悪魔の目的
圭斗はじっと海里を見る。
「まず一つ、海里のカテキョはボスが除霊しにいった」
「そう思って、昨日、最後の授業、受けたんです。お別れも言ってあります」
幽霊教師は今日で終わりだ。圭斗がこうしている間に彼の所属するサイキックオフィスのボスが動いていたのだろう。校内で何かあると時々、来るのだ。
「時間稼ぎ、必要なかったですよ」
「そんなつもりもなかったんだけどなぁ……まあ、ボスに言われたことは認めるよ」
海里が除霊を嫌がって飛び出していくとでも思っていたのだろうか。
それなら、まだ可愛い方だと璃沙は感じるのだ。こうなることがわかっていたからこそ、不毛な話に乗った海里の心中が穏やかであるとは思えない。
「二つ目、これは情報をもらいにきた」
圭斗は真剣な表情だったが、光明はぷいっと顔を背ける。
やはり廃部のことを根に持って協力したくないと言うのだろう。璃沙に言わせれば素直でないということなのだが。
「最近の都市伝説、チェーンソー持った女の子の話、知ってるか?」
「俺が知らないはずねぇってところっスよ」
星河がニッと笑う。都市伝説は彼の得意分野だ。
「新月と満月の晩にボロボロの制服着たホッケーマスクの少女がチェーンソーで男を襲うってやつだ。《ジェイソン少女》とか《チェーンソー少女》とか言われてる」
健心のために、星河が簡単に説明するが、それだけでは不十分だと璃沙は感じた。
「その少女の制服が、うちのだって言われてるんでしょ?」
「ああ、襲われたって男は実際には外傷はねぇんだが、夢に出てきたって言って、おかしくなった奴がいるくらいだ」
「自殺者も出ているという話だろう?」
光明の分野ではないが、この話は校内で知らない者がいないと言われていたのだ。新入生の健心が知らないのは仕方のないことだろうが。
「テラ、だっけか?」
圭斗は健心を見る。ビクッと肩を跳ねさせた健心はまさか自分に声をかけられるとは思っていなかったようだ。自分には関係ないことだと考えていたかもしれない。
「は、はい」
「一心さんと清心は何も?」
「聞いてないですけど……」
なぜ、自分に聞くのかわからないといった表情で健心はぼそぼそと答える。
「圭斗先輩は、視たんですね?」
低く妙に重みのある声で海里は問う。圭斗を問い詰めるようでもある。
「ああ、視た。リボンの色は……」
シンと室内が静まり返る。それが大きな意味を持つからだ。
「圭斗先輩、僕のこと、いじめにきたんですね」
部になった祝いのはずが、テーブルの上の菓子や飲み物が虚しく見える。もう誰も手をつけない。
「僕のクラスメイトの女の子、行方不明、なんです。あれは二月のこと、塾の帰り、だったそうです」
本当は言いたくなかっただろうに、海里は健心に説明する。この話題もまたタブーだ。彼が言わなければ璃沙達は口にできない。
ニコニコするわけでもなく、冷ややかな怒りを見せるわけでもなく、海里は今にも泣き出しそうにさえ見えた。
「俺はな、お前も彼女に会ったんじゃないかって思ってる」
「だって、クラスメイトですから」
圭斗は容赦がなかった。まるで尋問するような眼差しだ。
その隣で健心が困惑しているのは明らかだ。彼にしてみれば、言いたくもないことを無理に吐かせようとしているようにしか見えないだろう。
祝いを楽しみにしていたかは知らない。けれど、仕方ないのだ。こんな空気になってしまうのも、海里がいじめられているようにしか見えないのも。今日でなければならなかったのだから。
「……《チェーンソー少女》には一度、彼女には何度か。教室だったり、枕元だったり」
観念したような海里の顔は見ていられないものだ。会話が意味するところを皆、わかっている。《彼女》はもうこの世にはいない。
だから、璃沙は光明に視線を送る。彼ならば意味がわかるはずだった。
「テラ少年、ちょっと」
光明が小声で健心を呼び、手招きする。健心がそっと席を立った時に璃沙も席を立つ。
「変態女の席だが、我慢しろよ」
光明が璃沙の席の手すりを叩く。彼もまた空気を読んだらしい。聞き捨てならないことを言ってはいるが聞かなかったことにした。
そして、璃沙は健心が座っていたところに座る。海里を挟んで反対には圭斗が座っている。二人がけのソファーではあるが、三人で座ってもさほど窮屈ではない。
璃沙の席の目の前には小さな卓上カレンダーを置いている。月の満ち欠けが書かれたものだ。それが目に入れば健心も気付くはずだ。今夜が新月であるのだと。
「……何度も、何度も『助けて』って、『私を見付けて』言われました。でも、僕に何ができるって言うんです?」
いつ泣き出してもおかしくないような海里の隣に璃沙は寄り添う。反対側では圭斗が宥めるように肩を叩く。
「どうして、相談してくれなかった?」
「しようとしましたよ、何度も。でも、その度に、彼女が『邪魔をするな』って言うんですよ。金縛りに遭って、自殺しちゃった人の気持ち、わかるくらいですよ。何なんですかね。助けてほしいのか、ほしくないのか」
「気付いてあげられなくて、ごめん」
失踪した海里のクラスメイトのことも《チェーンソー少女》のことも知っていた。だが、それ以上の繋がりはないと思っていた。
「何言っているんですか、璃沙先輩は僕の心、楽にしてくれましたよ?」
儚げに微笑んで、海里は左の袖を捲る。パワーストーンのブレスレットをしている。オニキスと天眼石で作ったものだ。
「何も言わずに、これ、くれたじゃないですか。貰ってから少し調子がいいんです」
海里はブレスレットを嬉しそうに撫で、大切にしている様子だった。だからこそ、璃沙は困る。気付かなかったのが本当だ。プレゼントも璃沙が考えてそうしたわけではない。そうするように言われたからだ。
今になってわかる。彼は気付いていたのだ。だから、あんなことを言ったのだ。
「わりぃ、最近、妙なことが多くて、気付いてやれなかった」
思い返せば、圭斗が来るのも久しぶりだ。連絡は取っていたが、会ってはいなかった。元々そう頻繁に訪れていたわけではない。彼にも大学があるのだから不思議にも思わなかった。
「妙なこと、ですか?」
「都市伝説なんて、所詮噂だろ? でも、これには事実がある」
《チェーンソー少女》が実在すること、そして、その正体がわかっている。単に行方を眩ました少女がいたずらをしているということではない。
「そういうの、最近、ちょいちょいあるんだよ。何て言ったらいいかわからねぇんだけどな……悪意を持って都市伝説を作ってる」
「何スか、それ」
都市伝説を専門に調べている星河でさえもその反応だった。
「今まで誰かに先に越されてるから、だから、みんな、今日こそって思ってる」
「あの人達を出し抜くサイキックがいるんですか?」
「うーん、なんつーか、そういうの追ってるプロ? うちの関係者じゃないし、一心さんと清心は違うっつーか……どっちも掴めてない間抜けだって思ってもいいんだぜ?」
霊的な何かが起きている。非現実でありながら確かに現実である。璃沙に霊感はないが、これまで何度か関与したからこそ、信じることはできる。けれど、目に見えるものだけを見ているだけだ。
健心にしてもそうだろう。いくらサイキックの兄を二人も持ち、心霊現象を否定できないとは言っても。
「圭斗先輩が所属しているオフィスとオカ研は密接に関係があるんだぜ?」
解説などできる状況ではない海里の代わりのつもりか星河は言う。
「その昔、サイキック集めのために創部されて、俺が最後の犠牲者ってとこ」
《魔女》と呼ばれた女子生徒が部を作ったことは璃沙も聞いている。元々家族経営だったサイキックオフィスの規模がこれによって大きくなったのだ。霊能力者だけでなく霊媒をも保護した。
「最後の悪魔じゃないですか。廃部にした挙げ句に邪魔までして」
四代目の部長が卒業し、五代目部長となるはずだった圭斗は部の存続を選ばなかった。
「仕方ねぇだろ。俺は眷属頼みの貧弱サイキックだったから。面倒なことになっても、どうにもできねぇし」
かつては顧問もサイキックであった。校長が後ろ盾であったが、璃沙達が入った年にこの学校を離れている。
自分だけが残されてもかつての機能はもう維持できない。だから、いっそ潰してしまう方が部のためだと思ったのだと圭斗は言う。それには先代の部長全員の同意があったのだと。
「大体、その辺は神木も絡んでるぜ?」
「あいつは、そういう奴ですよ。でも、困っている時には助けてくれましたし」
璃沙の前ではどこまでも軽薄で、おおよそ公明正大な生徒会長には思えない。しかしながら、彼は文芸部と戦おうとした男だ。