表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

うたかたの記憶

作者: トモコ  

わたしは、もう死んでしまいたかった。だけど今死んでも誰も泣いてくれないの止めた。悲しいという感情すらもう無くなってしまった。不幸な出来事に対する感覚が消えてしまった。誰も私を理解してくれない。誰一人。誰一人。誰一人。

 あれはいつ頃の話だっただろうか。私の所に一人の老婆が訪ねてきた。暑い夏の日の夕方、蜩がヒトヒトと鳴いている墨色の日だった。

 老婆は私の顔をしげしげと眺め、ため息をついた後しわがれた声でこう言った。

 「帰って来たのかえ」。

年の頃は幾つくらいなのだろうか。ごま塩の鬢を後ろで結わえ何枚もの継ぎをあてた檜皮色の着物を纏ったその老婆は、まるで幾千年もの時を超えて私の前に現れたかのような佇まいだった。そして私は、ひどく懐かしいような、それでいて何か恐ろしい物を見るかのような感覚で彼女の顔を覗き込んだ。

「この人は私だ。」

私は、直感的にそう感じた。そして彼女にそんな私の気持ちを悟られてはいけないような気がした。悟られた瞬間に私も彼女もここに居られなくなるかのような根拠のない不安が身をよぎったのだ。

彼女と私は縁側で話していた。なぜ玄関ではなくて縁側だったのか、彼女はどこから訪ねてきたのか、思い出そうとしてもなぜか思い出せない。

ただ、縁側から覗いた百日紅の枝の間を黒いアゲハチョウがゆらゆらと舞っていたのを覚えている。

私は老婆の肩越しに、それをボンヤリと眺めていた。蜩がヒトヒトと鳴いていた。

 遠い町に来て、夕方になってもまだ家が見えてこないと妙に不安で寂しげな気持ちになったものだ。子供の頃の話である。両親も弟も一緒に車に乗っているのに、もう二度と両親や弟に会えなくなるのではないか、もう二度と家には帰れないのではなかろうか、なぜかいつもそんな不安にかられていた。見慣れた家の灯りが見えてくるとやっと安心して眠りについた。家に着いたときはいつも眠っていたので両親は私がずっと眠っていたと思っていただろう。

 実は大人になってからもこの癖は直っていない。夕暮れ時になると、とても寂しくなって家に帰りたくなる。

 そしてそんな時、必ず脳裏によぎる家が今自分が住んでいる家ではなく遠い田舎の古びた茅葺き屋根の家。多分、あの老婆の家だった。

 


 時々、自分が何千年いや、何億年という時を生きてきたような奇妙な感覚に襲われることがある


遠い星が爆発した 私は、そこにいた

本当に全てが消えて無くなるなんて思いもしなかった

だけど、全てはなくなった

その後、何億年の時を私は、鉱物として生きた

生きた   のかどうか、ただただ、宇宙空間に漂い続けた

友人もなく   家族もなく  動くこともなく

喋ることもなく  夢もなく  希望もなく

ただただ、全てを眺めて過ごした

何億年も  何億年も

ずっと眺めていた蒼い惑星があった

美しかった

どんな生き物があそこに住んでいるのだろうか

あの星に行きたい  あの星に行きたい  あの星で生きたい

ときどきあのころの夢を見る

蒼い星の記憶

ずっと焦がれ続けた蒼い惑星


が、今に戻ってくる

二十代の頃、私は、空手を習っていた

なぜ、習いたくなったのかよく分からない。ただ、熱心に稽古に励んでいた


 体を動かす度に、「こうではない。私が知っている動きはこうではない」という不可解ななジレンマに陥っていた

 多分、古代中国   

 私は、武術を使う男だった

恐らく身分の高い生まれだったその男は、国を滅ぼされ武術家として生きていた

 愛する女がいた

女も又、国を滅ぼされていた

二人の間に子供があった   男の子だった

ある時、私は王の命で旅に出た   

在るはずの無いものを探し続ける旅

砂漠で見た日食をよく覚えている

兵士達が皆怯えていた


蒼い昼間

結局、帰ることは無いままだった

妻も息子も失ってしまったまた感覚が飛ぶ

私は、戦っている 何かを守る為に

流れる鮮血

もう、誰も殺したくない

 牢に幽閉されている私

 怖れ 不安 傷み 哀しみ 絶望 憎しみ

 沢山の人間に尋問される私

 どうしていいのか分からない私

 裏切られる感覚

 殺される私

 泣き叫ぶ人の声

 表情のない処刑役人の顔

 次は自分の考えで  全て自分の考えで生きていこうと思った記憶

 私が幸せになれなかった事で、故郷の父や母を悲しませただろうという苦しみの記憶


 

 更に飛ぶ感覚

いつの時代のことか

私は廓の太夫だった

夜ごと繰り広げられる宴  旦那さんがたの立派な草履

もとは、お武家さんの家の娘だったその人は、お家が潰され廓に売られた

廓には、廓の誇りがあった

 書生さんが、住み込みで庭掃除なんぞの仕事をしてはった

なんで、廓なんぞで働いてたのか 分からない帝大の学生さんだったよく、

話を聞いてくれる人だった

私は、お月さんに恋するように その人に恋をしていた

小説を書いてはった

どうなったんやろねぇ あのお人

小説家にならはったんやろか

実家が企業家やけど、ご両親とうまくいかんのやて言うてはった


恐らく私の代わりに殺された

遠い記憶  遠い記憶

愛することを怖れる私

幸せを手に入れる事を恐怖する私

遠い昔の話

砂埃が舞う記憶ご商売 継がはったんやろうかねぇ

うち 労咳で死んでしもうたから、後のことはよう知らんのですわ

幸せになってはったらええんやけど

夢を見るのは、こりごりや  

お月さん眺めとったら十分や



ある時、私は歌姫だった

長いドレス

芸術家達の集い

音楽隊の奏でるメロディー

たくさんの人達の拍手 笑い声

退廃的で、嘆美な空気

終わりは、どんなだったんだろう

多分戦争が始まった



 とめどなく、現れては消えていく泡沫のような記憶

あの老婆が、どこから来てどこに行ったのかわからない

多分、私と私が出会った瞬間だったんだ


おもてに出るとすっかり夜が更けて月が出ていた

柿の木の枝葉をくっきりと月の光が浮き彫りにしていた

ちょろちょろと流れる小川の音

こうこうと照る月の光で、映された私の顔

小川の水面に映った私の顔は、あの老婆のものだった








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 前半と後半のリズムの違いが新鮮でした。 ワンシーンを切り取って、広く深く広げた感じが凄い好きです。 時間の流れが凄く動く感じがして、面白かったです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ