第二十話「パワーは全てを解決しない」
蝋燭が揺れる廊下を進む。
トンッ、トンッ。靴音の規則正しい音が響いていた。
床は薄く湿り、石の隙間には苔がびっしりと生えている。
──前方に、明かり。
視界が抜けた先に、光が広がった。
「これは──水晶か?」
四方十メートルほどの石壁一面に、光石が埋まっていた。
水晶のようなそれらは虹色に発光し、広間を淡く染めている。
「きれい~!」
フィオナは口元を綻ばせ、周りを見渡していた。
その横で、俺は正面にある三つの通路──台形にぽかりと空いた漆黒から、目を離せなかった。
それは水晶の光を喰らうように、大きく口をあけている。
「分かれ道、か……」
左、中央、右へと枝分かれしていた。最奥は闇に溶け、先は見えない。
「地図とかないのか? 登り切った人もいるんだろ」
「地図を作っても、意味がないらしいのよね」
「意味がない?」
「試練の塔──女神が作った塔は、充満した魔素が壁を溶かし、再生し、中を組み替えていくの」
「生き物みたいだな」
「ひと月もすれば、まったく別の構造になってるでしょうね」
「どうするか」
「うーん。右が好きだから、右で!」
「……そういう感じで行くの?」
「何とかなるって~」
──エルフの里で、ライル家の外門がうまく開かなかった時、フィオナがえいっと正拳突きで破壊したことを思い出した。
数カ月過ごして分かったのだが……この娘は、“脳筋”である。それも超がつくほどの。
“パワーは全ての問題を解決する”。と、本気で信じているのだ。
俺が考えないとだめだ。
中央の通路へ、右手をかざした。
「何してるの?」
「風を読めば、道が分かる。本で読んだことがある」
「ふぅん~」
指先に意識を集中した。
ひやりと、冷気が指に触れた。
下から押しあがって来る空気──この先は、下に繋がっているんだろう。
右の通路も、同様の感覚だった。
「空気は上に逃げていく、はず……」
最後に、左の通路に手をかざした。
温度差はなく、空気が奥に吸い込まれていた。
上に続いてる証拠だ。
「左だな。フィオナ、こっち──」
「えっ?」
すでにフィオナは、右へと一歩を踏み出していた。
ぱかっ、と床が割れる。
「わぁーーーー!!!!」
絶叫とともに、彼女の姿が消えた。
「フィオナ!」
身を乗り出し、下を覗き込む。
そこには緑の沼──ぶよぶよした粘液が蠢いていた。
その中心に、彼女は尻もちをついている。
「生きてるかー!!」
よかった、底は浅い……助けられる距離だ。
「生きてる~! うぇっ、何かべとべとする……」
「なっ──ッ!」
フィオナの革服が、じゅわりと溶けだした。
強酸に触れたように、服がぼたぼたと落ちていく。
緑のそれは、生き物のように彼女の肢体へ絡みついた。
触手が滑り、這っていく──フィオナの白肌が露出していく。
ただの沼ではない。
意思をもつ──粘液体だ。
「あ、これグリーンスラ、イム──緋色──」
俺に手を伸ばしたまま、フィオナは仰向けに沈む。
粘液緑体は、彼女の体内を巡るマナを、貪るように吸っていた。
養分にする気か──!
ずるずる、と飲み込まれていく。
「やばいッ……!」
身体強化で下へ──ぬかるみがない僅かな足場へ飛び降りた。
緑の粘液が、俺へ伸びるようにうねった。
短剣を抜いて斬り払う。だが止まらない。
「弱点は──」
ゼリー状の内部に、黒い小核が見えた。
魔力が脈打つように収束している。
「そこかッ!」
狙いを定め、刃を薙いだ。
核が割れると、粘液体はどろりと崩れた。
「フィオナ!!」
彼女にまとわりつく粘液の中、伸びていたその手を掴んだ。
力任せに引き上げる。
「大丈夫か、起きろ。おい!」
頬を軽く叩く、何度も。
「うぅ……」
だめだ。
マナはいわば生命の源──大量に失えば、身体機能に大きく影響を及ぼす。
唇は青く、顔は蒼白している。
「まずいな」
数体の別のスライムが、ずる、ずると這い寄っている。
介抱が最優先だ。相手にしてる暇はない。
「どこだ。出口は──」
首を振り、視界を巡らせた。
あった。
粘液体が蠢く沼の向こう──松明の炎が石段を照らしていた。
だが、道はあまりに心許ない。
黒ずんだ足場が、小島のように浮かんでいるだけ。
踏み外せば、次は俺が喰われる番だ。
「──行くしかない、か」
フィオナの体を抱き上げ、肩へ担いだ。
深呼吸。
息を吸って──吐く。
「……身体強化!」
足場へ跳ぶ。とんっ、とん──慎重に、けれど急ぎながら。
緑の触手が何度も飛来する。狭い足場で腰を回し、短剣で斬り捨てる。
跳ぶ、進む。前へ、前へ。
そして──ようやく階段の前に辿り着いた。
「よしっ」
ほっと息をつく間もなく、粘液体はずるずると迫っていた。
すぐに階段に飛び込み、駆け上がる。
らせん状の石段を、ひとつ飛ばしで登っていった。
──ようやく上階につき、壁に手をついた。
「はぁっはぁ……」
息が上がる。スタミナが、尽きかけている。遺跡に来てから、休息なく動いていたせいだ。
どっと押し寄せた疲れに、歯を食いしばって顔を上げた。
通路は一本道だった。
雑に担いでいたフィオナを、両手に抱え直す。
頼りなく蝋燭が揺れる道を歩いていくと──最初の広場についていた。
壁際へ、彼女を丁寧におろした。
「うっ……気持ち悪い……」
呼吸が荒い。
彼女の頬についていた緑の粘液を、親指でぬぐった。
「待ってろ。いま拭いてやる」
背嚢から白布を引き抜き、魔法瓶の水をぶっかけ濡らす。
中途半端に残った服を脱がし──白布を顔、首、鎖骨、その下へ──腕が止まる。
──馬鹿。これは救命行為だ!
心中で自分を叱咤し、静かに布を進めた。
胸、腹、腰、大腿部──上から下へ、順に拭いていく。
体にへばりついた粘液体の残骸を、根こそぎ除いた。
「はぁ、はっ……」
「大丈夫。すぐに良くなる」
震える体を、大きな毛布でくるんだ。
そして皮袋を取り出し、赤い粒──精霊の赤実を五粒つかみ、彼女の口へ運んだ。
「ほら、食べて」
フィオナの唇がもぞと動き、弱々しく噛みだす。
これで小一時間もすれば、マナと体力が戻るはず。
「うっ、酸っぱい……苦い」
口をすぼめ、顔をしかめている。
「良薬はだいたい苦いんだよ」
その時──
「ギャァッ──ギャァ──」
遠く、魔物の鳴き声が響いた。
先ほど通ってきた通路の奥から、複数の気配がしていた。
「……落ち着いてる暇はなさそうだ」
フィオナを見た。いまだ青ざめており、まぶたは重そうだった。
「立てるか?」
「……無理……しんどい、ねむい……」
「だよなぁ」
マナ切れは貧血に似ている。視界が暗く、体が鉛のように重い感覚。
風牙隊の訓練で、俺は何度もそれを味わった。
「よし──」
フィオナの腕を取り、肩に回した。
それから太ももの下に腕を差しいれ、そのまま背負い上げる。
「わっ」
「軽く寝てろ。やばくなったら起こすから」
「……うん」
彼女はそういうと、俺の肩に頭を落とした。
「ごめん──」
耳元で掠れた声がすると、フィオナの体は重く、深く沈んでいった。
──今後は、俺が先導しよう。
闇雲に進んでは、命がいくつあっても足りまい。
パワーは、全てを解決しないのだ……。




