最低最悪のライフワーク
不意にノックもなく、ガラリと扉が開いた。
「おー、今日も後輩いじめやってんのな」
笑いながら入ってくるのは圭斗だ。健心にとっては笑い事ではないのだろうが彼に取っては可愛い後輩がじゃれ合っているという程度だろうか。
「つーか、テラ、それまさか、あれか……? 違うよな?」
圭斗はちらりと健心の手元に目を向ける。健心も今、思い出した風である。
袋に宿る邪念を感じたのだろうか。そうでないと思いたいようだが、おそらくその通りだろう。璃沙も良からぬ物を感じる。信じたくないが、確信している。
「いや、よくわからないんですけど、更紗先輩に押し付けられて」
確定だった。更紗が押し付けてくるとしたらあれしかないことを皆知っている。
「今すぐ焼却炉にぶちこみに行きましょう。禁書処分です」
海里の怒りのメーターが上昇しているのが目に見えるようだ。
「代わりに天神がもっとましなエロ本貸してくれるって」
「んなこと言ってねぇ。さっさと処分しろ」
「そうだ。星河のエロ本の方がよほど健全だ。そんなもの持っていてもいいことないぞ」
「まあ、待て。見ないことには俺らの言い分は信じてもらえねぇだろ」
口々に言う中、圭斗が制する。そっと健心の手から紙袋を取る。璃沙にも見覚えのある薄い冊子は更紗達の手作りだ。そして、圭斗は物色した一冊を健心に差し出す。
健心はぺらりとめくる。文芸部という以上、中身は小説だ。
彼は少し読んだ後パタンと閉じ、サッと健心に押し返す。すかさず圭斗が次を渡す。
また彼はパラパラとめくってすぐに返す。だが、次はすぐに用意されている。ついに彼は本を落としてしまった。
「こ、ここここここれって……」
「テラ君。鼻血、出ています」
星河がティッシュボックスを投げてくる。そんなもの投げるなと言いたいが、璃沙はキャッチする。すると、海里がさっと一枚取って健心へと差し出す。
彼にはいささか刺激が強かったらしい。露骨な表現を避けてはいるようだが、あきらかにそういう意図を持って書いている。
「だから、エロ本って言ってるじゃないの」
中身はとにかく卑猥の一言で済む。光のマドンナなどと呼ばれる彼女だが、欲望の塊と言って間違いない。
それに比べれば自分など正常だと璃沙は考えるわけだ。画集の中には際どい物があるとしても。あれは崇高なアートであって、一緒にしていいものではない。
「これを、あの美空先輩が……?」
あの、と言うあたり、健心も美空更紗に幻想を抱いていたのだろう。無理もない。彼女は得をするタイプの人間なのだ。反対に璃沙は損ばかりである。
結局、何を言っても、何をしても信じてもらえず、何もかも嫌になって服装の違反を繰り返し続けている。ファッションだと楽しめるようになったのは最近のことだ。
「そうですよ。主犯です」
「これ、全部、美空のだな」
この一年で発行されたものを集めれば、相当な数になるはずだった。原動力は何だというくらい活発だった。その勢いは未だ衰えることがなく、むしろ健心の存在によって更なる加速を始めた。
「これ、まさか、リサって冥加先輩なんですか?」
「そう。あたし達、全員モデルにされてる。あっちは名前が違うからって言い逃れてるけど」
璃沙はリサとも読める。だから、リザではなくリサなのだ。どの本にもリサは出てくる。相手の男はそれぞれ違ったりもする。複数出てくる場合も珍しくない。
「まあ、書く奴によって違うけど、リサはリサだよな。でも、誰のことか大体わかっちまうんだよな」
光明がミツアキやコウであるように、星河はギンガやセイであったり、海里がカイ、圭斗がケイであったりする。奏人もカナタの名でしっかりネタにされている。
「何で僕がヤンデレだったり受けだったりすんですか、って話ですよ」
「あたしだって、あんなビッチじゃないわよ」
「俺なんかただの強姦魔だぜ?」
「俺は初登場が覗き魔、それ以来何かアブノーマルなキャラになってるんだぜ? しかも、眷属は狼だって言ってんのに犬を飼ってる設定になってて、失礼しちゃうよな」
「毎回冷やかしに来ているからでしょう」
「そんな光明先輩なんかムッツリ絶倫スケベ大魔王の名をほしいままに……」
なんだかんだで全員内容を把握している。毎度毎度新刊が押し付けられていくのだから仕方がない。好きで読んでいるわけでもない。自分達がネタにされているのを見て楽しめるはずもない。どうにか彼らを撲滅するためだ。
「まったく……文芸部の奴らは俺達を何だと思っているのだ」
「存在がネタ、でしょうね」
健心が身震いする。彼も遅かれ早かれ登場人物となるだろう。更紗の接近もネタ集め、健心という男のことを簡単に知るための手段でしかない。
「というわけで、ネタは絶対に提供しちゃダメですよ? 代わりにこれでも見てください」
海里が健心の目の前に写真集を差し出す。水着の美少女が表紙である。セクシーというよりは可愛らしいという印象なのだが、健心にはやはり刺激の強いもののようだ。
「て、てめぇっ、いつの間に!」
ガタッと音を立て、立ち上がったのは星河だった。やはり彼の私物だろう。あんな写真集を海里が持っているところなど見たこともない。
「隠してあったの、見付けちゃいました」
「こういうものは真っ先にあたしに見せるのが道理でしょ」
璃沙はサッと健心から写真集を取り上げる。見たことのない物には目を通さなければ気が済まない。それも鼻血で汚される前に。
「んな道理あってたまるかってんだ!」
何のために隠していたかは知らないし、聞きたくもない。
しかし、取り上げようとするならば死守するだけだ。璃沙は喧嘩で星河に勝つことができる。
「さて、そろそろ真面目になろうぜ」
パンパンと圭斗が手を叩く。
落ちている本を拾い上げ、全部纏めてゴミ箱の中に押し込む。彼女のライフワークが一瞬にしてゴミへと変わる。しかし、同情などない。人間としての尊厳を踏みにじられているのはこちら側なのである。璃沙の化身であるリサは何度犯されたかわからない。それは璃沙が更紗の頭の中で犯され続けてきたということである。
「鬼海先輩、消臭スプレーを貸してください」
健心は海里からスプレーを受け取ると自らに吹きかける。そして、消臭剤に囲まれた椅子を
「テラ君、わかってくれたなら、こっち来ていいですよ」
海里は手招きするが、健心は頭を振った。
「いえ、自分が許せないので、ここで反省します」
健心は動かないとばかりに軽く握った拳を膝の上に置く。もう惑わされないという意志が現れているかのようである。
全員が席に着いたことをぐるりと確認して圭斗は海里の隣に座った。
「じゃあ、報告するぞ」
その声は硬い。
「結論を言うと、《チェーンソー少女》はもう出ない」
「除霊したんスか?」
「まあ、何とかな……」
圭斗の言葉は歯切れが悪い。
「彼女が巻き込まれた事件については、その内ニュースになるだろう。そうすれば、自ずと見えてくる」
報告するなどと言っておきながら、圭斗は全貌を明かす気などないようだ。海里に配慮したという部分もあるだろう。だが、彼にとっての不都合もある。
「問題は、誰が彼女を《チェーンソー少女》にしたのかってことになる」
それは彼女が巻き込まれた事件の犯人ということではない。そんな話をここで議論する必要はない。
「だが、俺は話さないことにした。この件はやばすぎる。いいか、これは本気の警告だ。絶対に何があっても首を突っ込むな」
圭斗の声はとても硬く、追及を拒絶するかのようでもある。心霊的な現象においてサイキックである彼がここまで強く言うということは本当に危険だと言うことだ。
あれは璃沙にも視えた。視えないはずのものが視えただけに尋常でないと感じている。
「都市伝説を作ってる奴がいるってことなんスよね? そういう特別な力を持ってる奴がこの世に存在する」
星河は性分なのだろう、興味を隠しきれない様子だった。
「それもまた都市伝説的だな」
光明が言う。けれど、そんな奇妙なことが現実に起きてしまっている。