第二十五話「宝箱は怪しくない」
「ふっかーつ!」
フィオナが元気に両腕を上げた。
「よし……行こうか」
聖泉に漬かったおかげで、ほとんど体調は回復した。
気のせいか、肌艶も良くなった気がする。
調子は八割といったところだ。
フィオナは、ザッザッと前に出ようとした。
俺は小走りでその肩を掴んだ。
「ちょっと待て」
「ん?」
「俺が、先を歩きます」
「えーっ! なんで! 先頭がいい!」
頬をぷくりと、不満げに膨らませた。
「またトラップ引っかかるだろ」
粘液緑体で気絶した記憶が蘇ったのか、視線を泳がせ──
「……むぅ」
渋々と、彼女は俺の後ろに回った。
精霊の箱庭を抜けると、白い石造りの回廊に出た。
天井がアーチを描く回廊は、あちこちに金の縁取りが施され、奥へと細長く伸びている。
横には、縦に長いステンドグラスの装飾窓が規則正しく並んでいた。
窓から差し込む光が、マーブル模様の石床を虹色に染め上げている。
通路の隅々を眺めながら、トン、トンと歩を刻んでいく。
「ねぇ、緋色。あれ」
「ん?」
フィオナの視線を追う。
「宝箱だ!」
廊下の奥、ど真ん中に──
煌びやかな大箱が鎮座していた。
人間が一人、丸ごと収まりそうな大きさだ。
「おぉ……」
だが、どう見ても怪しい。
白く整った回廊の中で、そこだけが浮いていた。
嫌な予感が走る。
直後、フィオナがばっと駆け出す。
「ちょ、待てっ! フィオ──」
「ん?」
すでに彼女は箱を開いていた。
ぬるり、と中から緑の触手が這いずる。
それは素早くフィオナの体へと──
「えっ」
次の瞬間、彼女はぶわりと宙に浮き上がった。
「きゃーーーーー!!!!」
弧を描くように振り回され、そのまま宝箱へ引きずり込まれていく。
「んぅーッ!!」
フィオナは必死に箱の縁にしがみつき、耐えていた。
これ、あれだ。
ゲームで見た事がある──
人喰い箱ってやつだ。
触手が絡まり、彼女の肢体に次々と巻き付いていく。
服の上からでも体の輪郭が浮かぶほどに、きつく締め上げられていった。
「ぐるじい……だずげで!」
「だから、待てって言ったろ……!」
短剣を抜き、駆け寄った。
宝箱の中では、ぱくりと口を開いた蛸のような魔物が、ぐちゅりと蠢いていた。
短剣を逆刃に持ち、一気に魔物へ突き刺す。
「ギィイイッ!!」
短く悲鳴とともに、すぐに人喰い箱は動きを止めた。
触手がだらりと解け──フィオナは床に手をつき、肩を荒く揺らした。
「はぁっ、はっ……」
「怪しいものには触れないって、自分で言ってなかった?」
「……宝箱は怪しくないっ! 宝だよ!?」
キッとした顔で振り向いた。涙目だった。
俺は腕を組むように、口元に手を当てた。
「……たしかに」
めちゃくちゃな言い分だが、妙に納得してしまった。
宝箱に偽装しているコイツが悪いのだ。
箱の中を覗くと、死体の端で、何かがきらりと光った。
「これは……鍵、か?」
箱の中には、黄金色の鍵が転がっていた。
宝箱があった突き当りを曲がり、道なりに進んでいくと──
行き止まりに、特大の鏡が壁面を覆っていた。
近づくと、全身がはっきり映った。
周囲を見渡しても他に道はない。
「行き止まり、か」
フィオナが鏡面を、コンコンと叩いた。
「奥に空間があるような、ないような……?」
「もしかして、扉なのか?」
「ふんっ!」
フィオナが鏡面を押した。
びくともしない。
視線を落とす──
彼女の腰ほどの高さに、小さな穴があることに気づいた。
鍵穴のようだ。
「……これか?」
さっき拾った黄金の鍵を思い出し、取り出す。
黒い穴に、恐る恐る差し込む──
ガチャリ。
鍵は、確かに嵌まった。
ゆっくりと回す。
ガコッ──。
音がした。
開く気配は全くない。
そもそも鏡には、取ってすらない。
「おかしいな。どうやって──」
鏡に触れると、
ずぷり、指先が入り込んだ。
「えっ」
鏡は、俺の体を飲み込みだした。
「緋色ッ!」
フィオナが叫び、手を伸ばした。
咄嗟にその手を掴む。
「抜けないぃ……ッ!」
底なし沼のように、ズブズブと沈んでいく。
飲まれた先から、感覚が失われていく。
「もういい、離せっ!」
空を落下するような力が、体を引きずっていく。
このままでは、二人とも──ッ!
「いーやーだー……ッ!!」
彼女は離そうとしない。
そして──
──ズブッ!
飲まれた──ッ!
漆黒。
あたり一面が闇──ッ!
落ちる。
落ちる。
落ちていく。
漆黒へと堕ちていく。
はるか遠く、四角い“外”の白だけが明るく見える。
すぐに光は小さく、消えていく。
フィオナは口を必死に動かしている。
叫んでいる。
はずなのに、何も聞こえない。
掴んだ手の感触が、いつのまにか消えていた。
景色は回り、上下が分からない。
世界が、暗転した。
闇の奥へ──
俺たちは沈んでいった。




