離婚届
結婚3年目のある日のことだった。
「あなた……これ、書いて」
そう言って夫洋介に妻小百合が差し出したもの……それは離婚届だった。しかも、彼女の欄には既に書き込みがされてある。
「これは一体……小百合、何の冗談のつもりだ。」
「冗談じゃないわ。私は本気よ。」
洋介はその言葉に首をかしげた。彼には彼女が本気で離婚届を自分に渡そうと思う理由に全く心当たりはなかった。
第一、夫婦仲は悪くない。友人たちからは結婚して丸二年経ってもラブラブだと、バカップルだと言われるくらいだ。
浮気なんてしたことがないのでばれようがない。
(と言うことは小百合の方が……まさか……こいつに限ってそれは……)
「何で本気で別れなきゃならない理由があるんだ」
洋介が震える声で問い返すが、小百合はうつむいたまま何も答えなかった。
「男が……できたのか?」
理由を答えない小百合に洋介がそう聞くと、それまでうつむいていた小百合は顔を上げて夫を涙目でにらんだ。
「そうね、その方がよかった? そんな訳ないじゃない! 私にそんなことができないことはあなたが一番よく解かってるはずでしょ!」
「なら、何なんだ。」
まったく理由に心当たりのない彼は次第にイライラし始めていた。
「聞けばあなたはきっと後悔するわ。」
「でも、聞かなきゃ分からないじゃないか。」
「私……あなたともうセックスしたくないの。」
彼女はやっと離婚の理由を口にした。
「何!?」
案の定、その理由に彼は一瞬言葉を失った。
「惨めになるのよ……」
彼女はそう言うと彼から目線を外した。
「惨めって何なんだ!!」
夫婦の営みに惨めにならなきゃならない要素がどこにあるって言うんだ、洋介は思わずそう怒鳴りそうになったが、小百合の思いつめた形相でかろうじてそれを口には出さなかった。
「私はもう女じゃないんだなって思い知らされるのよ」
「お前は生まれたときから間違いなく女だろう!?」
妻のその言葉に、俺は、男を妻に選んだつもりはないぞと洋介は思った。
「ええ、性別上はね。」
小百合の顔は、カーテンを開けっ放しにした窓から差し込む月の光でいつもより余計青白く光っていた。
「一体お前は何が言いたいんだ!」
「私は実のないことなんてしたくないの」
「バカバカしい!子供だけが結婚のすべてじゃないだろう?!何だ…こんなもの!」
洋介は小百合から突き出された離婚届を掴むとびりびりと引き裂いて丸めた。
世の中には子どものいない夫婦なんていくらでもいるのに……何で子どもになんかこだわらなきゃならない。
「いいわよ、あなたが応じるまで何度だって書くわ」
「じゃぁ、何度だって破いてやる! 言っとくけど俺は、子供なんて面倒なものは要らないからな!」
「ホントはそうは思ってやしないくせに!」
「思ってる!」
「思ってないわ、絶対!!」
「いい加減にしろ!!」
(子どもはお前の代わりになんてならない!)
洋介は小百合に手をあげようとして……すんでのところでそれを止めた。
「殴れば良いじゃない……殴れば……」
小百合は肩を震わせて泣いている。洋介は向かい合っている自分の妻の顔を自分の胸に押し当てさせた。彼女はしばらく抗ったが、すぐにおとなしくなった。
「なぁ、俺と2人きりで過ごすのがそんなに苦痛か?」
小百合は洋介の胸の中でかぶりを振った。
「じゃぁ、このままで良いじゃないか。」
小百合はそれにも強くかぶりを振り続けた。