位置で起きた反則の伝達方法。

 得点を認めた時の動き方。

 得点を認められない時の動き方。

 判定に自信がない時の旗の上げ方。

 経過時間の注意喚起。

 アディショナルタイムの伝達方法。

 試合中にこんな事が行われていたのかと、

 晴貴は目の覚める思いだ。


 晴貴の審判員としての評価は高かった。

 ジュニアユースレベルでは充分な働きだった。

 6月末の県北中学総体にも呼ばれた。

 ここでは全て主審を任された。

 場合によっては上級審判員が副審を務める。

 その際は試合前に、必ずひとつ課題を与えられた。


 打ち合わせは主審の主導で行う。

 大会規定や試合時間。

 交替人数や飲水タイムの有無。

 同点で試合が終わった時に、

 延長かPK戦か引き分けか。

 PK戦がある時は役割分担。

 試合球や対戦チームのユニフォーム確認、

 キックオフチームの選定、選定方法。

 累積警告者の有無。

 主審から特に依頼したい事があれば要請しておく。

 対戦チームの特徴を情報交換する事もある。


 公式戦の審判員を務めると、

 試合終了後に『審判報告書』の提出が義務づけられている。

 試合中にイエロー・レッドカードを出した時は、

 警告・退場についての詳細な報告もしなければならない。

 先輩審判員たちが必ず感想を述べてくれた。

 概ね2試合おきに割り当てされたが、

 ジュニアユースの試合では、

 体力的な問題は感じない。

 ルールブックをきちんと読んだのは、

 この機会が初めてだった。


 最初は借り物のレフリーシャツだったが、

 自前で黒のシャツ、パンツ、ストッキングを買い揃えた。

 公式戦を担当すると僅かながら審判手当が支給される、

 費用弁償という扱いだ。

 審判用具としては、

 レフリーシャツ、パンツ、ストッキング、

 審判員のエンブレム、シューズ、スパイク、

 ホイッスル×2、時計×2、鉛筆×2、ハンカチ、

 記録用紙、警告・退場カード、カードケース、トス用コイン、

 フラッグ、ボールプレッシャーゲージ、空気ポンプ。

 はんこ、審判手帳も欠かせない。


 最初は決して乗り気ではなかった晴貴だが、

 徐々に審判活動の面白さに目覚めた。

 同じピッチに立つ以上、

 審判団とは第3のチームだ。

 勝ち負けはないが、上手く出来て当たり前。

 毎回シビアな結果が待ち受ける。

 晴貴が目標に掲げたのは、

「少なくともユース世代には走り負けない」事。

 相手が大学生だろうが社会人だろうが、

 舐められないようにスピードも磨いた。

 バラキ県内のサッカー界では、

 すぐに晴貴の存在は知られるようになった。



 伊立市内の高等学校対抗で、

 冬に駅伝大会が開かれる事になった。

 一高の関校長が主導して、

 男女の第一回大会が開かれる。

 陸上部から各運動部へ、

 駅伝選手派遣の依頼があった。

 サッカー部主将・代鱈は即決した。

「相賀、手伝ってこい」

 陸上部主将はここぞとばかりに大張り切り。

 参加選手別に毎日のトレーニングメニューを作成し、

 週一回の合同練習日には懇切丁寧にフォーム指導。

 ちゃっかり女子チームには遥香も参加。

 だってシェーンハイトの練習をサボれるじゃない。



 7月17日、日曜日。

 川原子北海岸の花火大会。

 川原子サンドアートのイベントに連動している。

 20時30分から始まる花火を、

 林檎のマンションで一緒に見た。

 遥香と晴貴に加え、媛貴もお呼ばれ。

 会場は南南西に5キロ先、

 近くの事業所ビルに下半分は隠れるが、十分堪能できた。



 7月31日、日曜日。

 伊立港まつり花火大会。

 19時30分開始。

 12キロ先のバラキ港伊立港区は、

 方向的には川原子海岸とほぼ一緒。

 林檎のマンションから見えるのは上空の分だけ。

 林檎の古い浴衣を着せてもらった媛貴がはしゃいでいる。



 8月 6日、土曜日。

 いたち川原子海上花火大会。

 19時30分開始。

 川原子港で古くから行われている伝統の花火大会。

 この日、三級審判員の認定講習会を受けた晴貴は、

 見事合格していた。

 照れながら三級審判員のワッペンを披露する。

 葡萄と林檎からレフリーシャツをプレゼントされた。

 今日も媛貴は絶好調で所狭しと、はしゃいでいる。


 花火が佳境に差し掛かった頃、

 林檎が呟く。

「あの先に、海東第二原発があるんだよね」

「怖いか?」

 葡萄の問いに林檎は頭を振った。

「怖がるのはもうたくさん」

「ああ、ちゃんと現実を受け止めなければな……」

 避けるべき話題ではないかと思ったが、

 林檎から言い出したので晴貴は乗った。

「あそこはギリギリで津波対策が間に合ったらしいよ」

「下手したら首都壊滅もあり得たのか……」

 苦い顔の葡萄。

「つくばね研究学園都市がなぜできたか知っている?」

「分からない」

 唐突な遥香の問いに、首をかしげる林檎。


「海東村とつくばね市を、直線で結んだその先に何があるか、

 あとで地図を調べてみて」

「それは都市伝説だよ」

 苦笑しながら晴貴が曖昧な噂話を訂正。

「原発の少し先にあるのが火力発電所……」

 遥香は構わず話を続ける。

「初めは原発と一緒だと思っていたけれど、

 会社は全然違うんだよね、

 だけど、あの方向の花火を見るたびに思い出す……」


 林檎と葡萄は何事かと耳を傾ける。

「震災の時に、4人の作業員が亡くなっているのよ……」

「ああ、安芸県から来ていた人たちだよな……」

 晴貴が引き受けた。

「煙突で高所作業中の9人が揺れに襲われて、

 ……怖かっただろうな」

「そんな事があったの……」

 林檎は目を伏せる。

「安芸県のご遺族の事を思うとやり切れないよね、

 家族が遠い関東に出張している時に、

 現地で大きな地震が起きたらしいって……。

 どんな思いで悲報を聞いたのか、

 どんな思いで亡骸を迎えたのか……」

「辛いよな、亡くなった人も、

 助かった人も、残された家族も……」

「だから、私たちは忘れちゃいけないんだ。

 震災で犠牲になった人たちのことを」

「私も、忘れないよ」

 林檎は目を閉じ両手の指を組み合わせた。

「俺も忘れない」

 晴貴に続き葡萄が締める。

「俺たちは忘れない。

 そして今、こうして生きている事を大切にしよう」


 遥香は自分に確認するように小声で呟いた。

「花火を見るたびに、思い出すんだ……」

 4人は鎮魂の花火を見上げる。

 晴貴は別の花火を思い出していた。

 幼かった頃、怖くて線香花火をすぐに落としてしまった、

 そんな晴貴に母親が、笑いながら手を添えてくれた。

 亡くなった母・貴美のひんやりとした、

 でも温かい手の感触を思い出した。

 そうだ、媛貴たちと一緒に花火をしよう。

 声が聞こえないと思ったら、

 妹はリビングのソファーで眠ってしまっている。



 8月 9日、火曜日。

 明日から伊立製作所伊立事業所を始め、

 市内の伊立グループは一斉に夏休みになる。

 毎年必ず、J2ゾンネンプリンツの本拠地、

 ゾンネンシュターディオン逢瀬を中心に「逢瀬祭り」が開催される。

 花火大会は20時15分から30分まで。

 日本を代表する大企業の発祥の地、

 15分間の花火は豪華を極める。

 林檎のマンションからは、伊立事業所を挟んで西南西に1キロ強。

 低い仕掛け花火は工場群に阻まれて見えないが、

 3秒ほど遅れて届く音で迫力満点。

 次の花火は14日の「あうせ夏まつり花火大会」で、最も近い、

 小木津亜弥、多賀冬海、五人娘も呼ぶ予定だ。



 林檎と葡萄は、

 遥香と、媛貴を背負った晴貴をエントランスまで見送った。

「ここで良いよ」と言われ、

 手を振ってお別れをした。

 葡萄が上階のエレベーターを鍵カードとボタンで呼ぶ。

 林檎は何気なく自室の郵便受けを開けた。

 二つ折りにされたコピー紙が一枚。

 開いて見るなり、林檎は崩れ落ちた。



 寝苦しい夜だった。

 林檎はちゃんと眠っただろうか。

 真夜中に目が覚めた葡萄は、

 水を飲むためにキッチンに向かったが、

 リビング西側のカーテンが揺れているのに気付いた。

 数時間前に遥香や晴貴・媛貴とともに花火を堪能した場所に、

 白い人影が見えた気がした。

「!」


 パジャマ姿で裸足の林檎が、

 ベランダの手すりの上に立っている。


 喉が干上がった。

「何を、している……」

 ねっとりとした空気がまとわりついた。

 動くに動けない。

 声をあげて両親を呼ぼうか、

 ふすま一枚、いや、間に合うまい。


 うつろな目の林檎がこちらを向いた。

「お兄様……たすけて……」

 手すりの上にしゃがみこんだ。

 微妙なバランスで落ちずにいる。

 ここは7階。


「林檎!」

 叫ぶのと同時に、林檎の身体が揺れる。

 家具を蹴散らして、

 葡萄がベランダに飛びだす、

 林檎の身体は手すりの向こうへ、


 両親がただならぬ叫び声に飛び起き、

 ふすまを開ける、

 ベランダには葡萄の下半身、

 じりじりとずり落ちる、

 母・蜜柑の悲鳴、

 父・寿應がかろうじて葡萄の足を捉える、

 二人で必死になって引き上げた、



 葡萄は林檎を離さなかった。



 気を失って元看護師の母親に介抱される娘。

 伊師一家は決断した。

 このままでは林檎が壊れてしまう。

 我が家の天使を守ろう、

 どんなことをしてでも。


 伊師寿應の動きは迅速だった。

 長男の学業だけが心配だったが、

 葡萄の決心も固い、

「家族が揃っていてこそ。

 勉強はどこでもできる。

 自分が林檎の手本になる」

 その日のうちに、関校長に緊急に面会を求めた。

 関校長は全面協力を約束した。


 蜜柑の母、林檎の祖母にあたる伊師木苺。

 その生まれ故郷、油縄子島に行く事にした。

 祖母の実家と養子縁組をして姓も変える。

 小学校の分校しかないような島だが、

 最愛の娘のために一家で逃げる。

 この際、家族のために伊師寿應は躊躇しなかった。



 夜明け前に、遥香は自転車でアパートを出た。

 晴貴はジョギング、いつもコースは決めていない。

 アパートから賀多駅方面に向かい左折、

 常磐線の下をくぐり、国道245号へ出る。

 伊立電鉄線桜河駅のT字路で、晴貴は右折する。

「そっちじゃないぞ、晴貴!」

「……」

「どうした晴貴、お別れを言わないのか!」

「……」

 晴貴は構わずスピードアップする。

「バカ晴貴!」

 このままでは自分も間に合わなくなる。

 遥香は諦めて左折し、伊立駅へ向かった。



 一高バレーボール部は、男女とも夏合宿の最中だった。

 早朝の黒檀会館を伊師葡萄と林檎が後にする。

 昨夜、チームメートには夏休み中の退部を打ち明けたが、

 詳細は最後まで語らなかった。

 チームメートを騙すようで心苦しかったが、

 やるからには徹底する。

 夜逃げと思われても構わなかった。



 伊立駅前ターミナルの5番乗り場に、

 伊立電鉄バスの高速バスが到着する。

 独り遥香が見送りに来ていた。

「元気でね」

「ありがとう」

 短い会話だった。

 伊師兄妹はバスに乗り込み、最後列に着く。


 出発時間になり、左窓側席の林檎が手を振る。

 高速バスはゆっくりとロータリーを周回する。

 伊立駅入口から、

 五人娘の長島依子と沼尾柚亜が飛び出して来た、

 涙ながらに林檎に向かって手を振る。

 それだけではなかった、

 伊師兄妹の離別情報が未明にメールで出回っていた。

 時間に間に合った近所に住む生徒達がロータリーを駆けた。

 起床時間前のバレーボール部員は、

 平和町交差点の角に整列している。

 二人の不在に気付き慌てて見送りに駆けつけた。

 今朝の出発は校長他の、数人しか知らないはずだった。



 葡萄が車中で尋ねる。

「アイツと、会わなくていいのか?」

「いい」

 目を伏せた林檎の答えは簡潔だった。

「会ったら、私、行けなくなっちゃうと思う……」

 葡萄が優しい目で妹を見つめる。

「……それに、晴貴くんは私の為に一度、

 すべてを捨てようとしてくれた。

 晴貴くんは絶対、世界でも通用するアスリートになる。

 だから私は、それを邪魔することはできないの……」

 葡萄は心の中で否定した。

「違うぞ林檎。

 晴貴は捨てようとしたのではない。

 未熟で不器用ながらあの時、

 アイツはお前と生きる道を『選んだ』のだ。

 ……今の俺たち家族のように。

 いつかお前にもきっと、

 その意味を理解する日が来るはずだ。

 晴貴の本当の優しさも」


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イタチエキ 5:00

ナンジョウ 5:05

サワナリ  5:08

ハラオモテ 5:11

ガタエキ  5:15

ヤマハナ  5:19

ハタカネ  5:26

ナイシザカ 5:31

ナカタウチ 5:35

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