表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/43

21……死ね。

 理子は自分の体が崩れてしまわないように、両手で自分を抱き締めるようにして震える。怯えたように震える。

「あなた、に……あなたにだって、愚かな両親の血が流れてる! そうじゃないですか。あ、あなたにも流れてる! ふふふ、あなたの体を引きちぎった両親の血が!」

「そうね。でも最後まで両親は私のことを愛してくれてた。あなたとは違って。あなたは両親から愛されたと感じたことがない。事実、愛されなかった。だから他人が分からない。他人に興味が持てない。人を理解するということは、他人を愛して、他人から愛されたことがなければ分からないから」

「わ、わ、私にだって、私、わた、私、お兄ちゃんが、私のこと、愛し」

「その愛してくれた兄に裏切られた。そうでしょ?」

 理子は不思議そうな顔で悲鳴を上げた。誰かが叫んでいるといったような顔で。

 辺りを見る。そして、はたと気づく。両耳に手を当てている自分が叫んでいるのだと。汗まみれの自分が叫んでいるのだと。恐怖しているのだと。

 そんな理子が鬱陶しくて、由紀は夜空を眺める。普段なら見える星々も今日はない。ふと悪魔は星の力を得て、動いているという話しを思い出す。星の見えない日、悪魔は一体どうしているのだろうか。何から力を得るのか。

「お兄さん、キレイな人だった。健くんみたいに」

「やめてやめてやめて」

「借金の“かた”に取られたっていうのも最初はピンと来なかったけど、納得したよ。あんなにキレイなんだもん。変態さんもお金、快く払ってくれるよね。……最初は知らなかったんでしょ? 知らないふりをしてたんでしょ? 兄が売られた、あるいは“兄が体で稼いだお金”で暮らしているっていうことをさ。それを知って、酷く裏切られた気持ちになったんでしょ。優しかったはずのお兄さんが分からなくなったんでしょ? 理解ができなくなった。自分の理想であり模範であるはずの兄が、お金で自分を捨てたという軽蔑と、それなしで自分たちは生きられないという現実があなたに強い衝撃を与えたんでしょ? 大切な人を犠牲に生きているという嫌悪と、それはすごく当たり前な行為なんだって肯定が一緒にやってきて、混乱して、あなたは思考することを放棄した。感情を凍結させた。で、冷徹冷酷人間のできあがり。母の支配と兄の喪失があなたの性格と人生観を決定づけた」

 リヴァイバル。流暢な英語で由紀は言った。

「健太くんを見た時、嬉しかったでしょ? 止まっていた時間が動き出したみたいに。事実、あなたの時間は動き出したに等しいわ。あなたはやり直す機会を得たんだから。今度は力があって、理想を救い出せる。望む未来を描ける。そのはずだったよね? で、あなたがしたことはなーんだっ?」

「やめて、やめてください、やめてよ、やめてって……」

 嗚咽する理子の声をかき消す声で由紀は踏みにじる。知っているぞと踏みにじる。軽蔑した目で暗い闇の中から見つめる。

「兄を取られたっていう気持ちが強かったのね。それとも失ったという気持ち? もう二度と失いたくないっていう気持ち? あなたは兄がそうされたように、健くんを買った。金で買った。人間って不思議ね。こんなところで過去のトラウマが……支配が生きてくる。課程は違うのに、同じ事を繰り返す。もっともしたくないことなのに、いつの間にか選択してる。運命という言葉を何となく本質として感じるわよね」

 理子は支配することしかしてこなった。支配するということが体に根付いていたのだ。他人を支配しなければならないという強迫観念と、兄を今度こそ救うという気持ちが合わさった結果、理子は無意識に兄を奪った人間と同じ結果を選んでしまった。健太を金で買い、独占して、支配するという結果を。

 それを指さして由紀は笑う。ただ純粋に不思議だなと微笑む。

「結局のところ、あなたは健太くんが好きなんじゃない。彼に目を惹かれたのは、彼に理想である兄を重ねていたからに過ぎないの。母親からいつも救ってくれた兄の姿を彼に重ねていた。止まっていた感情が動き出したのを、恋愛感情だって勘違いしただけ。ねえ、人間ってさ、経験を積み重ねていく生き物なんだって。つまり人間は経験からしか学べない生き物なんだね。あなたは、あなたの人生は、結局のところ奪われ続けたという一点に尽きるわ。もう奪われるのは嫌だと行動した結果が、奪うことでしかなかったって凄い皮肉よね。でも、奪われることしか経験して来なかったあなたには、それしかなかったのかなって思うと少し可哀想だとすら思うわ」

 もしもどこかで誰かが彼女を愛してくれていれば。あるいはどこかで誰かが彼女に与えてくれていれば、結果はきっと違ったものになったのだろう。そう由紀は思うが、口にはしない。“もしも”という可能性に意味は無いと知っているからだ。

「うぎぅ……」

 絶望に顔をうずめて、理子は床に倒れる。起き上がる力が湧かない。思考すらままならない。ただ呆然となって、震えた喉で、呼吸を深く深く繰り返すだけ。自分のありとあらゆることがすべて幼稚で、間違っていて、意味のないことだと自分自身で理解してしまった。それが正しいと心が認めてしまった。だから彼女は何もできなくなったのだ。

 車椅子を近づけても、理子は動かない。顔の輪郭すらも目視できる位置に由紀が来ても、彼女は動かない。由紀が車椅子から降りて、両手で顔を支えても、理子は動けなかった。ただ思いに忙殺された瞳で、思考を奪われた目で見つめ返すだけ。

「あなたは強い。強固な鎧に身を包んだような、あなたは強い。人を支配することに長けたあなたは強い。強い憎しみを糧に生きるあなたは強い。死を恐れないあなたは強い。兄への思いの強さが、彼を求めれることに繋がった。方法は間違っていたけど、あなたは人一倍、幸福を求めた。それは筆舌に尽くしがたい。凄いことよ。勝てるわけがないのよね。私の思いごときじゃ、あなたに勝つことなんてできない。きっと、私が包丁であなたを刺したってあなたは何とも思わない。車で跳ね飛ばしたって、きっとあなたは平然と立ち上がる。そして冷めた声で救急車を呼ぶのね。まぐれで殺せたとしても、きっとあなたは私の心か、彼の心の中に潜み続けるような呪いを残してから死ぬ。勝った気になんて絶対にさせない。怪物ね、怪物」

 汗で濡れた額を愛おしそうに由紀は撫でた。滑るように、涙の跡を指は追い、唇に触れる。

「あ、あ、あああ……」

「だから、あなたを倒すにはあなたを一度、人間にしないといけないって分かったの。ただの人間なら、絶望が分かるでしょ? 死の恐怖を感じられるでしょ? シスター、実行」

 粉塵を巻き上げて、瓦礫を巻き上げて、首長竜のような陰が夜空に浮かぶ。ぼんやりと赤いダイオードを光らせながら、それは理子の手首をがしりと掴んで、締めた。

 不思議そうに理子は自分の手を見つめ、続けて車椅子に戻る由紀を見た。

「こ、こ……これ、は?」

手枷(てかせ)。あなたを永遠にここに繋ぎ止めておくための鎖」

 少し遅れて、意味を理解した理子は絶叫した。焦りに(あふ)れた表情で鎖から逃れようとする。叩きつけて、怖そうとする。足で踏みつけて、引っ張って逃れようとする。

 由紀はそれを暗いところから眺める。微笑んだまま、見る。瞳の奥は暗闇のせいか、ただ暗かった。

「……い、い、い、い、いやだ! 死にたくない! 死にたくない!」

「あはは。それね、知り合いから誕生日プレゼントで貰ったの。自殺しようとした時、電源を切っていたのに、何でだろ。緊急システムみたいなものなのかな、動いて私を助けてくれた。何もいってないのに助けてくれた。ねえ、人の安否を祈る心って、人の幸福を祈る心ってすごく純粋なもののように思わない? 私にはそれこそがね、人類が唯一、他の生物よりも優れた生き物の証のように思えてならないの」

「いやだ! や、やっと、私は、やっと私は……」

「うん、人間になったあなたなら、本当の愛を知れるし、もう他人を支配しようとは思わない。彼への異常な執着もなくなって万々歳。きっと優しくなれる。それは人間になったから、弱さを知ったから」

 モーターを唸らせて、由紀はエレベーターに向かった。目もくれず、理子から離れていく。

「でも、だからって過去の行いが正当化されるわけじゃない。安心していいよ、あなたの役割はきちんと私が埋めるから。健くんと幸せになって、あなたのお母さんを幸せにして、みんなで笑って、あなたの分まで生きるから」

「あ、あ、あ、あ、ああ、ああああ、あああああ、ああああああああああああああああ!」

 べそをかいた顔で理子は起き上がり、駆ける。彼女に手を伸ばして、駆ける。しかし、見えない壁にぶつかったかのように失速した。鎖が、手枷が、その先に行かせない。あと拳ひとつというところで届かない。

 まるでそれが自分の全てを表しているかのようで、彼女は泣いた。

 まるでそれが理子の全てを表しているかのようで、由紀は笑う。

「あ、最後に一つ……じゃなくて、二つ聞かせて。あなた、父親を殺したの? 探したけど行方不明になっててさ。あなたのお母さんも、そのことだけは何か煮え切らない感じでね」

「あ、わ、あ、私は、わたしは、殺してない」

「じゃ、お母さんに殺させたんだね。全てを文字通り奪ったんだね。母親の全てを」

 やっぱり死ね。そう誰かが囁いた。

「たす、助けてください。すみませんでしたごめんなさいゆるしてくださいわたしがわるかったです」

 由紀は微笑んだまま無視した。エレベーターの扉を閉めるボタンを押す。

「じゃ、最後の質問。ね、悪魔は見えた?」

 ゆっくりと閉じる扉に合わせて、光が失われていく。由紀の顔が消えていく。

 理子はただ、それに叫ぶだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ