第十九話「試練の塔」
瞼の裏に、光がにじんだ。
「……ん」
目を開く。黄色いテントの布越しに、朝の光が淡く揺れている。
ひとつあくびをして身を起こし、布を押し分けた。
ひんやりとした空気が肌に触れる。肺の奥まで、すっと冷たくなる。
焚き火のぱちぱちという音が、朝焼けの森に溶けていた。
炎の傍らにフィオナがいた。
水青の長髪を後ろでまとめ、小さく身を丸めて作業している。
「あっ、おはよ!」
「おはよう……早いな。何してるんだ?」
「朝ご飯を作っております!」
小鍋の中には昨夜のスープ。
木の実を落とし、温め直しているようだ。
立ち上る湯気をみて、腹がぐうと鳴った。
「ふふ、もうできるよ」
腹の音に気付いたのか、彼女はくすりと笑った。
「はいどーぞ」
「ありがとう」
よそわれた小皿を受け取り、口をつけ──
「ちょっと待って!」
ごそごそと背嚢から缶を取り出す。
中には──
「じゃーん。乾燥パン! スープにつけて食べてっ」
言われるがままパンを浸す。
硬いそれは、すぐに柔らかくなった。
口へ運ぶ。
じゅわ──旨味が舌に広がる。
「──美味ッ」
「でしょ~」
何度もパンを浸し、夢中で食べた。
二人で食べる朝食は、いつもより美味しく感じた。
──森を歩く。
兎に、虫に……小さな命の気配が、周囲に満ちていた。
空気は澄み、ひと息が心地いい。
「それで、これからどうするんだ」
「まずはこの先にある試練の塔ね──あっ、水の音!」
近くで、水のせせらぎがしていた。
フィオナは小走りで向かう。
後ろに続くと、さらさらと流れる川の浅瀬についた。
彼女は背嚢から透明な瓶を取り出し、そっと水の中に沈める。
浄水瓶──汚水も一瞬で綺麗になる優れモノだ。
俺も同じ瓶を取り出し、流水に手を伸ばした。
「試練の塔って、何なんだ?」
「ん~。長老に聞いた話だけど……」
耳を傾けながら、瓶に水を満たしていく。
「聖壇を守るために、女神様が作ったとか」
「へぇ……ただの建造物じゃ、無さそうだな」
「私も行ったことないから、よく知らないんだ。強い魔素で、怪物が日夜生まれるとか何とか」
「魔物の巣窟ってことか」
まるで、ゲームの“ダンジョン”だ。
「そう。かなり危険だと思う。たぶん、魔触の森よりも……」
「宝箱とかあるかな!?」
危機感なく、少年のように心が湧き立った。
ダンジョンといえば宝である。
「どうだろ。探せばお宝、見つかるかもね!」
「……楽しみだ」
口元が綻ぶ。黄金とかあったらどうしよう。
期待に胸が鳴った。
しばらく歩くと、天まで届くほどの白壁の前についた。
白い石材で組まれたそれは、荘厳な神殿のような佇まいだ。
「──でっけぇなぁ」
遠景では山の一部に見えていたが、近づいてみると圧巻だ。
「遺跡を攻略するにあたり、注意することを言います! 緋色隊員、やる気は十分かー!」
「おおー」
突然のハイテンションに押され、小さく腕を上げる。
フィオナは満足げに腰へ手を当て、人差し指を天に向けた。
「その一! 可能な限り戦闘を避けること!」
続けて、中指を空に向ける。
「その二! 怪しいものには触れない!」
「はい、フィオナ先生」
彼女はうんうんと頷き、横にあった薄い石壁に近づいた。
古い壁画──民族が輪になって踊っているような、謎の絵が描かれている。
「たとえばこういうやつ」
それは光を帯び始め──
「とか──ッ!?」
「フィオナ!!」
吸い込まれていく。
そして彼女は──
壁から上半身だけ、飛び出ていた──。
「……こうなります」
「なる、ほど……」
ちゅんちゅんと、鳥が鳴いた。
気まずそうに、フィオナは唇を結んでいる。
「助けて……」
壁にめり込んだフィオナの腕をつかみ、勢いよく引っ張る。
「いだだだだだ!! ちょ、もっと優しくっ……」
涙目だ。
「大丈夫か?」
「なにか引っかかってる感じする! ちょっと後ろ見て!」
薄い壁の裏に回る。
青いスカートがめくれ、裾が壁の隙間に嚙み込んでいる。
これはまさか──壁尻ッ──。
凄まじい。なんと偏った性癖の遺跡なんだ。
「緋色ー! どうなってるのー!」
「ちょっと待ってろ!」
スカートの裾をぐっと引き抜き、正面に戻る。
もう一度、力を込めて引いた。
「──んぐぅッ!」
「うぉっ!」
すぽんっと抜け、フィオナが倒れこんでくる。
豊乳の爆撃。俺の顔面は乳圧で吹き飛んだ。
「やっと抜けた! あれ──緋色、大丈夫?」
下敷きになっており、まったく動けない。
「ぐるじい……重い、です……」
「もうっ! 女の子に重いって言っちゃだめなんだよ!」
──無限のように長い階段を上がっていく。
白い石段はまばらに欠け、苔むしていた。
「塔を登って頂上につけば、女神の聖壇があるはず。とりあえずの目標はそこね」
「今のとこ平和だなぁ」
「油断しちゃだめよ。ここは試練の塔──何があるか分からないんだから」
階段を登りきると、陽光が差し込む大広間に出た。
天井は円柱型に裂けており、遥かな空が覗いている。
声を上げれば反響しそうな広大な空間だ。
外壁には、石で彫られた騎士の巨像が五体、ずらりと並んでいた。
一番奥には、大きな円形の扉。
あれが入口だろう。
「──待って!」
フィオナが手を出し、制止する。
足元の道は、突然ぷつりと途切れていた。
奈落──
底の見えない闇が、広がっていた。
「これは──」
百メートルはあるだろうか。暗い底に、命を喰らう気配を感じる。
奈落の底──目を凝らすと、かすかに石の影が見えた。
「あれは……橋か」
察するに、あれを上げて渡るんだろう。
周囲を探っていると、フィオナが声をあげた。
「これ見て!」
広間の中央。床に円盤のような何かが埋まっている。
古代文字と紋様が刻まれたそれに、彼女は触れた。
ぽうっと、円盤が青光りを放った。
「これ……魔力に反応してる。向こうに渡る仕掛けかも」
「なるほど」
「私、やってみる。緋色は周りを見張ってくれる?」
「オーケー。任せろ」
とは言っても──周囲には何もない。
ただ、壁面を埋め尽くす無数の絵──何十もの魔物の姿が連なっている。
眺めていると、それらは一枚の絵として繋がっていると気づいた。
牙をむく狼、触手の怪物、悪魔、龍、巨人、異なる多くの怪物たちの先──
それら全てに対峙するように、たった一人の戦士が勇敢に剣を掲げている。
物語は石壁に閉じ込められ、結末は知る由もなかった。
ガコンッ──
歯車が噛み合うような重音が、床下に響いた。
「なんだ!?」
ゴゴゴ……ッ。
低い地鳴りに、床石が震えた。
次の瞬間──
騎士の石像の一つが、わずかに首を傾けた。
「おいおい、嘘だろ……」
動き出している。
周囲を囲む、巨大な騎士像たちが──ッ!
「フィオナ!!」
「分かってる! もう少し!」
時間を稼ぐしかないようだ。
巨像の数は五体。
さらに外壁に光の紋──魔法陣が浮かび上がった。
そこから、緑の醜悪な影の群れが這い出た。
「小鬼!? 緋色っ──」
「大丈夫だ。そっちに集中しろ!」
小鬼たちは棍棒を握り、涎を垂らす。
巨像は錆びついた剣をゆるりと引き抜いた。
「ギィ──ッシャァァァ!!」
甲高い叫びと共に、小鬼の群れが走り出す。
その背後を追うように、巨像の足は重く沈む。一歩ごとに、石床は重く揺れた。
「第一の試練、ってとこか」
革の弾薬ホルダーに手を入れ、赤い弾を六発──炸裂弾を取り出した。
シリンダーを開き、素早く六発こめる。
装填、回転、異常なし。
照準、わずかに前──
撃つ──ッ!
バァンッ!!!!!!!!
爆轟炎。熱風が肌を刺し、衝撃が鼓膜を叩く。
「ギャィイイァアアアア!!!!」
数体のゴブリンが肉片となって散った。
「──期待以上、だ!」
間髪入れず、トリガーを連続で叩き込む。
バンバンバンバンバァンッ──!!!!!!!!
爆ぜる小鬼の大群。
巨像の脚部は砕け、三体がその場に崩れ落ちる。
が──
「!?」
巨像の足元から黒い霧──凝縮された魔素が湧き出る。
それは砕けた石片に吸い付き、破片を修復していた。
「ずるいぜ、それは──!」
「ギャァアアア!!!!」
討ち漏れた小鬼が数匹、涎を飛ばし突進してくる。
フィオナは装置に集中している。
一匹たりとも、彼女に近づけるわけにはいかない。
「──身体強化!」
短剣を抜き、石床を割るほど踏み込む。前へ。
一、二、三、四──小鬼の首を刈り落とす。
動きは鈍い。だが、終わりなく湧き出てくる。
キリがない──!
「フィオナ先生! まだですか!?」
駆けながら声を張る。
「もうちょっとぉー!!」
その瞬間、巨影が覆った。
巨像の大剣が、轟と振り下ろされる。
「──ッ!」
横に跳躍。石床は陥没し、破片が雨のように散った。
転がりざまに短剣を収め、銃のシリンダーを開く。
炸裂弾は残六発、全ての弾を込める。
装填、回転、異常なし。
バンバンバンバンバァンッ──!!!!!!!!
轟炎に咲き爆ぜる小鬼と巨像。
倒せど尽きない。砕けど立ち上がる。
このままでは──
「くっ……!」
焦燥が胸を焼く。喉がひりつく。
その時──
──ガチンッ。
広間の中心、澄んだ機械音が響いた。
「よしっ。きた!」
フィオナが腕を突き上げる。
地の底がうねるような振動。
ズズズズズズッ────!
奈落の中央に、石の架け橋がせり上がった。
最奥にある円形の扉が、ゆっくりと割れ開いていく。
「緋色ッ、行こう!」
「おう!」
前へ駆け、道を斬り開く。
背後から、無数の暴力が押し寄せる。
二人で石橋に足を踏み入れた瞬間、それは沈み始めた。
「まじかよ──!」
「跳んでッ!!」
フィオナは勢いよく跳躍した。
俺は脚を身体強化し、橋を砕くほど踏み込む。
向こう岸まで目測三十メートル。
もう少し──!
指先が空をつかむ。
崖に、届く──!
「っ──!」
手を伸ばす。残り三十センチもない。
しかし、
足り、ないか──!
「緋色!」
フィオナが手を伸ばす。
ガシッ──!
腕に千切れるほどの衝撃が走る。
「ぐっ……!」
「う~ッりゃっ!」
「うぉおっ!」
すくい上げられ、二人して大扉の中へ転がり込んだ。
背後の奈落には、小鬼の影が音もなく落ち続けている。
すぐに扉は低い音をたて、閉じていった──。
「ふぃ~。まずは第一関門……突破かな」
フィオナは額の汗をぬぐい、笑った。
薄暗い石の回廊に、蝋燭がぽつりぽつりと奥へ灯っていく。
地獄に誘うような炎の揺らめきに、喉が鳴った。
「……試練の塔。攻略といこうか」




