第二章 運命は稲妻のごとく 4
空を光が駆け抜けると共に、大地を揺らすような轟音が響いた。
稲妻だ、と気がついた瞬間、手に持っていた携帯電話から、椿ちゃんの悲鳴が聞こえた。
「椿ちゃん!」
急に騒がしい物音がして、携帯電話が地面に落下したのだと分かった。おそらくだが、彼女が落としてしまったのだろう。
がちゃがちゃと携帯のフレームが土に当たる音と同時に、ざわざわとした騒がしいノイズがする。
「椿ちゃん、椿ちゃん!」
一体何が起こっているんだ!?
僕は必死で彼女を呼ぶが向こうからは何の返事も聞こえない。そして、ノイズの音が急に大きくなったと思うと、そのままぶつりと通話が切れてしまった。
僕は混乱しながらも、その状況を整理した。
多分、勝手に切れてしまったのだろう。
直感だが、それは一瞬前の雷のせいではないかと僕は思った。雷が落ちた影響で周囲に特殊な電磁波が生じ、それが至近距離にある携帯電話のような電子機器を狂わせたのである。雷の力は膨大な物であるし、考えられない事ではない。
そして、そこから導きだされる事実として、つまり――。
椿ちゃんは、先ほど雷が落ちた場所にいる!
僕は慌てて空を見上げる。僕の記憶が正しければ、雷は駅から南の山の方角に落ちたようだった。
ジュースを買いに向かったはずの彼女がそんな場所にいることなど考えがたいが、彼女の持ち前の方向音痴を考慮すれば、ありえなくはない。それに、彼女は先ほど電話で神社の前にいると言っていた。山の中にならば、そういう建物はいくらかあるだろうし、これらの情報から、彼女が山にいる可能性は高いと言っていいだろう。
そうと分かれば、ともかく、急がなければ。
僕は追い立てられるような不安に駆られていた。彼女に何かあれば、慣れない町に彼女をジュースに買いに行かせた僕の責任だ。一刻も早く見つけ出さなければならない。
僕は携帯電話を仕舞い、ベンチから立ち上がると雨上がりの駅前を走りだした。
彼女から再び電話が掛かって来たのは、山道の中程に差し掛かったところだった。最初は慌てて走っていたために携帯の着信音に気がつかなかったが、僅かな振動がポケットから伝わり、僕は立ち止まって取り出してから、通話ボタンを押した。
果たして、彼女は無事なのだろうか。
「も、もしもし!」
僕は荒く呼吸をしながら、携帯を耳に当てる前に既にそう呼びかけていた。
「あ、繋がった?」
「椿ちゃんか!?」
「うん」
「大丈夫か? 怪我してないか?」
「うん。心配あらへん。うちは元気でピンピンしてんで」
電話の向こうで物音がする。どうやら、彼女が元気であることを示すためにその場で飛び跳ねているらしい。こちらから見えないので、それがどんな状態かはいまいち伝わらないが、とりあえず、動けるようだ。
僕はそれで、本当に、本当に、安心した。
「そうか……」
呟いた声に僅かな震えがあることを感じ、僕は必死でそれを押し殺した。
「い、今、そっちに向かってるよ。山の中の神社にいるんだろ?」
「あれ、よう分かったな」
神社とは言うたけど、山の中とは言うてなかったはずやなかったっけ。
と、彼女は不思議そうである。
「ハハ、椿ちゃんのいる場所なんて、僕にはお見通しだよ」
推理が的中した僕は少し得意げになった。
「へえ、さすがシロちゃんや!」
「いや、だから、僕の名前は白路だって……」
いまいち決まらない。
いい加減、僕のことをそう呼ぶ癖を治してもらいたいものである。
「ともかく、そこを動かないでね。今から迎えに行くから」
「うん。待ってるで。『神様』と一緒に」
「ああ。すぐに……」
言いかけて、止まった。
あれ、今彼女は何と言った?
ちょっと聞き捨てならないことを、言わなかったか?
僕は急な違和感に、一瞬口ごもった。
「……椿ちゃん、その、『神様』って?」
「ああ、うん。うちの隣にいるんやけど。神様のミカヅチさんって言うんやで」
「よく状況が分からないんだけれど。もしかして、そこには椿ちゃんの他にも誰かいるのか?」
「うん、せやからミカヅチさんや」
ミカヅチとは変わった名前である。それに、彼女が言う神様とはどういう意味なのだろう。もしかすると、その神社の神主さんか誰かなのだろうか。
すると、
「おうい、聞こえっかー?」
急に割りこむように何者かの声が聞こえた。それは明らかに椿とは違う、無遠慮な男の声だった。
「あ、どうも。あなたがミカヅチさんですか?」
「おう、そうだおれっちがミカヅチだ。坊主はこの嬢ちゃんの友達らしいな」
「ええ。小賀玉白路と言います」
とりあえず、僕は挨拶した。正直、何だこいつは、と思ったが、ここで礼を失してはいけない。もしかすると、椿を助けてくれた人かもしれないのだ。
すると、電話の向こうでそのミカヅチという名の男はヒューと口笛を吹いた。小賀玉、小賀玉と名前を転がすように、嬉しそうに、僕の名を呼ぶ。
「いい名前だな。こりゃ、何かキてる感じがするな」
「どういう意味ですか?」
「いやいや、こっちの話さ。ともかく、あんたこれからこっちに来るんだろ?」
「ええ」
「きっと、道が分からないだろう」
僕は一瞬困ってから、はいと返事をする。正直な話、こんな薄暗い山道など、こちらに越してから来る必要もない場所なのだ。一度も通ったことはないし、当然、神社があるなどという話も聞いたことがない。
椿にはすぐに行くと言ったものの、それは半分、彼女を不安にさせないための嘘だったのである。
「場所を教えてもらえるんですか?」
僕はこれは幸運だったと、声を弾ませた。
「いや、それは面倒だから、道を用意してやる」
「はあ?」
「だから、今から道を用意してやる」
僕は彼の言う意味が分からない。
道を用意するとは、これから道を作るとでも言うのか?
「ええと……」
混乱して、彼に返す言葉を探していると、突如、それは起こった。
それまで地面から伸び出て、しっかりと根を張って微動だにしなかった木々が大きく枝をしならせて、目の前で凄まじい音を立て始めたのである。まるで、巨大な掘削機が大地を削っているような地響きだ。
あまりの光景にただ唖然としていると、一体どういう仕組になっているのか、僕の目の前で木々が移動し始めた。
ごごうごごう――。
草が、石が、木々が、根っこが、皆動いている。
そして、気がつけば、そこに一本の道ができていた。
握った携帯から、先程の無遠慮で大きめな男の声がした。
「ほら、できただろう?」
「あ、あの……」
あまりのことに、僕はまともに声を発せない。
「こ、これは……」
「真っ直ぐ歩いて、早くこっちに来い」
すると男は、僕がこの信じがたい状況に対しての質問をする前に、さっさと通話を切ってしまった。
通話切れのプープーという電子音が僕の耳に届く。
「……どういうことだよ。これは」
僕は夢でも見ているような気分になる。一瞬、脳裏にモーゼの十戒の海が割れるシーンが浮かんだが、そんなことが出来るのは神くらいしかいないだろう。
神様?
本当に、神様なのか?
僕はわずかに震えながらも、地面を触っていた。ちょっと殴ってみる。
コツン――。
「痛い、よな」
ざらざらとした、普通の土の感触である。ひょっとして、中が巨大な機械となっていて、ベルトコンベヤーのような仕組みで木々が移動したのかと思ったのだが、どうやら違うようだ。
正真正銘、地面に植わっている木々が動いたのである。まるで、己の意思を持っているかのように。
電話に出たあの男は本当にそんなことをしたのか。
俄には信じがたい事実である。
「あ、椿ちゃん!」
僕は大事な事を思い出して、立ち上がった。よく事情は分からないが、その奇妙な力を持った男は今まさに椿の隣にいるのだ。もしかすると、かなりの危険人物という可能性もある。僕は目の前で起こったことの衝撃に飽和気味の頭を揺すぶって、急に拓けた道を進み始めた。