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監視役(家庭教師)と心理戦

レクスの監視役として、エリート女性魔術師・エリアーナが家庭教師に任命される。レクスは赤ん坊のふりをしながらも、魔法理論の矛盾点を突くなどして、彼女を精神的に翻弄。二人の奇妙な師弟関係が始まる。

俺、レクス・フォン・アルストロメリアが王城で「神童」認定されてから、一年が過ぎた。この一年、俺は「完璧な赤ん坊」を演じきることに全力を注いできた。つまり、飲んで、寝て、時々泣いて、たまに意味不明な言葉を発する。それだけだ。王宮での一件以来、周囲の期待と監視の目は格段に厳しくなった。下手に動けば、すぐにボロが出る。平穏なスローライフのためには、今は雌伏の時なのだ。

父は俺を溺愛し、母は俺の将来を夢見て目を輝かせている。使用人たちは俺を畏敬の念で見つめ、「レクス坊ちゃまは、きっと大陸を統べる大魔法使いになられるぞ」などと囁き合っている。やめてくれ。そんな巨大なフラグを軽々しく立てないでほしい。

そんなある日、俺の(望んでいない)輝かしい未来を決定づける人物が、アルストロメリア子爵領の屋敷にやってきた。


「本日より、レクス様の家庭教師を務めさせていただきます。エリアーナ・フォン・ヴァレンシュタインと申します」


客間に現れたのは、まだ二十歳前後と思われる、怜悧な美貌を持つ女性だった。背筋の伸びた立ち姿、一切の無駄がない所作、そして何より、俺の魂の奥底まで見透かそうとするような、鋭い観察眼。彼女は、宮廷魔術師団の中でも若手のホープと名高いエリート魔術師だった。その肩書だけで、彼女が単なる教育係ではなく、王宮から遣わされた「監視役」であることが透けて見えた。特に、あの胡散臭い宮廷魔術師長の息がかかっているのは間違いない。

(…本格的に面倒なことになってきたな)

俺は父の腕に抱かれながら、とりあえず赤ん坊らしく「あうー?」と首を傾げ、純粋無垢なのフリで彼女を見つめた。心理戦の第一ラウンドは、相手にこちらの警戒心を悟らせないことだ。


「まあ、ご挨拶がお出来になるのですね、レクス様」


エリアーナは微笑んだ。だが、その目は全く笑っていない。

彼女の教育、という名の監視は、その日から始まった。一日の大半を俺の部屋で過ごし、俺の一挙手一投足を観察する。俺がハイハイで部屋の隅にある埃に興味を示せば、「レクス様は探究心がおありです」と手元の羊皮紙にメモを取る。俺が意味もなく積み木を倒せば、「破壊衝動の中に、力の片鱗が…」などと真剣な顔で分析している。正直、気味が悪い。

彼女の授業は、まだ言葉も話せない俺に対して、一方的に高度な魔法理論を語り聞かせるというものだった。


「レクス様、本日は四大元素の相関性についてです。火は風によって勢いを増し、水によって消される。これは自明の理ですが、では、水属性魔法で火属性魔法を『強化』する方法はご存知ですか?」


もちろん知っている。超高圧の水蒸気爆発を引き起こすための高等技術だ。前世では、敵の防御魔法を逆手にとって自爆させるのによく使った。しかし、一歳の赤ん坊である俺に答えられるはずもない。俺は彼女の問いかけに対し、よだれを垂らしながら積み木をしゃぶるという、完璧な回答を返した。

エリアーナは溜息をつきもせず、淡々と解説を続ける。


「答えは、水の位相を反転させ、魔力構造をプラズマ化させることで…」


彼女の講義は、その内容は極めて高度で正確だったが、いくつか、俺から見れば致命的な「間違い」や「古い定説」が含まれていた。この世界の魔法学は、俺がいた世界より五十年は遅れているようだ。

ある日のこと、エリアーナは「魔力抵抗マナ・レジスタンス」についての講義をしていた。


「…このように、魔力で編まれた障壁は、同質の魔力で構成された攻撃魔法に対して最も高い抵抗値を示します。火の盾には火の槍が効きにくい。これは魔法戦の基礎中の基礎です」


(いや、違うな)

俺は内心で首を振った。それは初歩的な考え方だ。実際には、同質の魔力同士をぶつけると、「共振」という現象が起き、特定の周波数で干渉させれば、むしろ障壁そのものを内側から崩壊させることができる。俺はこの理論を使って、何人もの高位魔術師を葬ってきた。

このままでは、この優秀だが頭の固いエリート先生は、いつか実戦で痛い目を見るだろう。それはそれで面白いが、俺の監視役がいちいち負けられても困る。俺は、ささやかなヒントを与えてやることにした。

俺はハイハイで、部屋に置いてあった子供用の木琴シロフォンの前に移動した。そして、おもちゃのバチを手に取り、エリアーナが講義で使っていた「火の盾」の魔力構造と、それを打ち破るための「火の槍」の干渉周波数に対応する音階を、おぼつかない手つきで叩き始めた。

ド、ソ、ド、ミ――。

単純な子供の遊びに見える、不協和音。だが、その音の組み合わせは、魔法理論に精通した者であれば、ある特定の「共振の数式」を想起させるものだった。

エリアーナの講義が、ぴたりと止まった。彼女は、俺が叩く木琴の音に耳を澄まし、やがてハッとしたように目を見開いた。その表情が、驚愕、混乱、そして信じられないという疑念へと目まぐるしく変わっていく。


「…この音階は…まさか…『調和振動による魔力干渉理論』…?そんな、あれは百年も前に否定された、異端の学説のはず…」


彼女はブツブ-ツと呟きながら、自分の講義内容と俺が奏でる音階を必死に頭の中で結びつけようとしている。

俺は目的を達成すると、すぐに木琴に飽きたフリをしてバチを放り投げ、今度は自分の足の指をしゃぶり始めた。赤ん坊の集中力は短いのだ、という完璧なアピールだ。

エリアーナはしばらく呆然としていたが、やがて何かを閃いたように自分の研究室へ駆け戻っていった。おそらく、今夜は徹夜で古文書と格闘することになるだろう。

この一件以来、エリアーナの俺に対する態度は、明らかに変わった。監視の目はそのままに、その奥に「試す」ような色が加わったのだ。彼女は俺の前で、わざと解決策の抜けた魔法方程式を広げてみせたり、いくつかの選択肢がある戦術論について、独り言のように語ったりするようになった。

俺はそれに対し、ミルクをこぼした跡の形で答えを示したり、積み木を特定の配列に並べてみせたりと、あくまで「赤ん坊の偶然の遊び」を装いながら、彼女にヒントを与え続けた。

それは、言葉を介さない、奇妙な心理戦であり、知的なゲームだった。彼女は俺の正体を探ろうとし、俺はその追及を赤ん坊の仮面で受け流し、いなし、時には手のひらの上で転がしてやる。

監視される日々は退屈だが、この才能ある教え子(監視役)を、俺が前世で到達した魔法の真理へと導いてやるのも、悪くない余興かもしれない。

そんなある日、エリアーナが血相を変えて俺の部屋に飛び込んできた。


「レクス様!大変です!王宮で…若き第一王子が、何者かに命を狙われているという情報が…!」


その緊迫した声に、俺はしゃぶっていた指をピタリと止めた。どうやら、退屈な日々は、俺が望まぬ形で終わりを告げようとしているらしい。平穏なスローライフは、一体どこにあるというのだ。

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