7 影
「今日は、アンカーソン子息がいらっしゃっているようですよ」
「そっか。じゃあ、お姉様は今、本邸に居るのね?」
姉の婚約者─ブレイン=アンカーソン様は、婚約者として挨拶をしに来て以来、週に一度は姉に会いに来ている。そんなアンカーソン様に、姉が別邸で過ごしているとは知られたくないようで、アンカーソン様が来る日は、姉が本邸にやって来るのだ。母の目がある為、姉とゆっくり話をする事はできないけど、エメリーにお願いして、私の作ったお菓子や手紙を渡してもらっている。
そして、今日もアンカーソン様が来ているらしい。とは言え、私がアンカーソン様と会う事はない。そもそも、アンカーソン様は婚約者である姉のジェマに会いに来ているのだから、私が会う必要は無い。それに、母からも『ブレイン様がいらっしゃっている時は、部屋に居てちょうだいね』と言われている。なので、私は今、自分の部屋で刺繍の練習をしている。
「あ……」
使いたい色の糸が無くなってしまい、邸にあるのかどうかエメリーに訊こうと思い、私はソッと自分の部屋から出た。
姉とアンカーソン様は、いつも応接室でお茶を飲みながら話をしている─と聞いていた為、応接室には近付かないように─と思っていると、その応接室の方からリンディの声が聞こえて来た。
ー何故、応接室の方からリンディの声が?ー
お行儀が悪いのは分かってはいたけど、そのまま静かに応接室に足を向けて、聞き耳を立てた。
「ふふっ。ブレイン様は、本当に話がお上手なんですね!」
「──そうかな?まぁ……そう言ってもらえると…嬉しいけどね……」
「あ、それじゃあ、コレは知ってますか?」
と、何故か、リンディとアンカーソン様の声しか聞こえて来ない。
ーあれ?お姉様は…どうしたんだろう?ー
何故リンディがこの部屋の中に居るのか、何故お姉様の声が聞こえないのか──私にはサッパリ意味が分からない。すると、
「───少し…失礼しますね………」
と姉の声が聞こえたと思ったら、応接室から姉が出て来た。
「!?」
扉の近くに居た私は、咄嗟に隠れる事もできなくて、部屋から出て来た姉は私を見てビックリしていたけど、何事も無かったように静かにその扉を閉めた。
それから、周りを確認した後、チョイチョイ─と手招きされたので、私は歩いて行く姉の後ろ姿を追って行った。
「何故、リンディがあの部屋に?」と姉に直接訊けば、「ブレイン様がいらっしゃる時は……いつもリンディと…お義母様が同席するのよ」と。
「同席?」
意味が分からなかった。母は、私には、2人の邪魔にならないように自室に篭もれ─と言わなかっただろうか?それなのに、何故リンディだけではなく、母自身も同席するのか。
姉とアンカーソン様が婚約者でなければ、部屋に2人切りと言うのはあまり良くないけど、2人は婚約者だ。2人切りになったとしても全く問題はない。
「そろそろ戻らないとね…。エヴィ、また別邸に遊びに来てね?」
そう言って、姉はまた応接室へと戻って行った。
その日の夜の事だった。
「お嬢様、起きてらっしゃいますか?」
「───ん?エメリー?どうしたの?」
自室のベッドでうとうととしていたところに、エメリーが慌ててやって来た。
「お嬢──ジェマ様が高熱を出されて…。それで、エヴィ様の名前を呼んでいると、アリスが知らせてくれたんです」
「お姉様が!?エメリー、私、お姉様の所に行きたい!あの……行けるかしら?」
「旦那様も奥様も、もう寝ていらっしゃいます。念の為、使用人が、使う通路を通って行けば大丈夫かと…」
「エメリー、それでお願い!」
それから私は、寝夜着の上からカーディガンを羽織って、エメリーに案内されながら姉の元へと向かった。
「あ、エヴィ様!来ていただけたんですね!ありがとうございます!」
姉が寝ている部屋に入ると、アリスが泣きそうな顔で私を迎え入れてくれた。
「お姉様は?大丈夫なの?」
「それが……先程迄は、エヴィ様の名前を呼んでらっしゃたんですけど…今は…苦しそうで………」
「──え?」
姉が寝ていると言うベッドに視線を向けると、姉が寝ているだろうと思われる所に、黒い影が浮んでいた。
ーあの影は…何?ー
エメリーとアリスの態度を見る限り、その影に気付いている?見えている感じが無い。
ーあれはー
ふと、何かを忘れているような感覚に陥る。
よく分からないし、今はその違和感の事は置いておいて…。
あの影が、良くないモノだと言う事は分かる。
ーでも、どうしたら良い?ー
水の魔法が使えるなら、それで祓えたかもしれない。違う。魔力が無い訳じゃない。使える程の量が無いだけ。
姉を見て、グッと両手に力を入れて、その黒い影がある胸元に手を当てる。
ーお願い、黒い影を…祓って!ー
そう願った瞬間、一気に魔力が空っぽになったかのように、体から力が抜けてしまい、そのままベッドの縁に倒れ込んでしまった。




