high-five10
「おはよう、晴貴、良く眠れたか?
昨日はどうだった?
なんだか林檎がメールではしゃいでいる。
『いいぞ、いいぞ』って」
朝食に訪れた晴貴に向かって遥香が尋ねる。
「『いいぞ、いいぞ』ってな~に?」
媛貴が不思議そう。
晴貴はちょっと焦る。
対応を誤れば『置いてきぼりにされた!』と媛貴が暴れる。
「林檎お姉ちゃんが映画を見に行ったらしいよ。
……パン2枚頼む」
「はーい」
素直に食パンをトースターにセットする媛貴。
遥美ママがスクランブルエッグのプレートを晴貴の元に運ぶ。
遥香がニヤニヤしながらカフェオレを晴貴に渡す。
媛貴がポリポリとポップコーンを食べる。
「媛貴、……朝から何を食べているのかな?」
それは遥香へのお土産のはず。
「林檎お姉ちゃんからのお土産」
「そうか……あとでちゃんとお礼を言うんだよ」
「さっき、林檎お姉ちゃんに電話した」
遥香が噴き出す。
やりやがったな。
媛貴は満面の笑顔。
「おお兄ちゃん、今度、媛貴も映画に連れて行ってね。
『魔法少女カイニ』がいい」
暴れないなんて、媛貴も大人になったものだ。
遥香と晴貴の登校は、専ら伊立電鉄バスを利用する。
第四回の定期考査が終わったばかりだ。
受験が間近に迫った3年生の目の色が変わってきているが、
1、2年生には緩い空気感が漂っている。
林檎は葡萄お兄様と徒歩で通学している。
バレーボール部の朝練がある今日は、
夕方の通常の部活の方は早く終了する。
週一回の休養日を設ける代わりに、
苦肉の策として考え出されたが、
その日は学習塾に通えると、父兄からは好評だ。
朝練を終えた林檎は晴貴が待ち遠しかった。
前日見た映画の感想をまだまだ語り足りない。
氷戸から帰りの電車の中でも、しゃべりっぱなしだったが、
お互いTVシリーズを見ていたので、見事に話が噛み合った。
帰宅してから葡萄お兄様に感想を話したが、反応が芳しくない。
林檎の中でちょっとだけお兄様の株が下がった。
先程、遥香経由で媛貴ちゃんから、
お礼の電話が来たので、お土産の件は話を合わせておいた。
私もあんな妹が欲しかったな、早く来ないかな、相賀君。
晴貴が教室に着くと女子がわいわいと盛り上がっていた。
小木津亜弥、多賀冬海、五人娘、他。
林檎を中心に映画談議の真っ最中。
どうやら昨日、試験終わりを利用して、
晴貴たちの前の回に五人娘が見ていたらしい。
亜弥と冬海は一緒に既に2回も見に行っている。
意外な組み合わせだが、
学級新聞に載った冬海の4コマ漫画に興味を持ち、
一高文化祭『黒檀祭』の漫画研究会の発表で、
冬海の作品を読み、何故か急接近したらしい。
アニメ好きの長島依子が晴貴に問い掛ける。
「相賀君のお気に入りキャラは誰?」
質問自体に悪気はないが、地雷臭がプンプンする。
ここは慎重に答えなければ。
「ア、アップルティー様かな」
『おぉーっ』
野村寿里が無邪気に笑う。
「アップルってリンゴって意味なんだよね~」
『おぉーっ』
リオ、ハッキリ言うな、空気を読め!
林檎も照れるな!
ここは強引に話題を変えなければ。
「ところで『魔法少女カイニ』って何だ?
妹を連れて行かなければならない」
多賀冬海が食い気味に説明する。
「魔法少女物だけど、少し変わっていて、
変身とかモンスターとか魔女とかは出てこないの。
ネタばれになるから、詳しくは言えないけれど、
普通の女子高校生たちが、部活動を通して魔法を使うの……」
「それってズルじゃないのか?」
「違うのよ、きっと相賀君も気に入るわ。
妹さんって幸せ者ね……。
そうだ、TVシリーズの録画見せてあげようか、
でも公開はそろそろ終わりじゃなかったかしら。
私も3回見たけれど毎回発見の連続。
それから、それから……」
多賀冬海は活き活きと話し続ける。
何とか降格を免れたJ2伊立ゾンネンプリンツに激震が走る。
ブラジル路線を継承すると思われていたが、
新しい監督はドイツ人。
厳格で知られるアイゼン・シュルツェン監督。
チームスタッフも大幅に入れ替える模様。
晴貴のいるユースチームもブラジル人コーチは退団、
熱心に指導していた高鈴剣次コーチも進退が注目されている。
晴貴にとって高鈴は、少年団から見出してくれた大恩人だ。
ユースチームの練習試合が急遽組まれた。
相手はバラキ県内のライバル、
J2氷戸ローゼンシュトック・ユース。
就任予定のアイゼン・シュルツェンが、
大勢のスタッフを連れて視察。
変則30分ハーフの3本で、所属選手全員が出場。
晴貴は得点も挙げ絶好調の動き。
試合後に通訳を交えて監督と面談が行われた。
「何故守備をしない」
「点を取るのがフォワードの仕事です」
「規律と自由。どちらが大切だと思う?」
「ピッチ上の選手は自由であるべきだと思います。
規律があなたの方針なら従います」
「ヴォリバルでのポジションは?」
「アングライファーです」
最後にシュルッェンは晴貴の目を見ながら尋ねた。
「シュプレッヒェンドイチュ」
「アインヴェーニッヒ」
ドイツ語が話せるのか。少しなら。そんなやり取りだった。
シュルッェンが眉間にしわを寄せる。
「分かった。これからも頑張りなさい」
次期監督はつき従うスタッフに漏らす。
「才能は認めるが、監督と選手の相性は運・不運だ。
私のチームに王様はいらない。
彼の個性は尊重すべきだが、
ハルキと私は相容れないようだな……」
チームの変革を示す絶好のターゲットになったようだ。
翌日、晴貴に戦力外通告がなされた。
高鈴剣次コーチもチームを離れる腹を決めた。
高鈴コーチは晴貴の他にも、
チームを離れる選手の移籍先を探した。
これがゾンネンプリンツでの最後の仕事。
晴貴の下にはJ1神島ヒルシェゲバイ、
J2のライバル、氷戸ローゼンシュトック、
その他からもオファーが殺到した。
晴貴はあれこれ悩まずにすんなりと、
伊立一高サッカー部を移籍先に選んだ。
一高の監督・コーチとも大歓迎で、
受け入れ態勢は整いつつあった、
が、主将の代鱈が途中加入に難色を示した。
合流は4月まで待ってほしいと。
それは言い訳だった。
夏季休業中に行われた練習試合で、
徹底的にやられた事を根に持っていた。
GKの代鱈は、二桁失点に自尊心を傷つけられた。
半分以上が晴貴の得点だった。
調子を崩した上に選手権予選まで引きずってしまった。
ピッチでの晴貴の王様振りが癪に障った。
バレーボールとの二刀流も気にいらなかった。
生徒の自主性を重んじる一高の建前上、
主将の意向は無視できない。
代鱈の父はOBの重鎮でもある。
サッカー協会への移籍手続きは済んだが、
晴貴のチームへの合流は先延べになった。
伊立コンクレントはそんな晴貴を快く練習に迎え入れた。
晴貴につられるように遥香も一緒に週3~4日、
いたちかな市へ向かい、伊立シェーンハイトの練習に参加した。
正月明け、小雪の舞う寒い土曜日だった。
上野駅に降り立った遥香と晴貴は、
公園口から上野公園・不忍池を経て、
大観記念館横の通い慣れた道を通り抜け、
池之端門から大学付属病院に入った。
毎年ここで健康診断を受けている。
今回はこれまでと違い、一般の診療棟ではなく臨床研究棟。
1990年にバラキ県で生まれた子供と言う名目で、
統計調査に協力している。
加えて臨界事故の起きた日に近隣で生まれたことから、
万が一の影響がないかを定期的に検診する目的も併せ持つ。
更には美島第一原発事故前から継続して、
甲状腺検診も行っている貴重なサンプルでもある。
勿論、親の同意の下、13歳の時と、16歳の今年も、
担当医師から丁寧な説明を受けた。
本人たちも理解して協力している。
検診着に着替えた二人は各種検査を受けるが、
日本でここにしかない最先端の医療機器もあった。
昨年は数十分じっとしていなければならなかった検査が、
数分で終わってしまうなど、進歩は目覚ましい。
担当医師は一年ぶりの晴貴の成長に目を見張った。
遥香も晴貴も全くの健康体だった。
成人したら、標準例として使いたいと冗談を言われた。
同じような検診着の被検診者が何人かいたが、
プライバシーに配慮され、出会うことは希だった。
しかし、思わぬ場所で運命の糸が交差した。
「林檎、どうしてここに?」
「……」
検診の終わった遥香はトイレ前で林檎と遭遇した。
これから検診の林檎の目が泳ぐ。
「晴貴も、来ているよ……」
事情を知らない遥香は当然そう告げた。
「!」
林檎はトイレの個室に駆け込んで閉じこもった。
ここにいることを知られたくなかった。
特に晴貴には。
伊師葡萄の検診は始まっていたが、
顔見知りのベテラン看護師が呼びに来た。
「本郷さん、妹さんが……。ちょっと来て!」
よほど慌てていたのか旧姓で葡萄を呼んだ。
女子トイレの前に人だかりがしていた。
少し離れた所に佇む晴貴の検診着姿に葡萄は目を疑う。
「まずい事になったな」
目を合わせると晴貴も驚いた表情を見せた。
看護師に導かれて女子トイレに入ると、
女医に若い看護師、男女の警備員。
そして検診着姿の成沢遥香。
遥香は葡萄を見てホッとした表情。
「本郷さん、お兄様よ!」
女医が閉じこもった林檎に語りかける。
「来ないで、誰も来ないで!」
中から林檎が叫ぶ。
「林檎、俺だ、どうしたんだ?」
「本郷さん、お願いだからここを開けてちょうだい」
本郷さんって、伊師林檎の事?
遥香は訳が分からない。
「もう、イヤ……」
林檎のすすり泣く声。
葡萄は男の警備員に目配せする。
トイレ扉上部の開放部分に手を掛けると、
警備員が葡萄の足を持ち上げる。
「林檎、失礼するぞ」
「来るな、変態バカ兄!」
覗き込んだ形の葡萄に対して、
林檎がトイレットペーパーを投げつける。
物よりも林檎の言葉が葡萄に突き刺さって転げ落ちる。
「刺激してはまずいわ」
女医が制する。
「本郷……伊師さん。落ち着いて、一体どうしたの」
「伊師って本郷なんだ……」
遥香の独り言に、尻餅をついたままで、
ショックを隠せない様子の葡萄が答える。
「本郷は俺達の、旧姓だ……」
「旧姓って……」
遥香にも何か事情がありそうなことは理解出来た。
林檎がわんわん泣き始めた。
「とにかく、最悪の事態には陥っていないから、
伊師さんが落ち着くのを待ちましょう」
女医が提案する。
ベテラン看護師と女警備員を残して一度態勢を立て直す。
晴貴とも合流して状況を整理する。
林檎の立てこもりを知り、
説得に向かおうとする晴貴を葡萄が取り押さえる。
今のお前では逆効果だ、と。
それぞれがここにいる理由も明らかになる。
そこで初めて遥香と晴貴は伊師兄妹が、
美島県三葉郡三葉町の出身だと聞かされた。
美島第一原発の事故で故郷を追われた。
母親の旧姓が「伊師」で、父親の姓「本郷」から改姓した。
健康診断を受けているのは、美島県の健康管理調査によるもの。
説明はそれだけで充分だった。
しばらくすると林檎が落ち着いたようだ。
女医。看護師。葡萄お兄様が代わるがわる説得に向かう。
晴貴が行きたがるが、林檎は晴貴の存在を最も恐れているようだ。
遥香が向かった。
「あのさあ、林檎……」
「帰って!」
「……うん、そうする……」
「……」
「……帰る前にね、一つだけ聞いて……」
「……」
「林檎、実は私達……、
私と晴貴は、本当は双子じゃないんだ。
姉弟でもない、ただの幼馴染で赤の他人……。
騙していたようでゴメンネ」
「何ですって!」
驚愕の表情で林檎が扉を開けた。
ニヤリと遥香。
「あ……」
若い看護師が林檎にしがみつく。
看護師ごと警備員がトイレから引きずり出す。
「嘘つき!」
籠城劇は終わり、林檎は素直に従った。
「世話を掛けたな成沢。
双子じゃないなんて咄嗟に良く思いついたな……」
「う~ん、本当の事を言っただけなのだけれど……」
葡萄も林檎も遥香の言葉を「機転」と信じた。
何もできない晴貴は、林檎と会う事も叶わず、
ただ歯ぎしりするばかり。
伊師寿應は後輩の女医、荒川沖からの電話を受けると、
土曜日に詰めている、北バラキ市の病院から自宅に戻り、
妻の蜜柑をピックアップして常磐高速をひた走る。
仕事の関係で、今回の検診は手伝えなかった。
後輩でタレント活動もしている荒川沖が参加していた。
愛娘の引き起こした騒動の報告を受けた。
「どうして、林檎が……」
母親の蜜柑が憔悴している。
父親の寿應も急ぎたかったが、
電話を言い訳に谷守SAで一呼吸。
焦っては駄目だ。
寿應は後輩の荒川沖に電話して様子を尋ねる。
娘は落ち着いているようだ。
原因は同級生と鉢合わせした事、
どうやら彼氏らしい。
検診を受けている双子の同級生?
寿應には思い当たる節があった。
だが、被検診者のプライベートは例え妻でも教えられない。
巡り合わせなのか、彼らなら林檎のことを理解してくれる。
林檎と同じように健康なはずだ。
生物学的には双子じゃないけれど、
社会的にはどうなのかな。
籠城劇はお咎めなしで処理された。
林檎は両親に連れられて、遥香と一緒に車で帰った。
葡萄は晴貴に付き合って、常磐線の特急に乗る。
この際、葡萄から話しておきたい事が沢山あった。
林檎は月・火の2日だけ「風邪」を理由に学校を休んだ。
水曜日、疲れた顔をマスクで隠して登校してきた。
放課後、林檎は晴貴をシビックセンターの天球劇場に誘う。
勇気を出して自分の口から伝えなければならない事がある。
晴貴は取り敢えず、遥香と葡萄お兄様には知らせておく。
林檎は朝から無口で、不調なようだ。
話しておきたい事が、なかなか切り出せない。
葡萄から聞いている晴貴は、無理に聞き出そうとはしない。
「お腹、痛いのか?」
林檎は僅かに首をふる。
「……眠れ……ないのか?」
林檎は目を閉じて、小さく頷く。
「そっか、眠れないって、結構辛いよな……」
林檎は晴貴の肩に頭を預ける。
並んで座った晴貴だけではなく、
遥香と葡萄お兄様も離れた席から見守っている。
心配して一高からそっとつけてきた小木津亜弥と多賀冬海。
1Fのカフェ、パンドゥトロアを根城にしている五人娘まで。
林檎は短い間だが、プラネタリウムの星の下、晴貴にもたれて眠った。
目覚めた時には、少しだけ元気になっていた。
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ライネンドカラシュウガクリョコウフッカツダッテサ、
31ネンブリ、ドウシテヤメチャッタノ?
コクホウノ○○○○○○ニ、ラクガキシタンダッテサ、
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