第二十六話「完璧な人なんて、きっといない」
ガタ、ガタン。
揺れている──
ほの白い景色。
どうやら俺は、目を閉じているようだった。
「次は、京王よみうりランドです。出口は、左側です──」
女性のアナウンスが、耳に届いた。
そして、
「緋色。もうつくよ」
どこか懐かしい女の声が、俺の名を呼んだ。
ゆっくりと目を開けると──
そこは、電車の中だった。
ここは……
「おはよう」
長い黒髪の女性が、横に座っていた。
柔らかな笑みが、窓から差す光に浮かんでいる。
茶色のダッフルコートを着た彼女は、俺の手をしっかり握っていた。
「……絵未……、なんで……」
「寝ぼけてるの? 遊園地に行くんでしょ!」
「遊、園地……」
そうだ。
今日は、十二月二十五日──
クリスマス。
前からずっと準備していた、デートの日。
「そう……そう、だったな」
電車を降りると、冷たい空気が頬を撫でた。
「いこっ!」
「急ぐと転ぶぞ」
「そうなったら、支えてくれるでしょ?」
軽やかに笑っていた。
いつも見ている顔なのに、なぜか──遠く感じた。
「早く早くっ!」
「お、おいっ──」
手を引かれ、駅前を歩いた。
徒歩五分もすると、山の麓、ゴンドラ乗り場についた。
「人、多いなぁ」
「クリスマスだからな」
しばし待ち、乗り込んだ。
上へ、上へと景色が流れ──
遠景には、ジェットコースターのレールが蛇のようにうねっていた。
その横では、大きな観覧車がゆるやかに回っている。
眼下では、イルミネーションが灯り始めていた。
あっという間に遊園地についた。
チケットを買い、中へ入っていく。
光に彩られた園内には、親子連れやカップルの笑い声が満ちていた。
虹色に彩られたネオンの道が、足元を優しく照らしている。
「わぁ~!!」
子供のように笑う彼女。
そのはしゃぐ背中を、俺は静かに見ていた。
丘の上に築かれたテーマパークは、
これ以上ないほどに……
美しかった──。
「ふふ。一生の思い出になるね」
大げさだな、と思いながら俺は笑った。
「そうだな」
手を繋ぎ、光る道を歩いていく。
刺激的な乗り物を怖がる彼女に合わせ、メリーゴーランドに乗った。
賑やかな雰囲気を味わいながら、ひたすら二人で歩き続けていた。
あたりはすっかり暗くなっていた。
イルミネーションの景色を見ながら、出店の肉巻きおにぎりを頬張る。
「美味い! 何本でも食えるな」
「一口ちょうだい!」
「えぇっ?」
「いいじゃん!」
口を開けた彼女に、ぱくりと食べさせた。
「美味っ!」
無邪気な姿を見るたび、心が溶けていくようだった。
一通り園内を巡った後、観覧車へと乗り込んだ。
上へ、上へ。
頂上に登り着くと──
「子供が生まれたらさ。また、ここに来ようね」
窓の外を見つめ、彼女はそういった。
ずきり。
頭が、鈍く痛んだ。
「っ……、ああ……そう、だな」
夜は更け──
噴水ショーが始まった。
スタイリッシュな音楽に、光を浴びたダンサーたちが躍動する。
「……ずっと、一緒に居られるよね」
その瞳はショーではなく、どこか遠くを見ているように視えた。
「もちろん……これからも、ずっと一緒にいよう」
俺は彼女の小さな手を握り、美しい光景に顔を向けた。
人だかりの中で──
俺たちは確かに、二人だけだった。
「嘘つき」
「──えっ?」
彼女を見ると、その顔は黒く塗りつぶされていた。
一瞬のうちに、彼女の腕が俺の首へ伸びる。
「っ……っ!」
あまりの力強さに、息ができない。
「私を、捨てたじゃない」
「ちが……、おれは……っ」
さらに首が絞まっていく。
「っ……ッ」
「誰のことも本当に愛せず、誰にも愛されない」
呪詛のように、低い声がこだました。
景色は徐々に光を落とし、深く、暗く沈んでいく。
彼女の姿は、黒い影へと変わっていった。
「自分勝手にしか生きられない、ろくでもない人」
耳の奥まで、怒りが、憎しみが、悲しみが、苦しみが、入り込んでくる。
絶えず鳴る怨みの残響が、頭を揺らした。
「か、は……」
目の前が、暗くなっていく──
──。
「──私は、そうは思わないな」
フィオナは木陰に腰掛け、本を読んでいた。
木漏れ日が、水色の髪を穏やかに照らしている。
俺はその隣で、仰向けに転がっていた。
「そう言うけどさ……」
息を切らしながら、俺は言う。
風牙隊の訓練で、体は鉛のように重かった。
「君は俺のこと、何にも知らないじゃあないか」
ふいに言葉を滑らせ、少し後悔した。
いつもなら、こんなこと言わないのに。
「ろくでもない奴なんだよ、俺はさ……失敗ばかりだったし」
フィオナは本を閉じると、そっと脇に置いた。
「完璧な人なんて、きっといないよ」
風にさらわれそうなほど、落ち着いた声だった。
優しい碧眼が、寄り添うように俺を見ている。
「そう、だな……」
「失敗しても、次がある。でしょっ?」
「……」
「良いとこも、悪いとこも──これから緋色のこと、たくさん教えてよ。ねっ!」
春のように、彼女は笑っていた。
そうだ、俺は──
「身体、強化……!」
首を絞めていた異形の腕を、ぎりぎりと振りほどく。
そして“彼女だった何か”──黒い影の体を、完全に引き離した。
「……俺は……前を見ることに、したんだ……」
前を見据えた、真っすぐに。
すると──
黒に染まった景色が、白く広がっていく。
空白になった世界の中で、黒影はただ浮いていた。
静寂だけが、そこにあった。
やがて黒影の背後に、光の粒子が揺らめいた。
それは線となり、やがて一枚の扉の形を結んでいく。
黄金の扉が、浮かび上がった。
扉は音もなく開き、柔らかな黄金の光が、息を吐くように溢れた。
「悪いな……もう……行くよ」
誰に言うわけでもなく呟き、俺は足を踏み出した。
空白の中を一歩ずつ、確かめるように歩いた。
黒い影を越え、迷いなく。
光へと進んだ──。




