第四十四話「迷宮魔窟・第十七旧鉱道」
暗がりの旧鉱道。
その奥から、ばたばたと無数の足音が迫る。
次の瞬間──
闇が裂けた。
現れたのは、小鬼の群れ。
深緑の痩せた体。
骨ばった指には、粗末な木の棍棒。
暗い黄眼がぎらりと光る。
「ギィイ!」
数は十、二十──数えきれない。
この一帯は、奴らの縄張りか。
ポーニャが舌を打つ。
「チッ。数が多い……山田、いけるか」
「ああ」
腰の短剣を引き抜く。
「身体強化」
熱が血を巡る。
視界が澄み、地面の凹凸まで浮かび上がった。
踏み込む。
駆けるポーニャに並び、前へ。
走り、斬る──ッ!
鉄臭い血が頬を打つ。
背が触れた。
交差する刃。
銀の剣閃が疾り舞う。
ここは、俺たちの舞踏会だった。
視界の隅で、クラリッサの大斧が弧を描く。
「えーいっ!」
重い一撃に、三匹がまとめて吹き飛んだ。
クラリッサの背後へ跳んだ小鬼を、フィオナが横から殴り抜く。
「ふんっ!」
顎を砕く鉄拳。
小鬼の頭が弾け、低い破砕音が坑道に響いた。
「ギィ……」
瞬く間に仲間を失い、小鬼たちの足が止まる。
そして。
群れは、闇の奥へと散り逃げていった──。
「フィーちゃんって、武道家さんだったのねぇ」
「ううん。魔法使いだよ」
「えっ?」
クラリッサは目を丸くした。
「おばあちゃんにさ……」
『Cランクまで、魔法は禁止。約束を守れないなら、この街からは出しません』
「──って言われたんだ。ひどいと思わない?」
「厳しいのねぇ」
「英雄の孫も、楽じゃないんだな」
双剣を収め、ポーニャは呟いた。
俺は、小鬼の死体を短剣でつつく。
「そしてお前は、何をしている」
「いや……再生とか、しないのかなって」
「しないだろ」
ポーニャは淡と言った。
「第二形態になったり」
「しないよ……」
何を言ってるんだコイツ、と言いたげだ。
本当に終わったらしい。
一度殺せば死ぬなんて、なんて良心的な奴らなんだ。
やはり、試練の塔が異常だったのだろう。
「それにしてもお前たち、本当に動きがいいな。熟練の冒険者のようだ」
感心するように、ポーニャは言った。
フィオナが胸を張る。
「でしょ!」
「訓練環境が、良かったんだ」
エルフの里が懐かしい。
ここまで来れたのも、風牙隊の厳しい鍛錬のおかげだ。
最後まで、実力は底辺だったが。
まぁ、他者と自分を比べても意味はない。
精進あるのみ、だ。
洞窟の中に、四人の足音が響いた。
旧鉱道は、いくつもの坑道が絡み合う地下施設だった。
道中には途切れたレールに、横倒しになったトロッコ。
支柱は崩れかけ、放棄されて久しいようだ。
ポーニャを先頭に、暗い岩道を進んでいく。
分かれ道、迷いなく右。
次は、左。
「地図もないのに、よく道が分かるな」
沈黙──。
「昔……少し、ここに居たんだ」
歯切れは、いつもより悪かった。
「気をつけろ。崖だ」
いつの間にか、足場は細くなっている。
狭い崖道だ。
底が見えない奈落が、口を開けている。
その時。
低い唸り声。
「グルル……」
岩壁の上から、灰鱗蜥蜴が三体、這い出た。
瞬時に、ポーニャが駆ける。
飛び斬った。
颯爽と着地すると、
「なにか、おかしい」
ポーニャは呟いた。
「魔物の数が多すぎる……それに、この空気……」
空気は、僅かに重かった。
肌にまとわりつくような──
クラリッサは、あごに指を当てた。
「もしかしてぇ……」
「ああ」
ポーニャは、壁に埋まっていた小さな鉱石に触れ、引き抜いた。
途端。
壁の裂け目から、黒い瘴気が呼吸するように滲み出た。
まるで生きているようだ。
「魔素の乱れだ」
低く告げる。
「ここは、もう鉱道じゃない……迷宮魔窟だ」
振り向いたポーニャの金眼は、いつもより鋭かった。
ガラッ!
突然、フィオナの足場が崩れた。
「うわっ!」
体が浮いた。
下は奈落。
「危ない──ッ!」
反射で手を伸ばす。
指先が触れた。
掴む。
滑り──
落ちる前に、もう片方の手で、強く握り直した。
だが、
俺の体も滑り落ち──
直後。
クラリッサが、がしりと俺の足を掴み、持ち上げた。
「大丈夫ぅ~?」
小石が、ぱらぱらと闇へ吸い込まれていく。
落ちる音は、返ってこない。
「無事か!」
「なん、とか……」
引き上げられ、俺は地に手をついた。
「危なかったねぇ~」
「クラちゃん、ありがとう~!」
フィオナは、クラリッサの胸に飛び込んだ。
そして頭を撫でられながら、ちらっと俺を見やった。
「あと、緋色も!」
「ああ……」
ついでかよ。
不服そうな俺の顔に気づいたのか、クラリッサは手の先を振った。
「なでなで、しよっかぁ?」
「……いや。全然、大丈夫です」
なでなで、されたかった──。
しかし俺は、男のプライドを守ることにしたのだった。
「気をつけろ。捨てられた鉱道だ……安全とは程遠い」
ポーニャの後に続き、慎重に、崖下へと降りていく。
底には、大きな水場が広がっていた。
水底には、水晶質の鉱石が群生し、淡い光を放っている。
空気は、上よりも澄んでいた。
「わぁ……きれい~!」
フィオナの碧眼が、水晶光で輝いている。
「浄水晶だ」
ポーニャが言った。
フィオナは浅瀬に手をやり、小さな水晶を掴んだ。
「魔物除けの素材だっけ」
「ああ。ここで、少し休憩しよう」
ポーニャは腰のポーチから、サイコロ状のアイテムを取り出した。
ぽい、と放る。
白煙が、ぼんっと溢れた。
煙が晴れると──
そこには、丸い木目の分厚いテーブル。
そして、ベージュ色のもこもこソファ。
ソファは机を囲むように、円形状に配置されていた。
「……すげえ」
腰を下ろす。
身体が、ゆっくりと沈み込んだ。
なめらかな生地が、背を包む。
フィオナは、弾むように尻を跳ねさせた。
「気持ちいい~!」
ポーニャは、テーブル横の赤ボタンを押した。
すると、テーブル中央が静かに開いた。
せり上がるように出てきたのは、銀のコップが四つ。
「飲んでいいぞ」
コップの中には、透明な水。
ひと口。
──冷たい。
喉を滑り落ちる感触が、いつもより鮮明だった。
ポーニャは俺の正面で、じっと水面を見つめている。
揺れる光が、金の瞳に映り込んでいた。
──。
ポーニャが、口を開いた。
「鉱道が、なぜ封鎖されるか……理由を知っているか」
「老朽化じゃないのか」
「それもあるだろう」
彼女は、視線を落とした。
「……非道、だったんだ」
表情はいつもと変わらないが、どこか暗い。
「昔は、奴隷を鎖で繋いで掘らせた。倒れたら、どこかに捨てられる」
ポーニャは黒いマフラーを外し、首をさすった。
そこには、輪状の古い傷跡。
クラリッサは何も言わず、背のソファに深く埋もれている。
この話題には、触れたくないようだった。
「特に、獣人の扱いはひどいもんでな……人間は、オレたちを都合の良い“道具”だと思っていた」
「俺はそんなこと──」
「分かってる。今はもう、そういった差別は少ない……エンバータウンには獣人が普通に歩いているし、オレを見て嫌な顔をする奴も、ほとんど居ない」
フィオナとクラリッサは、黙ったままだ。
「オレは、あの街が……エンバータウンが羨ましい。エリン・レスターという英雄に守られた、世界で一番安全な国……獣国にも、そんな象徴がいれば……」
ポーニャは目を細めた。
どう返せばいいのか、言葉が出ない。
黙った二人を見ると、フィオナは口を半開きにし、クラリッサは小さく寝息を立てていた。
これだけ深刻そうな話をしているのに、なんと緊張感がないのか。
「まぁ、もっとも……悲劇ってやつは、大抵は魔女が悪いことになる」
「……魔女?」
「ああ。人体実験が行われているだの、なんだのと言ってな」
「本当に、魔女がやったのか」
「まさか。ただの噂、お伽話の類だよ」
ポーニャは、銀のコップを置いた。
「いつの時代も、魔女というのは──“都合がいい隠れ蓑”、なのさ」
その時。
「いやぁぁぁ──ッ!」
少女の悲鳴に、うたた寝していた二人が飛び起きた。
裂くような声が、幾重にも反響する。
右か、左か。
幾本もの分岐が闇へと伸び、どこから聞こえているのか分からない。
ポーニャはすっと目を閉じ、猫耳を両手で傾けた。
小さな体が向いたのは、右から二番目の鉱道。
「……あっちだ。行くぞ!」
俺たちは、悲鳴が聞こえる方へ──
闇へと飛び込んだ。




