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賄賂と毒牙と消臭剤

 璃沙達が心配で肝心なことを忘れていたことに健心が気付いたのは夜のことだった。

 更紗である。彼女からのメールに健心は心を乱された。

 寺の息子とは言っても煩悩がないわけではない。むしろ、兄の清心などは邪念の塊とも言われている。

 可愛らしい絵文字が踊る文面は恋愛に未熟な男子一人舞い上がらせるには十分すぎた。


 質問責めは翌朝から始まった。璃沙の時はまだましだったのだ。彼女は他の生徒から敬遠され、健心まで危険人物ではないかと疑われていた。


「おいおい、日高。お前、いつの間に光のマドンナ美空先輩とあんなことになってんだよ?」


 クラスメイトのまだ名前もよくわからない男子が問う。そう言えば、璃沙が来た時、止めたのは彼だった。彼女のことを《闇のマドンナ》などと称していたのも彼だ。


「俺もわからないよ」

「なぁなぁ、俺ら、ダチだよなぁ。誰か紹介してくれよ」


 何を勘違いしているのか。健心の交友関係に女子が多いわけではない。美少女と急接近して戸惑っているほどだ。だから、誰かと言われて思い当たるのは一人だ。


「冥加先輩とか?」

「や、闇のマドンナはまずいだろ! 見た目はいいけど、中身はダメ。遠くからの観賞に限るって先輩方も言ってるんだぜ? 悪い噂だらけだし」

「美空先輩だってあるだろ?」

「な、何言ってんだ! あるわけねぇだろ! あの美空更紗嬢だぞ!? 本物のお嬢様なんだからな。それを、毒牙にかけるなんて……!」

「い、いや、毒牙にかけられてるの、俺の方……」


 更紗に無理矢理恋人にされ、部室に行けば消臭スプレーを噴射され、被害に遭っている。

 そして、健心はわからなくなる。何が本当なのか。いつの間にか健心の周囲を興味津々に取り囲む彼らは更紗が悪いことをしているなどとは思ってもいない。

 けれど、だからこそ、オカ研の彼らが、更紗達は何をしても許されるなどというのか。



 クラスメイト達はどれだけ聞いても飽きることを知らないようだった。だが、昼休みには招かれざる客がやってきた。


「日高健心」


 低いボソボソとした声で呼ばれる。彼が教室に入ってきて、クラスメイト達がざわついた時からこうなってしまうことはわかっていた。

 ざわめきの理由が単に三年生が来たからなのか、彼という人物に何か問題があるからなのかはわからない。

 レンズの奥の瞳が健心を射抜くように見下ろしている気がした。しかしながら、煩わしそうな前髪に遮られている。彼がそれを払うこともない。


「あ、はい……あなたは」


 健心は彼を知っていた。けれど、名前を知らない。


「新聞部部長、蔵重勇司(くらしげゆうじ)


 更紗と共に集団の中にいた男だ。更紗が文芸部の部長なら彼が新聞部の部長であることは鈍い健心でも察しがついていた。

 こうして接触してくることは予想していなかったが、更紗のこともそうだ。そもそも、璃沙が現れたことが一番の想定外だった。そこから運命は変わってしまったのだ。

 トンとコーヒー牛乳のパックが目の前に置かれる。それからガサガサとパンの山が築かれた。焼きそばパン、コロッケパン、カレーパン、メロンパンにあんパンもある。


「これ、賄賂とかですか?」

「まあな。俺からじゃないから、好きなの選べよ。残りは俺が持っていく」

「先輩じゃなければ誰が……」

「わかっても声に出すなよ?」


 どうやら口にするのが憚られる人物のようだった。


「お前が知ってるやつで、イニシャルがアルファベット十一番目二つのやつだ」


 健心は指折り数えてみる。十一番目はK、イニシャルK・Kの人物ということだろう。そして、昨日までに出会った人物の名前を順番に思い浮かべてみる。鬼海海里、彼は間違いなくK・Kだが、彼がこんなことをするだろうか。


「と言うと、実は三人もいるんだがな……」


 健心はもう少し思い返してみる。生徒会長の神木がそうだったのかもしれない。後のもう一人はすぐには思い出せない。生徒会なのだろうか。けれども、それもまた変な話だ。


「まあ、気にするな」


 そう言われても気にせずにはいられない。


「いいネタがあったら、是非流してくれと言いたいところだが、仲間の情報を売れとは言わない」


 そっと蔵重が名刺を置く。彼はジャーナリストの気分なのだろうか。良い印象はない。どうせ、オカ研のことなど健心が知り得たことを聞き出そうとするのだと思っていた。


「美空の弱味、握ったら俺に流してくれ。報酬は弾む」


 そっと耳元で囁かれてぞっとするのは生理的に当然の反応だっただろう。


「更紗先輩の……?」

「いいか、俺達はあの女の仲間だと思われてるが、部室を半分乗っ取られ、ひどい目に遭ってる。ネタは横取り、盗聴・盗撮・盗難は濡れ衣だ。そりゃあ、壁に耳を押し当てることはあるが、コンクリートマイクはやりすぎだ。俺達にもモラルの概念はある」


 小声で伝えられることに健心は絶句した。だが、やはりそんなことを更紗がするとは思えなかった。


「信じてもらえないだろうが、俺達も今は従ってるフリをしてる。でも、俺は卒業するまでに新聞部に安寧をもたらしたい。悪いようにはしない。だから、このまま奴とは恋人のフリをしていろ。いいな?」

 その威圧感に頷かずにはいられなかった。そして、蔵重はあんパンとメロンパンを抱えて帰っていった。



 その放課後、健心はもう逃げることが不可能なのだと悟った。


「健心様、今日も部室までご一緒しましょう?」


 ニコニコと更紗は笑む。健心の気など知りもしないで、花のように。

 そうだ。花なのだ。オカ研の人間には嫌われる臭いは強烈な花に似ている。脳髄を痺れさせ、全てを忘れてしまえと囁くようだ。

 ぐいっと引き寄せられた腕が、そこに押し当てられた柔らかさが思考を奪っていく。


「二年生の教室に来るのは大変でしょう? だから、わたくし、毎日迎えにきますわ。お待ちになっていてくださいね」

「あのですね、美空先輩」

「更紗とお呼びいただけないのですか?」

「更紗先輩、俺、あの」


 フリを続けろと蔵重には言われた。しかしながら、このままの状況は自分にとって良くない健心は思う。賄賂の相手が誰かもわからないが、オカ研に相談するつもりでいた。蔵重に口止めはされなかったのだ。


「忘れるところでした。これを健心様に差し上げます。お近付きの印、私のライフワークでございますわ」

「は、はぁ……ありがとうございます」


 健心の話を聞く気などないような更紗は手に提げた袋を差し出した。本屋の袋で中身は冊子らしい。どうやら、海里が言っていたものがきてしまったようだ。

 受け取ってはいけないと思うのだが、ぐいっと押し付けられ、気付けばまた部室の前だ。


「では、ごきげんよう」


 あっさりと腕を放し、ふわりとスカートを翻して更紗は部室の中に消えていく。

 もし、璃沙達の言うことが本当なら、今自分は外堀を埋められているのだと健心は感じる。けれど、何が真実なのかわからない。



 何でこんなことを自分までするはめになるのか。

 璃沙は部室の扉の前で消臭スプレー片手に待機していた。協力してください、と海里から手渡されたものだ。その海里は向かいで同じように構えている。両側から噴霧する作戦らしい。


「来ました」


 小声で海里が言う。どうしたら、わかるのか。璃沙にも海里の感覚はよくわからないところであった。

 けれど、確かに声は聞こえてくるし、やがてそろりと扉が開いた。そして、海里のアイコンタクトで璃沙も何度もスプレーをかける。


「な、なんですか!?」

「殺菌ゲート的な」

「あ、テラ君の席、そこになりましたから」


 海里が指さす先にパイプ椅子が置いてある。ソファーとは離れているだけならまだ疎外感を覚えるだけで済むだろう。しかしながら問題は床だ。

 一体何の封印だと璃沙も突っ込みたくなるほどトイレの消臭剤が周りに置かれている。


「あの女が離れるまでですから」


 海里はニッコリ笑んで、健心に何も言わせなかった。

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