第五十話「潜入! 星環保安局」
夜二十時、五分前。
街灯の光が、石畳を淡く照らしている。
夜の街は静まり返っていた。
店の窓に映るのは、ひとりの男。
黒い外套。
黒革の手袋。
黒いハット。
その中心には、翼を広げた金色の五芒星。
「悪くないな」
見慣れない自分の姿を見ながら、俺は呟いた。
帽子のつばに手をかけ、振り返ると──
重厚な黒い大門が、すぐそこにあった。
青い制服の保安官が二人、門前に立っている。
門の向こうには、神殿のような巨大な石造建築。
高所には帽子と同じ記章が、月光を受けて黄金に輝いていた。
その下には、“星環保安局・本部”と刻まれている。
「山田さ~ん。こっち、こっちです」
明るい声に振り向いた。
保安局を囲う鉄柵の横で──
俺と同じ保安官姿のリリィが、手を振っていた。
長すぎるコートが、地面を擦っている。
ぶかぶか、だ。
「正門は警備が厳重なので、裏門から行きましょう」
やはり、潜入するらしい。
「大丈夫なのか?」
「ええ、根回しはしてます。問題ありません」
リリィは正門から五分ほど歩くと、街の裏通りへ入った。
石畳はわずかに湿り、街灯の光を鈍く反射している。
やがて、彼女の足が止まった。
その先には──
黒鉄の巨大車両。
タイヤだけで人ひとり分ほどの高さがあり、リリィの背丈を優に超えている。
分厚い装甲には、保安局の記章。
車体の節々には、青いライトが点滅していた。
「これは……」
「大型魔導装甲車、パイロンです。保安局が、荷物運搬などに使うものですね!」
ガコッ。
前方の装甲窓が、外に開かれた。
中にいたのは、青い制服に帽子をかぶった、頬がこけた茶髪の男だった。
保安局の記章がついた帽子を持ち上げると、男はくまの浮いた目で笑った。
「どうも~」
「こんばんは。ショーンさん!」
「やぁやぁ。その服、似合ってるね──と言いたいとこだけど」
ショーンと呼ばれた男は、リリィを見て苦笑した。
何度見ても、ぶかぶかだ。
「でかすぎたかな……それしか準備できなくて、ごめんね」
「大丈夫です。問題ありません!」
かなり目立っている気がする。
「おっと、そろそろ時間だ。さ、乗った乗った」
ショーンは、親指で後ろを示した。
ウィン、ガコッ。
車両の側面下部が持ち上がり、スロープが降りた。
中には、数人は座れそうな席が並んでいる。
俺たちが腰を下ろすと、ハッチが閉まった。
一瞬の闇。
側面の壁が透け、外の景色が見えた。
仕組みは分からないが、相当な技術だ。
低い振動音とともに、車両がゆっくり動き出した。
「すごいな……」
「有事にも使用されるんですよ。魔術耐性もあって、耐久性もばっちりです!」
もはや近未来だ。
そのうち、ビームサーベルとか出てきそうで怖い。
十分ほど揺られると、車両は敷地の中へ入っていった。
向かっているのは、敷地中央の大きな建物らしい。
「あれが本庁ですね」
「緊張してきた……」
「大丈夫ですよ。夜間なので、人も少ないですし。バレる心配はほとんどないかと」
会話をしているうちに、車両は本庁の地下へと降りていった。
広い空間だ。
細長い電灯が青白く光り、木箱がそこら中に積まれている。
装甲車やバイクも何台か停まっており、駐車場を兼ねた倉庫のようだった。
ウィン、ガコッ。
車のハッチが開くと、ショーンが運転席から降りてきた。
「一時間で荷物の積み下ろし終わるから、それまでに戻ってきてね~」
「了解であります。上級補給官どの!」
リリィは黒い帽子のつばに手をやると、ビシッと敬礼した。
ショーンは軽く笑うと、胸についた銀のバッジをつまんだ。
きらりと光る銀板には、木箱の紋章。その下には、三つの星が並んでいる。
「言ってなかったね……昇進したんだ。今は、補給班長だよ」
「それは失礼しました。班長どの!」
「うむ。では、健闘を祈る!」
そう言って敬礼する彼に、俺も応じて手を上げた。
懐かしい感覚だ。
自衛官だった頃は、敬礼の角度が違うと、上官によく怒られていた。
「行ってきます。班長どの」
「気を付けてね~」
手を振るショーンを後にして、リリィは昇降機の前で止まった。
「ん~。念のため、階段から行きましょうか。監視装置があると思うので」
「了解」
リリィは、昇降機の横にある扉を開けた。
黄色い階段が上に続いている。非常通路だ。
緑のライトがぼんやり光る階段を、俺たちは登っていく。
二階。
三階。
四階──
「どこまで行くんだ?」
「目的地は五階ですね。もうすぐです!」
階段を上がり切ると、すぐ前に鉄の扉が見えた。
中央には、“特別捜査課”のプレート。
その横には、小さな四角い端末が赤く光を放っていた。
「鍵、かかってるみたいだけど」
「指紋認証ですね。ちょっとお待ちを」
そう言って取り出したのは、透明な小袋。
中に入っていたのは、一本の煙草。
「それは?」
「エレナさんが吸っていたものですね」
そして、腰のポケットから何かを取り出した。
黒い金属板だ。
表面には小型レンズと、淡い青光が細く走っている。
「この指紋転写器に、タバコを解析にかけて、指を押すと……」
リリィは、金属板に親指を押し当てた。
ジュッ。
微かに焼ける音がすると、彼女の親指の皮膚が、じんわり赤く染まっていた。
「あら不思議。指紋が変わりまーす」
「なんでそんなの持ってるんだよ」
「持ってる方が、かっこいいじゃあないですか」
「……たしかに」
「では、行きましょ~」
リリィが、親指を端末に押し付けた。
ピッ。
赤い表示が、緑に変化した。
ガチャリ。
扉が開いた。
廊下は、正面と右に真っすぐ伸びている。
誰もいない。
壁際には、茶色い木扉が無数に並んでいた。
扉の表には、番号が規則正しく刻まれている。
リリィは右を見た。
三十、二十九、二十八──
扉の数字を見ながら、進んでいく。
足を止めたのは、二十五番の部屋だった。
「たぶん、ここですね」
コン、コン。
手の裏で、リリィは扉を叩いた。
「どうぞ」
部屋の中から、ハスキーな女の声がした。
扉を開けると──
薄暗い部屋の奥に、長机。
机の向こうには、低い背もたれの椅子。
その椅子に、誰かが深く身を預けている。
漆黒の服にハットを被った、茶短髪の女だ。
白く灯る煙草から、細い煙が天井へ昇っている。
椅子が、ゆっくりと回った。
女は微笑を浮かべた唇へ、煙草を運んだ。
特別捜査官、エレナ・クロフォードだった。
彼女は俺たちを一瞥すると、煙を長く吐き出した。
「おい……なんで、ここに居るんだよ」
「私の友人が、心よく連れてきてくれました」
エレナは、笑顔のまま舌打ちした。
「チッ。誰を買収しやがった」
「人聞きが悪いですね」
「つーか、休憩してるときに来いよ」
「でも……外にいる時は、仕事の話してくれないじゃないですか」
エレナは溜息をついた。
再び煙草を吸い込み、吐いた。
「で。何の用だ?」
俺は、エレナに事情を話した──。
「女遊びでもして、愛想つかれたんじゃないのか」
「そんなことしてな」
茶色の長髪、白いドレスに薄紅の羽──
淫靡な夢魔、エラの悪戯めいた顔が浮かんだ。
「……いですよ」
「思い当たってるじゃねぇかよ。残業続きでイライラしてんだ。ただの痴話喧嘩なら──」
リリィは一言。
「忘却の図書館」
ぴくりと、エレナの瞳が細まる。
彼女は帽子を深くかぶり、深く息を吐いた。
「まったく……部外秘だぞ」
そういって席を立つと、開いていた扉まで歩き──
静かに閉めた。
「お前の連れ……エルフってことは、魔力が高いんだろう」
「えぇ、まぁ。何か関係が?」
「ここ数カ月のことだ。街の中で、冒険者がよく消える」
「……」
「数はもう二十。いや──この件を含めるなら、二十一人だな」
エレナは歩きながら、机の横にあった茶色いボードの前で止まった。
写真と白いメモが、びっしりと貼られている。
「消えるのは腕利きばかり。魔力の高い連中だ」
「その人たちは、見つかったんですか」
「ああ、見つかった。だが……何も、覚えていない」
「記憶喪失、ですか」
「いいや。もっとタチが悪い。ひどい奴は、人格まで変わってる」
「そんな……手がかりはないんですか」
「これだ」
エレナは、机から一冊の赤い本を取り上げた。
「本?」
「戻ってきた連中の何人かが、本を持っていた」
彼女は、本を開いた。
「冒険小説であったり、伝記だったり、中身はバラバラだ」
パラパラと、ページをめくっていく。
「共通点は二つ。一つ目は──どこにあるのかも分からない、図書館のものと思われる管理ナンバー」
やがて最後のページにたどり着くと、エレナは本をこちらへ向けた。
「二つ目は、これだ」
そこには──
“関わるな”
ただ、それだけ。
茶色い裏表紙に、赤く歪んだ文字が刻まれていた。
「一連の事件は、その特殊性からこう名付けられた」
横にある黒板に向けて、エレナは腕を振った。
空中をなぞる動きに合わせ、白い文字が浮かび上がっていく。
現れた言葉は──
“忘却の図書館”
「数カ月の間、私はこれを追っていた。つい先日、捜査は打ち切られたがね」
「打ち切りって、それじゃあ──ッ!」
フィオナは、どうなるんだよ。
身を乗り出した俺を、エレナは制した。
「落ち着け。私だって、出来ることなら協力したい」
「なら……!」
「分からないんだよ。参考人は呆けているし、本を調べても変なところはない。あとは──」
ボードに貼られた一枚の写真に、エレナは触れた。
「被害者はみな、“祈りの壁”に触れていた。それぐらいだ」
リリィは首をかしげた。
「それが糸口、ということですかね」
「そうだろうな」
「そこまで分かってて、なぜ打ち切りに?」
「祈りの壁は、観光名所だ。毎日誰かが触れているし、不審な点は見当たらない。重要文化財だから、分解して壊すわけにもいかん」
「エレナさんでも、お手上げってことですか」
「悔しいが……その通りだ」
俺は話を聞きながら、白い床をぼんやりと眺めていた。
このまま、フィオナは見つからないかもしれない。
「あまり気を落とすな。幸い、帰ってこなかった奴はいない」
そんな保証ないじゃないか。
俺は低く呟き、拳を握った。
「エレナさん、ありがとうございました」
リリィが頭を下げたとき、拳に温もりが触れた。
小さな手だった。
「また何か分かったら、教えてください」
「ああ。次はちゃんとアポ取れよ。通してやるから」
エレナは煙草を揉み消すと、窓の外を見た。
ぽつぽつと、雨が降り始めている。
「それと……帰りは気をつけろ。事件が起こった日は、いつも今日みたいな雨だった」
──保安局、外。
去っていく装甲車に、リリィは手を振った。
話を聞いてからというもの、俺は心ここにあらずだった。
リリィは、遠慮がちに口を開いた。
「うーん。思っていたよりも、情報がなかったですね……お役に立てず、申し訳ないです」
「いいや……十分だよ」
「一人で帰れますか? 送りましょうか? 甘い物とか、食べます?」
大げさな身振りで心配するリリィに、思わず笑いがこみ上げた。
「大丈夫……今日は、本当にありがとう」
ゆっくりと歩き出すリリィに、俺は手を振った。
彼女は、何度も振り返った。
リリィが見えなくなった後──
俺は、走り出した。
薄暗い小道を、あてもなく。
帰り道は逆だった。
しかし、けれども。
なぜか、そうしないといけない気がした。
雨は、さらに強くなっていた。
気づけば俺は、大きな石壁の前に立っていた。
祈りの壁だ。
そっと手をつくと、白い文字が優しく浮かび上がった。
“緋色とずっと冒険したい。フィオナ・レスター”
「どこ行ったんだよ……」
文字はやがて形を失い、ほの白く光る鳥へと姿を変えた。
光鳥はふわりと羽ばたくと、壁の奥へ溶けるように消えていった。
その時。
祈りの壁が、強い光を放った。
光に飲まれているのに、闇に沈んでいく。
不思議な感覚だった。
俺の意識は、そこで途絶えた。




