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05……天孫降臨1/2

 茨木理子は繰り返す毎日に飽きていた。同じ事を延々と繰り返すことは狂気なのだと知りながら、そのルーチンから抜け出せなかった。

 そんな中、美しいな少年を見た。思春期から青年期に移り変わる瞬間の独特かつ中性的な雰囲気と、大人を一切信頼していないような日本人離れした鋭い顔作りは彼女の目を惹いた。

 彼を見た瞬間、理子の背筋を針で刺したような衝撃が通り抜けた。

 気がつくと彼を追っていた。追いかけ、少年が不釣合いな男性とホテルに消えていくのを見た。その後、仲介役らしき少女と合流するところを見届けた。数分後、彼女はその少女と交渉していた。次の日には彼と肌を合わせていた。

 会う度にプレゼントを送り、デートを楽しんだ。彼はおざなりに感謝を述べる程度だったが、それでも嬉しかった。


「先生、僕にこういう格好ばっかりさせて、ほんと仕方ない人ですね」

 健太は羞恥とも、呆れともつかない様子で(ひざまづ)く理子を見下す。

 ホテルの鏡張りの壁に、ベットに腰掛ける彼と全裸の自分が映り、彼女は光悦とした。

 先ほど町中で着せていたゴシックロリータも彼女は気に入っていたが、今の血のように赤い花魁(おいらん)調の着物の方が好みだった。アイラインの強い化粧も理子が施した。

「恥ずかしくないんですか?」

 軽蔑したような視線に理子は悶えるような息を吐く。鎖のついた首輪をしているがまだ引っ張ってもらえていない。それがもどかしくて、彼女は何ともいえない顔をした。少し前まで目隠しをされていて、外してもらったばかりだというのに、欲望はもう違うことを欲していた。

 貪欲な自分の欲望を絶妙な加減で叶えてくれない彼に、理子は幸福を感じていた。

「ご、ごめんなさい」

「ねえ、僕は今、喋っていいっていった?」

 首を振って彼女は否定の意を示す。

 健太は鼻で笑い、立ち上がった。理子は素早い動きで四つん這いになる。当たり前のように健太が背中に座った。重みに、理子は小さく(うめ)く。

 鎖にやわく触れる彼の細い手に心臓がやぶれそうなほど高なる。

「これはお仕置きかな」

 もう一方の、腰に添えられた手がふわりと持ち上がった。彼女は(よだれ)を零しながら尻に力を入れる。手で、それも直接叩いてもらえるということに興奮する。全身全霊、脳髄の全てを使って、その瞬間を、感触を刻み込まなければならないと彼女は思った。

 しかし、健太は微笑んだまま、その手を振り下ろさない。

「やっぱりやめようか。先生、お仕置きすると喜んじゃうみたいだし。なら、お仕置きはしない方がいいよね?」

「ひ、ひどいです!」

 彼は無視して、ケイタイを弄った。

 支えた細腕を震わせながら彼女は健太を恨めしそうに見つめる。しかし、彼は気にしない。目に止めない。

 理子は気力としても支えられなくなり、腕を崩した。健太の尻が理子の頭を埋める。理子は泣いた。健太の下で、くぐもった声で泣いた。お願いしますと、泣き喚いて、しつけを乞う。

「……うるさい、泣くな」

 侮蔑するような顔で健太は鎖を引いた。特別製のベルトが力に合わせて口をすぼめ、理子の首が緩やかに締まる。鼻水で顔を濡らしながら、理子は笑った。泣きながら、興奮に顔を赤らめて笑う。

 健太が冷えた笑みのまま、(ほお)を叩く。油断していた理子がその痺れるような痛みを味わう暇もなく、彼は口づけをし、耳元で囁いた。

「ほら、逝け」

 耳を彼の歯が強く噛んだ。ぬるい吐息が首筋と聴覚神経を撫でる。理子は失禁で太ももを濡らし、絶頂に達した。


 ことが終わると、健太は優しかった。先ほどの鋭利な刃物のような顔は既になく、心配そうに理子の首についた痕を撫でて謝罪する様子は歳相応の常識があった。

「先生が厳し目でっていうから、ちょっとキツくやっちゃっいましたけど、大丈夫ですか?」

「最高でした。……本当に最高でした、もうっ本当に」

 ロリータ服といい、着物の調達といい、金は掛かったものの、元は十二分に取れたと思った。

 困惑と羞恥の健太の顔。軽蔑と侮蔑の健太の顔。それを最も近い場所で見れた自分はきっと世界で一番幸福な人間なのだと彼女は半ば錯覚しかけた。

 ぼんやりと天井を見つめながら先ほどの行為を反芻(はんすう)していると、健太が腕時計を見た。彼女がプレゼントしたカルティエの時計。

「あ、もうそんな時間ですか」

「すみません、先生。この後、予約があるんですよ」

「……そうですか」

 彼が自分だけのご主人様ではないのだという現実に気持ちが沈む。自分以外の誰かの首を締め、顔にツバを吐きかけ、頬を叩いている。そのことに彼女は耐え難い嫉妬を覚えた。

「みんな死ねばいいのに」

 一人、ホテルの一室で彼女は呟いた。有線放送からキャッチーなポップスが流れている。健太は既にいない。周りの目もあるため、時間差で出て行くのが暗黙の了解だった。

 理子は舌打ちをした。健太を専有したいという気持ちが日を追うごとに強くなっていた。しかし、あくまで彼にとって理子はただの顧客に過ぎない。いくら愛を注いでも、応えてはくれない。払った分の金額までしか愛してくれない。近いはずなのに遠いという歯がゆさと、もどかしさ。すべてを理解できるし、受け止められると分かっているのに、こちらを見向きもしてくれないという不条理に、苛立つ。

 彼のためになら喜んで死んでみせるのに。そう思いながら、彼女は歯ぎしりをした。


「ふんふんふーん」

 理子は上機嫌だった。すこぶる上機嫌だった。

 年甲斐もなくスキップをする。ヒールだったことを忘れていたせいか、転んでしまったが、気にしなかった。痛みよりも前に、笑ってしまう。

 理由は単純だった。自分以外の彼の顧客が死んでいっているから。最近は顧客どころか仲介役の少女すら死んでいた。それが嬉しい。いずれ自分の元にも刺客が送られてくるのだと分かっていたが、それは問題ではなかった。

 ニュースや新聞を騒がせる通り魔と死んでいく彼の関係者。それを見た時、彼女は瞬時に理解した。これは彼が与えてくれたチャンスなのだと。選別なのだと。生き残ることができた人間のみが彼の寵愛を(うけたまわ)ることが許されるという試練。

「でも彼じゃないのは残念」

 実行犯が健太ではないことを彼女は知っていた。彼女は随分前から、健太の家が見下ろせる位置に居を構えていた。彼の帰宅と外出の時間、移動先を把握していれば、そこに矛盾が生じることは明らかだった。

 もしも彼が直接、殺しに来てくれたら。そう考えて、彼女は光悦とした表情で身震いした。

 マンションのエレベーターを登りながら、理子は手首の時計を見つめる。カルティエの時計だった。健太が妹の活動資金として質屋に売った時計を買い戻したもの。

「そろそろだと思うんですけど」

 自分の居場所が知られていることを彼女は理解していた。先ほど健太の妹が自宅付近をうろついているのを見たのだ。

 早く来ないだろうかと、にやつきながら、彼女はベランダに向かった。五階の窓から見える彼の家は豆のように小さいが、望遠鏡を使えば、距離は縮まった。覗き口に目を這わせ、いつものように倍率を合わせる。

 その瞬間だった、チャイムが部屋に響いた。理子は望遠鏡を折りたたんで、準備を始める。靴箱の上にハンマーを置き、ポケットに催涙スプレー。服の下に防刃ベストを着込み、ガスマスクをつけた。両手には消火器。あとは鍵を開けて、相手が入ってくるのを待つだけ。

「鍵は開いてるんで、どうぞ入ってください」

 幸運を運ぶ死神を抱きしめたい気持ちを抑え、彼女は至って事務的に声を発した。

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