ピンクな恋
行き当たりばったりに書いてしまいました。
お目汚しで申し訳ありません。
そのときのわたし、かなり酔ってたんだと思う。じゃなきゃ、こんなこと絶対言わない。
普段のわたしを知る人は、きっと驚くに違いない。机にすわり電卓を叩くことしか能がないわたし、恋愛と無縁な負け組み街道まっしぐらと思われている地味なわたししか知らない人は、特に仰天するんじゃないかな。
「楽しまないとソンだよ。会費払ってるんだから」
余計なお節介を焼いて、彼に口を挟んでしまったのは、披露宴のあとで行われた二次会の席でのことだった。
しかも、彼といってもわたしの彼氏じゃない。偶然わたしの右隣に立っただけ。全く話したこともない、今夜はじめて会った見ず知らずの、思いっきり赤の他人な彼のことだ。
お化粧直しでトイレに行った帰り、会場となっているレストランを出たところにあるホテルのラウンジで、その彼とばったり会ったのだ。お互い視線がぶつかったとき、「あ!」と同時に声を出してしまったので、わたしも彼もいっせいに吹きだして笑いあってしまった。
わたしから先に話を切り出した後、彼は首をかしげた。
「僕、そんなにつまらなさそうな顔してました?」
彼も少し酔っているようで、顔がほんのりと赤かった。苦笑して緩んだメガネの奥の瞳がとっても優しげだったので、わたしはますます調子に乗ってしまった。
「だって、さっき怖い顔してにらんでたでしょう、あの二人を?」
彼以外の人に見えないように、自分の体で隠しながら小さく指を指した。その指の先には、今日の主役、新郎と新婦のふたりがいる。はちきれんばかりの笑顔をふりまき、幸せ絶頂の最中であることを周囲に見せつけている彼らが、レストランの入り口の前からでもバッチリ見えた。
「あー、わかっちゃいましたか?」
悪戯を見つけられた子供のように、彼が肩をすくめてペロリと舌を出した。その顔がペコちゃんポーズを彷彿させる。
慣れないワインを飲んだせいで、今頃酔いがまわってきたみたい。普段なら絶対口にしない質問を、わたしは恥ずかしげもなく彼にぶつけていた。
「もしかして恋敵、だったとか?」
もちろん周囲に聞かれないようにひそひそ声で。冗談で言ったつもりだったんだけど……。
「実は、そーなんです」
「……へ?」
「やだなあ、冗談に決まってるじゃないですか? ホントだったら、こんなところに来るわけないでしょう」
「あ、ああ、そーですよね。ジョーダンですよね」
彼の言葉を笑顔で受け流しながらも、なんとなく気まずいムード。しばらく沈黙の時が流れる。何のリアクションがないわたしを見かねたのか、今度は彼が質問してきた。
「あなたは、あのふたりとどういうお知り合いなんですか?」
「え、はい? わたし?」
急に自分に話を振られたので、あせって声が裏返りそうになってしまった。
「えーと、彼女の方と知り合いで。会社の同僚なんです。彼の方は全然会ったことなくって、今日顔を知ったばかりなんだけど……」
「そうだったんですか……」
「あの、じゃあ、あなたは? どういうご関係で?」
「ただの友人です。学生の頃からの。僕、大学のときからずっと映画やってて、時々手伝ってもらってるんですよ。これでも監督業やってるんです」
そう言った彼の顔が笑顔だったので、わたしはほっとした。
「映画? えー、スゴイですね? どんな映画とってるんですか?」
彼がにっと笑った。
「ピンク映画撮ってるんです」
――げ!
彼のひと言で、一瞬にして酔いがさめた。口が半開きになったまま凍りつく。
――ピンクって……。男の人が好きな、あのピンクっ?
こんなに温厚そうな人が、あんなエグイ映画をつくってるなんて。人は見かけによらないとは、まさにこのことだ。
「ああっ! あなた、絶対勘違いしてるでしょう?」
黙り込んだわたしの異変に気づいたのか、彼は血相を変えて慌てだした。
「違います、違いますったら! 僕の芸術作品を、野蛮なモザイクだらけのピーッと一緒にしないでください! お願いですから!」
――あんなものに、芸術もクソもピーッもあるもんかっ。
ムキになって否定する彼を見て、わたしの脳内に『変人』の二文字が浮かんだ。
「野蛮も何も、そんなの見たことないからわかりませんし、今後も見たいと思いません! 勝手にお願いしないでください!」
すると、ガシッと彼に手を握られた。
「ダメです! 何が何でも僕の芸術を理解してもらいますよ。それまで絶対家に帰しませんからね、ふっふっふ……」
この台詞、もっと違う状況で聞きたかった、もとい! これ以上、この人に関わってはダメだ。危なすぎる。
「ま、また冗談ですよね?」
彼の手を払いのけようと、ブンブン上下に腕を振った。けど、痩せているわりに結構力強い。無駄な抵抗に終わる。助けを求めて辺りを見回しても、どーして? こういうときに限って誰も通らない。
「いえ、ジョーダンではありません!」
「ぎえっ!」
彼に力いっぱい抱きつかれて、手足を封じられてしまった。
「今夜は、逃がしませんよ……」
――やばい、やばすぎる。
そう思いながらも、急に喉をぐうっと込み上げる違和感にわたしは気づいた。
「うげ……、気持ち悪い……」
「ええっ、マジですか? ちょ、ちょっと待って……」
「すいません、もう待てません……」
「お、おうわっ!」
それから一時間後、わたしはシャワーを浴びて嫌なにおいから解放された。ホテルのご厚意により、わたしと彼は部屋を借りることが出来たのだ。もちろん別々の部屋であることは言うまでもない。
――あーあ、ついてないな。もう……。こうなったら、エステにでも行っちゃおうかな。
部屋の冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターをペットボトルごとがぶ飲みしながら、どうやってホテルでの時間を過ごそうか考えているとき、ピンポーンとインターフォンが鳴った。
――まさか。
不安が頭をよぎる。ドアに近づいて、そっと覗き窓から部屋の外を覗いてみたら、やっぱり。あのピンク映画の彼が立っていた。
――どうしよう、何しに来たんだろう。
よくも僕の一張羅を台無しにしてくれたな! と、文句を言いに来たんだろうか。ああ、そうだ。わたし、クリーニング代を渡さなければならなかったんだ。
彼に直接会うのは引いてしまうけど、わたしがやったことは到底許されない。不可抗力とはいえ、彼に迷惑かけたのは間違いナシの事実なんだから、お詫びしなければ。でも……。
ドアの横についている鏡でチラッと自分の姿を見たら、思いっきりやばかった。二次会で着ていた服はクリーニングに出してしまったので、わたしはバスローブを着るしかなかったのだ。おまけにサイズが大きすぎて、胸元が見えそうなぐらいはだけていた。
ピンポーン。再びインターフォンが鳴った。そういえば彼もバスローブ姿だった。そんな格好で部屋の前をうろうろされたら困ってしまう。かといって、部屋の中に入れるのも……。
「ぶ、ひえっくしょおん!」
ドアの向こうから彼のクシャミが聞こえてきた。
はあ、もーう仕方ないなあ。調子に乗って飲んで吐いたわたしがいちばん悪い。彼は悪くないのだ。
わたしは、部屋のドアを少し開けて十分話せるだけの隙間をつくった。
「あの、何ですか? クリーニング代なら、ちゃんとこちらでお支払いしますから……」
彼の顔がパッと明るくなった。
「いいえ、とんでもありません! 違うんです。これをあなたにお渡ししようと思って」
そう言いながら彼がドアの隙間から差し出したのは、白いレジ袋だった。薬局の名前入りの。中身を開けてみたら、胃薬に健康ドリンクが何本か入っている。
――やられた。
それは、ガツンとわたしのツボにちょうどいい大きさでうまく入ったのだ。自分でもびっくりするぐらい頬の筋肉が上がる。彼がバスローブ姿で薬局のレジに並ぶ姿が脳裏に浮かんだ。
「どうぞ、中に入って。風邪引きますから」
たぶん、わたしはまだ酔っている。自ら男性を部屋に招き入れるなんて、酔っていなければ出来ることじゃない。
「はい、では遠慮なく」
ピンクの彼は、あっさりドアの内側に入ってきた。
「何、くすくす笑ってるの?」
「え、あの、ちょっとはじめて会った時のこと思い出して」
わたしは、クローゼットの中から服を二着取り出して彼に見せた。あの日、二次会のときにわたしたちが着ていた懐かしい服だ。もう三年の月日がたっている。
「早く片付けないと、いつまでたっても終わらないぞ」
彼はあきれながらも優しい笑顔で言った。
「そういえば、あの時怒ってたよね。どーして?」
「怒ってたんじゃないよ。つまらなかっただけなんだ」
彼の笑い声が弾けた。
「僕、結婚式嫌いなんだよ。人の幸せ見てることぐらい、つまんないものってないだろう? でも、あのふたりには感謝してるよ。君に会わせてくれたんだからさ」
そう言って彼は、積み上げられたダンボール箱ジャングルの間にわたしを横たえた。
明日わたしは、ピンクの彼と愛を誓う。
読んでくださってありがとうございました♪