high-five00 《prologue》
平和通りは桜のトンネルだった。
道路沿いの歩道だけではなく、本線と側道の分離帯にも桜が植えられている。
四列の桜並木は互いに枝が重なり合い、JR伊立駅前から国道6号線に至る約1キロに及ぶ桜色のアーケードを形成していた。
4月最初の日曜日。
第15回伊立さくらロードレースは晴天に恵まれ、満開の桜の下開催された。
商工会議所前をスタートして、常磐線の伊立駅前を経由し桜のトンネルを抜ける。
伊立製作所伊立工場横を通り、太平洋にせり出した国道6号伊立バイパス、通称シーサイドロードを折り返し、伊立新都市広場をゴールとする。
そのロードレースは、のんびりお花見の部、親子・ファミリーの部から、5キロ、10キロ、ハーフマラソンの部までカテゴリーが分かれており、地元の市民ランナーはもとより、開催時期に桜前線が重なることから、全国から愛好者が訪れて来た。
4月1日から19日まで、第53回伊立さくらまつりの期間中、市内では様々なイベントが催されている。
市街地を見下ろす山腹に屹立する世界産業遺産・大煙突は桜色の装飾を施していた。
ハーフマラソンコースの国道245号線を並走する伊立電鉄線は大胆にも「さくら電車」をトップ集団と並走させて、ロードレースを盛り上げる。
平和通りや、かびれ公園等の夜桜ライトアップも、その美しさで日本のさくら名所百選の名に恥じない盛り上がりを見せていた。
5キロ39歳以下男子の部に出場した相賀晴貴は、18分をわずかに切るタイムでゴールした。
前年は2キロ強を走る中学男子の部に出場して7分台のタイムでベストテンに名を連ねていたが、今春高校に進学するためこのカテゴリーでのエントリーになった。
特に走るのが好きという訳ではなかったが、中学校時代にはバレーボール部とサッカーJ2のジュニアユースチームに所属していたので身体を動かすことは嫌いではなかった。
このカテゴリーでは上位入賞は望めなかったのでリラックスして走りを楽しんだ。
コースの売りである桜のトンネルは美しかったが晴貴は葉桜の方が好きだった。
最近、膝のあたりが痛むことがあるが特段気にはならなかった。
途中までマイペースで走っていたが、常磐線の下を潜り抜ける辺りで先行するランナーに追尾した。
その相手はバレーボールのユニフォームを着用し、背番号の上に「ISHI」と綴られていたが、名前かチーム名の略称か定かではない。
5キロ以上のコースでのみ、さくらロードレースのもう一つの売りでもあるシーサイドロードを通過することになる。
普段は歩行者通行禁止区間の自動車専用道路なので、試走することはできない。
アップダウンで始まるシーサイドロードから見下ろす太平洋は、海上を走っているようで開放感のある新鮮な気持だった。
レースにエントリーした者しか味わえない醍醐味だった。
5キロコースの折り返し点で追尾するランナーの半身が見えた。
自分と同じくらいの歳に見えた。
ユニフォームの胸には「伊立第一」と刺繍してあった。
晴貴が入学する県立伊立第一高等学校のバレーボール部員らしい。
それを知って僅かに距離を取った。
中学校で晴貴はバレーボール部の副主将として県大会の決勝戦まで進んだ。
優勝はできなかったが中心選手として活躍していた。
並行してサッカーJ2伊立ゾンネンプリンツのジュニアユースに所属していなかったら間違いなく主将を務めていただろう。
晴貴はバレーボール一家で育った。
というより実業団バレーボール部の寮で育てられたと言っても過言ではなかった。
バレーボールが好きなことに変わりないが、さすがに高校生活で両立できるとは思っていなかった。
どちらか一つとなればサッカーを選ぶつもりだった。
5キロコースは折り返し点までの距離が短い。
シーサイドロードの頂点付近で一人の少女が反対側を近づいてくる。
5キロコースへの出場を嫌がっていた割には真面目に走っているようだ。
昨日まで各地のサッカー大会に連日参加していたので、会うのは半月ぶりになる。
すれ違いざまにお互い左手が自然に伸びた。
ハイタッチを交わして何事もなかったように走り続ける。
明日は高校の入学式だ。