つくも神の産声
江戸は神田の裏長屋に、源次という偏屈な竹細工師がいた。
腕は超一流だが、作るものは決まって「虫籠」だけ。それも、お大名が喜ぶような派手な金細工ではなく、煤竹を極限まで細く削り、指の腹が切れるほど鋭く編み上げた、一見して不気味なほど精緻な籠だった。
源次には、忘れられない記憶がある。
十年前、ひとり娘のお小夜を流行り病で亡くした。死の間際、お小夜は苦しい息の中で何かを必死に伝えようとした。だが、その言葉は声にならず、ただひゅうひゅうと虚しい風の音となって消えた。
「お小夜、何を言いたいんだ。父ちゃんに聞かせてくれ……」
源次は泣き叫んだが、娘の最期の「想い」は、誰にも届かぬまま夜の闇に散った。
それ以来、源次は狂ったように竹を編み始めた。
「声にならない声を、閉じ込める器を作らなきゃいけねえ」
彼は指から血を流しながら、竹に「耳」を持たせようとした。
百個、二百個と籠を編み続けるうち、ある夜、不思議なことが起きた。
完成したばかりの籠の前に座っていると、ふわりと、死んだはずのお小夜の匂いがした。そして、籠の竹細工が震え、小さな、掠れた声が響いた。
『……とうちゃん、ごめんね……』
それは、あの日聞き取れなかった娘の最期の言葉だった。
源次は崩れ落ちるように泣いた。器が、虚空に消えるはずだった想いを捕まえたのだ。
だが、この奇跡が悲劇の始まりだった。
噂を聞きつけた近隣の者たちが、「誰にも言えない秘密」や「死に際の恨み言」を籠に閉じ込めてほしいと、源次の元へ押し寄せるようになった。
人の業というのは、綺麗な思い出ばかりではない。
妬み、蔑み、殺意。
源次はそれらを断りきれず、求められるままに籠を編み続けた。
やがて、源次の指は竹のように硬く、心は空洞になっていった。
「俺が作っているのは、虫籠じゃねえ。人の心の『澱』を溜める掃き溜めだ」
ある雪の夜。源次は自ら作った最も美しい籠を抱きしめ、静かに息を引き取った。
その時、部屋中にあった数百の虫籠が一斉に鳴き出したという。それは虫の音ではなく、何千人もの人間の「後悔」と「嘘」が混ざり合った、おぞましい合唱だった。
源次の死後、その籠たちは江戸の古道具屋へと散らばっていった。
手にした者の願いを叶えるふりをして、その実、溜まりすぎた「人の想い」を喰らって増殖する、呪いの器として。
「愛する人の声を聞きたい」という純粋な願いから生まれた道具が、「人間の止めどない欲望や負の感情」に触れることで、恐ろしい怪異へと変質していく




