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狙われる賢者(3歳)

ダンジョンでの一件以来、エリアーナからの監視はより一層粘着質なものになっていた。そんな中、レクスの規格外の魔力に目をつけた、魔術の真理を探求するという秘密結社「賢者の探求」が、彼を誘拐しようと屋敷に侵入してくる。おむつ替えの隙を狙われるという幼児ならではの危機に、レクスはベビーベッドに仕込んでおいた迎撃魔法で、刺客を返り討ちにする。

学園のダンジョンで、規格外の魔物を「偶然の寿命」で片付けてからというもの、俺を取り巻く環境は、さらに面倒なことになっていた。

特に、家庭教師であるエリアーナの監視は、もはや監視というよりは、ストーキングの域に達していた。彼女は、俺の一挙手一投足、例えば、どの積み木を最初に手に取るか、食事の際、どの野菜を最後まで残すか、といったことまで、全てを羊皮紙に記録している。そして、時折、深い溜息をつきながら、「ありえない…この行動パターンは、まるで未来を予測しているかのようだ…」などと、一人でブツブツ呟いている。

(当たり前だ。俺は、君の思考パターンを読んで、君が最も「ありえない」と感じる行動を、わざと選択しているんだからな)

彼女との高度な心理戦は、退屈な幼児生活における、唯一の楽しみではあった。しかし、それ以外の時間は、苦痛でしかなかった。三歳児の身体に、前世の賢者の精神。そのギャップは、想像以上にストレスが溜まる。高度な魔法理論について議論したくても、口から出るのは「まんまー」とか「わんわん、いたー」といったレベルの言葉だけ。このじれったさは、もはや一種の拷問だった。

そんなある日の夜。俺は、自分の部屋のベビーベッドの上で、いつものように熟睡しているフリをしていた。エリアーナや両親が寝静まり、屋敷が静寂に包まれるこの時間だけが、俺が唯一、大賢者としての自分を取り戻せる時間だった。

俺は、意識だけを覚醒させ、魔力探査の範囲を屋敷全体、そして領地の隅々まで広げていた。これは、日課のようなものだ。領内に不審な魔力の動きはないか、危険な魔物が近づいていないか。自分の平穏なスローライフを脅かす可能性のある因子を、事前に察知し、排除するためだ。

(…ん?)

その日、俺の探査網に、奇妙な反応が引っかかった。屋敷の敷地の外縁、その闇に紛れるようにして、複数の人間の気配があった。彼らは、完全に気配を消しているつもりだろうが、俺の探査の前では、無意味に等しい。問題は、彼らの纏う魔力の「質」だった。

それは、騎士や兵士のような、訓練された者の魔力ではない。かといって、ただの盗賊やならず者の、荒々しい魔力とも違う。彼らの魔力は、まるで学者か研究者のように、静かで、理知的。だが、その奥底に、目的のためなら手段を選ばない、冷たい狂気が渦巻いていた。

そして、彼らの意識は、明確に、この屋敷…いや、この部屋にいる俺、レクス・フォン・アルストロメリアに向けられていた。

(…来やがったか。面倒な連中が)

俺には、彼らの正体に、おおよその見当がついていた。秘密結社「賢者の探求」。

彼らは、魔術の真理を追い求めるあまり、道を踏み外した魔術師たちの集団だ。魔法の起源、世界の成り立ち、そして魂の構造。そういった、神の領域とされるテーマに、倫理を度外視した研究で迫ろうとする、危険な連中。

おそらく、王都で俺が示した規格外の魔力や、学園での噂を聞きつけ、俺を「研究対象」として、誘拐しに来たのだろう。

(さて、どうするか…)

大声で叫んで、エリアーナや父を起こすのは簡単だ。だが、それでは、屋敷を巻き込んだ戦闘になり、被害が出るかもしれない。何より、騒ぎが大きくなれば、俺の「異常性」が、さらに広く知れ渡ってしまう。それは避けたい。

ならば、答えは一つ。

俺が、この手で、誰にも知られずに、彼らを排除する。

幸い、相手は、俺をただの「魔力の多い三歳児」だと思っている。油断しきっているはずだ。その油断こそが、彼らの最大の敗因となる。

俺は、ベビーベッドに寝転がったまま、意識を集中させた。そして、この部屋の、ありとあらゆる物に、極めて微弱な魔力を通わせ、即席の「迎撃システム」を構築していく。

床に転がっている積み木、壁に飾られた絵本、天井から吊るされたメリーゴーランド。それら全てが、俺の意思一つで、凶悪な罠へと姿を変える。これは、物体に魔力を付与し、遠隔操作する『エンチャント・コントロール』という魔法の、超高等な応用技術だ。

準備が整った頃、部屋の窓が、音もなく開いた。

黒装束に身を包んだ二人の男が、まるで影のように、室内へと侵入してくる。彼らの動きは、洗練されており、ただの学者ではないことが窺える。おそらく、結社に所属する、戦闘専門の魔術師だろう。

一人が、俺の眠るベビーベッドに、そっと近づいてくる。その手には、相手を眠らせる魔法薬が染み込んだ布が握られていた。

もう一人は、入り口のドアの前で見張りに立つ。完璧な手際だ。

(…だが、甘いな)

男が、俺の顔に布を被せようと、手を伸ばした、その時だった。

俺は、赤ん坊の特権を、最大限に利用することにした。

「んぎゃあああああああ!!!」

俺は、この世の終わりのような、凄まじい大音量で、泣き叫んだ。いわゆる「夜泣き」だ。

「なっ!?」

男は、予想外の事態に、一瞬、動きを止めた。その一瞬の隙が、命取りだった。

俺は、迎撃システムのスイッチを入れた。

まず、床に散らばっていた積み木が、生き物のように起き上がり、侵入者たちの足元に殺到。硬いカエデの木でできた積み木の角が、彼らの足の甲や脛を、的確に、そして極めていやらしい角度で強打する。

「ぐっ!」「い、痛え!」

予想だにしない方向からの、地味だが確実なダメージに、男たちの体勢が崩れる。

次に、壁にかかっていた、分厚いハードカバーの絵本『はらぺこグリズリーくん』が、猛スピードで飛翔し、見張りをしていた男の後頭部を、フルスイングで直撃した。鈍い音と共に、見張りの男は、白目を剥いてその場に崩れ落ちる。

「な、何が…!魔法か!?だが、術者はどこに…!」

ベッドに近づいていた男が、混乱して周囲を見渡す。彼には、目の前の赤ん坊が、この惨状を引き起こしているとは、夢にも思えないだろう。

そして、とどめは、天井から吊るされた、可愛い羊の飾りがついたメリーゴーランドだった。

俺が魔力を通すと、メリーゴーランドは、高速で回転を始める。そして、遠心力で射出された羊の飾りが、まるで散弾銃のように、男の全身に襲いかかったのだ。

プラスチック製の、何の変哲もない羊。だが、俺の魔力によって、音速近くまで加速されたそれは、もはや凶器と化していた。

「ぎゃああああ!?」

男は、無数の羊の猛攻を受け、無様に床を転げ回った後、気絶した。

静寂が、部屋に戻る。

ドアが、勢いよく開いた。俺の泣き声を聞きつけて、エリアーナが駆けつけてきたのだ。

彼女は、部屋の惨状――倒れている二人の黒装束の男と、その周りに散らばる積み木や絵本、そして羊の飾り――を見て、絶句した。

「…これは…一体…」

彼女の視線が、気絶している男たちと、ベビーベッドの上で、けろりとした顔で指をしゃぶっている俺とを、何度も往復する。

彼女は、現場の状況から、何が起きたのかを、ほぼ正確に推測してしまったようだった。

侵入者が、自分を攫おうとしたこと。

そして、自分が、この部屋にある「おもちゃ」だけを使って、たった一人で、二人の手練れの魔術師を、無力化したこと。

エリアーナの顔が、どんどん青ざめていく。彼女は、もはや俺を「天才児」などという、生易しい目で見てはいなかった。その瞳に浮かんでいるのは、神か、あるいは悪魔を見るような、純粋な「畏怖」だった。

俺は、そんな彼女の心中を知ってか知らずか、完璧なタイミングで、おむつが濡れている不快感を、全身で表現した。

「うー、うー…」

ぐずり始める俺を見て、エリアーナはハッと我に返った。

彼女は、ひとまず衛兵に通報すると、俺をベビーベッドから抱き上げた。

「…レクス様。おむつを、替えなければなりませんね」

その声は、なぜか、少しだけ震えていた。

狙われる賢者(3歳)、最大の危機は、おむつ替えの隙。

俺の平穏なスローライフは、今日もまた、極めて幼児的な理由で、脅かされているのだった。

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