特例入学とライバルの登場
王子暗殺計画を「偶然」防いだ功績(?)により、俺、レクスは三歳にして魔法学園に特例で体験入学させられる羽目に。周囲の子供たちとの圧倒的なレベル差に辟易する中、エリート意識の塊である公爵家の子息、ギデオンから一方的にライバル視されてしまう。平穏を望む俺の意思とは裏腹に、面倒な学園生活の幕が上がる。
王子暗殺計画の一件から二年が過ぎた。俺は三歳になった。この二年間、俺はさらに徹底して「無害で、ちょっとだけ賢い幼児」を演じ続け、家庭教師であるエリアーナとの奇妙な心理戦を繰り広げる以外は、比較的平穏な日々を送っていた。ハイハイからつたない二足歩行へ。意味不明な喃語から、単語レベルの会話へ。着実に、だが決して「天才的」ではない速度での成長を完璧にシミュレートし、周囲の過剰な期待を何とかいなしてきた。
だが、そんな俺の涙ぐましい努力を、権力者たちは容赦なく踏みにじりに来る。
「レクス君を、王立魔法学園へ体験入学させることにした」
国王陛下直々の、鶴の一声ならぬ勅命だった。
理由は、表向きには「類い稀なる才能を持つ神童に、早期から最高の教育環境を与えるため」。だが、その裏にあるのは、王子暗殺未遂事件で浮き彫りになった、貴族間のパワーバランスを牽制するための政治的な思惑だ。俺という「国の至宝」を王家の管理下に置くことで、不穏な動きを見せる貴族たちへの無言の圧力とする。全く、いい迷惑だ。
「やー…(嫌だ…)」
俺は、父の腕の中で首をぶんぶんと横に振って抵抗したが、三歳児のイヤイヤが国王の決定を覆せるはずもなかった。こうして俺は、お気に入りの熊のぬいぐるみを抱きしめながら、巨大な魔法学園の門をくぐることになったのだ。
王立魔法学園。それは、大陸中からエリートの子弟が集まる、最高学府だ。通常は十歳にならないと入学資格さえないその場所に、三歳の俺が特例中の特例として放り込まれたのである。当然、その存在は学園中の注目を集めた。
「あれが、噂のアルストロメリア子爵家の神童か」
「三歳で入学など、前代未聞だ…」
「だが、所詮は辺境貴族の出だろう?」
廊下を歩くだけで、上級生たちから好奇と、そして少しばかりの嫉妬が入り混じった視線を浴びる。エリアーナが俺の手を引きながら、庇うように歩いてくれたが、正直、早く家に帰って昼寝がしたい、としか思えなかった。
俺が編入されたのは、初等科の一年生のクラス。つまり、十歳児たちのクラスだ。教室に入ると、三十人ほどの子供たちの視線が一斉に俺に突き刺さった。身長は彼らの半分ほどしかない。机に座っても、足が床に届かず、ぶらぶらと揺れている。どう見ても場違いだ。
教師が俺を「レクス・フォン・アルストロメリア君です。今日から皆さんと一緒に学びます」と紹介すると、教室はざわめきに包まれた。ほとんどは「可愛い」とか「本当に三歳なの?」といった反応だったが、その中で、ひときわ鋭く、敵意に満ちた視線を向けてくる一人の少年がいた。
最前列の席に、ふんぞり返るように座っている、いかにも育ちの良さそうな金髪の少年。その胸元には、有力貴族であるアークライト公爵家の紋章が輝いている。彼こそ、第二王子派の筆頭であり、先の暗殺計画の黒幕であった公爵家の嫡男、ギデオン・フォン・アークライトだった。
彼は、俺の存在そのものが、自分のプライドを傷つけるとでも言いたげな顔で、俺を睨みつけていた。
(うわあ…出たよ、面倒くさそうなのが…)
前世でも、こういうタイプはたくさんいた。家柄と才能に恵まれ、挫折を知らずに育った、エリート意識の塊。こういう手合いは、自分より優れた存在(たとえそれが三歳児であっても)を認められず、何かと突っかかってくるのだ。俺は、極力彼とは関わらないようにしようと、心に固く誓った。
最初の授業は、基礎魔法実習だった。内容は「水の玉を生成し、それを十秒間維持する」というもの。十歳児にとっては、魔力制御の第一歩となる重要な課題だ。
生徒たちが、次々と小さな水の玉を手のひらの上に浮かべていく。ほとんどはすぐに形が崩れてしまったり、大きさもまばらだったりした。
「では、最後にレクス君」
教師に促され、俺は席に立ったまま、小さな右手を前に突き出した。
(さて、どうするか…)
本気を出せば、この教室を丸ごと水没させるほどの巨大な水球を、半永久的に維持することも可能だ。だが、そんなことをすれば大騒ぎになる。かといって、失敗すれば「神童の名折れ」と嘲笑われるだろう。ここは、「三歳児としては驚異的だが、十歳児の優等生よりは少し劣る」くらいの、絶妙なレベルを狙う必要がある。
俺は慎重に魔力を練り上げ、直径十センチほどの、完璧な球形の水の玉を生成した。そして、それをきっかり十秒間維持した後、ぱちゃ、と音を立てて消滅させた。完璧な演技だ。
教室からは、「おお…」という感嘆の声が上がった。教師も「素晴らしい!三歳でこれほど正確な魔力制御ができるとは!」と手放しで褒めている。よしよし、これで俺の評価は「やはり神童だが、年相応の可愛げもある」といったところに落ち着くだろう。
しかし、ギデオンだけは違った。彼は、自分が生成した、少し歪んだ水の玉と、俺が作った完璧な球体を見比べ、ギリ、と奥歯を噛みしめている。その瞳には、嫉妬の炎が燃え上がっていた。
(ああ、もう完全にロックオンされたな…)
俺は、これからの学園生活に、暗雲が立ち込めるのを感じた。
その予感は、昼休み、すぐに現実のものとなった。
エリアーナが用意してくれた、子供向けの甘いサンドイッチを中庭のベンチで食べていると、ギデオンが数人の取り巻きを引き連れて、俺の前に立ちはだかった。
「おい、そこのチビ。貴様がレクスか」
尊大な態度で、俺を見下ろしてくる。俺は、サンドイッチを咀嚼しながら、こてん、と首を傾げて見せた。
「…れくしゅ、でしゅ」
三歳児らしい、舌ったらずな発音も忘れない。完璧な幼児ムーヴだ。
俺の態度が気に食わなかったのか、ギデオンはさらに顔をしかめた。
「ふん、まぐれで魔法の一つや二つ使えたからといって、いい気になるなよ。貴様のような辺境の成り上がりが、この僕と、この高貴なるアークライトの名を持つギデオン様と同じ教室にいること自体、許しがたいことなのだ!」
(うわ、テンプレみたいなセリフ来た)
俺は、もぐもぐとサンドイッチを食べ続ける。下手に反応すれば、相手を喜ばせるだけだ。無視が一番。
しかし、俺の無視は、彼のプライドをさらに傷つけたようだった。
「聞いているのか、このチビ!僕と勝負しろ!」
「しょーぶ?」
「そうだ!魔法で、どちらが優れているか、はっきりさせてやる!僕が勝ったら、貴様は二度と僕の前に現れるな!」
取り巻きたちが、「やっちまえ、ギデオン様!」「三歳児なんかに負けるはずがない!」と囃し立てる。
これは、いよいよ面倒なことになった。ここで勝てば、彼の恨みをさらに買うことになる。負ければ、舐められて今後も何かと絡んでくるだろう。どちらに転んでも、俺の平穏は遠のく。
俺は、サンドイッチの最後の一口を飲み込むと、一つの結論に達した。
(…よし、ここは、勝敗がつかない形に持ち込むしかない)
俺は、にこりと、天使のような(と自分では思っている)笑顔をギデオンに向けた。
「いいよー。しょーぶ、しゅるー」
俺が勝負を受けたことに、ギデオンは一瞬驚いたが、すぐに勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「フン、いい度胸だ!では、課題は『魔力の岩飛ばし』だ!あそこに見える樫の木に、魔法で生成した岩を、どちらがより遠くまで飛ばせるか、勝負だ!」
それは、単純な魔力の放出量を競う、子供らしい勝負だった。
ギデオンが先に、自信満々で前に出る。彼は集中して魔力を練り上げ、頭ほどの大きさの岩を生成すると、それを力任せに樫の木に向かって放った。岩は、唸りを上げて飛び、木の幹に当たって砕け散った。飛距離は、約十五メートル。十歳児としては、かなりのものだ。
「どうだ!見たか!貴様には、これほどの魔力はあるまい!」
ギデオンが、得意満面で胸を張る。
「しゅごーい」
俺は、ぱちぱちと手を叩いて見せた。そして、彼の前にとことこと歩み寄る。
俺は、彼が生成したのと同じくらいの大きさの岩を、いとも簡単に生成してみせた。その時点で、ギデオンの顔が少し引きつる。
そして、俺は岩を放った。
しかし、俺の岩は、樫の木に向かっては飛ばなかった。
俺の岩は、ふわりと宙に浮くと、ギデオンの頭上をぐるりと一周し、そして、彼の足元に、ことり、と優しく着地したのだ。
静まり返る中庭。
ギデオンも、取り巻きたちも、何が起きたのか理解できず、呆然としている。
俺がやったのは、単純な「放出」ではない。岩の生成と同時に、その岩に対して、極めて精密な「浮遊」と「誘導」の魔法を多重にかけたのだ。魔力の放出量ではなく、その「制御技術」のレベルが、ギデオンとは天と地ほど違うことを見せつけたのである。
どちらが遠くに飛ばせたか、という勝負のルール上、飛距離ゼロの俺は、文句なしの「負け」だ。しかし、この場にいた誰もが、どちらが「格上」の魔法の使い手であるかを、理解してしまった。
ギデオンは、顔を真っ赤にして、わなわなと震えている。プライドを、これ以上ない形で、完膚なきまでに叩き潰されたのだ。
俺は、そんな彼に、とどめの一言を、満面の笑みでプレゼントした。
「…きの、きの、かちー(君の勝ちー)」
その日以降、ギデオンが俺に突っかかってくることはなくなった。だが、その代わりに、遠くから、蛇のような執念深い目で、俺を監視するようになった。
ああ、クソ。俺は、最も面倒で、最も質の悪いライバル(ストーカー)を、自ら作り出してしまったようだ。俺の平穏な学園スローライフは、一体いつになったら訪れるのだろうか。俺は、空を見上げて、深いため息をついた。