第四十三話「銀双牙」
小柄な影が、地を蹴った。
高低差のある岩場を踏み砕き、疾駆する。
くるりと宙を舞い──
陽に揺れたのは、茶色い尻尾。
前方、灰土色のトカゲ頭が四体。
華奢な体躯が、風を裂いた。
二条の銀閃がうねり走る。
斬ッ──!
刹那。
音もなく、四つの首が宙を舞った。
──速い。
数秒遅れ、切断面に血が噴き上がる。
彼女は双剣を背に収めると、振り返った。
刃のような鋭い金眼──
猫耳の獣人、ポーニャ・レレ。
彼女は、“恐るべき戦士”だった。
──時を遡ること、数時間。
シャオロンと別れ、俺は星見館に戻っていた。
ロビーの机に置かれた椅子に、誰かが座っている。
水色の長髪をポニーテールにまとめた少女──
フィオナだ。
「あ、緋色! 心配したよ。どこ行ってたの」
軽い足音を立て、近づいてきた。
「うわっ。酒くさっ」
「あー、酔い潰れちゃって」
「んー……? なんか、良い匂いもするような……」
彼女は、すんすんと俺の胸元を嗅いだ。
「……気のせいじゃないかな」
「ふぅん……ま、いっか。クラちゃんから、メッセージ来てたよ!」
「クラちゃん?」
「ほらっ」
フィオナは、くすんだ銅色のギルドタグを掲げた。
浮かび上がった液晶には──
“フィーちゃん。よければ、クエスト一緒にしましょう! クラリッサ・モーモ”
知らぬ間に、随分と仲良くなっていたらしい。
「集合は、朝九時にギルド前だって」
俺はカウンター脇にある古時計を見た。
針は、八時半を指している。
「……時間、やばいな。急ごう!」
賑わう街を駆け抜け、ギルド前の大階段を小走りで上がっていく。
上に辿り着き、あたりを見渡すと──
右の壁際に、二人の獣人が背もたれていた。
軽装の黒鎧に双剣を背負った、小柄な猫娘。
牛柄の布服に大斧を携えた、大柄な牛娘。
分かりやすい二人組だ。
「……来たか」
「お二人とも、お久しぶりですぅ~!」
クラリッサは桃色の尻尾を揺らし、両手を振った。
「お待たせしました。ポーニャさん、クラリッサさん」
「いや、時間ちょうどだ。あと敬語はいらない。名前も、ポーニャでいい」
「珍しい〜。ポーニャンが、名前を許すなんてぇ」
「黙れっ。山田には恩義がある。これは、礼儀だ」
「ふふ。私も、呼び捨てでいいですよぉ〜」
「……わかった。じゃあ早速、クエストに」
「いってみよー!」
フィオナは、勢いよく腕を突き上げた。
ギルドの扉をくぐり、中を歩いていく。
「そういえば、どんな仕事を受けるんだ?」
「鉱道の調査依頼、だそうだ」
「昨日、ギルドから連絡がきてぇ……詳細はまだ、聞いてないんですよぉ~」
ギルド直々の依頼──
そういうパターンも、あるのか。
俺たちはギルド中央まで歩き、円形テーブルの前で足を止めた。
ポーニャは、黒短髪の受付嬢を呼んだ。
取り出したのは、黒銀のギルドタグ。
刻まれている文字は、“B”──
……国家戦力だ。
「お待ちしておりました。最上階、総監執務室へどうぞ」
建物の右手へと進み、昇降機に乗り込んだ。
行先は、五階。
廊下に出ると、横に伸びた通路が続いていた。
正面には、黒塗りの重厚な扉。
銀のプレートには、“総監執務室”と書かれている。
扉を開けると──
金長髪のエルフが、大きな机に座っていた。
「皆さん、こんにちは」
先日ギルドを案内してくれた受付嬢、エリン・レスターだ。
彼女は後ろ窓の陽光を受けながら、優雅に白いティーカップを傾けている。
フィオナは眉を寄せた。
「えっ……何してんの?」
「お、おいっ。口の聞き方に気をつけろ」
珍しく、ポーニャは慌てた様子だった。
「この方は、“残火の灯”ギルドマスター、エリン・レスターさんだぞ」
「大陸の大英雄さん、ですねぇ~」
のんびりとした口調で、クラリッサは言った。
「マスタァ? おばあちゃんが? 面倒くさがりで私にぜんぶ家事押しつけて、ずっとぐうたらしてた……あの、おばあちゃんが?」
「……長く生きていると、色々あるのよ」
エリンは、穏やかに言った。
「さて、依頼の話をしましょう」
彼女がぱんっと手を叩くと、部屋の隅のモニターに、映像が浮かび上がった。
「ここから十二キロ南、街道を移動していた商人の一団が、魔物の群れに襲われた──と、報告がありました」
画面には、街道で応戦する護衛たちの姿。
「普段ならありえない数だったそうです。これを受け、当ギルド残火の灯は、皆さんに街道奥の旧鉱道調査、および魔物討伐を依頼します。すでにC級パーティが先行していますので、現地で合流してください」
「C級だと? 過剰戦力じゃないのか」
ポーニャが、訝し気に言った。
「先に向かった“破断の槍”は、リーダーがC級なりたて。しかも、新人を交えた新編チームです」
「……なるほど。要するに……何かあれば、尻ぬぐいをしろということか」
「ええ、お察しの通り」
蒼い瞳を細め、エリンは微笑んだ。
「Bランクパーティ──“銀双牙”のポーニャ・レレであれば、容易いことでしょう?」
「……報酬は?」
「金貨四十枚、一人十万」
ひと呼吸。
「それと──クラリッサさんの、Cランク昇級。いかがでしょう」
ポーニャの猫耳が、ぴくりと動いた。
「何だと……たかが調査と討伐で、昇級させるというのか」
「お二人は獣国ギルドの依頼で、一年ほど長期護衛をされていましたよね。東北のグレイン村からは、非常に好意的な調書が届いています。その功績を鑑みて、という判断です」
「……良い条件だ」
「えーっと」
エリンは手元の書類を一瞥し、こちらへ視線を向けた。
「“フィオナと愉快な仲間たち”──のお二人も、それでよろしいですか」
フィオナは、元気よく手を挙げる。
「異議なーし!」
「……パーティ名、違うのにしない?」
「ふふ。今から出発すれば、昼前には現地につくでしょう」
エリンは、ティーカップを置いた。
「期待していますよ」
そして──
俺たちは、エンバータウン南門を出た。
そこから南へ、しばらく進んだ頃。
ポーニャは、小鼻をすんすんと鳴らした。
「臭う。もうすぐだ」
「んぅ~……この臭い、苦手なんですよねぇ」
クラリッサは苦笑いした。
「草の匂いしかしないけどなぁ」
フィオナが、不思議そうに辺りを嗅いだ。
俺も、何も感じない。
「獣人は五感が鋭いんですよぉ。ポーニャンは、特に耳が良くってぇ~」
「えー、いいなぁ!」
「ふわふわだしぃ~」
茶短髪の上に揺れるポーニャの猫耳を、クラリッサが撫でまわした。
「やめろっ」
ポーニャは頭を振り、鬱陶しそうにしている。
俺も、触りたい。
見ていると──
彼女は猫耳を両手で押さえ、じとっと俺を見た。
「だめだぞ」
……残念だ。
数分後。
街道の脇には、魔物の死体の山があった。
無数の小鬼、爬虫類めいたトカゲ頭の魔物。
腐臭と血の匂いが混じり、あたり一面に漂っている。
喉の奥がひりつく。
フィオナは鼻をつまんだ。
「くっさぁ~!」
「……だな」
ポーニャは草土に手をつき、指先でなぞる。
そして、顔を上げた。
「あっちだ」
森の木々の隙間──
地面は深く抉れ、無数の足跡が踏み重なっている。
俺たちは草木をかき分け、森の奥へと踏み込んだ。
森の中は、不気味なほど静まり返っていた。
草木の道が途切れた先は、岩盤地帯。
起伏に富んだ岩塊が、あたり一面を埋め尽くしている。
「待て」
ポーニャが手を上げ、俺たちを制した。
「……灰鱗蜥蜴だ」
岩陰の奥から、灰土色の魔物が四体。
背の高いトカゲ頭の異形が、這うように駆けてくる。
「オレがやる。下がってろ」
言うが早く、ポーニャは地を蹴った。
岩の起伏など存在しないように、縦横無尽に疾駆していく。
飛翔──。
双剣を抜き放った。
「二刀・春姫忠乱」
華奢な体躯が、落下する。
「≪舞神楽≫ッ!」
流星の如く。
二閃の銀光がうねり走る。
斬ッ──!
瞬きひとつ。
四つの首が、宙に刎ねられていた。
遅れて、鮮血が噴き上がる。
ポーニャは双剣を背に収め、首だけを傾けた。
射抜く金眼。
「この先だ、行くぞ」
声には、息ひとつの乱れもない。
──さすが、Bランク。
“国家戦力”は、格が違う。
岩場を進んで行くと──
大口を開けた洞窟が現れた。
闇が、底なしに続いている。
……呑み込まれそうだ。
入口の傍らには、朽ちた看板があった。
“エルデヴィア大陸南・第十七鉱道”と、書かれている。
その時。
ポーニャの猫耳がぴくりと跳ねた。
「来る!」
足元が、びり、と震える。
岩が軋み、地鳴りが走った。
洞窟の奥、闇の奥底から這い出てきたのは──
巨大な岩。
……いや。
岩が、動いている。
それは、四つ足の怪物だった。
「岩石甲亀だ……!」
隆起した甲羅の背からは、棘のように岩塊が突き出ている。
小高い山が歩いているようだ。
ずんぐりとした前脚が、地に落ちた。
──ドォンッ!
砂塵が舞い、鍾乳石がぱらぱらと崩れ落ちた。
前方に飛び出た岩の隙間から、暗い緑眼がぎろりと光る。
それは、裂けるように口を開いた。
「グォォォォォォォォ……!」
腹の底に響く咆哮。
フィオナの水色ポニーテールが、ぶわりと煽られた。
「でっっかぁ!」
その瞬間、両前脚が振り上がった。
岩盤の巨獣が、降って来る──ッ!
「避けろ!」
ポーニャは、自身の倍はあるクラリッサを肩に担ぎ、弾けるように後方へ跳んだ。
俺とフィオナも、後ろに続く。
ドォン!!!!
地面が、弾け飛ぶ。
空気ごと圧し潰す、凄まじい膂力だ。
ポーニャは、担いでいたクラリッサを雑に放り投げた。
「あだっ」
尻もちをつき、小ぶりの唇がふにゃりと開く。
「……もっと、優しくしてよぉ」
淡い桃色の瞳が、情けなく揺れた。
「黙れ。お前の担当だぞ。早く行け」
「モォ~。ポーニャン、牛使い荒すぎぃ」
クラリッサは立ち上がり、背の大斧に手をかけた。
「よいしょぉっ」
ぶん、と大斧を振り抜く。
ひと回すと──
長柄を、地面へ叩き込んだ。
ガァンッ!
「お前ら、下がるぞ!」
ポーニャに続き、俺たちは後退した。
「いっきまぁ~す!」
クラリッサの豊満な四肢から、蒼白の魔力が噴き上がる。
桃色の巻き毛が、肩上でふわりと跳ねた。
「重戦斧・ラングラン──ッ!」
魔の奔流が、戦斧へと流れ込んでいく。
「魔装、展開~!」
ギィィィィ──
唸る戦斧に、銀光が走った。
次の瞬間。
斧刃が、裂けた。
がばりと外殻が開き、剥き出しになる複雑極まりない内部機構。
歯車が目まぐるしく噛み合い、青い稲妻が戦斧を駆け巡った。
変形、している。
瞬く間にそれは展開し、クラリッサの体躯をも凌ぐ巨影へと姿を変えた。
重戦斧ラングラン。
もはや、斧ではない。
あれは──
武装兵器だ。
脅威を叩き潰すためだけに存在する、鋼鉄の怪物だ。
変貌を遂げた戦斧に、蒼き電光が疾る。
びり、と空気が震えた。
クラリッサは、脚を地面へ突き立て──
「よいっしょ~!」
跳躍──ッ!
蒼銀の威風を纏う巨大戦斧が、空へと打ち上がった。
「≪界地轟断≫!!」
叫びとともに、戦斧に蒼魔が爆ぜる。
そして、
今、
振り下ろされるッ!
鮮烈な青い奔流が、地へと墜ちていく!
「≪破城撃≫──ッ!!」
ダァァアアン!!!!!!!!
空気が裂け、爆撃にも似た轟音が響く。
激震する大地。
粉塵が、天を覆った。
硝煙が晴れると──
岩を纏う強靭な魔物、岩石甲亀の体は、真っ二つに裂けていた。
戦斧は甲羅ごと胴体を貫通し、大地へ深々と突き刺さっている。
「ほわぁ~……くさぁい……」
青い返り血を浴び、クラリッサは顔をしかめていた。
ポーニャも眉を寄せる。
「おい。なんで首をやらないんだよ!」
「モォ~、倒したんだからいいじゃ~ん」
「甲羅の破片が、こっちまで飛んできたんだよっ」
「ポーニャンは細かすぎぃ。フィーちゃんも、そう思うよねぇ?」
「めっちゃカッコ良かった!!」
「こいつを甘やかさないでくれ。大体、お前はなぁ──」
荒ぶる猫と、温和な牛。
相反する二人の獣人、“銀双牙”。
その戦闘力は、並外れている。
……恐ろしくなるほど。
俺は何も言わず、視線を横へ流した。
──暗闇の鉱道。
奥底は深く、まるで先が見えない。
胸の奥がざわつく。
嫌な予感、だ。
この世界に来てから、この感覚が外れたことは、一度もない。
俺は深く息を吐き、革のベルトを締め直した。




