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想定外のダンジョンマスター

魔法学園での奇妙な生活にも慣れてきた頃、レクスは初等科の実習で、学園の地下に広がる初級ダンジョンへと足を踏み入れる。教師たちの監視の目から逃れ、思う存分サボろうと画策するレクス。しかし、安全なはずのダンジョンに、突如として規格外の強力なモンスターが出現し、生徒たちが危機に陥る。正体を明かさずに事態を収拾するため、レクスは教師たちの死角から、完璧すぎる魔力制御でモンスターを撃退するが、その異常な痕跡から、エリアーナに正体を強く疑われることになる。

魔法学園での生活は、俺が当初想定していたよりは、幾分かマシなものだった。最大の懸念材料であったギデオンは、あの中庭での一件以来、俺を遠巻きに監視するストーカーと化し、直接的なちょっかいをかけてくることはなくなった。他の生徒たちは、俺を「年下の可愛いマスコット」あるいは「触れてはいけない天才児」として扱い、適度な距離を保ってくれている。つまり、俺は、誰にも深く干渉されないという、望外の平穏を手に入れつつあったのだ。

家庭教師のエリアーナとの心理戦も、日常のスパイスとして楽しめるようになってきた。彼女は相変わらず俺の正体を探ろうと、様々な罠や問いを仕掛けてくるが、俺はそれを三歳児の無邪気な行動でひらりとかわし、時には逆に彼女の魔法理論の盲点を突くヒントを与えてやる。彼女が俺の「偶然の奇跡」に驚愕し、そして頭を抱えて自室に駆け戻っていく姿を見るのは、なかなかに愉快な娯яв楽だった。

そんなある日、俺のささやかな平穏を脅かす、新たなイベントがやってきた。初等科の合同魔法実習。行き先は、学園の地下に広がる、教育用に管理された初級ダンジョンだった。

「皆さん、落ち着いて行動するように。この『賢者の試練』ダンジョンは、学園の結界によって完全に管理されており、危険な魔物や罠は全て排除されています。今日は、ダンジョン内での基本的な魔力探査と、擬似ゴーレムを相手にした実戦形式の訓練を行います」

引率の教師が、意気揚々と説明している。生徒たちも、「初めてのダンジョンだ!」と興奮を隠せない様子だ。だが、俺の心は、どんよりと曇っていた。

(集団行動、面倒くさい…。しかも、また教師たちの監視下か…)

俺の目的は、ただ一つ。いかにして教師たちの監視の目から逃れ、安全な場所で昼寝の時間を確保するか、だ。ダンジョンという構造は、死角が多くて好都合かもしれない。

俺たちは、エリアーナを含む数人の教師に引率され、薄暗い石造りの階段を下りていった。ダンジョンの内部は、松明の魔道具で明るく照らされ、床も綺麗に整備されている。確かに、遊園地のアトラクションのような、安全そうな雰囲気だった。

最初の課題は、魔力探査。隠された魔石を見つけ出すという、かくれんぼのようなものだ。俺は、開始と同時に探査魔法を発動し、一秒で全ての魔石の位置を把握したが、もちろんそんな素振りは見せない。「あ、あっち、ひかってるー」などと舌ったらずな言葉で、近くにいた生徒に手柄を譲り、早々に自分のノルマを終えた。

そして、俺は計画を実行に移した。

「せんしぇー、おしっこ…」

三歳児に許された、最強の魔法の言葉。教師の一人が、やれやれという顔で俺をトイレに連れて行ってくれる。そして、俺はその教師が少し目を離した隙に、わざと違う通路に迷い込んだフリをした。

「あれ?レクス君?どこに行ったんだー?」

教師の呼ぶ声が遠ざかっていく。よし、作戦成功だ。

俺は、探査魔法で特定しておいた、行き止まりの小部屋へと向かった。そこなら、誰にも邪魔されずに、思う存分惰眠を貪れるはずだ。

小部屋にたどり着いた俺は、持参した熊のぬいぐるみを枕代わりに、ごろんと横になった。ひんやりとした石の床が心地よい。

(ああ、これだ…。これこそが、俺の求めていた学園スローライフ…)

意識が、ゆっくりと微睡みの中に沈んでいこうとした、その時だった。

ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!

突如、ダンジョン全体が、激しく揺れた。地響きと共に、遠くから生徒たちの悲鳴が聞こえてくる。

(…なんだ?)

俺は、不本意ながらも身体を起こし、魔力探査の範囲をダンジョン全体へと広げた。そして、その原因を突き止めて、思わず顔をしかめた。

ダンジョンの最下層。そこに、本来いるはずのない、異常な魔力反応があった。それは、学園が管理する擬似ゴーレムなどではない。野性の、それも極めて強力な「魔力」を宿した、本物のモンスターの気配だった。

「…アースウォームか。それも、かなり年季の入ったやつだな」

アースウォームは、地中深くを掘り進む、巨大なミミズのような魔物だ。通常はダンジョンの深層部にしか生息しない。なぜ、こんな浅い階層に?

俺の探査によれば、アースウォームは、ダンジョンの壁を食い破り、生徒たちが実習を行っている大広間へと乱入したようだった。大広間では、引率の教師たちが応戦しているが、相手が悪すぎる。アースウォームの硬い外皮に、彼らの魔法はほとんど通用していない。生徒たちは、恐怖で立ちすくみ、逃げることさえできないでいた。

このままでは、数分もしないうちに、死者が出るだろう。特に、エリアーナが、生徒たちを庇って最前線で戦っているのが見えた。

(…チッ。面倒なことになった)

助けに行かなければならない。だが、どうやって?俺が今、現場に駆けつければ、三歳児が巨大な魔物を倒すという、異常な光景を全員に見られることになる。それは、俺のスローライフ計画の完全な終焉を意味した。

正体を明かさずに、事態を収拾する。それしかない。

俺は、今いる小部屋の中から、遠隔で攻撃することを決意した。幸い、俺と大広間の間には、分厚い岩盤があるだけだ。

俺は、右の人差し指を、静かに目の前の壁に向けた。

そして、前世で「賢者」と呼ばれた所以である、超精密な魔力制御技術の、ほんの一端を解放する。

俺がやろうとしているのは、単純な攻撃魔法ではない。

まず、俺の指先から、髪の毛よりも細い、極小の魔力の「針」を射出する。この針は、物理的な破壊を伴わずに、岩盤の中を原子レベルの隙間を縫うようにして、静かに、そして一直線に突き進んでいく。

次に、その針が、大広間で暴れるアースウォームの体内に到達した瞬間を見計らい、針の魔力構造を、内側から、連鎖的に「崩壊」させるのだ。

それは、外部には一切の痕跡を残さず、目標の内部だけを、分子レベルで破壊する、究極の暗殺魔法。前世では、『神の指先デウス・エクス・マキナ』と呼ばれていた。

俺は、意識を集中させた。

指先から放たれた魔力の針が、数十メートルの岩盤を、音もなく貫通していく。そして、アースウォームの巨大な身体の中心、魔力循環を司る中核器官「魔石心臓」に、寸分の狂いもなく到達した。

(…喰らえ)

俺が、心の中で呟いた瞬間。

大広間で暴れ狂っていたアースウォームの動きが、ぴたり、と止まった。何の前触れもなく。

そして、次の瞬間には、その巨大な身体が、まるで砂の城が崩れるように、内側からサラサラと崩壊し始め、やがて、ただの塵の山となって、その場に崩れ落ちた。

大広間は、静寂に包まれた。

生徒たちも、教師たちも、何が起きたのか全く理解できず、呆然と塵の山を見つめている。

「…な、何が起きたんだ…?」

「…突然、魔物が…消えた…?」

エリアーナだけが、塵の山と、そして周囲の壁を、鋭い視線で調べていた。彼女は、何かを探している。

(まずいな…)

彼女は、気づくだろう。

アースウォームが消滅した際、一切の「魔力の残滓ざんし」が残っていないことに。

普通、どれほど強力な魔法であっても、使用後には、その魔法特有の魔力の痕跡が、霧のように空間に残る。だが、俺の『神の指先』は、魔力を「崩壊」させるため、使用後の痕跡が、理論上、ゼロなのだ。

痕跡が「ない」ことこそが、常識ではありえない、異常な魔法が使われたことの、何よりの「証拠」になってしまう。

エリアーナは、やがて、ハッとしたように、ある一点を見つめた。それは、俺がいる、この小部屋の方向だった。彼女の探査魔法が、俺の存在を捉えたわけではないだろう。だが、彼女の天才的な直感と、これまでの俺への疑念が、一つの可能性を導き出してしまったのだ。

(…完全に、疑われたな)

俺は、溜息をつくと、何食わぬ顔で小部屋から出た。そして、ちょうど俺を探しに来た教師の前に、ひょっこりと姿を現す。

「あ!レクス君!こんな所にいたのか!心配したんだぞ!」

「…ねむねむ、だったの…」

俺は、目をこすりながら、今起きたばかりです、という完璧な演技をした。

後日、この一件は、「学園の結界に偶然生じた綻びから、弱ったアースウォームが迷い込み、寿命で勝手に自滅した」という、極めてご都合主義な結論で片付けられた。

だが、エリアーナだけは、その結論を信じていなかった。

彼女は、俺を見るたびに、その瞳の奥に、畏敬と、そして底知れない恐怖のような色を浮かべるようになった。彼女は、俺の正体に、かなり近いところまで、気づき始めている。

俺の平穏な学園生活は、俺自身の力によって、静かに、そして確実に、蝕まれ始めていた。

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