第二章 運命は稲妻のごとく 2
「シーロちゃん!」
その気の抜けた声と共に、繁みからいきなり誰かに飛びつかれた僕は心臓が口から飛び出すかと思うほど驚いた。
「うわああ!」
と数年来出したこともないみっともない叫び声を上げ、すぐさま背中の何かを振り落とそうとする。
何だ?
野犬か? 猪か?
気が動転し、名前を呼ばれたのも分からず、必死に体を揺さぶった。
すると、
「きゃあ!」
と悲鳴を上げて、その物体が背後に倒れたのが分かった。慌てて振り返る。
そこには、先ほどから行方不明のはずの青山椿の姿があった。地面に尻餅をついて、しかめっ面でこちらを見上げている。
「もう、シロちゃん、ひどいな。うちを振り落とすなんて」
そう言って、恨めしそうに口を尖らせた。しかし、僕はというと、彼女の姿を見て、一瞬硬直した。
こいつは、誰だ?
あおやま、つばきだ。
青山椿、だ。
本当に、僕の前に現れた。
彼女を森の中で探しはじめて、ものの五分も経っていない。僕は先程の教師の言葉を思い出した。
『あなたと椿ちゃんってどうしてか、二人一緒にいて、しっくりくるっていうか、互いに引き合ってるっていうか不思議な感じがするのよ』
おいおい。
本当に僕が探したから、彼女が出てきたのか?
僕は動揺する。しかし、しばらくしてから、ゆっくりと首を振った。
まさか、偶然だろ。そう、これは単なる偶然。
心の中で妙な考えを否定する。彼女と僕がいつも二人でセットなどというふざけた考えは捨てるべきだ。僕の中に青山椿レーダーなんてものがあるわけがない。
そして、そう思うと、入れ替わりに彼女に対する怒りの感情が生まれてきた。
一体彼女はこんな場所で暢気に何をしていたのだろう。集合時間はとっくに過ぎている。一人で歩きまわった挙句、勝手に迷子になってくれた彼女は迷惑この上ない。しかもそのせいで、この僕がわざわざ探さなくてはならないとは。
感情のうねりが口元に押しかける。
が、僕はそれにブレーキを掛けた。まずい、彼女の前では感情的になるべきではない。転校初日のことを思い出せ。
あの時は、名前を間違えた彼女につい感情的になってしまい、大声を出してしまったのだった。思えば、僕はあの時から彼女のペースに巻き込まれている。そして、それを打開する術を僕は未だに見つけていない。
そう、彼女の前で感情を晒すことは、圧倒的に不利な状況を産み出してしまうのだ。
僕は下唇を噛んだ。落ち着け、僕。
と、
「シロ、ちゃん?」
目の前に座り込んでいる彼女は、いつの間にか、不思議そうな目をしてこちらを見ていた。
「何をぼーっとしてんの?」
どうやら、長い間無言だった僕を不審に思っているらしい。僕は声のトーンをなるべく落として、冷静に答えた。
「なんでもない、ほら、帰るぞ」
「帰る?」
「集合時間はもうとっくに過ぎている。皆はお前が迷子になったと思って探してた」
「迷子?」
彼女は未だきょとんとしている。
「うちは別に迷子やないけど?」
「いや、迷子だろ。じゃあ、一人で皆の所に戻れたのか?」
彼女はこくんと頷く。
「ならちなみに、広場はどっちの方向にある?」
すると、彼女は僕が来た広場の方向よりもさらに森の奥へ向かう道を指さした。駄目だ、こいつには迷子になる天才的な素質があるかもしれない。
「迷子、決定だな」
僕がぼやくと、その呆れた口調が気に入らなかったのか、彼女はむっとしたようだった。
「ま、迷子やないもん」
と強がったことを言う。
「迷子だって言ってるだろ。大体、お前の主観で迷っていようといなかろうと集合時間までにみんなの元に戻ってなければ、それは迷子と変わりねえよ。それが客観的事実ってもんだ。いい加減認めろ!」
「迷子やない」
「迷子だ」
「迷子やない」
「迷子だっつーの」
全く、こいつ、意外と頑固な奴だ。いつもはぽわぽわして、何を考えているのかすら分からないというのに。
そう思っている僕は知らず知らずのうちに自分が意固地になり、感情的になっているのに気がつかなかった。それがまずいことだということを忘れていたのだ。
そして、彼女と迷子だ、迷子じゃない、という口喧嘩を続けるうちに、僕の足はいつしか、落ち葉のたくさん降り積もった滑りやすい道の端を歩いていた。大量に積み重なったそれらが僕の尖った感情を表すように、がさがさと騒がしい音を立てる。
「迷子やない」
「だーから、お前は迷子だ!」
そう言って背後からついてくる彼女を振り返った時だった。
ずるり。
足元の落ち葉の山に、僕の足が滑った。