入学編
入学式を明日に控えた春休み最後の日を自室でゆっくり過ごそうと思っていた僕如月裕也は人混みの激しい商店街にいた。
なぜこうなったかと言えば、如月家が代々仕えている白鳥家の令嬢、白鳥愛美の一言が原因であった。
「ユウヤっ! 買い物に行くわよ」
ここで、はいでは行きましょう、と頷くのは二流だ。仕える主が人の多い場所に向かうなど避けて通りたい道、というのは建前で、今日ゆっくり過ごしたいという気持ちが本音だ。
しかしまぁ今僕がこうして商店街にいるということはつまりそういうことである。
「ユウヤ、これ持って」
「あ、はい。……え? これ、全部、ですか? なるみさん」
泣き言を言うのを諦めて振り返ってみれば、見上げなければならないほどに詰まれた荷物の山がそこにはあった。
「必要なものだから」
両手を目一杯広げてみても抱えることもできない量の荷物、これをどうやれば1人で持てるのか、博識な彼女に答えを問い質したい。
「さっさと持って、次行くわよ」
と、なるみさんは質問する間もなく無慈悲に告げた。
「無理です」
「タクマはやってのけたわよ?」
問い質す意味がないことを僕は知った、なぜなら彼女はたくまはできたと言うからだ。
「親父と一緒にしないでくださいっ!」
やれやれといった様子でなるみさんは腕にかけた鞄から携帯電話を取り出して耳へ当てる。この山のように詰まれた荷物を運ぶ手配でもしてくれてるのだろうと安堵を零すが、嫌な人の後を継いだと泣きたい気持ちに駆られた。
電話が終わるまで暇を持て余すことになった僕は周囲に目を向けてみた。春休みの最後だからだろうか、若いカップルの姿や同性の友達と和気藹々と歩く姿が多く見れた。そんな中、こちらに向けられる視線の多さが気掛かりであった。
「だから商店街よっ! 知らないっ! 探しなさいよっ!」
人の目も気にせず怒鳴り散らすなるみさん。そこでようやく向けられた視線の理由を理解する。なるみさんは非の打ち所がない、10人中9人が振り返っても不思議に思わない容姿をしているのだ。笑えば可憐に、頬を膨らませれば可愛く、憂いを帯びた瞳をすれば守らなければと使命感すら覚える。これで勉強もできて運動もできるのだから、もはや非が存在することを懇願したくなる。
「ユウヤ、行くわよ」
電話を終えたなるみさんは次なる目的地を目指し歩み始める。
「え? 荷物は?」
「いいわよ、そんな大荷物 誰も盗まないから」
言う最中も足を止めないなるみさん。荷物と彼女とを天秤にかける必要もなく、僕は荷物を置き去りにした。しかしなぜ誰も盗まないと彼女は断言できるのか、考えたところで凡人の僕はわからなかった。でもわからないことをそのままにしておくのも痒い箇所を掻けない気分。
「なるみさん、どうして断言できるんですか?」
「……、あの辺で店を構えて尚且つ防犯カメラを設置してあったお店は10店舗、その内、4つの防犯カメラが私の荷物を映してる。これだけでも十分に思えたけれど、念の為大声も出しておいたし、目撃者は多数よ」
どう? と言いたげな表情に完敗ですと、両手を顔の高さまで上げた。
「それで? この後のご予定は?」
「まだ買い物よ。……といっても小物だから安心して?」
あれだけ買って他に何を買うのかと思った矢先、まるで心でも読み取ったと思えるタイミングで彼女は付け足した。何はともあれ、持ちきれない荷物を無慈悲に持てと言われることはなさそうで安堵した。
それからなるみさんと雑貨屋、服屋、装飾品店などを巡り歩いた。小物と言っても買う量が量だけに、この時 僕の両手は買った品を詰めたバックでいっぱいになっていた。
「次で最後だから頑張って」
持てる量で済んでいると諦めて、僕はなるみさんの後を追った。
そして最後のお店の前で僕は立ち尽くした。
「外で待ってても?」
「ダメ」
「だがしかしっ!」
今まさに入ろうとしている店は決して男性が入り込んで良い所ではなかった。
「下着専門店なんて聞いてないっ!」
「言ったからと言って行き先は変わらないわよ?」
同時に僕がこのお店に足を踏み入れることも変わらないと、言葉はなかったが聞こえてきた気がした。
店内には2組のカップルがおり、それぞれ店員さんが案内に付いている。他に店員はおらず、僕らは暫く待つこととなった。
流れるBGMは落ち着いたもので、展示されている下着の数は専門店というだけあり多種多様。中にはこれを着用するのかと、疑いたくなるものもある。
なるみさんはどういった下着を選ぶのか、興味を抱いた僕の視線は自然とそちらへ向けられた。なるみさんは小さい水色のリボンが特徴的な白い下着とあまり装飾が施されていない大人びた赤の下着を見比べている最中だった。
眺めているとなるみさんは赤い方の下着を自身の体に当て鏡の前に立った。似合ってはいるが、水色の方がなるみさんらしいと思った矢先、鏡越しに目が合い、すぐに手招かれる。
「どっちがいいと思う?」
聞かれて少し悩んだ。僕の意見で彼女が意見を変えてしまうかもしれない。
「どっちも似合うと思うけど……、……水色の方がなるみさんらしいと、僕は思うかな?」
けれど自分の好奇心を優先してまで、濁した言葉で答えたくはなかった。
「そう、ありがと」
なるみさんはそれだけ言うと、結局両方の下着を元の位置に戻してしまった、そして丁度手のあいた店員さんの下へ向かい、数回言葉を交わした後、店の奥へ。
間違っていたのか? けど嘘を言えば今以上の心の突っかかりが生まれたことだろう。これでよかったと、僕は自分に言い聞かせたのだった。
店を出ると、すでに日が暮れていた。
季節で言えば春だが、夜になれば吹く風は冷たく、体温を著しく奪っていく。
「予定より大分遅れたから迎えを呼ぶわ」
「わかりました。荷物持ちますよ」
下着専門店の店員さんがなるみさんに渡してしまった荷物を受け取ろうとする。
「いいわ、これは自分で持つから」
どうやら本当に持たせる気がない様子。持たせる気があれば、店員さんから受け取ることもしないからだ。しかし理由がわからなかった。下着だから、とも考えられるが僕の手には同じ店で買った少し大きめの荷物がある。この2つに違いがあるかもしれないが、受け取った時にはすでに包装されてしまっており中身がわからない。
「30分ぐらい掛かるそうよ」
微妙な時間だ。何かするには短すぎ、何もしないでは長すぎる。
「どこかカフェでも入りましょう」
「立ち疲れたの?」
それもあるが、腕もかなり悲鳴をあげている。休憩できれば嬉しいが、それ以上にカフェに入りたい理由があった。
「でも残念、ここで待つって言っちゃったわ」
仕方ない。一度 荷物を地面に置き、上着を脱ぐ。それをどうするのかと言えば、言うまでもなく、なるみさんも意図を理解してそれを手で制止した。
「いいのよ、勤務時間は過ぎてるから」
僕が彼女の執事でいるのは現段階では朝7時から夜6時まで。現時刻は7時半手前、執事としての気遣いは無用と言いたいのだろうが、それで風邪を引かれては明日の勤務にひびく。無視して上着を彼女の肩にかけた。
「……ありがと」
薄手の上着だ、さして効果があるとは思えなかった。それでも彼女は暖かそうに優しく微笑んでくれた。普段は無茶も言う人だが、本等は優しい人。この人が拠り良い生活を送れるように頑張ろうと思える一面であった。
しかしこの時の僕はまだ、なるみさんの本当の無茶をまだ知らなかっただけであった。