第二十一話「果てなき迷宮」
寝息をたてるフィオナを背負ったまま、蝋燭揺れる暗がりの道を黙々と進んだ。
──明かりだ。
蝋燭の揺らめきが途切れると、蒼い光が目を刺す。
眩しさに、たまらず顔を伏せた。
光に目が慣れるにつれ、円環状に積み重なる石造りの回廊が──静かに全貌を現した。
回廊は天へ向かって幾重にも伸び、古びた扉と、崩れかけた螺旋階段がいくつもある。
無数の道が縦横無尽に絡み合い、巨大な迷路のようになっていた。
天井には円形の穴が開き、遥か高みから空の光が降りそそいでいる。
内部は白い霧がゆらりと漂い、奥行きは曖昧だった。
──ここは、“迷宮”だ。
ドサッ。
上の通路から、緑の影が落ちてきた。
小鬼──
「ギィアアアアア!」
飛び掛かる脅威に、刃を駆け走らせる。
肩から胴へ──
斬ッ!
すれ違い様の袈裟斬り。背後の気配は黙して沈んだ。
俺は短剣を収め、階層全体を見払った。
小鬼たちが、廊下を休むことなく徘徊している。
「やれやれ。モンスターだらけだな」
同じ場所をひたすら行き来する魔物たちは、そうプログラムされた機械のようだった。
「ぐッ……」
膝が折れかけた。ぎち、と足の関節が軋んでいる。
壁に片手をつき、呼吸を整えた。
「身体強化……使いすぎたか」
はぁ、と深く息を吐き、背嚢をおろす。
その上に、フィオナの頭をそっと乗せた。
革袋をあけ、精霊の赤実をいくつか口に放り込む。
「酸っぱッ──苦ッ!」
あまりの不味さに、たまらず魔法瓶の水を流し込んだ。
水は、残り半分もない。
この塔に水場があるのかも分からない。節約しなくては……。
「……疲れた」
壁に背を預け、ずるりと座り込んだ。
顔を上げると、無限に積み上がる階層に押しつぶされそうな気持ちになった。
ぽっかりと丸い穴が開いた天井には、青い空が見えている。
まさか、あそこまで登るんじゃないよな。
気が、遠くなった──
視線を下ろすと、床に転がる小鬼に目がいった。
こいつらは弱い。だがしかし、呆れるほど数が多い。
短剣を振るたびに、精神がすり減っていく。終わりのない残業仕事をしている気分だった。
「……?」
小鬼の死骸──裂けた胴体からは、血が一滴も流れていないことに気づいた。
代わりに、瘴気のような黒い魔素が、さらさらと砂のように零れ続けている。
強い魔素で怪物が日夜生まれる──フィオナの言葉を思い出した。
もしや、こいつらは純粋な生物ではなく……
この塔が生み出した、“一種の防衛システム”なのではないだろうか。
そう考えれば、どこか無機質で、機械めいた気味の悪さにも合点がいく。
憶測が浮かんだとき、
ドサッ、ドサッ──小鬼が続々と落下してきた。
「お前ら……、本当に、嫌いだよ」
軽い舌打ちをして、黒銃に青い弾──煙幕弾を込めた。
装填、回転、異常なし。
撃つ。
ボォンッ!
白い煙幕が一気に膨張し、視界を吞み込む。
「ギィ……ギィ!」
状況を理解できないのか、小鬼たちの短い鳴き声が響く。
すぐにフィオナを背負い上げ、背嚢を腕へ通す。
走り、走った──
考えもなく、闇雲に。
石階段を駆け上がり、上へ──
さらに上へ──。
正しい道なのか分からない。
思考する体力は、とうに失っていた。
──徘徊する小鬼を斬り払いながら、階段を登る。
「はっ、はぁっ……」
横目で階下を見ると、白霧で底は見えなくなっていた。
迷路のような通路を彷徨い、また階段を上がる。
フィオナはまだ目覚めない。安全な場所も見つからない。
俺はいったい、どこにいるんだ。
永遠に続くような迷宮に、心身は疲弊していた。
「ギァアアアア!!!!」
無数の通路から、小鬼たちが再び現れる。
六発あった煙幕弾は──残り一発。
迷う暇などない。
撃つ。
ボォンッ!
白煙の中を駆け突っ切った。
光がある方へ。
ひたすら、空を目指していた。
気づけば──
ひときわ大きな白い階段の前についていた。
手に収まりそうなほど小さかった天井の穴は、もう大きく見えている。
階段の入り口。左右に据えられた石台の火皿に、蒼炎がボッボッと灯った。
「来い、ってことね……」
──螺旋階段を上がっていく。
小鬼たちは追いかけてこないようだった。
四角い石窓からは外気が吹き抜け、春であるのに肌寒い。
窓の外を覗いた。見下ろす先には広大な森が見えた。
高い……かなり登ってきたようだ。
──階段が、終わった。
白光が視界に満ちる。
天井のない円形の広間。大理石が陽光を反射しており、眩しいほどに白い。
果てなき迷宮は、ようやく終わったようだ。
正面には、木製の無骨な大門がどっしりと構えられていた。
大門の前へ足を運ぶと──
ゴォォ……低い音を立て、ひとりでに大門が開いた。
内部は、石柱が規則的に並び立っており、暗く湿った気配が肌にまとわりついた。
嫌な予感が、背を撫でた。
「フィオナ……おい、フィオナ」
「んむぅ……」
呼びかけるも、目覚める気配はない。
仕方なく、そろりと足を踏み出して中へと入った。
ゴォン!!
「うおっ」
背後の大門が、叩きつけるように閉ざされた。
顔を正面に戻すと、暗がりの奥──百メートルほど先に、水晶の扉が淡く光っていた。
意外なほど近いゴールに、腕の力が抜けた。
その時。
「ンァァー……」
野太く間延びした音に、びくりと体が跳ねた。
なんだ──。
暗がりの奥で、ズシ、ズシンと重く地面が揺れた。
「グッ、グッグ、グッグッグ」
それは、
嗤っていた。
「っ──」
フィオナの太腿を掴む手に力がこもる。
指先が、無意識に震えていた。
俺は、音がするまで、“それ”の存在に全く気付けなかったのだ。
──“何か”が、来る。




