第二十九話「第七神剣」
体が重い。
頭に手を当てる。
鉄臭を含んだ血が、指に絡んでいた。
前がよく見えない。
世界が揺れ、ぼやけている。
黒災の岩魔人が、迫っていた──。
子供の頃は、少年漫画が好きだった。
──迫る。
主人公はいつだって凄いやつで、諦めなかった。
──迫る。
大人になったら、誰かを守れるようになりたかった。
──迫っている。
どうやら、漫画の主人公には、なれそうにない。
──なんで、ここにいるんだっけ。
『風牙隊の教え、その一! 何があっても諦めない!』
グレースの、高らかな声が聞こえる。
『お前を弱いと思ったことは、一度だってない』
ライルの迷いない声。
『本当に大切なのは、自分を信じることだ』
ヴァネッサの諭す声。
『ずっと待ってる。約束だよ!』
リーリーの弾む声。
声が、聞こえる。
『『『緋色!』』』
「──、……」
腰下に落ちた短剣に、触れた。
拾う。
最後に残った、頼りない短剣を。
「死ぬこと以外は、かすり傷……」
ぼやいた。
血唾を吐き捨て、短剣を地面に突き刺す。
縋るように、それを杖がわりにして立ち上がった。
「まだ、いけるよな。俺……」
刃が通ると思えない。
それでも。
岩魔人に、短剣を──
いまだ折れない意思を、向けた。
「来い、よ……」
足元がふらついたまま、短剣を振り下ろす。
岩魔人は、避けようとすらしない。
反応すらないまま、黒腕が振り上がる──
考えるより早く、俺は短剣を掲げていた。
──撃ッ!
轟破の壊拳。
防御ごと身体は叩き飛ばされた。
視界が回る。
短剣を持つ指が解け、すぐそばで乾いた音がした。
「ガッ……ァ……」
錆び色の赤を吐き、石床を這う。
喉が焼けるように熱い。
体を引きずり──短剣をまた拾う。
手が震えた。
腕が、言うことをきかない。
かすむ視界に、水色が引っかかった。
──フィオナ。
崩れた岩の中に埋もれ、微動だにしない。
気絶しているのか──
諦めれば……
二人まとめて終わる。
「……まだだ……まだ……」
──エルフ里の宝物殿。
長老の低い声が、脳裏に響く。
『創生の神が作りし、十剣のうちの一振り。
かつて英雄たちは、これを抜いて旅に出た。
いや……剣が、英雄を選んだ』
力が……欲しい……。
『祈れ。
想え。
さすれば剣は、応えるだろう』
暴威を消し去る力。
理不尽を打ち砕く力。
彼女を守れるだけの力。
ありったけの力。
無限の力を──
渇望した。
「どうか……力を、貸してくれ……ッ」
短剣に反応はない。
何度も振ってきたが、神の剣は、ただの鉄の塊だった。
尽きかけた魔力は制御できず、意思とは無関係に、剣へと流れ込んでいく。
極限の中で──
短剣が微弱に震えた。
そうか。
使い方が、違うんだ。
魔力を纏わせるのではなく、
流し込むんだ。
『窮地あらば使え。
調停の女神アストレアより賜りし、裁きの剣。
その名は、第七神剣──』
神剣が、胎動した。
「いくぞ──≪第七神剣・停天光輝≫──ッ!!」
凄まじい光が、景色を塗り潰す。
短剣が沈黙を裂き、封解するように崩れていく。
刃は粒子に還り、白砂となって宙に舞う。
白光の再結合。
結晶化し、実体を得ていく。
形を成す。
真の形が、定義されていく。
虚空が歪む。
──神剣が、顕現した。
身長ほどある“大長剣”。
それは剣というより、凝縮された光の結晶。
星霜を閉じ込めた澄んだ白刀。
刻まれた幾重もの魔紋が、生物のように脈動している。
剣身が放つ白冷気が、周囲の焦熱を呑み込んでいた。
蒼光の神剣を、握った。
質量が無い。
恐ろしく、軽い──。
岩魔人が、異変を悟った。
ダンッ!
地を砕き、間合いを喰うように迫る。
振り下ろされた黒岩の魔拳。
俺は、神剣を構えた。
黒拳が剣先に触れる。
白き蒼光は、黒の暴闇を否定する。
岩魔人の拳が、溶解していく。
一閃。
ただの一振り。
それだけで。
岩魔人の右腕は消滅した。
「ぐっ……!」
何だ、これは──ッ!
体内のマナが、根こそぎ吸い取られていく。
意識ごと持っていかれそうだ。
長くは持たない。
決着をつけねば──ッ!
「はぁぁああああ!」
閃ッ!
左黒腕を切り裂く。
断面が溶け、即座に再生が始まった。
踏み込んだ。
左肩から斜めに、蒼光を走らせる。
形成されかけた腕が、途中で崩れ落ちた。
さらに間合いを詰める。
神剣を逆手に返し、振り下ろし、薙ぎ払う。
無数の斬線。
不壊の岩鎧を、削り斬っていく。
──早く!
早く──ッ!
もっと速く──ッ!
再生殺しの斬撃嵐。
逆斬りに二本の腕が、同時に形を失った。
岩の胸部が抉れ、紅核が露出する。
岩魔人は弾丸のように後退した。
「逃がすかッ!!」
決死の跳躍に、脚が悲鳴を上げる。
剣先を紅核へと、突き出す──ッ!
紅核が、ひび走った。
だが。
マナは枯渇寸前。加速が、失われていく。
明滅する意識。
薄れる平衡感覚。
神剣の覇気が、消えていく──
だめだ。
足りない……ッ!
ダッ、ダッ、ダッ!
本当に、
英雄ってやつは──ッ。
いいところで来やがる──!
「緋色ー!!!!」
慣れた声が、死地を切り裂いた。
フィオナが、後ろから俺の手を掴む。
その瞬間。
強烈な魔力が、逆流するように解き放たれた。
蒼白の閃光に、神剣が響き鳴く。
「いっけぇー!!!!!!」
フィオナが叫ぶ。
黒岩魔人の紅核を、神剣が貫いていく。
紅核はひび割れ走り、やがて──
砕け散った。
──それでも。
核を失ってなお、岩魔人は動きを止めない。
こちらに手を伸ばす──
その刹那。
黒岩の体は、砂のように崩れだした。
漆黒の脅威は、完全に消え失せていった。
それを見届け──
俺は、静かに床へ倒れ込んだ。
「緋色っ!」
息が、苦しい。
マナはほぼ底を尽き、貧血気味だ。
「来るの……遅くない……?」
「岩石にはまって、上手く動けなかったんだもん」
「まったく。死ぬとこ、だったぞ……」
絞り出すように言った。
「結果よければ全て良し。でしょ!」
彼女はいつものように、明るく笑った。
ゴォォォ……。
鉄門が唸りを上げ、重く開いていく。
俺は、フィオナに肩を預け──
身を委ねるように、外の世界へ進んだ。




