34……結論ありきの運命。
自分の番号を呼ぶ声に由紀は病室へと向かう。理子は忙しさを理由にまったく会おうとしなかった。建前だろうと思ったが、混雑する待合室を見る限りではそれも本当なのかもしれなかった。
少し前に美人すぎる精神科医ということでテレビの露出があったためか、待合室の混みようは異常なものがあった。しかし、それも母親が強盗に襲われ死亡した一件以来、ひとまず収まったと由紀は聞いていた。目減りしたとは思えない待合室の人だかりに、彼女は思った以上に世間は冷たいのだろうと少し呆れる。
心冷たく、病んだ人間は他人に目を向けている余裕がないのか。それこそが他人の精神を蝕み、感染を広げていく疫病の元のように思えて、彼女は身震いする。
腐ったカビは別の根にも腐敗を広げ、全体を死に至らしめる。腐った部分は切り取らなければ止まらない。
「あはは。考え方が農家だなあ、私」
ゆっくりと体重を移動させながら、彼女は背もたれのない丸い椅子に座った。義足は体重移動がもっとも注意しなければいけない行動なのだ。
「え? 何ですか?」
「ううん、こっちの話しだから」
茨木理子は笑みの中に困惑を混ぜて、顎を引いた。
随分と可愛らしくなったなと由紀は思う。人間的であるとすら思う。彼女目当てで通院を希望する客も少なくないという話しも頷けるような気がした。
「それで、今日はどうしましたか?」
「あっ、まずはお悔やみを申し上げます」
「……ああ、アレのことですか。いいんですよ、ゴミにふさわしい末路ですから。そんなことをいうためにわざわざいらしたんですか?」
理子は心底呆れたといった様子でペンをテーブルにおいた。不愉快さを隠しもしない。母のために祈る人間がいることすら許さない様子だった。
葬式すら上げていないと聞いていたが、上げる気がそもそもないのだろうと由紀は思う。
「もちろん、そのためだけじゃないよ。あなたが会ってくれないからさ、わざわざここに来たの。オーケー?」
「ですから、私も忙しい身で……」
「うん、病院で寝泊まりするくらい熱心なのは知ってる。正直さ、最初はあなたを監視してたよ。だって、あなたはどう見てもキチガイだし、どうみても危険な人間だし、善悪の価値観がぶっ壊れてるから。オマケにあなたが彼に告白するっていってすぐのことだったでしょ? どう見ても怪しいよね。だから、ずっと監視してれば、どっかでボロを出すはずだって思って」
「ボロ?」
由紀の煽るような言葉を意に介さず、彼女は妙に人間味のある表情で困惑し、首を傾げた。
由紀は白々しいとその様子を鼻で笑う。不愉快な言葉を意に介さない、それ自体が既に非人間的であると彼女には分からないのだ。
「健くんを誘拐したなら、絶対どっかで会うと思ったんだよね。彼を監禁してるなら監禁してる場所に行くはずだって。彼に食事を与えたら、ゴミとかだって出るだろうしさ。でも、あなたは本当に仕事熱心で、家に帰らない日も多かった。だからね、ちょっと諦めてたんだよね。もしかしたら彼は彼の意思でどこか遠くにいってしまったのかなって思ったくらいだよ。もしくは殺されたのかなって。でもね、ちょっと前に電話が掛かってきたんだよね、健太くんから」
「ほ、本当ですか!?」
身を乗り出すように理子は驚く。
何がそうなのかは分からなかったが、由紀には彼女の仕草全てが不自然に思えてしかたがなかった。
「彼はほとんど私にヒントを与えなかった。与えてくれなかった。どこにいるのかも、どういう状況なのかも、いわなかった。でもね、彼の電話で分かったことがあるんだよね。ひとつ、彼は公衆電話のある場所にいた。昔ならいざしらず、今じゃ携帯電話の普及で公衆電話の数もすごく減ったよね。市内に限っていえば、それこそ限定的だよ。もしかして、彼、実は近くにいたりしてね」
「えっと、そもそもなぜ公衆電話だと? 携帯電話とか、固定電話とか、そういう可能性はなかったんですか?」
「十円玉がもうないから切るっていってたから、そこから」
「……なるほど。でもあれから半年近く経っていますから、残念ですけど市内にいるか、どうかは少し怪しいですね」
「うん、その可能性もあるよね。もし遠くのいるのならこの理屈は成り立たない。ああ、それでふたつ目だけどね、彼との電話内容を録音してたんだけど」
レコーダーを取り出すと、理子は一瞬、血の気が引いたような顔を見せた。
由紀は気にせず、レコーダーを再生させる。健太との短い会話が部屋に反響した。しばらくして由紀がバカヤロウと叫んで通話が終わった。
「これが?」
「私の声さ、また私の受話器が拾ったの分かる? 私側の受話器にバカヤロウって言葉が入って、彼の公衆電話の受話器の耳の部分に繋がって、その声は彼の公衆電話の口の部分が拾って、私の電話に戻ってきた。やまびこみたいにさ。これ、えっと、エコーとでも呼ぼうか。このエコーの遅延をね、計算すると彼がこの時、大体どの距離から電話してきてたのか分かるんだよね」
「へえ」
「エコーのエコーを計算すれば更に精度が高まる。それとさ、健くんとの録音を聞いてなんか変だと思わなかった? あ、そう。思わないんだ。私はね、やけに静かだなって思った。確かに虫の鳴くような季節からは大分遠くなったけどさ、でも、ここまで静かなのっておかしいよね? 車が通るような音もなければ、人の声も、草木の揺れるような音すらしない。電話の精度が悪いのかな? それとも何か施設的な場所にいるのかな? あなたはどう思う?」
“いる”という半ば断定的な言葉に理子は口を開いて拒絶しようとした。しかし、由紀はそれを遮るように続ける。
「ああ、それとね、その日、健くんのお姉さんが珍しく騒ぎを起こしたらしいのね。最近はずっと静かで固定器具もつけなくていいっていってもらえるくらい大人しかったのに」
「そうなんですか。それが?」
「別に。ただね、ただ、その日、私は確かにブラインドを下げてお別れしたんだよね。さよならお姉さん、また明日って。そう、下げた。下げたんだよ。お姉さん、外が見えてるとずっと起きてちゃうって看護師さんから聞いてたから。なのにブラインドは上がってた。不思議だと思わない? “そうなること”を知っている看護師が上げておくはずがないし、お姉さんが自分から上げるはずもない。何回思い返してもね、やっぱり私は下げたのを確認してた。じゃあさ、一体、誰がブラインドを上げたままにしたんだろう? もしかしたらね、私はすっごく単純なことを見落としていたんじゃないかって思うんだよね。例えば彼の監禁されている場所とかさ。ねえ、どう思う?」




