ミスター残念,ミスターパーフェクト
目が合ってまずいと思った瞬間に璃沙は浮かべられた笑みを見てしまった。
石になりそうな気分だった。実際、石になれた方が楽だっただろう。そうしたら、面倒なことから逃げられて、何も考えなくていいと言うのに。
身長は百八十近く、無駄など感じさせないスリムさでモデルのようだ。けれど、弱々しさはない。鍛えているのだと以前聞かされたことがある。
立っているだけで絵になるずるさを持っている。そのスタイルだけでなく、顔も端正と言わざるを得ない。それこそ全校生徒が認めるような本物の美男だ。
イエローゴールドの髪が眩しく、女子の目には薔薇を背負って映るらしい彼は、誰をも虜にするような甘い笑みを浮かべて璃沙の肩を気安く抱いてくる。
「よっ、璃沙。今日も美人だな。こんなところで何してんの? 中、入ればいいじゃん。今、お菓子とコーヒー、用意するよ」
極自然に彼はエスコートしようとしているらしいが、璃沙はブンブンと首を横に振る。
今すぐ走って逃げ出したいというのに、許されない。
星河はもう手を離しているのだが、この男に捕まってしまったら振り払うということが璃沙にはできない。
「俺とお茶しにきたんじゃないの?」
顔を覗き込まれると俯くしかない。
そんなわけがないと更に首を横に振ってもこの男には通用しない。
「あ、あれ、生徒会長ですよね……?」
健心の戸惑いがちな声が聞こえる。
無理もないと璃沙は思う。爽やか王子系イケメンと称され、既に一年生のファンもゲットしたと言われる男が実際はこんなものだとは誰も考えたくないだろう。
「ああ、我が校の大変残念な生徒会長殿だ」
「そう、ミスター神前、何でもナンバーワン男神木奏人だ。すげぇ残念だけどな」
答えたのは光明と火爪だった。どちらも残念だと言う。そう言わざるを得ない。
そうしている間にも口説き続ける声が璃沙の耳を抜けていく。残念以外の表現をするならば、ただのチャラ男だ。
「あの棒女限定で残念ってのが一番残念だ」
苦々しさたっぷりに星河が言うのが璃沙にも聞こえている。
一番近いところにいたはずの彼は奏人が現れた時に後退した。近寄りたくないと思われているのはわかっている。
「って言うか、やばくないですか?」
不本意なことに皆この状況に慣れているが、健心は違う。
「何がだ?」
「冥加先輩の顔、真っ赤ですよ」
いつものことだ、と光明が言い切る。
璃沙も自覚がないわけではない。いつだってこの男に捕まるとそうなってしまう。自分ではどうにもできないのだから仕方がない。
周りは照れているなどと言うが、そんな可愛らしい反応は璃沙にはできない。だが、限りなく恥ずかしいという状況かもしれない。
言いたいことも言えず、黙って笑いものになっているのだから。
「だって、さっきみたいに、その……」
「暴れて、巻き込まれたら、どうしよう」
海里は健心の心を読んだらしい。
健心の中では暴力女として位置付けられてしまっただろうか。そう思われても仕方ないとは思う。力を振り翳して問題を解決してきたことだってある。
いざという時に戦えること、それが璃沙の強みでもある。
「当たった?」
海里の口癖が出た。
彼には不思議なところがある。
真っ先に奏人が来ることに気付いた。欲しい説明を絶妙なタイミングで与える。彼はエスパーなのかもしれないと璃沙でさえ思う。
「まあ、見てろって。おもしれぇから」
なんて無責任な。笑う星河の声を璃沙は俯いたまま聞いていた。
璃沙は本気で自分の頭から湯気が出るのではないかと思っていた。毎回、自分が我慢したところで誰も褒めてくれないと言うのに。
「確かに顔が赤いね」
あろうことか、奏人がひたりと額に手を当ててくる。そして、首を傾げる。
「少し熱いかな? 保健室、行こっか?」
なぜ、この男はいつもいつもそういうことを言うのか。
暴れたくても暴れられないと言うのに。罵声の一つさえ浴びせられないと言うのに。
「えっと、まさか、冥加先輩って……」
健心が間違った方向に解釈してしまったらしい。
「あのチャラ男に惚れてるらしいぜ」
うんざりしたように星河は言うが、とんでもない誤解だ。
今すぐ弁解したいのに、璃沙にはそれができない。
「冥加君はよくわからないが、特に理解できないことだな。あの神木があれだけチャラいのも問題だが」
光明まで呆れているようだが、本当に違うのだと声を大にして言いたかった。
勝手なことばっかり言うなと文句を言いたい。
全ての問題は自分にくっついているこの男だと思っても足を踏み付けることすらできなくて璃沙は情けなくも感じていた。
「あ、これ、僻みですよ。自分達が、全然、相手にされないから」
海里に至っては面白がっている。
これに関しては彼でさえ気付いていないのかもしれない。
「鬼海君、君は今ひどく間違ったことを後輩に教えなかったか? いけないなぁ」
「聞き捨てならねぇぜ。俺があの棒女に相手にされねぇだ? あぁ、こっちから相手にしてねぇよ」
「当たっていません?」
「当たっていない」
「当たってねぇよ」
二人に睨まれても怖がるわけでもなく、海里は本当に楽しんでいる。
「二人って、仲いい、ですよね。すごく」
同時に答えた二人に海里はどこか嬉しそうだ。
「よくない」
「よくねぇ」
またしても二人が同時に言った。
だが、もう海里は別の人物を見ている。
「僻んでいるのはここにもいますけどね」
笑いながら海里は火爪を指さす。
「あいつが存在する時点で負けが決まってるからな。いーんだよ、別に。見てて面白いと思えるんならさ」
特に無理しているという風でもなく、火爪はケラケラと笑っている。
「タイガー先輩の敗因は本人目の前にして素直になれなくて好感度下げまくったことじゃないですかね。ツンデレすぎます」
奏人との攻防を続けながら璃沙は思い返す。
彼に関しても誤解があると璃沙は考えている。実際、火爪からは散々な言われようだった。
周りは冷やかしたが、単にそれだけ嫌われているのだと璃沙はわかっているつもりだった。
「さて、そろそろ止めねーとな……」
溜息を吐きながら火爪が指をポキポキと鳴らす。
早くそうしてくれと璃沙は思う。彼ぐらいにしかこの男は止められない。それが彼に嫌われた原因なのかもしれない。
「俺が止めなきゃいつまでもやってんだぜ? あいつら」
ははっ、と笑って火爪はネクタイを緩め、腕を捲る。そんな動作は要らないだろうと思うのだが、とにかく奏人が鬱陶しい。
そして、火爪は近くにあった時計を掴み上げた。
「不純な行為はいい加減にしやがれ、この公然猥褻野郎!」
言い放たれると同時に時計が奏人の頭めがけて飛んでくる。
鮮やかな後頭部に一直線、確かな軌道で向かってきた時計は吸い込まれるように奏人の掌に収まる。
慌てず騒がず無駄な動きを一切省き、見事に時計をキャッチして見せた。愛おしむように確認して微笑んでいる。
自分に酔っているこの瞬間こそチャンスである。
「あいつ、やっぱりむかつくな」
ぽつりと星河が呟く。近くで見ていてもむかつくほどにスマートだった。
「この股ずれ女! さっさと奏人様から離れなさいよ!」
ここぞとばかりに黒土が立ち上がってキーキーと喚く。
「さっさと離れねぇと妊娠するっスよ」
荒金も続く。二人は何かあると立ち上がる癖があるらしい。生徒会の中では雛壇芸人として扱われている。
「ま、またずれ……?」
「床ずれ! あばずれ! ビッチ!」
もうこれは手当たり次第なのだろうか。
「冥加先輩、会長に隙見せすぎっス。もっと悪女にならないと。何なら俺がレクチャーするっスよ、ただでとは言わないっスけど、ちょっとはまけますよ。美人割で」
荒金はニヤニヤと笑って、ラインストーンでデコレーションされた電卓をちらつかせてくる。
「生徒会の会計が校内で詐欺働いていいわけ?」
璃沙は健心のすぐ近くに移動して荒金を睨んだ。
この男はいつもそうだ。金儲けのことしか考えていないに違いない。