第三十一話「ザンマ」
「彼女の依頼を、受けちゃくれませんか?」
木のカウンター越しに、宿屋の親父はそう言った。
りんっ──
鈴の音が、響いた。
「どうにも、身体が不自由らしくて。
一人じゃ、山を越えるのが難儀らしいんですよ」
視線をやると──
黒髪を後ろにまとめ、赤いかんざしを挿した女。
黒を基調とした和風の着物には、紅の花が散っていた。
襟元は崩れ、左肩だけが大きく露わになっている。
カン、カン。
足取りに合わせ、木下駄が鳴る。
腰の帯は深い赤。その下で──
裾は深く割れ、白い脚が覗いていた。
一見、だらしない着崩し。
だが、不思議と無防備には見えない。
右手には、黒い鞘に納められた、長尺の刀を持っていた。
その先端で、床を確かめながら歩いている。
ゆっくり、ゆっくりと。
伏せられた瞳は、前を見ていなかった。
その盲目の女は、
確かに、
“サムライ”だった──。
*
──前日。
俺たちは冒険の丘を無事に越え、行商人の馬車に揺られていた。
「次は、どこを目指すんだ?」
フィオナは地図を広げ、指で西側をなぞる。
「第二封印は、獣人の国──ルプスガンね」
小さく唸ると、唇に指を当てた。
「だけど……ロレリア聖王国と、戦争中らしいんだよね。行けるかなぁ……」
「物騒な話だな」
「今は、様子見した方がいいかも。装備も整えたいし、まずは道中──」
地図の中央を指で示す。
「エンバータウンに行きましょう!
お祖母ちゃんもここに居るはずだから、知恵を貸してくれると思う」
「大陸中央か……あと、どれぐらいなんだ?」
「うーん」
そのとき──
手綱を握る中年の男が、荷台の暖簾から顔を出した。
整った黒の短髪に、先端が跳ねた髭。
鋭いが凛々しい目つきは、商人のそれだ。
「兄ちゃんたち。もう町に着くぜ!」
「ありがとうございます」
馬車は原始的な乗り物と思っていたが、想像以上に楽だった。
「ああ、そうだ。中央に行くなら、町の南──キリガミ山を抜けるのが一番早いぞ」
話を聞いていたのか、彼は助言をくれた。
フィオナが明るく言う。
「ありがとう、おじさん!」
「良いってことよ。世の中、助け合いだ」
彼はニカッと笑った。
──町についた。
暮れた日差しに照らされた看板を見ると、
“山麓町・グレンフォード”と書かれている。
「本当に、ありがとうございました」
俺は、小袋から金貨を一枚取り出した。
女神の顔が描かれたそれは、日本でいうと一万円──高額な貨幣だ。
男へ差し出す。
「あの、これ少ないんですけど」
「これ……まさか、星貨か!?」
「はい。そうですけど」
「おいおい。六十年以上前の通貨だぞ」
「もしかして……この辺じゃ、使えないんですか?」
「この辺どころか、どこいったって無理だ」
そうか。
エルフの里は、長らく外と交流していないと聞いていた。
外界では、通貨が変わってしまったのだ。
「まぁ、良い」
そう言って、男は星貨を受け取った。
「ほら! これやるよ」
小袋がこちらへ飛んだ。
慌てて受け取ると、じゃらりと硬質な音が鳴る。
袋口を開くと──
見慣れないコインが、山のように詰まっていた。
「いいんですか?」
「旅のよしみだ。どっかで換金するさ」
男は親指で金貨を弾くと、軽やかに掴んだ。
気楽そうに笑っていた。
「そうだ、名乗ってなかったな。おれはマルク!」
「山田です」
「嬢ちゃんは──」
「嬢ちゃんでいーよ!」
フィオナは軽く返した。
そういえば──エルフは、名を安易に明かさない種族だった。
「ははっ! そうか!」
男は屈託なく笑い、気にも留めていない様子だ。
「旅をしてりゃ、どこかで会うこともあるだろう」
ふと、笑みが消える。
「勧めておいて何だが……キリガミ山は、夜が危ねぇ。日が出てるうちに行けよ」
「何から何まで、ありがとうございます」
「おう。それじゃっ、達者でな~」
ひらひらと手を振って、マルクは消えていった。
本当に、良い人だった。
ぐぅ。
横で、フィオナの腹が盛大に鳴った。
「お腹すいたー!!!!」
「どこかで、夕飯にしよう──」
夕暮れの通りを、人がまばらに行き交っている。
石壁の建物はどれもくすんでいるが、
窓の奥には明かりが揺れ、戸口のランプが優しく街路を照らしていた。
ふと、焼けた肉の匂いが鼻をくすぐる。
道の角にある食堂からだ。
看板には、“ギュウギュウ亭”と書かれている。
俺たちは、香りに誘われるように中へと入った。
壁に掛けられた木札のメニューを見る。
ギュウ牛肉ディナーセット、八百ゴールド。
「安ッ……!」
他に、選択肢はないようだ。
──しばらくして、料理が運ばれてきた。
鉄皿に盛られた焼き肉は、素朴な味付けだが、
肉質は柔らかく、噛むたびに肉汁が滲む。
固めの黒パンも、空腹にはご馳走だ。
湯気の立つ薄いスープは、口の中をすっと整えてくれる。
「うんまぁ~! ウマウマ。美味ッ!」
「静かに食べようね……」
だが、声に出したくなるほどには、本当に美味い。
子供のようにバクバク食べるフィオナを、
白服の店主──腰の曲がったお爺さんが、ウンウンと頷きながら眺めている。
……なんか、恥ずかしい。
「ギュウ牛二つで、千六百ゴールドね」
カウンターの奥で、しわがれた声がした。
「ちなみに、銀庫カードって使えますか」
「銀……こっ?」
お爺さんは首を傾げた。
使えなそうだ。
決済端末──銀庫灯も見当たらない。
行商人マルクから渡された袋を開いた。
金貨が一枚、銀貨が数枚、銅貨がじゃらり。
大きさも色も違う貨幣が、無造作に混ざっている。
……金銭感覚が、さっぱりだ。
「これでお願いします」
試しに金貨を渡すと、
銀貨八枚と銅貨が四枚、返ってきた。
──金貨は、一万か。
銀貨が千で、銅貨が百。
さらに小さな硬貨が、五十、十、一円といったところだろう。
「ありがとうね~」
お爺さんの声を背に、店を出た。
「ふぁ……」
フィオナが、小さくあくびを漏らす。
ほわぁとした半開きの口で、目を細め、
体はふらふらと揺れている。
街中で野宿をするのは変な話だ。
今日は久しぶりに、宿に泊まるとしよう──。
村人に宿屋の場所を尋ね、ひときわ大きな建物へ、俺たちは行き着いた。
一階は、大きな広間になっていた。
長卓がいくつも並び、壁には掲示板と、古びた剣が何本か飾られている。
小さな村にしては、随分と気合の入った内装だ。
フィオナはカウンターに駆け寄ると、
「部屋をひとつ。大きめのベッドで!」
店主にそう言った。
「えっ。一緒に寝るの?」
「えっ。前も一緒に寝たじゃん」
「いや、それとこれとは話が──」
「緋色は、私と寝るのが嫌なの?」
眠さが限界なのか、不機嫌そうだ。
「いや、というか……」
「旦那。壁は薄いんで、激しくしすぎないでくださいよ」
店主の親父は、へへ、といやらしい顔を浮かべている。
「ちょっと黙っててください」
──。
宿屋の二階。
茶色い扉の鍵を、がちゃりと回す。
結局、同じ部屋にした。
二人で一部屋、銀貨三枚。
宿屋にも、銀庫灯は見当たらなかった。
銀庫カードは、この街では使えなそうだ。
無駄遣いは避けた方がいい。
そう、俺はあくまで合理的な判断をしたのだ。
「ひゃっほー!」
部屋に入った途端、フィオナは服を脱ぎ散らかし──
ベッドへ飛び入っていった。
「おやすみっ」
「おい、着替えは──」
声をかけた時には、すでに寝息を立てていた。
「寝るの早すぎだろ」
俺は服を脱ぎ、シャツをまったりと着替え、ランプを消灯した。
狭いベッドの端に潜り込み、彼女に布団をかけ直す。
柔らかいベッドは、久しぶりだ。
ゆっくりと目を閉じると、
意識はすぐに暗く、落ちていった──。
*
ゴーン──
鐘の音……。
窓の外を見ると、朝陽が差し込んでいた。
服を着替え、部屋の外に出た。
宿の一階がやけに騒がしい。
大きなあくびをするフィオナと共に、階下に降りていく。
広間につくと、人で賑わっていた。
昨晩と打って変わり、掲示板には多くの紙が張り出されている。
紙を見ると、店の手伝いから荷物の運搬、猫探しまで──
さまざまな仕事が募集されていた。
店主に話を聞くと──
どうやらこの宿は、冒険者の組合も兼ねているようだった。
「山越えするなら、通行証が必要ですぜ。関門がありますから」
「おいくらですか?」
「二人分なら、五万ゴールドですね」
「ご、まんっ……」
行商人マルクから貰った路銀は、残り八千ゴールド程度だった。
「これって、使えないですよね」
ダメ元で、銀のカードを見せる。
エルフ里の銀行に繋がれば、払えるんだが……。
「それは──銀庫カード? むりむり。この辺境の村で、そんなハイテクなもん使えませんよ」
店主は肩をすくめた。
「参ったな……」
「あぁ、そうだ!」
ぽんっと店主は手を叩く。
「山を越えるなら──彼女の依頼を、受けちゃくれませんか?」
りんっ──
鈴の音が、響いた。
「どうにも、目が見えないらしくて。一人じゃ、山を越えるのが難儀らしいんです」
手で示された先へ、視線を向けた。
そこには──
黒髪を赤いかんざしで後ろにまとめた女。
紅花が散る黒の着物は、左肩だけが無遠慮に晒されている。
深い赤の帯下、裾は大きく割れ、動くたびに白い脚が覗いた。
さらに奇妙なのは、黒い鞘に収めた刀。
細い腕に不釣り合いな長尺の刀を、白杖代わりに床へ向けている。
人目を気にしている様子はない。
伏せられた瞳は、どこも見ていない。
武士というには頼りない、盲目の女がそこにいた。
「彼女が提示する報酬は、ちょうど五万。どうですか?」
フィオナを横目で見た。
「やりましょ! 他に方法は無さそうだし」
水色の髪を後ろにかき上げ、二ッと笑った。
「おーい! 着物の姉ちゃん! 引き受けてくれる人、見つかったぞー!」
店主が声をあげると、
その盲目の女は、ふわりと微笑んだ。
──大和撫子。
そんな言葉を、俺は思い出していた。
「うわっ──!」
その大和撫子は、盛大に転んだ。
何もないはずの床で。
一抹の不安がよぎりながらも、俺は手を差し伸べる。
「すまない……助かるよ」
細い彼女の手をとると、指先まで硬かった。
無数の刀ダコ──
いつから刀を握っているのだろう。
少なくとも、ただの旅人ではなさそうだ。
「お名前を、聞いてもいいですか?」
「私の名は……」
彼女は、少し迷ったように──
「ザンマ。ただの、ザンマだ」
「……よろしく。ザンマさん」
「わぁ~! これ、カタナってやつでしょ!?」
好奇心の怪物が、さっそく新たな仲間に絡んでいる。
「見せて見せて! 人とか半分に出来る!?」
「人は、斬れないんだ……ナマクラさ」
澄んだ声で、ザンマは静かに言った。
エルフと盲目の侍。
妙なパーティを組むことになった。
旅路は、さらに賑やかになりそうだった。




