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08……こんにちは。マイフレンド。

「……口でなら何とでもいえるよ、戸賀くん。って、って、っていうかさ! 私の体、触れてる。ふ、触れてるよ!」

 気づいて、由紀は怯えたように顔を歪めた。恐慌状態になって、腕を振りほどこうとする。金属の腕がキシキシと音を立てて動く。

 健太を押し退けるように逃れた。それでも恐怖が治まらない。口に手を当てて、どうしようと繰り返す。どうしようどうしよう、戸賀くん死んじゃう。

 落ち着きを失った由紀を無視して、健太はナイフを手にとった。シミひとつない頬にナイフを当てて引こうとする。

 馬鹿と叫んで由紀は車椅子から飛び跳ねた。健太に飛びつき、一緒に倒れながらナイフを奪う。

「どうして止めるの? あと触れてるよ、体」

「どうして何? どうしてってこっちがどうしてだよ! 何をしようとしてるの? 自分の顔の皮剥いで、何がしたいの? 戸賀くん、私、分かんないよ」

 声は震えていて、言葉は疑問を表していたが、彼女は分かっていた。健太は自分の顔の皮を由紀に捧げるつもりだったのだ。自分が口だけではないことを証明しようとした。

 その捧げた皮で、彼女の傷ついた頬を繋げば良い。そう健太は思っているのだ。心から。

「戸賀くん、やっぱりキチガイだ。頭のネジが飛んでる」

「そうかもしれないね。でも僕は……俺は本当に君のために何かしたいって思ってるんだよ。本当に申し訳ないって思ってるし」

 白いアームで体を支えながら、彼女は車椅子に戻る。車椅子が後ろに下がらないように健太はハンドグリップを握った。

「ゲロ吐いたりさ、殺そうとしたり、何かしたいとか、触ってきたりとか、ホント意味、分かんない」

「じゃあ、君はどういうつもりで俺を呼んだの? 話しを聞きたかっただけ? 俺が泣き喚くところを見たかっただけ? 恨み事をいいたかっただけ?」

 そういえばどうしてだろう。そんな言葉が由紀の口から零れた。別に健太のことはどうでもよかった。どういう人間だったのかということは確かに彼女にとって気になることだったが、それほど重要でもなかったし、わざわざ自分から彼に近づく意味も理由もなかった。思い返せばリスキーなことばかりしている自分に由紀は不思議な気持ちになる。

「君は前に運命という言葉を使った。俺もここで運命という言葉を使うよ。ここで俺と君が会うのは運命だったと思う。俺が君を支えるのも運命。そんなの嫌だって君がいったって、俺は認めないし、許さないよ」

 そこで、そこで初めて健太は笑った。子供のように笑って、後ろから由紀の頬をつねる。その手は血にまみれた手で、常軌を逸した心根を持つ人間の手だった。腐臭がする手で、洗っても落ちない臭いで、いつまた狂気に踊るか分からない人間の手。

 振りほどこうとして、由紀は手を掴んだ。久しぶりの温かい手。久しぶりに触れた柔らかい人の手。

「君は美しいよ。何よりも綺麗だよ。俺みたいに本当に狂った人間じゃないんだ。俺みたいに本当に人の死を願った人間じゃないんだ。誰かを利用してまでやりとげようなんてしようとしなかった」

「正確にはね、できなかっただけ」

「そこが運命なんだよ。俺は君にそんなことをさせないために今、ここにいる。君が血に塗れないように、俺がいる。そうじゃないかな? そう思うと素敵じゃないかな?」

「戸賀くん、言葉がいちいちカッコつけてる」

「そうかな」

「……そうだよ。美形だからって何いってもカッコつくとか思ってるんじゃないの? 私、そういうの許さないよ。そういうの、録音して油断した時に聴かせるタイプの人間だよ。それで、羞恥に悶えてるところをビデオで撮影するの。そういうね、気概がないと私の友達になんてなれないんだよ。そんなんじゃ、友達にはまだまだなれないよ」

 由紀は最後まで手を振りほどかなかった。


 ベットの上で一人、友達という言葉を繰り返して、由紀は歯がゆい顔をした。言い慣れないのだ。ライバルのような者はいたが、友達と呼べるような人間はいなかった。友達の定義とは何だろうと思う。

 由紀は本棚から辞書を取り出す。タイトルは「ことばのじてん」という低学年向けの本。由紀はひらがなと初歩的な漢字しか読めなかった。

 事故に遭い、治療しながら彼女は計算した。自分がまともに働いて、賃金を稼ぎ、復讐を果たせるようになるまでどれくらい掛かるのかという計算。子供の頭で考えたのだ、ざっと二十年ほど掛かるという計算を。その時、由紀はぞっとした。それだけの時間、自分は彼女たちに何もできず、また彼女たちは何も償うことなく幸せを謳歌し続ける。不幸のしわ寄せは自分だけにきて、彼女たちには何もない。時間が経てば経つほど、相手を見つけることが難しくなることも何となく彼女は分かっていた。だから、彼女は学校にはいかなかった。

「したしいひと。いっしょにべんきょうをしたりあそんだりして、したしくするひと。……私、戸賀くんと勉強したり、遊んだりしたことないけど」

 これから友達になっていくのか。誰もいない寝室で、もう誰もいない家で、彼女はそんなことを一人思う。

 両手を目の前にかざして、比べて、笑った。不揃いな両手だった。

「無理だ」

 こんな腕ではきっと遊べない。こんな足では駆けっこだってできない。勉強だって自分はしてこなかった。彼のレベルにはきっと追いつけないだろうと思う。きっとそれは己の無力さを再確認する作業でしかないのだ。

 風呂に入るのにも、トイレに行くのにもやっとの自分が、健常者とどうして同じことができるといえるのか。その現実的な想像を翌日、健太は容易に打ち破った。

「えっ、戸賀くん。これも分かんないの? どうやって学校入ったの?」

 歴史の問題だった。漫画で分かる歴史というシリーズの本を多く読んでいたため由紀は歴史にはそれなりに自信があった。

 中学生ほどの歴史認識は持っていたので、健太に本屋でプリントを買ってこさせ、一緒に解いた。その結果が、健太の無知。

 所在無さげに健太は、俯いて答えた。

「私立だから、お金払って、名前書いておけば入れるんだ。あと俺の母さんが卒業生で成績優秀者? とかだから、なんかよく分かんないけど、確実に入れるんだって」

「授業は?」

「寝てた」

「…………」

 由紀は頭を抱えた。健太は自分よりも頭が悪いのかもしれないと。そんなことが許されていいのかと思う。勉強が許されるのなら、勉強をしたかったのに、それが許されていた健太が勉強をしてこなかった。それが由紀は気に食わない。

 きっと、たまたま歴史が苦手だったのだと思い、由紀は理数のテキストを健太に与えた。国語のテキストも与え、答え合わせをする。して、引いた。心の底から引いた。哀れみすら顔に浮かべて、由紀は言葉につまる。この男はきっと容姿に持てるエネルギーが全て使われているに違いない。そう確信した。

「と、戸賀くん、一緒にさ。同じ所から始めようか」

「…………うん」

 魂が抜けたような顔で健太は天井を眺めていた。頭がいいと思っていたわけではないにしろ、自分の知識レベルがそこまで酷いものだとは夢にも思っていなかったのだ。

 羞恥を通り越して、健太は無の領域にいた。手渡された低学年向けらしきファンシーな表紙のドリルにため息をついた。リアルな自分の評価。

 健太の悲惨な顔つきとは対照的に由紀の顔は明るかった。本人もどうして自分はこうまで気分が良いのだろうと思う。

「ほっとしたのかも」

「ん? どういうこと?」

「健太くん、それ読み方“だい”じゃなくて“いぬ”だよ……」

「あっ」

 顔を真っ赤にさせて消しゴムを掛ける健太を尻目に由紀はクククと笑った。

 健太は涙を浮かべて、黙る。自分は酷く馬鹿にされているに違いない。小さいながらも、プライドはあったのだ。

 由紀はふてくされ気味に顔を赤くしている彼の肩を指でつついた。彼はぶっきらぼうになんだよと振り向いて、視界を塞ぐ紙を見た。

「見て見て、私、日っていう漢字と目っていう漢字ね、間違えてる! こっちは入っていう漢字と人っていう漢字! あはは」

 健太は噴きだした。由紀も噴きだした。二人して、腹を抱えて笑った。

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