第三十五話「関門と獣人」
白骨となったシグリを埋めていく。
夫婦は、少女の隣に眠らせた。
「よし。埋葬おわり」
「しかし、不可解だな」
「何がですか?」
「……綺麗すぎるんだ」
ザンマは、墓石へと手を伸ばした。
「動いていた死骸は三体……あれほどの妖樹なら、全てに寄生することも可能だったはず」
墓石の縁をなぞり、低く続ける。
「墓の暴かれた痕跡も、不自然だった。自分で出てきたというより、掘り起こされたような……」
「誰かが、意図的にやったってことですか」
「さてな……真相は、闇の中だ」
考えても、何も分かりそうにもない。
胸の奥に、小さな違和感だけが残った。
集落へ戻ると──
フィオナが、呑気に今しがた起きてきた。
「ふぁ~。なんか体、だるいんですけど」
「……」
この娘を一人で旅に出さなくて、本当に良かった。
何度死んでいるか、分かったものではない。
「あれ……シグリは?」
「色々あってさ──」
かくかくしかじか。
「──起こしてくれれば良かったのに!」
「そんな暇、なかったんだよ」
コトコトと、朝飯を煮る。
鍋の中で野菜が柔らかくほどけ、甘い匂いが立ちのぼった。
「ていうか、一回寝たら起きないじゃん」
「うっ……緋色は、起こし方が優しすぎるんだもん!」
「……俺が悪いのか、それ」
「まったくもう。私のいない間に、物事を進めすぎなんだよね」
だいたい自分のせいじゃねーかよ。
と思ったが、言わない。
俺は大人の男なのだ。
「……善処するよ」
「そうだよ。緋色は、私がいないとだめなんだから!」
「わかったって。ほら、出来たぞ」
「いっただきまーす!」
一転ころりと笑うと、ばっと汁に手をつけだす。
「うまっ、うまっ」
フィオナの口元が綻ぶ。
彼女は俺より年上だが、感覚的にはまだ子供だ。
大人ぶりたい少女なのである。
「ザンマさん、朝ご飯できましたよ」
木目の壁際を見ると、ザンマはいつの間にか眠っていた。
刀を抱えたまま口を開き、足を大きく投げ出している。
両肩までずり落ちた着物を、そっと直した。
「ザンマさんってば」
「……うぅん……」
肩を揺らすも、全く起きる気配はない。
声をかけるほど、寝息が大きくなるばかりだ。
剣鬼の如く戦っていた彼女は、見間違いだったのかもしれない。
フィオナが、にやにやとザンマを見ている。
「子供ね〜」
……あなたも、朝はこれなんですよ。
と、思ったが言わない。
俺は、大人の男なのだ……。
──ザンマが起きたあと、俺たちは外へ出た。
フィオナは肩をほぐすと、しゃがみ込む。
「んっ! 乗って!」
「体の調子が、悪いのではないか」
穏やかにザンマは言った。
「大丈夫だってば!」
「しかし……」
「もーっ! ザンマはか弱いんだから、早く乗って!」
「──か弱い?」
きょとんと。
「ふっ……では、甘えさせてもらおうか」
なぜだか嬉しそうに、ザンマは微笑んでいた。
──昨日とは別の山なのではないかと思うほどに、周囲は晴れ渡っていた。
俺たちは歩いてきた一本道を戻り、元のルートを辿っていく。
雲ひとつない空の下で、日光が斜面を照らした。
踏み固められた山道を進むたび、砂利が乾いた音を立てる。
やがて──
山間にひっそりと佇む村が見えてきた。
家々はまばらで、人の気配は薄い。
風だけが通りを抜け、軒先の木札をかすかに揺らしている。
その奥に、古びた宿屋があった。
軋む扉を押して中へ入ると、黒短髪の女店主がこちらを見上げた。
木のカウンターの向こうで、女店主は言った。
「クナシ村?」
「ええ。道を間違えてしまって」
「あそこはもう、誰もいない……廃村だよ」
「……」
「私も、前に住んでいたんだ。姉と、両親と一緒にさ」
一拍。
「……あたしが言うのもなんだけど、奇妙な村でね。婚儀を結ぶと、手を繋いでご神木に祈る風習があったんだ」
彼女は視線を下げた。
「平和な村だったんだ。でも、大きな山火事が起きてね……忘れもしない、十七年前の話さ」
声を落としながら、女店主は言う。
「何が原因かも分からない、村を呑み込むほどの大きな火事だった」
──無言。
女店主は、下唇を噛んでいた。
「……収まる頃には、手を繋ぐように……みんな、焼け死んじまってて……」
「嫌なことを聞いてしまって、すいません」
「いいんだよ。私だけ生き残ってさ……今でも、罪悪感があるんだ。姉さんなんて、もうすぐ婚儀の相手が決まるって時に……」
彼女は涙ぐんだ。
目元をぬぐうその腕には、ちらりと刺青が見えた。
「これは、忘れちゃあ、いけないことなんだよ」
ふと、胸元についた名札を見ると──
そこには、サヨ・ハノイと書かれていた。
俺は……何も、言うことが出来なかった。
「最近は、どこもブレイクが起きちまって、このへんも昔より物騒になった。あんたらも気ぃつけなよ」
「……あの、ブレイクって?」
「ミアズマ・ブレイク──魔素の乱れのことだよ。知らんのかい?」
通貨だけでなく、使われる言葉も変わっているようだ。
「さて、一泊三千ゴールドだよ。泊まるかい?」
「はい、お願いします」
俺がそう言うと、ザンマが横から金貨を差し出した。
「ここは、私が出そう」
「いいんですか」
「あまり手持ちがないんだろう。それと、これは報酬だ」
金貨五枚を、俺の手へと握らせてきた。
「……助かります。ありがとうございます」
ザンマは、柔らかに笑った。
──翌日、宿屋の店先。
「本当に良いんですか」
「契約はここまでだ。あとは平坦な一本道、一人で問題ない」
「行先が同じなら、一緒に行っても……」
「私に合わせていたら、遅くなるだろう。そう心配なさるな」
フィオナが口を尖らせる。
「もっと一緒に居たかったなぁ」
「……私もだ。だが、いずれまた会える──そんな気がするよ」
そう言うと、ザンマは片手をあげた。
「ではな! 楽しい旅だった。また会おう」
「ええ、また。お気をつけて」
俺たちは、ザンマの先を歩き始めた。
りんっ──
鈴が、後ろで鳴った。
「ザンマ、またねー! じゃあねー!」
十歩ほど歩いて、フィオナが振り向き、手をふった。
俺も後ろを見ると、手を振ろうとしたらしいザンマが、こてんっと転倒した。
何も、ないところで。
「あの人、ほんとに大丈夫かな?」
「……心配だな」
ザンマはのそりと起き上がり、ぱんぱんと着物の裾を払うと、手を振った。
「緋色殿、フィオナ殿! 達者でなー!!」
白い歯を見せ笑うその姿は、清々しいほど明るかった。
*
ザンマと別れた後、俺たちは平坦な山道を下っていた。
女店主の話によれば、小一時間も歩けば山の麓──関門に着くらしい。
森を抜けるにつれ、傾斜は緩やかになり、足元は岩場へと変わっていった。
やがて、景色がひらけた──
谷あいに切り立つ岩壁。その狭間を塞ぐように、見上げるほどの石門がそびえていた。
幾重にも積まれた灰色の石壁、その両脇には高い見張り塔が立ち、旗が風に揺れている。
あれが──エンバータウンに繋がる関門。
大きな関門前には、まばらに人だかりができていた。
馬車の荷を確かめる商人や、荷を背負った旅人が行き交っている。
焚かれた松明の煙から、いぶされた臭いが立ち上っていた。
関門の中へ、近づいたその時。
「なにぃ! どういうことだ!」
少女の荒れた怒声がした。
中へ入っていくと──
「通行証は、二万五千ゴールドだ。びた一文負けられんぞ」
古めかしい全身鎧を纏った男が、威圧するように言い放っていた。
関門の衛兵だろう。
彼の視線の先に立っていたのは、二人。
ひとりは──軽装の黒鎧を身に纏い、双剣を背負った娘。
短い茶髪の上には、茶色い耳がぴんと立ち、腰の後ろでは尻尾が落ち着きなく揺れている。
──猫、だ。
獣人という奴だろうか。
琥珀色の金眼は鋭く、今にも噛みつきそうな勢いで、衛兵を睨みつけていた。
もうひとりは──
淡い桃色の巻き毛に、短いピンク色の垂れ耳を揺らす女。
俺よりも一回り背が高く、特大の大斧を背負っている。
白地に黒の斑が入った布装束には深いスリットが走り、腕や脚、肩といった要所にだけ、銀鎧が装着されていた。
尻の後ろでは、先端を束ねた毛の房のような桜色の尻尾が揺れている。
そして──胸が、殺人的に大きかった。
──牛、だ。
その表情は穏やかで、どこか余裕すらある。
牛娘は淡い桃色の瞳を猫娘へと向けると、のんびりと口を開いた。
「どうするぅ~?」
「クラリッサ、おまえ! 通行証は二万って言ってたじゃないか! 嘘つきやがったな!」
「私のときはそうだったもん~。オジサンが、可愛いから値引きしてあげるってぇ~」
「値・引・き・されてない値段を言えよ……! このメス牛!」
胸の大きな膨らみを、下から持ち上げるように、猫娘は容赦なく叩きだした。
「あぁっ、やめてよぉっ。そんなぁっ」
ばいんばいんと、擬音が聞こえてきそうだ。
「牛おっぱいがっ! 私にもよこせっ。このっ! このっ!」
「やーめーてーよー!」
悩ましい光景を眺めていると、俺の後ろから、フィオナがひょいと覗き込んだ。
「なになに、喧嘩?」
「みたいだな」
猫娘が、しゅんと耳を垂らした。
「どうするんだよ。このへんじゃ、お金もおろせないし……」
「どうしようねぇ~」
「どうしようねぇ~ってッ! お前がすぐ街につくって言うから、二万と少ししか持ってきてないんだぞ!」
「ポーニャン可愛いし、オジサンにおねだりするのはどう~?」
「出来るかバカ! 戦士の誇りは無いのか! お前って奴は!!」
「モォ~、ワガママだなぁ~」
「あの……お困りですか?」
俺は見かねて、彼女たちに声をかけた。
「なんだお前、私は困ってなど──むぐっ」
「そうなんですぅ~。すごく困っててぇ~」
牛娘は前のめりになると、上目遣いに俺を見た。
ピンクの瞳が、うるっと揺れる。
猫娘は彼女に口を塞がれ、もごもごと暴れていた。
「五千ゴールドだけ……貸していただけませんかぁ。街についたら、必ずお返しするのでぇ」
顔を近づけてきた彼女に、思わず視線が泳いだ。
彼女は腕で、豊満な胸をぎゅっとよせている。
「なんなら……私が、もっとサービスを……」
「サービスって?」
フィオナがじっと、無垢な碧眼で見ていた。
「い、いや。俺は、先を急いでいますので」
それから──
門番に全員分の支払いを済ませ、関門をくぐった。
「本当に、ありがとうございましたぁ~」
ぺこりと、牛娘は頭を下げる。
「ほら、ポーニャンも」
「…………助かった」
ぶっきらぼうに、猫娘はぼそっと言った。
「人間なのに、どうしてオレを助けた」
「え。困ってそうだったので……だめ、でした?」
「だめ、じゃないが……人間は、たいてい獣人を嫌うだろうが」
「そうなんですか。可愛いと思いますけどね、お二人の耳とか、尻尾とか」
「なッ……!」
「まぁ~!」
二人の獣人は、顔を赤らめた。
フィオナが慌てて言う。
「ちょっと緋色っ。獣人の耳や尻尾を褒めるのは、求愛行為だよ」
「……まじかよ……あの、そういうつもりじゃ、でも本当にそう思って」
「ふふっ。これ、良かったらぁ。私の連絡先ですぅ」
牛娘はおっとりと笑いながら、小さな紙切れを差し出してきた。
そこには手書きの文字──D級冒険者、大斧使いクラリッサ・モーモ。
名刺だった。デフォルメされた牛の絵が、隅で笑っている。可愛い。
下の方には、数字の羅列。
「あの、この冒険者ナンバーとは……」
「あれぇ、冒険者じゃないんですかぁ。お兄さん、強そうなのにぃ~!」
「旅に出たばかりで、分からないことが多くって」
「大都市の主要ギルドに行くと、これを発行してもらえるのですよぉ~」
クラリッサは、胸の谷間に指を突っ込み──
銅製の長方形のタグを取り出した。
ドッグタグのような銅板のその中央には、Dと書かれている。
「これがあれば、ギルドのお仕事を受注したり、お互いに連絡を取ったり、色々できるんですぅ」
微量な魔力がタグに流されると、その真上に、小さな光の板が浮かび上がった。
液晶画面じゃないか──まるで、携帯だ。
「そんな便利なものがあるんですね……」
「私たちも、ギルドに行く予定だよ! 路銀、稼がないとね」
フィオナが腕を上げ、ばしっと叩いた。
「人間。あんたの名は?」
猫娘が話しかけてきた。
「俺は、山田です」
「……この尻尾に誓う。ポーニャ・レレは、必ず山田に借りを返す」
茶色い尻尾をにょきっと、俺に差し出した。
握れ、ということだろうか。
「……」
もふもふ、だ。
「これは、凄い……」
毛並みを確かめるように、撫でまわす。
わしゃわしゃ。
「ちょ、あの……触りすぎ……だ……くすぐったい」
ポーニャは茶短髪の先をいじりながら、頬を赤く染めていた。
「あっ、すいません」
さらに触りたい衝動を無理やり抑え、俺は手を引っ込める。
ふわふわすぎて、癖になりそうだった。
獣人、恐るべし。
──関門を抜けたあと、俺たちは丘へと続く平原を歩いていた。
少し後ろを歩く俺の前で、三人の少女が談笑している。
「なんでエルフが、人間と旅してるんだよ」
「もしかして、恋人ですかぁっ!?」
ポーニャの質問に、クラリッサが両手で頬を挟んだ。
ピンクの牛耳がぴくりと動いている。
「恋人……ではないかなぁ。でも、指輪はもらったよ、ほら!」
フィオナは左手を上げた。
薬指で、六弁の白花がきらりと光る。
「……妻じゃないか……ッ!」
「きゃーっ!!」
エルフと獣人の少女たちは、ガールズトークに花を咲かせていた。
めちゃくちゃ、会話に入りにくいんですけど。
三人の話をぼんやり聞きながら、歩を進めていく。
丘を登りきる直前、風向きが変わった。
甘い花の香りがする。
丘の頂きへ、踏み出した。
目に入ったのは──
桃色の葉を広げた、天を貫く大樹。
それは、花の冠のように空を覆っていた。
その下には──
円環を幾重にも重ね、中心の大樹を抱くように広がる、超巨大な都市圏。
外壁は遠く霞み、どこまでが街なのか、ひと目では分からない。
遠くで、鐘の音が小さく鳴っていた。
──緩やかに下がるように街へと続く道は、すでに人の流れができていた。
荷馬車、旅人、行商人、武器を携えた者たち。
誰もが、同じ方向へ──
エンバータウンへと向かっていた。
「わー! でっか!!」
フィオナは両手を上げ、一つ跳ねた。
水色の長髪がふわりと揺れる。
くるりと回ると、フィオナは笑った。
「楽しみだねっ、緋色!」
新たな冒険が、始まる予感がしていた──。




