high-five12
翌日の朝まだき。
林檎の母・蜜柑から、遥香の母・遥美に緊迫した電話があった。
「林檎が書き置きを残して、いなくなりました。
『晴貴君と一緒に旅に出ます。捜さないでください』って……」
そういえば、遥香の姿も見えない。
「落ち着いてください。
昨夜は間違いなくいたのですね。
実は遥香もいません。
朝から一緒に行動しているのでしょう……」
さてどうしたものかしら、
高校生の身で移動手段は限られている。
「JRも始発前ですし、
高速バスも停留所は限られています。
私達で手分けして探しますので、
伊師さんは動かないでください。
そちらに情報を集約させます。
騒ぎが大きくなる前に私達で何とかしましょう」
三人ともスマホの電源は切っているようだ。
102号室の様子を見ると確かに晴貴の姿もない。
出遅れたけれど、動ける母さん軍団を招集し、各ターミナルを抑えて、
上野駅と東京駅は西中郷や高萩の都心メンバーに任せる。
あら? これは……。
確か昨夜は、ちゃんとリビングにあったはず。
しばらくすると素知らぬ振りをして遥香が帰宅した。
「こんなに朝早くから、どこへ行ってきたの?」
「ジョギングを始めようと思って……」
「晴貴の姿が見えないのだけれど、あなた知らない?」
敢えて「一緒じゃなかったの」とは聞かない。
「へ~、全然知らない」
「林檎ちゃんが書き置きを残したそうよ」
「う~ん、何の事かな……」
相変わらず嘘が下手ね、
一瞬「余計な事を」って顔をした。
ここは友達の心配をする所じゃないの?
それに証拠は上がっているのよ。
「これは何かしら?」
ビニール袋に入った、粉々になった豚の貯金箱を示す。
「え~と、晴貴が中身を持って行ったのかな……」
「いいえ。晴貴はそんなことしません。
遥香、あなたが渡したのでしょう!」
遥香の視線が宙を彷徨っている。
「二人はどこに行ったの?」
「知らない」
「ウソおっしゃい」
遥香が何かを隠したのを見逃さなかった。
母親は娘の手を取った、ヒョイと締め上げる。
「痛い! 痛い! ママ離して!」
抗議を無視して娘から取り上げたのは、
『伊立市内主要路線バス時刻表』だった。
遥香が帰宅した時間から考えると、
高速バス「TOKYO夢の国線」の乗車時間に合わせて、
接触を図ったのは間違いなさそうだ。
「夢の国ね……」
遥香の抵抗が一瞬止まる、行き先確定。
「格闘技に興味があるようだけど、あなたもまだまだね。
お爺さまにちゃんと教えてもらったら?」
遥美の父、遥香の祖父は合気道の達人。
その薫陶を受けた遥美が本気を出せば、
遥香は手も足も出ない。
「真面目にバレーボールをやらないのなら、
あなたが道場を継ぎなさい」
「それだけはいや!」
「じゃあどうするの?」
「……シェーンハイトで必死に練習します」
「まあ、本当!
あなたがその気になるのを待っていたのよ!」
「……ううう」
「それはそうと……」
母親は娘の手を抑えたまま、
スマホでどこかに電話をかける。
「もしもし、素衣、そう、晴貴の件、夢の国よ、
そりゃ解るわよ、遥香を締め上げたら快く……、
そんなことしないわよ……」
「……ママのバカ……、痛~い!」
「……到着は8:30頃、任せるわ、
それからね、遥香がとうとうやる気になったわ……」
「ううう……」
伊師さんにも電話をしなければ、
今日は学校を休ませましょう。
夢の国のバスターミナル。
林檎と晴貴の逃避行は呆気なく終了。
幼稚な計画を西中郷と高萩から全力で怒られた、
突発的な衝動を、完膚なきまでに論破された上で、
「逃げたいのなら私達に相談すれば、
世界のどこにだって完璧に逃がしてやる」と諭された、
抗う術はなかった。
結局『学校をさぼって夢の国にデートに出かけた、
書き置きは説明不足による勘違い』ということで落ち着いた。
そうと決まれば、二人には夢の国で気分転換をさせる、
遥香へのお土産に大きな貯金箱を持たせて強制送還。
深夜、林檎と晴貴を自宅まで送り届けた。
西中郷素衣と高萩直の二人は、
短い仮眠を取ると日の出前に帰途につく。
国道245号を南下するとすぐに、
スーパー銭湯の入口があり、そこを左折した。
海岸段丘の急坂を降りて行くと、川原子海水浴場、
車を停め、白々明けの海風に身を任す。
「あの晴貴がねぇ~」
「女を連れて逃避行なんて……」
「小学校低学年の頃はいつもボーっと、
眠そうな顔していて、頼りなかった」
「その頃は足も遅くてね、
交通事故の影響かなって心配したわよ」
「駆けっこで弟の結貴にも負けた事あったわね」
「涙をいっぱいためて、
見ているこっちが切なかったね」
「バレーボールの練習でも自信無さげ」
「そんな晴貴がサッカーやりたいって」
「4年生の時だったよね」
「理由を知っている?」
「うん。11人で行うサッカーなら自分も出られるかもって」
「バレーボールでも最大9人までか」
「それから5年生の運動会」
「いつもビリ争いしていたのに」
「障害物競走で1等賞!」
「最後の『ドジョウすくい』で大逆転!」
「一番ビリでドジョウ桶にたどり着いたのに、
順番待ちしている皆を尻目に」
「不思議そうな顔して空いている前に回り込んで」
「サッとドジョウを掴んでバケツに移して、
トコトコトコと」
「2位の子が凄い勢いで追いかけてきたけれど、
逃げ切った」
「あの子、駆けっこの絶対的エースだったよね」
「会場もその日一番の大爆笑」
「誇らしそうだったよね」
水平線から太陽が顔を出した。
「それを見てあんた泣いていたじゃない」
「あなたこそ……私達みんなだね」
「遥香だけだよ『ほら見なさい』って、
晴貴を信じていたのは」
「その遥香が一番嬉しそうだった」
「きっかけって必要だよね……」
「信じて寄り添うことも大切だよ……」
潮風に吹かれて気分がよかった。
「林檎ちゃんみたいに悩んでいる子が、
まだ沢山いるのかな……」
「周囲の理解も含めて、
正しい知識って必要だよね……」
「私たちはどうだろう、
ずっと逃げ続けているのかも……」
「でも私にはアンタがいたから、
辛くはなかったよ……」
「遥香と晴貴の笑顔にも救われたね……」
二人は顔を見合わせ、軽くハイタッチ。
「やるか?」
「やろうよ、林檎たちのために!」
「遥香と晴貴のために、
私たち自身のために!」
決意を胸に、二人は車に乗り込む。
「あの曲、かけてよ!」
「試合開始よ!
ホイッスル鳴らせ~!」
現役時代、試合前に必ずチームで流していた曲を流す。
「よっしゃ~ とばすぞ!」
「ダメ! 安全運転!」
水樹海水浴場までの海岸沿いの道を、
波しぶきを浴びながら疾走する。
再び海岸段丘の急坂を登り、
伊立灯台の手前で国道245号に合流する。
「私たちがこの国の未来を照らすのだ!」
「大袈裟! でもその意気よ!」
二人の決意は固まった。
それは1999年9月30日。
遥香と晴貴の生まれたその日に起きた。
ポンコツこと骨本勝征は、
Bチームの控えディフェンダーだった。
中肉中背で走力も技術も並。
キック力とキックの正確性だけが取り柄。
しかし時折、ミニゲームで驚くようなキレを見せた。
一高の練習ではハンドボール用のゴールポストを設置して、
2対2や5対5を頻繁に行っている。
晴貴に言わせれば、
明確な目的意識がなければ長くやるメニューではない。
主将が作る日常の練習メニューに、
プロのクオリティを求めるのは酷といもの。
上っ面だけの真似事はできるが、
正しくないトレーニングを長時間行っても効果は少ない。
ペナルティーエリアを利用した2対2で、
晴貴がポンコツと対戦した時の事だ。
ゴール前でボールを保持する相手選手と、
中盤で展開を待つポンコツ。
晴貴はポンコツのマークに付く。
ポンコツは左半身で晴貴を抑えながら、
右手で右ひざを叩きボールを要求した。
相手選手はポンコツの右足めがけて強いパスを送る。
ポンコツはトラップの寸前に晴貴に体をぶつけて牽制。
パスは正確に届き、右足の内側で触れながら、
左足を軸に体をクルリと反転させた。
ボールは股下を通過し前方に流れ、
ポンコツは晴貴を置き去りにして抜け出る。
晴貴の味方選手も完全に虚を衝かれた、
こんなにも簡単に晴貴が突破されるとは思っていなかった。
ポンコツは無人のゴールにボールを流し込む。
2対2は勝ち抜けで対戦相手が次々に入れ替わる。
次の試合で勝ちぬけた晴貴はポンコツの元に歩み寄る。
黙って右手をかざすとポンコツはハイッタッチで応じた。
更に次の対戦での事。
ポンコツが自陣ゴール前でボールをキープ。
晴貴が間合いを詰める、
今度は簡単には突破されないぞ。
ポンコツは圧力を感じながら敢えて自らのゴール方向に向き直る。
セオリーとは全く逆、
自分から追い込まれた状況に陥った形だ。
しめしめ、晴貴がここぞと体を寄せる。
ポンコツは大きく右足でボールをまたぐ。
見え見えのフェイントだった。
晴貴はもちろん見ていた誰もが右への切り返しが予測できた。
予測通りにポンコツは右へ切り返したが、
そこまでがフェイントだった。
間髪を容れずに再反転し、
右足でボールを左に押し出す。
重心を右に移した晴貴は反応できない。
思わずアッと声を出してしまった。
ポンコツは鮮やかに左に抜け出し、
ゴールまでの道筋が開けた。
味方がパスを受けるために動き出す。
相手ディフェンダーも慌ててマークに動く。
ポンコツの正確なパスは、
それをあざ笑うかのように味方の足元に届く。
ディフェンダーが足を出せない絶妙な位置。
簡単にゴールが決まった。
正直、晴貴は舌を巻いた、
これは伸ばすべき個性だ、誰も見ていないのか。
確かにBチームの日常練習など、
監督もコーチもそれほど関心を寄せていない。
見ていたとしても果たしてその才能を理解できるかどうか。
骨本は「ミニゲームのポンコツ」「ポンコツ日本代表」などと呼ばれている。
ただの揶揄だとしか思われていなかった。
このままここにいては日の目を見ることはないだろう。
それでも骨本は毎日、毎日、淡々と練習メニューをこなしていた。
荒川沖岬は最初、美人女医としてTVで取り上げられた。
その美貌と毒舌、薄っぺらなセレブ感が時代にマッチした。
荒川沖はバラエティー番組に呼ばれると、
頭の回転の速さから重宝がられた。
すぐに売れっ子になったが、
医師としての仕事も大事にしたため、
タレントとしてではなく、
文化人としての扱いにこだわった。
制作側からみれば安くつく。
TV出演等のマネジメントを委託した事務所には、
西中郷と高萩が所属していた。
荒川沖はTVのイロハを二人から学んだ。
その過程で、荒川沖vs西中郷&高萩には、
「セレブ女医vs脳筋体育バカ」の図式が構築された。
荒川沖は嫌がったが、
二人は「これでいいのよ」と気にする事はなかった。
今では、西中郷&高萩はスポーツキャスターとして、
確かな地歩を固めた。
荒川沖は現役医師としての専門知識を活かした、
コメンテーターの仕事も得た。
しかし「セレブ女医vs脳筋体育バカ」の図式は消えることなく、
今でも仲が悪いと思われている。
その三人が久し振りに番組で顔を揃えた。
タレントが人間ドックを受診し、
スタジオでその結果を聞くという番組だった。
若い番組スタッフは「犬猿の仲」の二組にやたらと気を遣う。
前日も食事を共にして、打ち合わせは済ませている。
荒川沖は「本気なの?」と何度も何度も確認していた。
今回のカミングアウトはリスクが大き過ぎないか。
家族や恋人には……。
そこまで考えて気付いた。
そう言えば荒川沖が今の事務所に所属した2000年頃。
『結婚目前にして青年実業家と別れた』
と西中郷が報道されたのを覚えている。
その時の気持ちに思いを巡らすと胸が締め付けられる。
そして、悲劇は繰り返した。
『美島第一原発の事故は現在進行中だ』
という二人の言葉に覚悟を決めた。
それを受け止められるのは私しかいない。
番組ディレクターにも、
プロデューサーへも相談は済ませ、
MCも大筋は理解。
いつも通りに番組は進行し、
タレントの診断結果に専門医が解説を加えて行く。
深刻な症状はなく、
小さな異変を面白おかしく膨らませながら番組は終盤に。
大健康のお墨付きをもらった西中郷&高萩に、
荒川沖が皮肉を言う。
それが開始のサインだった。
いつものバトルには発展しなかった。
西中郷が突然泣き出し、高萩が寄り添う。
困惑するアシスタントの女子アナ。
事情を知らない出演者・スタッフにも緊張が走る。
MCが優しく水を向ける。
西中郷と高萩は途切れ途切れに告白した。
「私たちは1999年9月30日にバラキ県海東村にいました。
高萩の当時の愛車、赤いシトロエン2CVで意気揚々とドライブ中」
「青信号の交差点でしたが、
緊急車両が侵入してきたので道を譲りました」
「救急車は目の前の事業所に入って行きます。
何事かと興味を引かれて、
しばらく野次馬状態でその場に留まっていました。
そこがどんな施設なのか全く知りませんでした」
「フル装備の消防士のような格好をした人が、
大勢いたので火事かなと思いました。
次々と従業員のものと思われる自動車が出て行きます」
「そのうちの一台に乗った女性が私たちに気付き、
窓から叫びました。
『何しているの! 早く行きなさい!
……すぐに逃げて!』
車は急加速、
彼女にとってはそう言うのが精一杯だったのでしょう」
「今にして思えば彼女が私たちにとっての救世主でした。
そうです……。
私たちはNCOの臨界事故に出くわしていのです」
スタジオは静まり返った。
荒川沖がスタジオの沈黙を破る。
「お二人の診断結果をもう一度私に見せて頂けますか……」
スタッフが資料を荒川沖の元に届ける。
隣の席の内科医と顔を寄せてカルテを見つつ、
視線を二人に向けて質問する。
「それは時間にしてどれくらいでしたか」
「ほんの10分程度だったかと思います」
「今年は事故から17年目ですね、
健康状態が悪化したような事はありますか」
「いいえ、いたって健康です。
ただ何だか怖くて、
ちゃんとした健康診断を受けたのは今回が初めてです」
何も知らない隣の内科医も落ち着いてゆっくり尋ねる。
「今、何か気になる事はありますか、健康面でも、精神面でも」
「いいえ、特に気になる事はありません。
強いて言えばご飯が美味しくて、
体重がすぐに増えてしまうこと位です……」
脱線しそうな西中郷の足を高萩が踏みつける。
荒川沖が席を立ち、二人に歩み寄る。
「診断結果を見た限りでは、数値はすべて正常の範囲内です。
先程の結論通り……」
二人の席の横に着いた。
「でも、気になるのなら、
一度、もっと詳しい検査を受けることをお勧めします。
私の専門分野ですので、必ずやお力になれます」
優しい目で西中郷&高萩を見守る。
「長い間、誰にも言えずに自分たちだけで悩んでいたのね。
でももう大丈夫……」
二人を交互にハグした。
「正しい知識を身につけて、一つひとつ、
疑問を解決していきましょうね」
「よろしくお願いします」
そして打ち合わせ通りに終了のサインを出す。
「済みません、一旦カメラを止めて頂けますか。
既に私の患者たちのプライバシーが、
必要以上にさらされています。
私はそれを守らねばなりません」
番組の映像はそこまで流され、テロップに切り替わった。
『本日の放送は、
西中郷素衣さん、高萩直さんのご同意をいただき、
主治医の荒川沖岬医師の指導の元、
一部編集を加えて作成いたしました』
そして改めてMCとアシスタントの女子アナの姿が映し出された。
「私達スタッフ一同は今回、
この問題に大きな関心を持ちました」
「それは先の美島第一原発の事故にも、
共通する問題を含んでいると考えたからです」
「目に見えない放射線・放射能の影響は、
悪戯に不安を掻き立ててしまいがちです」
「正しい知識、正確な情報が何より必要です。
しかし、現状はどうでしょうか」
「私達は無知を責めることはできません」
「しかし無知による偏見やイジメなどを、
見過ごすこともできません」
「そこで私達スタッフは、
放射能事故に関する特別番組を制作する事にしました」
「近々に皆様にお届けすることをお約束致します」
番組は大きな反響を呼んだ。
西中郷と高萩の元には、
放送直後に遥香からメールが届いた。
「素衣お姉ちゃん、直お姉ちゃん。
私たちのためにごめんなさい。
そして、林檎のためにありがとう」
秋の特番も高視聴率を叩きだした。
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ウツクシマノブドウトリンゴ、
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イシナゲテヤレ
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