high-five11
自分の生い立ちを打ち明ける事で、
林檎は悲しい呪縛から解放された。
辛い経験をしっかり受け止めてくれる友達がいる。
晴貴がバレーボールに集中しているのも嬉しかった。
晴貴は放課後、いたちかな市に通ってしまうので、
それまでより会える時間は減少したが、
遥香の家に頻繁に泊りに行った。
そのたびに寮生や近所の子供達との交流も深まった。
大家族の一員になったようで楽しかった。
伊立市で過ごす冬は暖かかった。
林檎が伊立市に来て、二度目の春。
さくらロードレースは5キロコースに出場。
遥香と競い合うように走って、
お兄様や晴貴とコース途中でハイタッチを交わす。
レース後はコース内にある林檎の自宅マンションで過ごした。
父・寿應も、母・蜜柑も、遥香・晴貴を温かく迎える。
「ねえ、夏休みには花火を見に来てね、
凄く間近に見えるんだよ。
私が初めて伊立に来た日なんて、
本当に目の前の海岸で打ち上がったんだから、
お兄様が仕込んでくれたんじゃないのかな」
「先輩、本当ですか?」
「そんな手の込んだ事を?」
「違うと言っているのに、なぜ信じない。
あれはホテル天宙閣で行われた、結婚式のオプションらしい」
「お前の結婚式の時には、盛大に仕込んであげるよ」
父・寿應の言葉に照れまくる林檎。
父をポカポカ、猫パンチ。
キッチンから見守る母・蜜柑も楽しそう。
伊師一家は、幸せなひと時を過ごしていた。
4月6日、水曜日。
新学年の始業式、成沢遥香は憤っていた。
2年生から2クラスが理系コースとなる。
「どうして私が理系クラスなのですか?」
2年9組の担任は、白衣姿の神経質な物理教師・駒井。
「君が希望したのではないのかな。
まあ、必ずしも希望通りにはいかないと説明はしてあるはずだが」
埒が明かない。
理系重視の生徒が2クラスにまとめられ、
そのほかは最小限の異動が行われた。
晴貴と林檎の1年5組も、数名の入れ替えがあったが、
小木津亜弥、多賀冬海、五人娘に骨本勝征、
担任の倉田もそのままで2年5組に。
駒井は「放課後、理科実験室に来るように」と遥香に命じる。
行く気はさらさらなかったが、
昼に出会った関校長にも念を押されてしまった。
プリプリしながら理科実験室に出向くと、
そこには十数人の見知らぬおじさん軍団。
関校長、小平教頭、9組・物理の駒井、10組・化学の金井。
なぜか元応援団の副団長。
そして女子生徒が二人、
3年生の生徒会書記と、4月からの同級生。
関校長が口火を切る。
「揃いましたね。彼女が成沢遥香さんです」
「おぉ」
感心するおじさん軍団のうち一人に確か見覚えが。
「この方達は、NPO法人サイエンス倶楽部の皆さんです」
そうだ、中学校の理科室にいた「理科室のおじさん」だ。
伊立市では伊立製作所や伊立化成のOBが、
各小中学校の理科室に詰めて授業の手伝いやアドバイスをする。
「それでは第一回気象クラブの会合を始めます」
小平教頭が開会を告げた。
元副団長が部長、遥香が副部長と紹介された。
遥香は訳が分からない。
取り敢えずおじさん軍団の自己紹介の間に「部長」に尋ねる。
「気象クラブって何ですか?」
「お前には借りがある。俺は名前を貸すだけだ」
一高随一の秀才は用意されていた名刺を弄ぶ。
遥香の前にも、安っぽい名刺。
『伊立第一高等学校 気象クラブ 副部長 成沢遥香』
「……京大に行かれた団長からも、言付かっている」
「心配ないから……」
もう一人の上級生、生徒会書記が背中を叩く。
「あなたはドンと構えて、指揮をしてくれればいいのよ」
「ハァ?」
どうやら気象クラブの副部長に祭り上げられたようだ。
これは関校長の差し金ね、
思い当たったのが昨年6月のピクニック。
理科室のおじさん軍団の他には、
校長の元部下で、伊立鉱山の総務部長、
伊立市の職員OBで、伊立気象台の元台長、
バックアップ体制は万全だ。
「……典型的な逆転層のモデルを構築しましょう」
「火災も事故も3月ですが、四季のそれぞれの……」
「伊立山林火災の立体地図を作っては……」
「SPEEDIデータを解析して……」
「大煙突の資料なら協力は惜しみません……」
「気象データなら揃っています、任せて下さい……」
勝手にどんどん話は進んで行く。
「待って下さい!」
たまらず遥香が立ち上がる。
一同の注目が集まる。
「……あの、私、その」
思わず叫んでしまったが、さてどうしたものか。
閃いた!
「……毎日バレーボールの練習があるんですけれど、
Vリーグの伊立シェーンハイトです」
「ほほう!」
「さすが一高生」
「文武両道とは頼もしい」
「放課後なら心配いらないわ、
昼休みにここに顔を出して」
生徒会書記がウインクする。
「私も一緒に、気象予報士を目指します!」
新しいクラスメイトは目がキラキラ。
「これは私からのプレゼントだよ」
関校長が示したのは数冊の書籍。
『お天気の科学』『一般気象学』『気象予報士テキスト』……。
「明日のオリエンテーションでは、
新入生にしっかりアピールするように」
顧問の駒井。
外堀は完全に埋められた、あぁ四面楚歌。
もういい、疲れた、考えたくない。
理科室のおじさんたちと名刺交換。
遥香は天を仰いで運命を呪った。
お御輿に担ぎあげられてしまったようね。
シェーンハイトの練習にも毎日行く破目に、
しまった、藪蛇じゃないの!
ようやく晴貴はサッカー部に合流した。
春休み中の加入もままならず、
新入生と同じ扱いを受けた。
主将の代鱈は飼い殺しにする腹積りだ。
当初は伊立コンクレントへの練習参加も禁じられたが、
サッカー部は今年度から月曜日を休養日にしたため、
その日だけ晴貴は伊立コンクレントの練習に参加した。
立場が逆転した遥香と連れだって、いたちかな市に向かう。
遥香は「こっちの方がマシ」と斜に構えているが、
晴貴の目には嫌がっているようには見えない。
少なくとも月曜日は。
関東大会予選の前に、練習試合が行われた。
晴貴の加入を知り、OBたちも大挙押し寄せ観戦する。
FWで先発する晴貴に向かい、
主将のGK代鱈が声を掛ける。
「今まで通りにやれ、遠慮することはない」
風当たりが強かったのに、さすがはスポーツマン。
そう思った晴貴は完全に嵌められた。
キックオフでボールに触れたのが最後、試合中に全くパスが来ない。
存在自体が無視されているように、
呼ぼうが、叫ぼうが、無駄だった。
試合終了後、主将の代鱈が激怒する。
「あの態度はなんだ!
自惚れるにも程がある!」
OBからも苦言続出。
それ以来晴貴に試合出場の機会は訪れなかった。
実力さえ発揮すればと監督の庄山は思っていたが、
OB主流派から言外のプレッシャー、
若いコーチは日和見状態。
練習でも完全に一年生扱い。
二年生は晴貴の実力を十分理解していたが、
三年生の目を恐れ声がかけられない。
それでも腐ることなく、
ボール拾いや声出しを続ける晴貴。
庄山監督は一計を案じた。
試合勘を失わせないためにも、
一年生同士の練習試合で主審を任せてみる。
晴貴はそつなくこなした。
主審の動きが半端じゃない、
運動量で両チームの選手を圧倒した。
近くで見ているので微妙な判定でも説得力がある。
徐々に審判を任される事が多くなった。
ボールボーイや応援よりも、
走り回っていた方が性に合う。
「アイツは審判要員だ、Cチームにしておけ」
代鱈主将は絶妙の落とし所を見つけた。
林檎は体育館でバスケットボールの試合をしていた。
体育の授業は5組と6組合同で行われる。
小柄ながらちょこまかと活発な動きで、試合をリードする。
ディフェンダーが林檎へのパスを阻もうと手を出す、
微妙にパスコースが変わり、林檎の顔面へ、
咄嗟に顔をそむけ、ダメージを回避したが尻餅をついた。
「!」
体育館が凍りついた。
口元を覆った林檎の手の隙間から、鼻血がポタポタ……。
周囲の選手が一斉に退いた。
「大丈夫?」
応援していた多賀冬海がいち早く駆け寄る。
他は誰も近寄ろうとしない。
空気が重い。
冬海は持っていたハンカチで漏れ出た鼻血を拭うと、
林檎にハンカチを握らせる。
床に落ちた雫はさり気なくジャージで拭った。
「保健室に行ってきます」
体育教官に断って冬海が林檎を連れ出す。
小木津亜弥がモップで周辺を掃く。
五人娘がバケツと雑巾を探してきた。
ほんの数分で、何事もなかったように試合が再開された。
放課後、トイレに寄った冬海には、ヒソヒソ話が聞こえてきた。
「5組の伊師さんってさ……」
「本当なの?」
「体育の授業中にね……」
「それって、ヤバくないの?」
「そんなこと言っちゃダメだよ」
「そうだよね……」
「たぶん……」
冬海は素知らぬ顔で手を洗い、廊下に出る。
「……今の子ってさ」
今度は自分の事が話題に上ったようだ。
思わず駈け出した。
とにかくその場から逃れたかった。
6月、一高に賀多高と西高が集まって練習試合を行った。
西高の監督・勝間は、バラキ県サッカー協会審判部2種委員会の委員長。
賀多高の監督・藤井は、2級審判員の資格を持つ。
賀多高と西高のレギュラー同士の試合に、晴貴が主審として出てきた。
通常、練習試合の主審は監督かコーチの役目だったが、
一高の庄山監督はあえて晴貴を起用した。
晴貴は荒れがちな試合を、平然と仕切っていた。
「やるじゃないか……」
元1級審判員、西高の勝間は思った。
J2ゾンネンプリンツユースのFW相賀晴貴が、
今春から一高に移籍したのは知っていた。
「面白い事になっているな」
「まだまだ、だな……」
現役の2級審判員、賀多高の藤井は思った。
技術的には物足りない。
ただし走力、そして決断する勇気は申し分ない。
J2ゾンネンプリンツユースの試合は何度も担当している。
「でも、これはとても興味深い」
勝間は試合後の晴貴を呼び止め、
主審としての働きを褒めた。
続けて藤井が幾つかのアドバイスをする。
「走力は申し分ないが、まだまだ無駄走りが多い。
プレーの先読みを意識しなさい。
自信を持って判断しているのだろうが、
それをしっかりアピールしなさい、
肘が曲がっていては頼りなく見える……」
審判をしている事に関して、
二人があれこれ詮索する事はなかった。
ただし一高の庄山監督に対しては口を揃えて、
「相賀は粗削りだがセンスがある」と称賛した。
庄山と勝間は体育大学の同期だった。
晴貴が審判を続けて行くなら、
何か力になれることがあればいつでも協力する。
4級審判員の資格を持っているなら、
すぐにでも3級の試験を受けさせるようにと言った。
晴貴は4級審判員の資格は持っていなかったが、
数人の上級審判員にジャッジを見てもらうと、
全員一致で3級審判員へ挑戦させようということになった。
4月までさかのぼって4級審判員に認定し、
活動記録も部の日誌から作成させて審判手帳に記載した。
庄山監督を通じて晴貴に受験の意志を確認させたが、
本人に否はなかった。
8月初旬の3級審判認定試験に向けて、
監督達の計らいで、ユース世代だけではなく、
大学生や社会人の練習試合を経験させ、
上級の審判員とも組ませた。
晴貴の審判技術の上達は目覚ましましかった。
しかし、サッカー部内での立場はいよいよ孤立した。
たった一人のCチームで、審判要員扱い。
晴貴の内心は忸怩たるものがあったが、
今は耐える時期だと自分に言い聞かせていた。
林檎と一緒に過ごす時間だけ、そんな心が安らいだ。
晴貴と林檎はお互いに、なくてはならない存在になっていた。
7月、梅雨の真っただ中。
葡萄は昇降口で林檎と別れると3年生の教室に向かった。
学年が上がるほど昇降口からは近くなる。
教室に入ると、数人の生徒が黒板を前にしてザワついている。
「伊師君、おはよう……」
女子生徒が困惑気味に告げる。
「誰かが、こんなことを……」
葡萄は黒板を目の当たりに見て愕然とした。
『ウツクシマのブドウとリンゴは汚れている!』
悪質な嫌がらせだった。
胸糞が悪くなったが、同時に胸騒ぎを覚える。
鞄を放り出して、脱兎のごとく駈け出した。
2年5組の教室へ!
愛する妹、林檎の元へ!
「林檎!」
誰かが悲鳴を上げるのと同時だった。
葡萄が林檎の教室に飛び込むと、
床に倒れ込んだ林檎の姿。
晴貴が支えている。
「葡萄先輩、林檎が!」
晴貴の顔も真っ青だ。
「誰がこんなことを!」
葡萄は妹の頬を両手で優しく包み込む。
林檎は目を閉じ、浅く息をしていた。
「教室に着いたら、黒板に落書きが、
すぐに消そうとしたのですが、
林檎に見られてしまいました……」
晴貴が弁解するように言った。
葡萄は見たくなかったが、唇を噛んで黒板を見上げた。
『ウツクシマのリンゴとブドウは汚れている!』
一瞬、葡萄はめまいを覚えた。
敢えて利き腕ではない方で書いたような、稚拙な文字だった。
書いたのは恐らく同じ人物。
「まさか先輩の教室にも……」
晴貴が呟く。
「イタズラのつもりか知らんが、ふざけた事を……」
葡萄は妹を抱きあげ、保健室に向かう。
林檎は信じられないくらい軽かった。
兄は憤りが増した。
騒ぎを聞きつけた遥香がつき従う、
登校してきたばかりで、事情を知らない多賀冬海も連れて行く。
晴貴は落書きを消した。
証拠を残そうなどとは考えもしなかった。
関校長、小平教頭始め教師陣や、生徒会役員までがやってきた。
校長も生徒会長も事態を重く受け止めた。
見過ごすことはできないと行動を起こした。
そんな動きを知ってか知らずか、
あざ笑うかのように、落書きの画像がメールで出回った。
林檎は学校を休みがちになる。
悲しいトラウマが蘇った。
そんなとき晴貴は、学校帰りに必ず林檎のマンションに寄った。
母・蜜柑は快く招き入れた。
林檎は面会を断ることはなかった、会えるのは嬉しかった。
朝、どうしても登校できない時でも夕方になれば落ち着いた。
玄関先で少し、言葉を交わすだけで充分だった。
晴貴の部活がオフの時は、シビックセンターの天球劇場に誘った。
林檎は素直にプラネタリウムを楽しんだ。
五人娘と偶然、鉢合わせになる事も多かった。
時々「お邪魔かしら」と言いながら、母親もついてきた。
晴貴は蜜柑から知らされた。
毎朝必ず五人娘の誰かが、林檎を迎えに来ている事を。
生徒会は人権擁護のキャンペーンを展開した。
海東村の原子力科学館から講師を招いて、
放射線の基礎知識を学ぶ講演会も全校参加で開かれた。
表面上は何事もなく、真摯に受け止める一高生だったが、
正体を現さない犯人は狡猾で陰湿だった。
ターゲットは弱みを見せた林檎に絞られた。
林檎が登校すると、下駄箱の中に腐った果物を仕込まれた。
教室の机やロッカーにまで被害が及んだ。
とても一人の仕業とは思えなかった。
気丈に振る舞う林檎だったが、
さすがにプツンと神経が切れる事が重なった。
遂には晴貴の隣でさめざめと泣いた。
晴貴が部活で置かれている辛い立場を慮って、
心配をかけまいと我慢していたが、それも限界だった。
二人きりのプラネタリウムでの事だ。
いつもはスクリーンが見易い、上段中央付近に座るが、
その日は隅の席。
晴貴は林檎の仕草や表情から、
睡眠不足や疲れを感じ取った時は、
端の席に陣取った。
林檎が少しでも休めるように。
他の観客に迷惑をかけないように。
これまで林檎の受けた仕打ちは、葡萄から聞いていた。
戦う相手は掴みどころがない。
遊び半分で何とも思っていないだろう。
自らの置かれた境遇にも希望が見いだせない。
晴貴は決断した。
「林檎、二人で逃げるぞ!」
最初は不思議そうだった林檎の顔が、パッと輝く。
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イシリンゴ、ハナヂブー、
コワイ、コワイ、
カンセンシナイカナ?
コワイ、コワイ、
イチコウパンデミックス、アンデット、
コワイ、コワイ、
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