婚約者に喧嘩を売られました
エドガー・グランデンは冷や汗をかいていた。
顔合わせの時に何かしでかしただろうか。
婚約者に、喧嘩を売られた。
「エドガー様。私たちの婚約は財政難を発端として決まったわけですが。正直私は、視野を狭め固執するならば権威なんて要らないのではないかしらと思っております。庶民には権威も何もないんですから。エドガー様は、どのようにお考えなのでしょうか」
貴族社会への冒涜だと言われても仕方のないようなギリギリのライン。
リゼット・ノルム嬢。ノルム商会の娘で、先日お父君が授爵して男爵令嬢となった婚約者。
先日の顔合わせの時の姿勢も既に綺麗だったが、今日の所作も完璧だ。だが、一見お淑やかに笑っているけれど、琥珀色の瞳が挑戦的に光っている。昔から目つきが悪く怖がられることも多かったが、この令嬢は怖くないのだろうか。心のうちまで覗き込まれているような感覚に陥る。
顔合わせの際は、綺麗な婚約者だと思って緊張してしまったが、別の緊張をすることになるとは。
動揺を悟られないよう静かにカップを置く。冷静かつ客観的に答えなければならない。冷や汗が背中を伝う。
「…変革ももちろん大切だが。多くのものは時間が経てば歴史の中に消えていく。だからこそ、一見無駄に見えるものでも残っているというだけでなんらかの意図はあるし、価値もある。秩序を保つ権威と文化的伝統も大切だと思う」
「でもこのままではこの国丸ごと破産するかもしれませんわよ」
頭をフルに回転させる。家のためにも、ここで婚約をだめにする訳にはいかない。
「まだ破産はしてないだろう?手立てはあるはずだ。大きな変革ではなく、小さくても着実な変革が、な」
「例えば?」
「そうだな、君が先ほど言ったものであれば、伝統を重んじた改革だ」
彼女の目が少しだけ大きくなった。
「どれだけ正しいことであっても、ただ闇雲に変えようとするだけでは人は動かない。だが、移行するのは割と人は簡単にやってのける。違うかい?」
「え、えぇ。おっしゃる通りですわ。ありがとうございます」
「いや、さすがノルム商会のご令嬢。こんなことを尋ねられるとは思っていなかった」
婚約者として合格したのだろうか。まったく、度胸のある賢いご令嬢だな。
リゼット嬢が静かに紅茶を飲む。こちらを見据えてきた琥珀の目が妙に頭に残った。
⭐︎
親睦を深めるというお茶会での会話は、大抵学問や政治についてだった。学園に入ってからも続けている。廊下を歩いていると、リゼット嬢が見えた。隣を歩くご令嬢がこちらに気づいて声をかけてくれたのだろう。リゼット嬢が俺を見て会釈をしてくる。楽しそうだな。会釈を返した。婚約者殿か?とやってきたレオノルト様に聞かれ、頷いた。
⭐︎
「視察に行きませんか」
そうお茶会で言われた。聞けば、とある鉱石店から新しい品が入ったからぜひと連絡があったそうだ。街に出かけたことはと問われる。……街か。よく従者のキールと二人で、家のものには無断で出かけていたが、それがバレる訳にも行かない。それに、実際に暮らしていたリゼット嬢の方がよほど知っているだろう。ちゃんと行くのは初めてだと答えた。
⭐︎
視察当日。互いの学園生活や学業についてひとしきり話した後、下町で今まで通り呼ぶのは良くないだろうと切り出した。愛称で呼び合うのが良いだろう。エディと呼ぶよう頼むと、私のことはリゼと呼んでくださいと返ってきた。リゼ、と心の中で反芻する。
「では、エディ様さっそくあちらに…」
そう言われてどこかモヤモヤとした。街に行くのに俺だけ「様」が残っているのもいかがなものか。そもそもリゼット嬢は貴族の生まれではないし、敬語などもない方が気楽かもしれない。
「リゼ」
「はい?」
少し口ごもったあと、言う。
「今日は敬語じゃなくていい。その方が気楽だろう。それから、様もつけなくていい」
「では、お言葉に甘えて。エ、エディ」
「うん」
エディと呼ぶ声に、一気に気分が上向くのを感じた。
「エドガー様、鉱石店に着いたら、敬語を戻しますからね!」
どことなくそわそわとするリゼに上機嫌なまま頷いた。
「あぁ。敬語は、それまででいい」
見慣れない町に心躍る。俺の見知った町に比べて若人が多く、品も凝ったものが多い。
「リゼ、あれはなんだ?」
「あれは果物の切り細工です」
向こうに見える店を指してリゼット嬢に問うと、敬語が返ってきた。
「…敬語」
「あっ、すみま、いや、ごめん」
あわあわとするリゼット嬢に、面白いものを見たなぁと思う。
「エディ、食べる?」
「食べる」
久々の食べ歩きに幼い頃に返った気分になる。あの頃と違うのは見慣れない町とリゼといることの2点。
「人が多いな」
「あぁ、もうすぐ祭りでしょ?」
「まだ日はあるだろ?」
「あら、下準備から祭りよ。ただ、今日は確かに多いわね」
下準備から祭りとは言い得て妙だ。やはりリゼット嬢は面白い。人波を眺めてふと原因に思い当たる。当たっているかはわからないが。
「少し前、大雨が降っただろう?水嵩が低くなったのが先週だったから一気に行商人が到着したんじゃないか」
「なるほど!」
「染め物商人が多いわね」
「あぁ、季節の変わり目だし狙い目だものな」
「ちょっとはしたないかもしれないけど、はぐれないようにくっついていい?」
「え?うん」
ぼんやりと店を眺めているとリゼット嬢が話しかけてきた。状況を飲み込めないまま反射で返事をしたが、滑り込んできた手に思わず動揺する。
「腕じゃないのか?」「え?腕?」
腕に手を添える形を想定していたが、周りの男女が手を繋いでいるのを見て納得する。握った手の小ささに意識がいくのを振り払うように、店を指した。
「リゼ、あっちの店を見たいんだが」
「え?えぇ、行きましょ…い、行こう」
⭐︎
鉱石店にて。
「お嬢様ようこそお越し…」
そこまで言った商人が俺を見つめて絶句する。くるりと踵を返す。
「おいみんな、お、お嬢様に春がきたぞっーー」
「聞こえてるわよっ!」
数分後、部屋に通されたリゼット嬢は出された品に打ち震えていた。
「エドガー様、これ見てください!すごいと思わない!?」
「あぁ、すごい。」
興奮して石を見せてくる。満面の笑みが、浮かんでいる。
「ここの鉱石はなかなかまわってこないのよ!」
そう言われて初めて石に視線をやる。俺の目の色に似た石だった。記憶の奥底からその鉱石を引っ張り出す。
「北部でも取れるだろう。今年は採掘量が減少しているからあれも希少性も上がっているはずだが」
「これは少し緑が濃いの。エドガー様の色だわ!」
俺の、目の色。凪いだ心が揺れ動き始める。
「…っ。俺の色は、北部のではないのか」
「あれもよく似ていますけど。でもエドガー様、笑うと少し緑がかって見えるの。これはその色そのままね!」
笑った時の、目?
「本当に綺麗だわ」
ふわり、とリゼット嬢が微笑む。途端、時が止まった。
窓からの光が茶髪に滑らかに差し込む。愛おしいものを見るような、柔らかい目。
あぁ、綺麗だな。
リゼット嬢が石をそっと箱に戻して、蓋を閉じる。
まるで自分の目を宝物のように触れられた気がして。
思わず天を仰いだ。
綺麗。綺麗だった。きゅっと口を引き結ぶ。
商人とリゼット嬢の声が聞こえてくる。
「…貴族のお姫さんは婚約者におねだりする方が多いですよ?」
「今日は視察だもの」
「そう硬いこと言わずに。ねぇ若旦那?」
商人にとりあえず頷く。リゼット嬢に、俺は何を思っている。
「これとかいかがです?」
差し出された琥珀に、パッと線が繋がった。耳が熱くなる。
「エドガー様に売りつけるんじゃないわよ!」
くっとリゼット嬢を見つめる。
「リゼット嬢、欲しいものはないの?」
「エドガー様まで!」
何を言っているんだと言わんばかりだ。テキパキと荷物をまとめて戸口に向かって行ってしまう。
せめてもともう一度問うた。
「おねだりしないのか?」
「しませんよ!」
キールが残りの荷物をまとめてポンと肩を叩いてきた。
帰りの馬車。ぼんやりとしながら自覚したばかりの恋心を整理する。
「あの、エドガー様?」
「エドガー様、か」
ぽつりと呟く。リゼット嬢が探るように尋ねてくる。
「…約束は鉱石店まででは?」
「それは敬語が、だろう?」
この機会に愛称呼びを定着させたい。
「公的な場では今まで通りで構わない、けど」
愛称で呼ばれたい。
「わ、わかりました」
「ありがとう。それから…今日は楽しかった」
視察だからおねだりをしないなら、デートならしてくれる理論になる。ならば。
「次は、視察ではなくちゃんとデートをしよう」
⭐︎
あれ以来リゼの様子がおかしくなった。意識され始めたかと少し期待するが、よくわからない。
ドレスについては順調らしく、レース編みや染物屋の案をひと通り説明された。前々から思っていたが、リゼは夢中になると距離感がおかしくなる。ここ最近は長椅子の隣に座ってグイグイとくっついて説明してくるものだから敵わない。それとなく離れようともしたが、逆に詰めてこられただけだったので役得と思って享受している。
が。説明を終えたリゼが顔を上げて目が合った。次の瞬間、資料が押し付けられる。
え、なんで?痛いし。
「リゼ、痛い、近かったなら悪かった」となけなしの謝罪をする。
ぐいぐいと資料を押し付けていたリゼはパッと逃げていってしまった。
やはり下心を持っていたのがばれただろうか。一人残された部屋でうめく。紅茶を持ってやってきたキールがニヤついている。顔だけで鬱陶しい。
うめきながら相談すると爆笑された。相談相手を間違えた…
⭐︎
来客があると聞き、少し期待しながら向かうとレオノルト様だった。
「よぉエドガー!恋煩いか?」
うわ。
「どうも」
「なんだその顔。リゼット嬢じゃなくて悪かったな」
バレてる。
はぁぁぁーと息が漏れていく。
「デート、いつもどうしてます?」
旧来の友は瞬きをし、待ってましたと歯を見せて笑った。
⭐︎
視察で訪れた街に再び行った。
食べ歩きをする。
『デートで食べ歩き?なら、まずは一口どうぞ作戦だな』
一口どうぞと差し出す。口をつけたところも食べる。
『何食わぬ顔でやれよ?』
鉱石店にも行く。
「今日は視察ではなくデートなのだからおねだりしてくれ」
「いえ、その、大丈夫ですよ?」
「おねだりしてくれないのか?」
「ええと」
「婚約者なのに?」
「えぇと……」
リゼが視線を彷徨わせている。そりゃ困るか、諦めるか……ん?
右端の髪飾りで一瞬止まったように見える。一か八か。
「これは?」
弾かれたようにリゼがこちらを向いた。当たりだ。
問答の末に髪飾りを贈った。ほぼゴリ押しだが。
帰り際、リゼの視線が何かを探していた。青の宝石を見つけるたびに目が止まっている。店の商人がこそっと声をかけてきた。
「若旦那の目の色、もうすぐ入荷できますよ。どうです?」
俺の目の色。青緑。
「お願いしても、いいか」
「かしこまりました」
外してくれない様付けも、外すように頼み込む。向かい合って座っていた馬車も、隣に座る。
それ以来色々な場所に連れ出すようになった。
髪飾りだけではなく、花やドレスも贈り、リゼからも刺繍を入れたハンカチや琥珀のカフスボタンを贈られた。
⭐︎
時は過ぎ、18歳となった。
リゼと久々のお茶会。
初めてのデートで贈った髪飾りが滑らかな茶髪に映えている。
いつまで仕事の話をするんだと一度書類を全て取り上げた。仕事の話をしにきているのではなく、リゼの話を聞きにきているんだと
エマリア様がドレスをお気に召してくださったとご連絡いただいたと話している。
エマリア様曰く、他の商会にも同じ取り組みが広まりつつあり、地方工房も少しずつ息を吹き返しているという。リゼの努力の賜物だ。
「リゼは笑顔を売っているな」
卒業パーティーの話にもなった。エマリア様に城で働かないかと打診されたという。
「城での経験は得難いものだし、何よりリゼは頭が切れるから素敵だと思う」
働くリゼが好きだ。てきぱきと指示を出し、くるくると働いているのは見ていて気持ちがいい。それは紛れもない本心だが。城仕えはどれほど会えなくなるのだろう。少しだけ、俺のそばにいてほしいとよぎってしまうのは傲慢か。俺の気持ちだけでリゼを縛ってはいけない。
「財政分野だったのですよ。女性の地位向上と、財政管理が目的だそうです。結婚しても仕事ができる道を模索なさっていらっしゃるとか」
リゼが悪戯っぽく笑いかける。
「エディ、せっかくの卒業パーティなんですから悪人ヅラはしまっておいてくださいね。エスコート、楽しみにしています」
⭐︎
レオノルト様とお茶を飲んでいる時だったと思う。
「プロポーズしないのか?」
「ブッッッ!ゲホッゲホッ」
「あぁすまない」
「な、な!?」
「いや、卒業だろう?」
先日、鉱石店から連絡があった。この分だと、卒業パーティーには間に合う。
俺の婚約者は聡明だ。俺の想像をも飛び越えていく。
結婚しても仕事ができる道、と君は言った。
どくどくと鳴り出した鼓動に、少し拳を握る。
「しようとは、思っています。家の事情も、関係なく」
⭐︎
卒業パーティー当日。
そわそわとした空気が辺りに広がっている。リゼの元に向かう。
コツリと音がした。階段を見上げると、ドレスに身を包んだリゼが立っていた。
一瞬息を止めた。目を細めて微笑む。似合ってるとにこやかに囁くと、リゼは花が咲いたように笑った。かわいい。後ろを向いてくれないかと頼むと、戸惑った顔を向けられた。髪を寄せてネックレスをかける。
鏡を覗き込んだリゼが、ぱっと顔を上げた気配がした。じわじわと顔が熱くなってくる。
「エディ、この宝石は東方の一部の鉱山でしか取れないものよね」
「……」
「エディ?」
「リゼ。ちゃんと話す。だから、終わった後でいいか」
卒業パーティーはつつがなく行われた。
⭐︎
パーティー終わり、リゼを近くの庭園に連れ出した。爆発しそうなほど心臓が痛い。リゼは戸惑いが全身から滲み出ている。
「エディ?」
少しだけ袖口が引かれる。あぁくそ。覚悟を決めろ、俺。
「以前、その鉱石を俺の目の色だと言っていただろう?…俺の笑った時の目の色だと」
「えぇ言いましたけれども」
「嬉しかった。あの石を心底手放すのが惜しそうに箱に戻していたことも。この顔で怖がられやすい俺の目を、綺麗だと言ってくれたことも」
いやまぁ、君が綺麗だと思ったのは俺の目ではなく石だったのかもしれないけど。笑った時の色を覚えられているとは思わなくて。
「だから。リゼに、つけてほしかった」
コホンと咳払いをする。ぐっと口を引き結ぶ。
「リゼ。好きだ」
「え」
「いやその、恥ずかしくて今まで言えてなかったんだけど」
自覚してから今まで一度も言えないとは我ながら情けないけれど。
「エ、エディ、この婚約嫌だったんじゃ…」
そこから?
「え?そんなわけないじゃないか」
「だって最初顔を顰めていて怖かったから」
俺、怖がられていたのか。かなり胸が抉られるが、それなのにお茶会であの質問をしてきたと考えると凄まじい胆力である。
「緊張してたんだ……リゼが、綺麗だったから」
ぽかんとした目を向けられる。
「リゼは、まっすぐ俺を見てくれた。姿勢も言葉もあまりにまっすぐで。綺麗だと思った。初めてのお茶会であんなことを聞かれた時は驚いたけどな。あの時の挑戦的な目も、強い意志が感じ取れて綺麗だった」
わかりやすく真っ赤になったリゼに驚いて目を見開いて息を呑んだ。
この際、全て伝えてしまえ。
「ちなみに自覚した時は、視察で鉱石店に行った時。……笑顔が綺麗で、可愛かった」
真っ赤なリゼに愛おしさが込み上げる。
笑顔を収め、ふっと浅く息を吐く。手が震える。ずっと伝えたかったことがあった。
「本当は、ずっと言いたかったんだ。婚約者としてではなく、一人の男として」
そして、リゼの手を掬い上げてゆっくりと跪いた。
琥珀色の目が見開かれた。
「臨機応変な考えも、くるくると変わる表情も、仕事になればまっすぐで笑うと淡く柔らかい琥珀色の目も、好きだ。努力を惜しまない君を尊敬しているし、そんな君だからこそ愛おしいと思っている」
こんな俺だけれど。
「リゼット・ノルム嬢」
ぶわりと風が吹く。誰よりも君を大切に、幸せにしてみせる。だからどうか。
「どうか俺と結婚してください」
左薬指に口付けを贈る。リゼの目から涙が溢れていく。
「……っ!…はいっ」
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男爵令嬢になりましたので、悪人ヅラな婚約者様と世界に笑顔をお売りします!
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