ドロ沼ドラマ?な大浴場
アレクサンダーはわなわなと肩を震わせて、余程衝撃的だったのか言葉もない様子で俺たちを睨め付けてくる。
メテオロスが首を嘗めたところかそれとも俺が殴ったところか、どこから見ていたのかは知らないが、別段心に疚しいところのない俺は内心長い嘆息を落とすと、冷静な面持ちでメテオロスよりも前に出て異母兄と向き合った。
「事情があって兄上の護衛を殴ったが、そのことについては謝る」
もしかするとあれは見ていなかったかもしれないんだし、下手なことは言わないのが無難だろう。故にどう見ても隠せない事実だけを弁解した。メテオロスの鼻の辺りは俺の裏拳で少し赤くなっていたからな。唇が切れたり鼻血が出なかったのは幸いだった。
しかしながら、かえって言い訳がましいとでも思ったのか沈黙を貫いたまま余計にアレクサンダーはわなわなとした。ぇえ~裏目に出たぁあ?
せめて何か言えと思って少し様子を見ていると、奴は目付きを鋭くしたままにわななかせていた小ぶりな唇を開く。
「こんな遅い時間にスカイラーはどうしてここに? 誰か……グリーン・クリーンとでも入りに来たのかい?」
俺の一応の謝罪はスルーなのか容認なのか。まぁどちらでもいいが、この様子だと嘗めたとこは見ていなかったみたいだな。そして何故にグリーンを持ち出す?
「いや、俺一人だ。少し運動後で体が冷えてな」
「う、運動……? 宿で一体誰とどんな運動をするんだいっ」
「ん? 普通に一人で腕立てとかの筋トレだが?」
「あぁ、そ」
アレクサンダーはやや声のトーンを静めて引き下がるも、その目には明らかな猜疑心を宿して俺をじっと見つめた。え、今の証言のどこら辺が駄目だったですかね?
あ、そうか、さっき俺が提案を蹴ったのを根に持っているのか。奴の取り巻きたちは決してアレクサンダー殿下の意向に逆らうことはしないし言わないだろうから、俺と話して無駄にストレスが溜まったんだろう。
歩み寄れば良かった?
はは、なーんてな。俺はそこまで楽観的にできていないし慈悲深くもない。選択を後悔してはいない。
アレクサンダーはふんっと鼻息も荒く湯気を蹴散らすかのようにズンズカ向こうから歩いてくると、俺に殴り掛かってくる……でもなくあっさり素通りしてメテオロスへと真っすぐ接近した。
「メテオ!」
声には怒り。和解を突っぱねた奴となんて馴れ合うなって? この流れで二人が喧嘩を始めるのならとばっちりを食わないうちにさっさと退散するか。ただし内風呂にもう一度浸かってからな。
もしも嫉妬なら、何だかんだで気持ちはあるってことだろうから二人でどうぞ解決してくれ。大事にしてやれよ。
あとな……するんなら貸し切り継続にしておけっ。何も知らずにうっかり最中を見ちゃったらデンジャラスだろっ。余計な口論はしたくないから文句は差し控えるが。
「ねえメテオ、私がいつスカイラーに触れて良いと言った!? しかも庇われて何様!?」
……俺? おいおい巻き込むな。チッ、さっきのぺろりんなシーンもばっちり目撃していたのかよ。
背後の横暴な声に額に手をやりたくなっていると、突如バシャーンと派手な落水音が上がり驚いて振り返った。
「なっ、おい兄上何をやっているんだ!」
瞬間は見ていないが状況からしてアレクサンダーはメテオロスを湯に突き落としたようだった。
ノー眼鏡だからと言ってさすがにメテオロスが足を滑らせた線は薄いだろう。
それでもまさかいくら気が立っているとは言え、自分の護衛に対してアレクサンダーがここまでするとは思わなかった。やり過ぎ感が否めない。
顔を出したメテオロスは相変わらず読めない顔をしてその場に立ち上がる。
だがその時一瞬だけ、耳に水でも入ったのか、或いは頭が痛むのか、何らかの苦痛に眉を微かにしかめた。すぐに無表情に戻ったのでアレクサンダーは気付いていなかったが。さっきのポカンとした顔は案外レアだったのかもな。あれが素のメテオロスなのかもしれない。
それにしても少しは動揺しろよお前はロボットか? 主人にヒステリックに酷いことをされても文句とか非難が湧かないなんて言わないよな?
ちょっと一般的でない嗜好があるのでなければ、従者だろうと奴隷だろうと多少は負の感情が過ぎるはずだ。それがメテオロスには一切見られない。
アレクサンダーに骨の髄まで惚れているとかじゃなければ、まるで、違法な闇魔法で精神まで隷属させられているみたいだろ。
洗脳とも言える、主人からの命令には絶対服従で、尚且つ身に受ける一切の仕打ちにも疑問すら抱かないって類いのを。
浮かんでしまった可能性に嫌悪感が込み上げる。人間の尊厳がこの世界では大きく蔑ろにされているのを俺はもう知っている。とりわけ階級が違うとその傾向が強い。
自分の意識を操作されたり縛られるなんて考えただけでゾッとする。背筋が寒い。しかし彼らのはあくまで俺の憶測だ。深く考えるまいと軽くかぶりを振って早く中の湯に入ろうと踵を返した俺の背中には、メテオロスの抑揚のない静かな謝罪が聞こえてきた。
「申し訳ございませんアレクサンダー様」
ちらりと後ろを盗み見るとメテオロスは深々と腰を折っていた。
え……マジで下僕過ぎるだろ、俺の憶測は憶測ではない? これは一度確認しておかないと何となく気が済まない。グリーンを攫ったのもアレクサンダーの命令があったからだろうし、もしも俺の予想が当たっているのならこの先の警戒度を上げる必要だってある。命じられれば何だってするからな。
足を止めて回れ右をし、わざとぺたぺたと素足で石の床を踏む音を立てた。近付く俺へと二人それぞれに薄い訝りを孕んだ視線を向けてくる。
「二人の話を中断するようで悪いが、確認させてほしいことがある。メテオロス、お前の魔法属性を聞いても? よもや魔法を使えないとは言わないだろ?」
「メテオロス……? こいつはメテオだよスカイラー?」
えっ……アレクサンダーは本名を知らない……?
だとすると、隷属の闇魔法は掛けられないな。精神に干渉する魔法は特に本名を知らないと掛けられないというのが常識だ。
名前ってのは魔法的に重要で、長く親しんだ名前程魔法的な効力は強く表れる。たとえ途中で改名しても古い名前の効力は変わらないらしい。一個人と言うその存在に染み込んだものだからなんだろう。故に追跡魔法でも有効だが、逆を言えば根本的にその相手が認識していない名前、つまり名前を間違っていると、いくら優れた追跡魔法でも追えないんだとか。
以上の話を踏まえるとアレクサンダーは何もしていないって結論になる。うーむ深く考え過ぎか……?
メテオロスの方は顎に手を当て考え込む俺をじっと見つめて口を開いた。直前の質問への答えだ。
「火属性だ」
だろうな。元のゲームとは異なる属性持ちの可能性も少し疑ってはいたが、そこに変わりはないらしい。なら本当に闇魔法の気配はどこからきていたんだ?
あ、他の誰かに何らかの闇魔法を掛けられている可能性もあるのか。何にせよ注意しよう。
「そうか。変な質問をしたな。それと兄上も、話の邪魔をして悪かった。俺はもう屋内に行くが一つ言わせてもらうと、そいつは単に眼鏡を外していたからよく見えなかっただけだ。同じこの髪の色のせいで俺を兄上と勘違いしたんだよ。まさか俺がいるなんて思いもしなかっただろうからな。遅れた兄上にも非はある。だからそう理不尽に怒らないでやれよ。あと配下への乱暴は感心しない」
さらりと苦言までを口にして、俺は本当に今度こそ立ち去ろうとした……んだが、ま~た問題ありそうなのが一人現れた。
「誰かと思えばグリーンか」
グリーンは恥ずかしいのか胸から下を隠すように大きいタオルを巻いた姿で、さっきアレクサンダーが突っ立っていたのと同じ辺りに佇んでいる。酷く困惑している様子だった。
「ゆっくりしていけよ。いい湯だから。それと、あいつらのことは気にするな」
軽く頬を緩めてすれ違い様に側近の肩をポンと軽く叩いた。そのまま屋内に行こうとしたんだが、何故かグリーンは急に顔を歪めて涙ぐむ。
二人と残されるのは嫌とか? まあグリーンにとったら基本的に砂とか塩をぶっ掛けてやりたい相手だろうから、一時的にとは言え同じ湯に浸かるのは嫌なのかもしれない。
「スカイラー様……っ、側近の私を捨て置いて敵と仲良く温泉だなんて酷いですっ。しかも今夜二回目ではありませんかっ。私は山登りまでしましたのに狡いですよぅ~~っっ」
あー、うん、その方面な。ブレないなぁこいつも。
「別に示し合わせたわけじゃない。俺が先にゆっくりしていて、そこの二人が後で来たんだよ。仲良くもしていないし。だからな……とりあえずその鼻血をどうにかしろ。くれぐれも湯を汚すなよ?」
グリーンのタオルがでっかいサイズで良かったー。十分に血を吸える。
いきなり鼻血を出した俺の側近にアレクサンダーたちはギョッとしてドン引いていたが、予期せずも毒気が抜けたみたいだから良かったんじゃなかろうか。こいつもたまには役に立つ。
「なあところでブラッキーは?」
グリーンの背後を覗き込むも屋内に他には誰もいない。グリーンがいるのに奴がいないのは些か意外にも感じたが、いつも二人セットでいるわけでもないか。疲れて寝ているのかもしれない。
「ブラッキーはどこへ行ったのか、気付いたら部屋にいなかったので、どうせそこらをほっつき歩いているのでしょうと、大して気にしないでおりました。そのままずっと別行動をしてもらっても構わないのですけどね」
「はは」
元々仲間でもないし、二人の距離が縮まることはないのかもしれない。
床に垂れないようタオルで鼻を押さえたグリーンがおずおずとして聞いてくる。
「あの、スカイラー様はもう上がられるのですか?」
「内風呂に少し入っていくよ」
「そっそれでしたら私もご一緒させて下さい!」
「いいのか露天の方に入らなくて。折角来たんだろう?」
「そこは全然問題ではありません。むしろ、その、スカイラー様こそ宜しいのですか? 私と温泉に入っても。常日頃同じベッドでは寝ても同じお風呂だけは絶対嫌がるじゃないですか」
向こうではアレクサンダーが「同衾!?」と血相を変えたのが視界の端に映る。何だその過剰反応は。
一方で、この時俺はグリーンに大きな不安と誤解を与えていたとようやく悟った。
「あれは、嫌がっていたわけじゃない。お前とブラッキーに過度な生殺しを味わわせたくなかったというか、無駄に期待を持たせるような不誠実なことはなるべく避けたかったからだ。それを抜きにすれば、俺はグリーンともブラッキーとも、男同士のんびり風呂に入れるならそうしたいと思っているよ。誤解させて悪かったな」
グリーンは初めて俺の真意を知って感動したらしい、滂沱と涙を流した。
「うぅうっスカイラー様が謝らないで下さいよぅっ。逆にそう言われてみて私も初めてスカイラー様の気まずさに思い至ったくらいなのですから。こちらこそぐいぐい行って申し訳ありませんでした。そちらの立場になってみると確かに私も同じ判断に至ったかと思います」
「そうか」
「はい、ですから気に病まないで下さい。スカイラー様の優しい気遣いの数々が、いつも私を元気付けてくれるのだと知っています?」
グリーンは嬉しそうに目を細めた。鼻を押さえているからいまいちカッコが付かないが、それでも俺を和ませるには余裕だった。
「さあさあさあ、初の温泉一緒を楽しみましょうスカイラー様!」
ウキウキし出したグリーンから背中を押されて内風呂へと促されたが、グリーンと二人で湯に浸かる頃には、アレクサンダーたちの存在はすっかり頭になかった。
心なし一段と濃くなった湯気向こうに最後に見た感じだと、物凄い目付きで睨まれていた気がしたが、まぁもう話は済んでいたし向こうもわざわざお互い裸の時に戦いを仕掛けてはこないだろう。そんな図は俺としても嫌だ。
他方、メテオロスはどことなく具合が悪そうに見えたな。湯船に落ちた際にどこか痛めたのかもしれない。
にしてもさ、温泉って気持ちが大らかになれる場所だよなー。究極のリラ~ックスタイム!
つまり、俺は完全に油断していた。
失念していたんだ。本来アレクサンダーは怒りに任せて自分の配下を湯に蹴り落とすような激しい気性の持ち主だと言うことを。どこにいてもアレクサンダーは結局はアレクサンダーなんだと言うことを。
スカイラーの周辺事情だってある程度把握している奴は、実務的な面も含めたスカイラーの力を削ぐこと、そして苦しめることに躍起なんだと言うことを。
そして、元のゲーム展開は時に思わぬ形で目の前に顕れるのだと言うことを。
今年の例外的だという濃い湯気の心地良さにほだされて、すっかり脇が甘くなっていた。
グリーンは俺に合わせて風呂から上がった。因みに俺の上裸を見てもあれ以上は興奮せず、鼻血が早く止まったのは助かった。さすがに俺も血染め濁り湯には入りたくない。
「グリーン、本当に良かったのか? 露天風呂には結局入っていないだろう?」
脱衣所で収納指輪から出した綺麗な衣服に袖を通しながら、横で同じように清潔な服に着替えているグリーンへと何気なく話し掛ける。温泉宿が用意してくれた浴衣もあるが、俺もグリーンもやはり敵がいる場所で心から安心はできないと、動きやすい普段着を選んでいた。
「実を言えば山で掻いた汗を流したかっただけでそこまで入りたかったわけではありませんし、一人より気心知れたスカイラー様と入った方が何倍も有意義ですから」
こいつの世話焼きには正直辟易する時もあるが、今のは純粋に嬉しい言葉だよ。
「もう一生ものの眼福でしたし、ぐふふっ」
……まぁ、こう言うのがなければもっと良いんだがな。このムッツリ君め。
タオルを肩に掛けながら、グリーンがふと思い付いたように言う。
「入らなかったのは、実際に見てみて湯気の多さが少々気になったのもありますね。何となくあのもくもくした中に行きたくなかったと言いますか……」
「ああ、今年は異常に濃いらしいぞ。しかし俺はあの湯気は逆に快適に感じたが、まあ人それぞれか」
二人で揃って廊下に出る。ホカホカな肌に触れる少しだけひんやりした空気が心地良い。湿度の関係もあるだろう。
部屋のある方向へと爪先を向けた俺たちだったが、かなり離れた後方から声が響いた。
「スカイラー! 何だよもう上がっちゃうのか~? 何かグリーンもいるし」
長い直線の先に小さく見えるシルエットは紛れもなくブラッキーだ。
どこに行っていたのかはわからないが、温泉に入りに来たんだろうか。しかし広めの水場は温泉含め苦手と言っていたような……?
立ち止まったまま待っていると奴は長い脚をサクサク動かして俺たちの方にやってくる。
んん……? 何か大きな荷物を引きずっているが一体何を……――!?
布の塊のような荷物が何なのか悟った俺とグリーンがギョッとして咄嗟の言葉を失っていると、平然と三歩先の距離までやってきたブラッキーはぺいっとそれをぞんざいに床に放るようにして手を離した。
それは床の上で微かに震えてと言うか半ば意識混濁しつつ痛みに呻いている。
つまり、人だ。性別は男。
フードのある黒くて丈の長い服を着ていて、右瞼に傷のあるおそらくは隻眼の白髪老人だ。
知らない顔だ。知っているかとグリーンに問えば否定に小さく首を振られた。
「ブラッキー、誰なんだこれは? まさか宿の従業員とか言わないだろ?」
「へへっスカイラーは僕が罪もない人を殺そうとすると思うのか?」
「思わない。思わない……が、えっ何、お前この男を殺すつもりなのか?」
憐れな程に痛め付けられた男を見下ろす俺に、ブラッキーは微笑むだけでイエスもノーも答えようとはしなかった。随分とこいつらしくないな。
しかし動機は何だろうか。単に腹の立った相手ってわけではないだろう。正義のブラッキー・ホワイトホールが深い理由もなくここまでするわけがないからな。
ここで俺の目は、床に投げ出された男の腕にあるタトゥーを捉えた。
――酒瓶に絡み付く蛇。
な……に!? 例のギャング団の証がまるまるそこにはある。多少彫った際のブレがあるだろうが、メテオロスと全く同じデザインのそれだ。
どうしてこんな奴がここに? ブラッキーが始末しようとするのも件のギャング一味なら理解できないこともない。ゲームじゃ摘発されて全員処刑されるなんて悪人しかいないような組織だもんな。
一つの宿に二人のギャング。
……偶然なんだろうか
「ブラッキー、こいつはどこに隠れていた? まだ他にもいるとしたら宿の人たちが危ない」
「隠れて? へっそんな繊細な奴じゃないって。堂々とお仲間皆と宴会場でドンチャンやってたぜ。だから全員動けなくして縛ってきた」
「マジ……?」
「マジマジ」
ブラッキーは得意気に歯を見せる。さすがは主人公ブラッキー、有能だな!
称賛と同時に俺は遅ればせながら重大な事実を悟り密かに手汗を握った。俺とは違い本来スカイラーなら男のタトゥーを見た時点で合点したはずだ。
今夜この宿にいる奴らはアレクサンダーの関係者だと。
つまり、奴の支持団体の一部にはギャング団が含まれていると。
帝都を基点とするアレクサンダーの取り巻きの半分以上はその事実を知らないのではなかろうか。皇子がギャングとだなんて世間が許さない。
「グリーン、少し下がっていろ」
「え? あ、はい」
念のため俺はギャングからグリーンを遠ざけた。コテンパンにされて伸びているし、いきなりガバリと起き上がってグリーンに襲い掛かるとは思わないが、誰が犯人かわからない以上近付けたくなかった。たとえそれが気休めでも。
ブラッキーからは不満そうに過保護と口の動きだけで言われた。どうとでも言え。口に出しては言わないが俺が時々荒事の苦手な側近を心配するのをブラッキーはちゃんと気付いている。だから今夜の山登りでも大きな怪我なく宿に戻れるよう密かにグリーンを見守っていてくれたのだって、俺は知っている。
グリーンのためと言うわけではなく、俺のために。
不埒な利害の一致で二人で山に分け入った部分もあるだろうが、俺はブラッキーのひけらかさないそんな律儀な思いやりが案外好きだ。無駄に調子に乗られるのもムカつくので本人には絶対言わないし、仮に感謝を告げたところでブラッキー本人が認めないだろう。……んーまぁこれみよがしに恩着せがましくされる可能性も捨て切れないが。
俺は一度大浴場入口へと視線をやってアレクサンダーたちが出てこないのを確認すると、慎重な面持ちでブラッキーに二、三質問する。
「仲間と言うことは、縛り上げた他の奴らにもこのタトゥーがあったのか?」
「全員のはさすがに確認してないけど、大半にあったな。って言うか何だよ、スカイラーもこれ知ってんのか」
「ああ。ちょっとわけあって」
「ふぅん? ちょっとなわけなぁ~?」
察しの良いことにブラッキーはちらとグリーンに目を向けた。詮索するようなことは何も言わなかったが。
人数やどの程度の地位の人間が集っているのかは不明だが、この絶好の機会を逃す手はないな。ごっそり纏めて牢屋に放り込んでやる。
アレクサンダーの仲間だろうと躊躇う義理はない。そもそも敵同士なんだし今夜の馴れ合いがおかしかったんだ。ここで衝突する予定はなかったが、グリーン死亡のリスクを下げられて、結果的に僅かだろうとアレクサンダー側の力を削げるなら一石二鳥。
捕縛した奴らから情報を得て残党狩りも実行すれば、グリーンへの脅威はなくなるかもしれない。安直な案だが、時に策を弄するよりシンプルな方法こそベストだったりするものだ。
俺は老ギャングを見下ろしながら口の端をくいっと上げてみせた。
「ブラッキー、助かった。実はこのギャング団を一網打尽にしたいと思っていたんだ」
「へえ、そりゃ暴れた甲斐があったってもんだ。あ、言っておくと、こいつは組織の大幹部だ。因みに本当のトップはアレクサンダーじゃあない」
「へえ、誰か知っているのか?」
ブラッキーはあっさり暴露した。
「皇后」
と。
あー皇后かぁー。一国の女主人とも言える者がこうも道を踏み外していたとは。何たる不祥事か。しかし意外過ぎはしないな。そういえば皇后のお膳立てだとアレクサンダーが言っていたが、そことも繋がる。
なら、グリーンの死は皇后が黒幕?
仮にそこまで意図してはいなかったとしても、息子の戴冠のためにギャングと手を組んでいた彼女に責任がないとは思わない。
もしかするとアレクサンダーはここに集った奴らの真の正体を知らないのかもしれない。冗談抜きにありそうだ。
「なーなー、我が儘皇子様はまだ中だろ?」
「そうだが、とりあえずその宴会場だかに案内してもらえるか? 俺もこの目で奴らを見ておきたい」
「いいよん、スカイラーの頼みなら喜んで~」
「茶化すな」
「けど少しだけ待っててくんない? すぐに済ませてくるからさ!」
「それは構わないが……」
何か用事か? ところで、ブラッキーはどうしてこの老ギャングだけをここまで引っ張ってきたんだろう。
疑問はさておき黙って見ていると、ブラッキーは男を再び引きずって大浴場へと入って行こうとした。
その横顔に何故か寒気を覚える。何かが暴走していると言うか狂暴になっていると言うか、歯止めが緩んでいると言うか、言いようのない切迫感が俺の内に競り上がる。
「えっおいちょっと待て待て待てぇーいっ。すぐに済むってそいつと風呂入るのか?」
わけもなく慌てた俺に、ブラッキーは馬鹿げた質問でも受けたようにぷっと噴き出した。
「あ~いや悪い。別にスカイラーを笑ったんじゃなくて、想像したらツボってさ。こいつとはちょっとした因縁があって、それをアレクサンダーも含めて清算しようかと。大浴場にいるって聞いたから来てみたんだよ」
ブラッキーはへへっと奇妙なくらいに明るく笑った。
にっこにっことしているのに、その実笑い成分など皆無な虚偽の笑顔で。
く、黒い……。押し殺されたブラッキーの殺気で肌がピリピリする。
アレクサンダーともだが、この男との間に何があったって言うんだ?
うーむ、向こうは話さないんだから軽い好奇心で詮索しない方がいいよな? うん、だよな、そうだよな。
そう、だよ……なぁ…………。
「ブラッキー」
自然に体が動いていた。
駆け寄って手を伸ばしてブラッキーの顔を挟んで睨めっこの体裁を取る。
「お前、大丈夫か?」
「…………」
何がとか、どうしたとか、こいつの事情は想像もできないのに、何故かこのままこいつを放っておけない気持ちになっていた。だからしかと目を合わせて確認したかったのかもしれない。目は口ほどに云々って言葉もあるくらいだし。
案の定、ブラッキーは思いもかけない現実に直面したみたいに一瞬目を見開いて固まると、次には内なるトゲを我慢して堪えるように眉を痙攣させて瞳まで微かに揺らした。
そうしてから一度全てを遮断するようにぎゅ~っと目を瞑って大きく息を吸い込んで盛大に長く吐き出して、ゆっくりと瞼を上げて俺を見る。
不思議ともう、こいつに直前まで感じていた言いようのない危うさは綺麗サッパリ無くなっていた。
しかもまた男から手を離すと俺が思わず離し忘れていた両手の上に奴の手を重ねて、あたかも真冬の冷えた頬に日だまりを押し当てられた人のように顔を綻ばせる。
「へへふ、へへっ」
今度は俺が変に硬直する番だった。
な、何なんだ。この究極に腑抜けたような無防備さは?
「ど、どうかしたのか?」
「へへへ」
「いやへへへじゃなくて」
「へへへへへへ」
怪訝にしても何故か嬉しそうにされる。人の困惑なんてお構いなしにごろにゃーんと擦り寄る猫みたいなテンションだなこいつ。軽く促せば手は放してくれたが、不可解な笑いは大人な対応で静かにしていたグリーンがとうとう見かねて気持ち悪いと注意するまで続いた。
「へへっ、そんじゃさっさと宴会場行きますか~」
再びギャングの首根っこを掴んで陽気に引っ張るブラッキーが先程来た方へと引き返す。男をここまで引っ張ってきた意味は、と疑問に思ったが、ブラッキーの中で何か感情の変化があったのかもしれない。
密かに胸を撫で下ろし、俺はグリーンにも目顔で促して後に続く。
流れた視界の端で、暖簾がふわりと浮いた。
脱衣所から不可解にも多量の湯気がもくもくとはみ出したのも。
……は、何で廊下まで湯気が? しかも色が灰色!? ええーっ!?
物が燃えている臭いはしないから湯気なんだろうが、初めて見る変な色の湯気だ。中で何か異常が起きている?
「――メテオ、殺れ! もう赦せない赦せないっ、あんな奴さっさと殺してしまえっ!」
暖簾の奥からの刹那の声に、ざわっと背中が総毛立つ。
それは紛れもなくアレクサンダーの声だった。
廊下で騒いでいて、どうして僅かでも彼らが気付く可能性を考えなかったのだろう。必ずしもずっと露天風呂の方にいるとも限らなかったのに。
どうして愚かにも敵に背を向けて安穏としていられたのだろう。
「メテオロス……!」
瞬時に体を反転させた俺の目が捉えたのは、浮いた暖簾の下、灰色湯気を飛び出してきたメテオロスが常人を凌駕する速さでこちらに近付く姿だ。
また揺らぐ黒いもやも見え、闇魔法の気配をさせていた。
アレクサンダーに命令されると発動するのなら、やはりそれは隷属の魔法なのではないだろうか。
肉薄するメテオロスからの初手を受けようと、俺はぐっと足腰に力を入れた。不意打ちとは見くびられたものだ。
殺人マシーンのように無感動に紫色の瞳を見開くメテオロスは、唐突にくるりとその視線を俺から外した。
な、に……?
訝りを抱いた直後、俺はその隙が完全な敗北なのを悟った。
メテオロスの標的は俺ではなかった。
無論ブラッキーでも。
「――ッ」
グリーン、と叫ぶ声は声にならなかった。




