第四十九話「夜鳴き鳥」
雨が、降っている。
「おい! 危ねぇだろ!!」
怒声に、ゆっくり顔を上げた。
目の前には馬車。
ハットをかぶったヒゲ面の御者が、苛立った顔でこちらを睨んでいる。
宙に表示された魔導ビジョンは、赤だった。
フィオナ失踪から三日。
ふらり、ふらりと。
あてもなく、俺は歩いていた。
無謀だ。
エンバータウンは、直径二十キロにも及ぶ巨大都市。
手がかりもなく、どうやって見つけるというのか。
だが──
誰に聞いても、フィオナを知る者はいなかった。
気づけば俺は、大きな石壁の前に立っていた。
祈りの壁だ。
そっと手をつくと、ぽぉっと白文字が浮かび上がった。
“緋色とずっと冒険したい。フィオナ・レスター”
「どこ行ったんだよ……」
文字はやがて崩れ、光の鳥へと姿を変えた。
光鳥はふわりと羽ばたき、壁の奥へ吸い込まれていく。
冷たい雨だけが、静かに降り続いていた。
*
ズキリ。
鈍い頭の痛みに、まぶたを上げた。
──ベッド、だ。
ふわりとした毛布をどけ、体を起こした。
開いた窓の外には、桃色の巨大樹が見えている。
ここは星見館だった。
「っ……」
腹の刺青が、じわりと痛んでいる。
いつ帰って来たのかも、覚えていない。
部屋を出て、一階に降りると──
カウンターの奥に緑短髪の少女、ステラが座っていた。
彼女は俺に気づくと、丸い眼鏡を押し上げた。
「おはよう。また、探しに行くの?」
「……ああ」
「顔色が悪いよ。少し休んだら」
「いや、大丈夫だ。行かないと」
「そっか……見つかるといいね。ああ、そうだ。リリィにも聞いてみたら?」
その言葉に浮かんだのは、クリーム色の黄短髪。
『この街のことであれば、“何でも”知っています』
そうだ。
リリィなら、あるいは──
フィオナ失踪から三日。
ギルドタグでリリィに連絡を取り、指定された場所へ向かっていた。
陽は、もう暮れていた。
商業流通区の裏路地をひたすら歩いていく──
辿り着いたのは、石造りの古びた酒場。
木の看板には、金色の小鳥が彫られていた。
“バー・カナリア”と、小さく書かれている。
からん。
木製の扉を開くと、鈴音が鳴った。
奥へ長く伸びたカウンターには、スーツ姿の男が数人。
みな、黄色のネクタイをつけている。
カウンターの奥から、老人が近寄って来た。
しわがれた声で、
「悪いね。一見さんは、お断りなんだ」
「人を探しているんですが……」
俺は、黒い名刺を差し出した。
「ああ。坊主の知り合いかい。なら、奥だ」
示された先は、濃色の木扉。
押し開けると、そこは薄暗い部屋だった。
琥珀色の照明が、室内をやさしく満たしている。
中央には、赤幕の垂れた小さなステージ。
それを囲むように丸テーブルが並び、客がまばらに腰を下ろしている。
壁には、大きな肖像画が掛けられていた。
柔金色の長髪をした女性が、銀のマイクを持って微笑んでいる。
タイトルは、“歌姫エマ・オルドレイン”。
その名前に引っかかりを覚えたとき、奥の方から声がした。
「よぉ、兄弟」
ステージ横から現れたのは、黒髪に金眼、黒いスーツの青年。
彼は、暗がりの席に腰を下ろした。
「どうも。エリオットさん」
「今日はどうした?」
「リリィと、待ち合わせです」
「なんだ、オレに用じゃねぇのかよ。チクショウ!」
「すみません……」
「冗談だって。とりあえず座れよ」
促されるまま、エリオットの前に座った。
「まだ、来てないみたいですね」
「ちょっと待ってな。もうじき始まるからよ」
「始まるって、何がですか?」
そう言うと、彼は怪訝そうな顔をした。
「あぁ? 夜鳴き鳥に、会いにきたんだろ」
「ナイチンゲール?」
ブーッ。
低い音が響き、しっとりとした旋律が流れ始めた。
赤い幕が、ゆっくりと開いていく。
煌びやかな光が、ステージに降り注いだ。
光の中に立っているのは──
クリーム色の短髪に、黒い羽飾りを添えた少女。
小さな体は漆黒のドレスに包まれ、黄金の光の中で輝いている。
少女は銀色のマイクを握り、微笑んだ。
──リリィ、だよな。
顔にはしっかりと化粧が施され、別人のように見える。
ガイドガールの姿と、あまりにも違った。
そして。
歌が、始まった。
「静かな夜、幕がおりた。あなたの瞳、どこか寂しい」
普段の朗らかな声とは違う。
甘く、切ない歌声だ。
「飛んで行って、カナリア。翼揺らして、どこまでも」
舞台に舞い降りた黒鳥は、優雅に羽ばたいていた。
歌が終わると、静かな拍手が広がった。
俺もそれに合わせ、そっと手を叩く。
「お嬢!」
エリオットの声に、リリィは小さく手を振った。
赤い幕が下り、拍手がゆっくりと消えていく。
ほどなくして、舞台裏からリリィが歩いて来た。
「山田さん。お恥ずかしいところを、見せてしまいましたね」
「謙遜するなよ。いい歌だった」
「亡くなった母が、父によく歌っていた曲なんです」
「歌姫エマ・オルドレイン。ここらじゃ、有名だったんだぜ」
腑に落ちた。
壁にある肖像画は、リリィによく似ている。
「私的な話ですみません。それで、用件は何でしょう?」
「ああ。連れのことなんだけど──」
リリィは、あごに手を添えた。
「ほほう。行方不明ですか」
「ああ。探しても、全く見つからない」
「どこかで遊んでいるのでは?」
「いや……もう、三日も帰って来てないんだ」
「それは心配ですね」
「やっぱり、分からないよな」
「いえ。心当たりはありますよ」
「本当か!」
「はい。でも……ここからは、お仕事になります」
「いくらだ」
「そうですねぇ。色々と準備があるので……料金は、こんな感じですかね」
小紙にさらさらと書かれた金額は──二十万。
「どうされますか?」
高い。
しかし──
彼女に頼るしか、道はないように思える。
「……お願いします」
「承知いたしました。料金は後払いで結構です」
「わかった」
「では、明日の夜二十時──あとで渡す服に着替えて、指定の場所へ来てください。服は準備ができ次第、宿に届けます」
「どこに行くんだ?」
「詳しい人のところ、です」
リリィは微笑んだ。
俺はひざの上で、静かに拳を握った。




