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07……こんにちは。素敵な顔。

「……し、死んでる?」

 彼女の顔を見て、健太はぞわりとしたものを感じた。何かおかしいと思っていたのだ。あらゆるものが非現実的過ぎた。ビルの屋上に家があることも、庭に森があることも、車椅子に座る少女も全て、何から何まで現実離れしている。

 自分はもしかして、何か不気味な世界に入り込んでしまったのではないかと思った。不協和音を奏でる不条理なショートムービーを思い出す。彼女はきっとあの世の使者で、自分を裁くために現れたに違いないと。

 逃げることも許されない。逃げたとしてもきっと捕まる。そんな確信を覚え、健太は悲壮に顔を歪めた。できることなら苦痛の少ない死を望みたい。そう頭を垂れる。

 そんな健太を由紀は吹き出して笑った。違う違うと手を振って、健太の考えを否定する。

「戸賀くん、死んでるってそういうことじゃないよ。命がないという意味じゃないよ。比喩的表現。メタファー、メタファー」

 あーおかしいと涙を拭い、由紀は続けた。

「私を殺したのは戸賀くんだよ」

「俺が殺した? 既に?」

「そう。既に殺してる。私の生きがいってなんだと思う? お金を稼ぐこと? 食事を楽しむこと? 寝ること? 本を読むこと? 土いじり? チェス? 睡眠とか食事とか取らないといけないことは置いておくにしても、私はそれ以外のものがなくても生きていける。お金稼ぎだってただ生きていくための手段でしかないし、本を読むことといっても、私はひらがな以外読めないわ。土いじりも仕事の関係上、そうしているだけで生きがいじゃない。チェスもただの娯楽」

 自分の生きがいとは何か。健太は考える。そもそも生きがいとは何を差すのか。

 生きるための目標。生きていくための指針。

「私の生きがいはね、彼女たちに復讐することだった」

「彼女たち……それって」

 由紀はにっこりと笑い、頷いた。金木犀(きんもくせい)の香りが一瞬、健太の鼻先をかすめる。

「そう。戸賀くんが殺した人の中にいた女の子のこと。私はそのために努力してきたし、そのために生きてきたし、そのためにお金を稼いできた。このビルのオーナーになったこともその過程にしか過ぎないの。ようやく彼女たちの情報を手に入れて、彼女たちを合法的に抹殺か、それに近いことだってできるようになった。私が見た地獄だって彼女たちに見せてあげられる。そういう力を得るために一生懸命、頑張ったわ。それなのに、全部さ、戸賀くんが持っていっちゃった」

「それが君の生きがい?」

「そう。私の生きがい。もうね、それがなくなっちゃってから毎日が退屈なの。何もかもが色あせて見える。何をしていいか分からない。毎日、見る悪夢も彼女たちに復讐すれば、きっと治まるって思ったわ。この手の痛みも、足の痛みも、頬の痛みも、目の暗闇も、きっとどうにかなるって。これってね、恋焦がれる感覚に近いと思うのよ、多分。恋はしたことないから、分からないけど、でもそう思う。生きがいをすっかり持っていっちゃった戸賀くんを殺しても、意味はない。戸賀くんに私と同じ地獄を見せたところで、私の恨みは晴れない。何をしてもね、満たされない。そういう意味でね、戸賀くんは私を殺したのよ」

 白いアームがカップにココアを注いで、由紀に手渡す。

 健太は呆然とした。確かに自分は由紀を間接的に殺しているのかもしれないと思う。親を殺され、自分の手足を潰され、ここまで来るのに時間も掛け、執念であらゆることを乗り越えてきて、ゴールが見えた矢先に、横から来た訳のわからない男に先取りされたのでは、溜まったものではないだろうと思う。

 彼女たちの死に限って言えば由紀のような理念があったわけでもなく、また大義のようなものがあったわけでもなかった。半ば、場当たり的だったことは否めなかった。

「私を殺しておいて、それでもなお殺したいというのなら殺せばいいよ。私には友達も、親戚も、思い出も、過去も未来も、夢も希望もない。あはは、おまけに足と手もない。顔も醜く歪んでる」

 ほら、と彼女は健太に見せびらかすように足と手を振った。パステル調のスカートが揺れる。片方だけ欠けた足。片方だけスリッパを履いた足。

 髪で隠した頬の荒々しい傷跡とその横で振れる金属の腕。

 健太は目を伏せて、自分の代償と彼女の代償を秤にかける。どちらが重く傾くのか。

「戸賀くんも笑いなよ。ほら、おかしいでしょ? あの子どもたちが言ってたみたいに、変でしょ?」

「笑えないよ。俺には君のことを笑えない」

「笑ってよ。もう、私には本当に何もないんだから」

 笑った顔を由紀はくしゃくしゃに歪めて、泣き出した。背を丸めてエンエンと声を上げる。

 健太はどうしていいか分からず、立ち竦んだ。そして思い知る。

 彼女には本当に復讐以外何もなかったのだ。健太が殺したのなら納得できると自分を誤魔化してみても、意味はなかった。自分の幸せを奪った相手にやり返すことだけを夢見てきたのだ。その憎しみだけで、絶望を退けてきたのだ。その絶望が由紀を再び襲っている。無防備な彼女の体を。

 気丈に笑っていても、由紀の心はその辺を歩いている少女と何も変わらない。遊びたい気持ちもあるし、勉強したい気持ちもある。何も変わらなければ、何も起こらなければ、友達と恋の話しに花を咲かせることもできたのだ。その青春を奪った相手を、更に奪った自分は一体何なのか。

 健太は思う。自分には姉という生きがいもあるし、生きる目標について彼女ほど絶望になり、悩んだこともない。時間をかけて育てた情熱も、情念もない。既に死んでいる由紀をしたり顔で殺そうと思った自分を、きっと彼女は酷く羨ましかったに違いないのだ。容易に目標を生み出し、他人を憎むことのできる自分が酷く妬ましかったはずだ。そう思う。

 肩に手を触れようと健太は試みた。しかし、由紀は怯えたように体を引かせる。

 目を真っ赤にさせて、彼女は鼻声ながらも語った。

「私には……触れたら死ぬよ。私の両親と、私に優しくしてくれた看護婦さん、隣の病室の子、近所に住んでたおじいさん。お父さんの友達、お母さんの友達。みんなみんな私に触れて、死んでいったから。私ね、死神なんだって。疫病神なんだって。道を歩いてたら占いオババに憎悪の霊がまとわりついてるっていわれたこともあるわ。人を不幸にして、呪って、苦しめる悪鬼だって。人の運気を吸い取るんだって。私にはお似合いよね、こんな体の、憎しみだけで生きてきた私には」

 言い切り、彼女はまたボロボロと涙を流す。見えなくなった瞳から、見えている瞳から区別なく涙を流す。

 悲痛に身を丸める彼女の涙を躊躇なく健太は拭い、膝を折った。花の花弁を開くように、そっと顔を覆い隠す両手を取る。冷たい金属の手に触れ、残った腕の手に触れ、アシンメトリーな顔をまっすぐ見る。

「君は醜くなんかない」

「ウソよ、ウソだわ、ウソに決まってる」

「本当だよ、君は綺麗だよ。何よりも綺麗だ。……君の生きがいを奪って、君を殺した俺が、全部を埋めるよ。全部、俺が与えるよ。君の友達になって、君の生きがいを見つける。君の望むものがあれば、命をかけるよ。君を守って、君が満足するまで、僕は僕を捧げる」

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