第二十四話「精霊の箱庭」
緑悪鬼の成れの果て、醜悪な塊は──まだピクリ、ピクリと痙攣していた。
死んだことに、気づいていないかのようだ。
最後まで不気味なやつだ。
ゴォォ──ッ。
水晶の扉が、重く鳴動しながら開きだす。
光が差し込んだ──
分厚い水晶面を照らし、きらきらと反射している。
ズゾゾ……
背後に湿り気を帯びた音がした。
顔を向けると、焼け焦げた肉片が蠢きだしていた。
それは寄り合い、ひとつの形に戻ろうとしている。
闇の底から滲み出る黒煙が、肉塊を修復し始めていた。
まるで死を許さぬ契約のようだ。
「……不死身かよ」
「急ごう!」
フィオナに肩を借り、足を引きずった。
一歩踏み出すたびに、骨の芯まで痛みが響く。
背後の“不吉”が呼吸を乱す。
ぎこちなく進んでいく。
足が、壊れた玩具のようだった。
早く、
もっと早く……
急げ──
扉をくぐると、
「ギギャァァァアアアアアアアア!!!!」
絶叫。
黒焦げた肉塊が、唸りを上げていた。
爆散していたはずの腕が、半ばだけ再生している。
回復を待たず、黒血を巻き散らし這い迫って来る。
吐き気を催す光景を奥に──
扉が──閉まった。
ドォン!!
ドンドンドン!!!!
水晶の向こうで、叩きつける音だけが反響した。
緑悪鬼ってやつは、どいつもあんな化け物なのか。
いや──あいつが特別なんだろう。
強敵だった。
二度と、相手をしたくない……。
「ひとまずは、安心かな」
「あぁ……」
風が頬を撫でる。
石の手すりの向こう、遠くの空に鳥が一羽、弧を描いていた。
ここは塔の端のようだった。
息を吸う。冷えた錆の臭いが、意識を揺らした。
「うっ──」
景色がぼやける。目の前が遠のく。
気を抜けば、倒れそうだ。
「緋色!」
「……大丈夫……先を、急ごう」
全身が軋む。
少し奥には、暗がりの洞窟へ続く階段があった。
「まだ、先がありそうだね」
フィオナがしゃがみこみ、両手を後ろへ差し出す。
まさか──乗れというのか。
「いいって……まじで、大丈夫だって」
「良いから。ほらっ!」
……。
細い背中に乗り、洞窟の階段を進んでいく。
松明の火が、石壁に影を揺らしている。
俺を気遣っているのか、歩調はゆるやかだった。
「なぁ。俺……重くない?」
フィオナの肩口で、吐息まじりに言った。
「全然。軽いよ~」
「ほんとにっ?」
「もー、ほんとだって」
彼女は小さく笑った。
女子が体重を気にする気持ちが、何となく分かった気がした。
「……」
水色の髪が頬に触れ、くすぐったい。
息を吸うたび、陽だまりのような良い匂いがする。
体温が、背中越しに伝わってくる。
華奢な体。
だというのに──息を乱すことなく、軽々と俺を背負って歩いている。
身体強化の密度が、凄まじく高いようだった。魔力が、無駄なく身体を巡っているのが分かる。
俺はまだ、ここまで正確に魔力を操作できない。
ずっと鍛錬していたというのは、伊達じゃないようだ。
階段を上がりきると、石壁の通路に出た。
暗がりの端で、青緑の小光がふわりと揺れた。
「あっ、精霊!」
フィオナが声をあげた。
胡蝶に似た精霊は淡い光を宿し、ふわふわと浮いている。
精霊はこちらへ近づくと、俺たちの周囲をゆるりと一周した。
光がひと揺れすると、奥へ──飛んでいった。
暗がりの中で、その光は道標のようだった。
追うように進んでいく──
石壁の道の終端で、光が、闇を押し返すように差し込んでいた。
光明が、広がった──。
そこは、精霊の庭園だった。
中央には光蝶が舞う大きな泉。
道の端には、色彩豊かな七色の花々。
木々はしなり伸び、庭園を囲うように佇んでいる。
草木の香りが、肺の奥に満ちた。
神聖を閉じ込めた箱庭に、俺は呼吸を忘れた。
小鳥のさえずりが聞こえる。
見上げれば、天井は四角く開き、昼明かりの空が緩やかに流れていた。
遺跡の中に、こんな場所があるとは。
「ここで休憩しよっか!」
「そうだな」
あたり一帯には、敵の気配はなかった。
ようやく休める……。
「これ、聖泉だ!」
フィオナが、泉に手を入れていた。
泉は硝子のように透明で、人ひとり入れそうな底まで澄んでいる。
底からは、絶え間なく水が湧き上がっていた。
「聖泉って?」
「触ってみて!」
指先で泉に触れると、優しく温もった。
体の内へ染み入ってくるように、じんわりと気力が満ちていく。
温水の中に、マナが凝縮しているのが分かった。
「とうっ!」
ざぶーん──!
気づけば、フィオナは装備をそこらに脱ぎ散らし、泉へ飛び込んでいた。
「緋色も入りなよ~。すっごい気持ちいいよ~」
全裸のまま仰向けになり、顔だけ水面に浮かせている。
表情はふにゃりと溶け落ちそうだ。
……今さら恥ずかしがる仲でもないか。
背嚢を泉の側に置き、衣服を脱ぐ。
「お邪魔します」
擦り傷だらけの体を、恐る恐る沈めていく。
「痛っ! たく、ない──」
染みると覚悟していたが、湯が包むように抱き寄せてきた。
胸の奥まで溶かすようなぬくもりに、吐息が零れる。
内蔵のずきりとした痛みまで引いていく。
エルフの里、訓練中──回復してくれた爺さんの魔法を思い出す。
あれと同じだ。体が作り変えられていくような、不思議な感覚。
筋肉に温水が絡みつき、マナが全身へと充満していく。
擦り切れていた腕を見ると、傷がすぅっと閉じていた。
恐ろしいほどの効能だ。腕がもう一本ぐらい生えてきそうだった。
……俺の腕、二本だよな?
しばらく泉に身を浸し、体を休めたあと──
背嚢から薪を取り出し、ゆっくりと焚き口を整えた。
フィオナが指を鳴らすと、ぱちりと火花が跳ねる。
湿った石畳に、橙の光が揺れた。
俺は鍋に干し肉と水、緑の野草を入れていく。
「無理しなくても、私が作るのに」
「作りたいんだよ」
火にかければ、すぐに湯が立ち、肉の香りが鼻をくすぐった。
頃合いを見て肉をすくい上げ、小皿にそっと置いた。湯気がゆらりと立ち昇る。
仕上げに、白粉が入った小瓶を取り出し、肉にぱらぱらと振りかけた。
肉が美味くなる究極の調味料、岩塩である。
あとは汁をお椀に入れて……
──完成。
俺は皿を、フィオナへと差し出した。
「……美味しい」
「だろ」
「緋色って、料理できるんだね」
「風牙隊の教えその四、“飯は美味く作るべし”──食事は、活動の基本だからな」
柔らかな肉を噛む。
塩気と脂が舌に溶け、体が内側から温まる。
「それに……美味しく作らないと、横にいたエルフがうるさかったんだよ」
「あぁ~。ライル、味には厳しいからね」
「坊ちゃんだからな」
フィオナと顔を見合わせ、くくっと、小さく笑い合った。
焚き火のゆらめきが、彼女の頬を優しく照らす。
二人なら、きっとやっていける。
この先も、変わらずに。
久しぶりの休息に、少しだけ目蓋が重くなった。




