後輩の苦悩
ぽんとまた圭斗が海里の肩を叩く。
「海里、お前が必要だ。今夜で終わらせようぜ」
本来、海里は誰かに必要とされることを喜ぶ人間だった。璃沙にとっては些細なことでも嬉しそうにすることがあった。しかし、今は渋っている。恐れているのだろう。
ぎゅっとズボンの生地を掴む手に璃沙は自分の手を重ねる。弟のような彼を放ってはおけなかった。自分よりも遙かに繊細だと感じる。
だから、璃沙は決意するのだ。
「あたしも一緒に行きます。圭斗先輩の邪魔はしませんよ」
はっとした表情で見てくる海里に璃沙は微笑みかける。それなら、と海里が頷いた。
「俺としては助かるが、いいのか?」
「今更ですよ。散々、私のこと、煽てて同行させたりしたじゃないですか」
璃沙はこういった件には慣れていた。霊感はないが、圭斗は何度か璃沙を連れて仕事をした。何が助かるのかはよくわからないが。
彼はオフィスの中でも危険の少ない仕事を引き受ける。だから、璃沙がいても平気なのだと言った。
しかしながら、星河や光明の同行は決して許さなかった。
「今ではお前は俺達の女神だよ」
言われて璃沙は素直に喜べなかった。時々、彼はそう言うのだ。何をしたわけでもないのに。
「です。実体あるものに対しては最強の用心棒です」
「それ、複雑なんだけど」
部での璃沙の立ち位置はそう認識されているが、納得していない部分もある。報酬さえ出せば何でもする傭兵のようには言われたくなかった。彼らがそうしたのだ。
璃沙としては部にそれほど情熱があるわけでもない。他の居場所がなくなったからここにいるだけだ。
やりたくもないことだってやってきた。その最たるものが神木奏人の接待だが。
「そういうわけで、璃沙は連れてくとして……」
圭斗は光明と星河を順に見た。
「そんな目で見なくても、ついていきませんよ」
「面白半分で首突っ込んでいいことじゃねぇってわかってるっスよ」
釘を刺されずともわかっていると二人は言いたげだった。オカ研再興に燃えた彼らとて、霊を悪戯に刺激したいわけではない。
「それから、テラ」
「あ、俺もついていきませんから安心してください。兄二人と違って霊感ゼロですから!」
健心は一気に言い切って、圭斗は笑う。ついてこいと言われても嫌がって逃げるだろう。
「できたら、一心さんと清心にそれとなく、最近妙なことがないか聞いてみてくれるか? 俺のことは内緒で」
圭斗は真剣な表情に戻る。サイキックではなくとも、圭斗にとって健心は意味のある存在なのかもしれない。所属の違うサイキックに探りを入れられるのだから。
こうなっては彼も廃部には追い込めない。それよりは一転して味方についた方が利はあるだろう。
「明日、また来るから……って、んな顔すんな。お前らに報告するためだ」
圭斗は光明が一瞬嫌そうな顔をしたのを見逃さなかったようだ。ただ情報を得て、利用するだけではない。誠意を見せているつもりなのだろう。
「悪いが、璃沙と海里は支度してくれ。邪魔して悪いが、お祝いなら今度、ボスが飯奢ってくれるっつーから、それで勘弁な。何でも食べたい物考えとけよ。まあ、とりあえず男三人で楽しんでくれ」
圭斗の言葉に今度は星河までもがうんざりしたように顔を顰めた。すっかりお祝いムードもなくなってしまった。けれど、圭斗も意地悪をしているつもりはないだろう。彼もまたしたくもないことをしている。彼も上には逆らえない。ただタイミングが悪かっただけだ。
海里は荷物を纏め始め、璃沙もそうする。ふと思い出して、棚の方へと向かい、中から目当ての物を出す。
小さなガラスの皿の上には水晶のさざれ石が敷き詰めてあり、原石も置いてある。ブレスレット置き場である。こうして浄化しているのだが、光明や星河にはあまり理解されていない。
厄除けの意味を込めて作ったブレスレットは圭斗に同行するような時には必ず付けているものである。いくつかブレスレットはあるが、パワーが強い気がして、特別な時だけ付けるように決めている。
更に胸元を確認する。ペンデュラム型のオニキスのネックレスはダウジングの振り子としても使えるものだ。
こんなものが、どれほどの効果を生むかはわからないが、少なくとも周りは信じているらしかった。
「じゃあ、行くぞ」
璃沙の支度が終わったのを察して圭斗は言う。その表情はどこか強張っているようにも見えた。彼にとっては大役を背負わされたものなのかもしれない。
少なくとも、彼でなければ海里はここまで素直に応じなかっただろう。それだけ圭斗には心を開いているとも言える。だが、彼の上の人間が信用できないのは璃沙も同じだ。
「行ってきます。また明日」
「じゃあね」
そうして、圭斗の後について海里と璃沙は部室を出る。気分はひどく重かった。
*
学校を出た時にはまだ薄暗かったのに、すっかり暮れてしまっている。昼の色に夜が混ざって、直に深い闇となるだろう。
怪奇と遭遇するにはふさわしい時間かもしれない。逢魔時、あるいは大禍時とはよく言ったものだ。
途中、時間を合わせるために喫茶店で少しだけ話をした。
《チェーンソー少女》が出ると噂の場所は《彼女》の通学路だと言う。海里もまた同じ方向だ。それだけではないだろう。多くは語られなかった。
けれど、教室だけでなく、枕元にまで立つというのは些か引っかかるものである。
海里には言いたくないことが多いようだ。それを責めることは璃沙にはできない。海里には言えないことを抱えている。
そして、人気のない路地で三人は待機していた。
「とりあえず……海里はこれ、持ってろ」
圭斗は海里に手を差し出す。赤い石――カーネリアンのシンプルなネックレスだ。かつて圭斗が祖母より受け継ぎ、肌身離さず付けてきた護符だと言う。
いつからか、彼はそれを付けるのをやめ、今のオニキスのネックレスをするようになった。自分もパワーストーンを扱うからこそ、璃沙はそういうところに少し敏感であった。彼にとって大きな意味があることは何となく察していた。
ただ、アミュレットの方も大事に持っていたようである。
「璃沙先輩は……」
受け取った海里はそれでも戸惑ったように璃沙に視線を送ってきた。だが、璃沙は霊感のある海里とは違う。既に自前のペンデュラムとブレスレットがあるのだ。
「危ういのは海里の方だ」
「あたしは大丈夫よ」
海里には相手と接点があるが、璃沙にはない。同じ学校とは言っても、騒動になって初めて知ったくらいだ。
だから、璃沙は彼にネックレスを付けてやる。
「俺は黒羽オフィスの傘下に入るって自分で決めた。だから、任せられた仕事はちゃんとやる。お前達を守るよ」
黒羽オフィスこそ、オカ研を利用してサイキック集めをしていた集団である。
オカ研に入れられた者は強制的に黒羽オフィスの所属となってきたと言う。霊媒であってもそうでなくても事務と称した雑用で使われるという話だ。
圭斗はその強制力から逃れられたはずである。それまで彼は自分の身すら眷属に守ってもらわなければならず、霊能力があることを隠してきた。
それなのに、彼は敢えて選択した。トレーニングを積んできた。だが、やはり彼は眷属頼みなのである。従えた狼の霊が彼の盾であり、矛である。
「安心しろ。危なくなったら久遠さんが助けてくれる」
オフィスのサイキックの中でも下っ端らしい圭斗だが、その力量は璃沙には計れない。だが、黒羽久遠は圭斗よりもずっと力のあるサイキックだと聞かされている。
「それに、今回はこういうことの専門も呼んでる」
『こういうこと』が意味するのは何だろうか。心霊現象を差すならば、黒羽オフィスこそ専門家だ。
だが、璃沙には思い当たることがあった。彼らも本気であることがわかる。
「あ、彼女が、来ます……」
震える手が璃沙の服の裾を掴んだ。