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チェーンソー少女

 少女が目の前を横切る。チラシでしか見たことのなかった少女が今、目の前にいる。

 おそらく変わりのない姿で。まるで生きているかのように。けれど、その存在の異質さはわかる。

 本来、璃沙に霊は視えない。圭斗の力によって視せられたことはある。

 だが、今、彼は何もしていないはずだ。その横顔が険しくなっているのがわかる。


『鬼海君、邪魔しないで』


 少女が言う。その目がじっと海里を見詰めて、握る手が強くなるのを感じる。皺になろうと構わないのだが、璃沙はそっと自分の手を重ねる。


『お願いだから。もうすぐ終わるから』


 彼女の言う終わりとは何だろうか。自分を見付けてもらうことではなさそうだ。成仏を望んでいるようにも見えない。

 噂で語られる容姿とは違う。ただクラスメイト同士が話している微笑ましい光景にも見える。けれど、不穏な気配がずっと周囲に渦巻いている気がするのだ。


「ごめん」


 海里が呟く。圭斗達も今日で終わらせるつもりなのだから、その願いは聞けない。


『そう……』


 少女の声のトーンが落ちる。ぞくりとするのはなぜだろうか。


『鬼海君なんて大嫌い』


 言い放たれた瞬間、海里の動揺が璃沙にも伝わってきた。

 反対の手はネックレスとぎゅっと握っている。

 そして、少女が右手を顔の前に翳す。噂通りのホッケーマスク、次の瞬間にはその手にチェーンソーが握られ、唸り声を上げる。

 綺麗だったはずの制服もボロボロになっている。見える部分には痣がある。


「もう、こんなこと、やめて」


 今度は海里の懇願だった。だが、こんな言葉で止められるなら、今彼女はここにはいなかったはずだ。


『邪魔をするな!』


 チェーンソーの刃が海里の鼻先にある。実際は重くて振り回せないだろうに彼女は軽々と持っている。


「悪いけど、俺は邪魔させてもらう。可愛い後輩守るのが先輩の仕事だから」


 一歩前に出るのは圭斗だ。臆することなく、真っ直ぐ彼女を見据えている。


「助けてって、見付けてって言ったのに」

『もう遅すぎる』

「どっちが本当の君?」


 震える声が問う。

 璃沙は海里の不安定さを知っている。だからこそ、恐怖していた。視えないはずの少女よりも今自分が手を握っている少年が壊れないかを。細い糸がちぎれそうなのをハラハラと見ている気分だった。


『うるさい!』


 一蹴して、少女が駆け出すはずだった。


「逃がさねぇよ――頼斗(らいと)!」


 頼斗――圭斗の眷属の名だ。狼が少女の前を塞ぎ、威嚇する。


『犬使いめ!』


 少女が圭斗へとチェーンソーを向ければ狼が、少女に飛びかかる。


「犬じゃねぇよ。狼だってのに……どいつもこいつも」


 まず正確に捉えられないのが、彼の眷属である。どうやら眷属の方が気にしていないらしいのだが、やたらと圭斗が気にしている。


木山(きやま)さん、もうやめようよ」

『うるさいうるさいうるさい!!』


 彼女ではない異質なものに思える。本当にこれは純粋に彼女の霊なのか。けれど、全く彼女でないということではないはずだ。


「木山さん!」


 悲痛な声が呼びかける。チェーンソーを持った腕がガクリと落ち、片手がホッケーマスクに伸びる。

 表と裏があるとして、裏の部分が《チェーンソー少女》であり、表が実際の彼女の思念だろう。

 震える傷だらけの手が仮面を外そうとする。


『ごめん、ね……鬼海君』


 か細い声が仮面の向こうから響く。


『邪魔をするな!』


 獣のような声が響き、チェーンソーが振り上げられる。


「璃沙!」

「璃沙先輩!」


 圭斗と海里が同時に叫ぶ。けれど、璃沙は動かなかった。動こうと思えばできたのに、そうしなかった。

 チェーンソーの凶悪な刃が璃沙の首を滑る。実体のない刃は何も薙ぐことはなかった。痛みもなく、璃沙の首はきちんとくっついている。

 そこに恐怖を感じなければ何の意味もないものだろう。所詮、璃沙にとっては視えるはずのないものだ。けれど、その瞬間、彼女に触れた気がした。苦痛や悲嘆、憤怒、何よりも嫉妬が強かった。

 だから、彼女が海里の前に現れたのだと理解して、璃沙は裾を掴む海里の手を外す。縋るような目を向けられて、それでも海里を前に押し出した。

 意図を察したのか、圭斗がその背中を押す。狼もすぐ側に控え、いつでも飛びかかる用意はできていた。


『あの男達を殺すまで終わらない』


 噂が本当なら、自殺者は既に出ているはずだ。精神的なダメージを負った者もいる。外傷を与えられない刃で何を殺せるというのか。


「もうやめにしよう?」

『わたしを、みつけて。わたしを、かえして』


 絞り出すような声だった。まるで二重人格者でも見ている気分である。彼女の中の闇の部分が《チェーンソー少女》であり、本人がそれを望んでいるわけでもないようだ。

 誰かが意図的に都市伝説を作っていると圭斗は言った。だとしたら、これは何を意味するのか。


「うん、今なら見付けられる。ずっと、逃げててごめん」


 海里が圭斗を見る。彼は頷き、携帯電話を取り出し、通話を始める。その間も狼が彼女を警戒している。

 けれど、彼女の手からはチェーンソーが落ち、仮面が外れ、元の姿に戻っている。彼女は泣いていた。

 傷だらけだった手を海里はそっと握る。璃沙が彼にそうしてきたように。


『私ね、鬼海君のこと、好きだったんだよ』


 涙混じりに彼女は言う。


「ごめん。僕には、好きな人が」


 言いにくそうに海里は言葉を切った。たとえ、相手がもうこの世にいないとしても嘘は吐けないだろう。だが、彼にそういう人間がいるとは璃沙も初耳だ。わかっても追及できないのが璃沙なのだが。


『わかってた。でも、告白しようと思ってたんだ。ごめんね、ありがとう』


 その未練が、彼女を完全なる《チェーンソー少女》にはしなかったのかもしれない。海里に助けを求めたのかもしれない。

 そして、彼女を託す相手はそっとやってきた。

 スーツ姿の男はまだ若いはずだが、くたびれて見える。ちゃんとすれば、それなりに格好いいだろうに残念だと璃沙は思っている。


「その人は刑事さん。君の声は聞こえないけど、姿は視えてる。大丈夫、必ず見付けてくれる」


 黒羽オフィスの関係者、司馬将仁は刑事だ。霊感を持ち、数々の心霊事件に巻き込まれてきたらしい。姿は視えても、声は聞こえない。しかしながら、彼は何度となく彼女のような霊の声を聞き、見付け、事件を解決してきた。


『ありがとう、本当にありがとう』


 微笑んで少女の姿が霞んでいく。そして、消えていく。

 将仁が何か言っているのだから、そこにいるのだろうが、もう璃沙には視えなくなっていた。


「さて、後は将仁さんに任せて帰ろうぜ。もう遅いし、可愛い後輩二人を送っていきたいところだが……」


 圭斗が困ったように璃沙と海里を交互に見る。帰り道は全くの逆方向である。


「僕は大丈夫ですから、それよりも璃沙先輩を」

「だから、あたしは大丈夫だって……」


 言いかけて、璃沙は固まった。不満げに海里に睨まれている。


「じゃあ、こうするか。海里には頼斗を。璃沙には俺が」

「はい、それでいいです。もふもふです」


 璃沙も渋々承知するしかなかった。自分が部の紅一点だからか海里は時々妙に過保護になる。彼女を視てしまった後では尚更なのかもしれない。


「圭斗先輩、これ、ありがとうございました」


 海里はネックレスと外し、圭斗へと返す。圭斗がおう、と頷いて受け取り、ポケットに戻す。


「じゃあ、璃沙先輩、圭斗先輩。また明日」

「うん、じゃあね」

「またなー」


 手を振って、また明日。璃沙はただ一人歩いて行く海里の後ろ姿を見送る。連れ添う狼の姿は視えない。むしろ、視える方が不思議なのだ。圭斗の力によって視たことはあるが、彼は何もしていないのにさっきは確かにはっきりと視えていた。

 引っかかることはある。しかしながら、問うこともできなかった。少なくとも自分より何かを知っている圭斗から答えを聞いてしまうのが、恐かったのかもしれない。

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